18:煮込みハンバーグ(緑の国・第8の都市)

 キッチンの食器棚を開いた飯福航いいふくわたるは渋面を作った。自らの選択、行動の結果とは重々理解しているものの。やはりこうして改めて現実を突きつけられると、少々クるものがある。


「やりすぎだよな」


 異世界の色んな国・都市を周り、じわりじわりと皿が減っていっている。彼のポリシーとして、いわゆる「お持ち帰り」には積極的ではないのだが、困っている人や自分の料理に救いを見出してくれた人などには、どうしても渡してしまう。そんなことが多々あって。

 焼き物の食器(プラスティックなどは厳禁だ)に限っているので、まあオーバーテクノロジーとまでは言えないが。それでもやはり異世界基準に照らせば、神業レベルで上質な物だ。


「広まる危険性とかは、ほとんど考えなくて良いんだけど」


 情報伝達手段に乏しいのも、もちろんだが。そもそも現代日本でも、ちょっと変わった品を持っている程度では、今時バズりもしない。一目で分かるほどにオーバーテクノロジーならまだしも、釉薬ゆうやくの成分が未知のもの、くらいでは。そもそも剥離、解析する技術も無いので分かりようもない。


「けど、なるべく天然素材オンリーの物が良いよなあ」


 化学塗料完全不使用という謳い文句の皿を買うべきか。飯福はスマホで検索をかけて……


「なんか、そういうの用意しちゃうと、更にテイクアウトの基準がガバガバになりそうなんだよな」


 躊躇する。

 結局、通販サイトなどで下調べするだけで、購入には踏み切らなかった。と、そうこうしているうちに、朝の10時になっていた。今日はとある店を訪ねる予定がある。

 

「やべ。もう開店だ。リニューアルとか、いかにも年寄りが好きそうなイベントだからな」


 大行列は流石に出来ていないだろうが、急いだ方が良さそうである。

 飯福は手早く着替え、自転車に跨った。


 ………………

 …………

 ……


 正宗晋司まさむねしんじ氏が、商店街で営む肉屋『肉マサムネ』。どこかで聞いたようなネーミングはさておき、良い仕入先を持っているらしく、「上質な肉が欲しいなら、ここ一択」と飯福は重宝している。


 この度、孫娘への代替わりの下準備も兼ねて、ニューアルオープンとなった。少し前から工事屋が数人、出入りしているのは飯福も知っていたが、代替わり云々の話は流石に知らなかった。同じ商店街に店を構える『定食ムグムグ』のオーナー、六車秀一むぐるましゅういちから聞いて初めて知ったのだ。


「息子さんは二人ともサラリーマンになってしまったんだけど、その娘さんが継いでくれるってんで、晋司さんも嬉しそうだったよ」


 との情報。まあ可愛い可愛い孫娘が自分の守ってきた店の次代を担ってくれるというのだから、それは嬉しくて仕方ないだろう、と第三者の飯福でも容易に推察できる。


 その『肉マサムネ』のある一角へとやって来た。少し混んでいる。店先に開店祝いの花が幾つか並んでいた。店の周りにいる客は、飯福の予想通り、年配が多いようだ。まあ商店街の客層自体、平均年齢は高めだが。


(ちょっと並んでんな)


 商品のラインナップ等は変わっていないハズだが……ミーハーなことである。

 飯福もその最後尾に加わり、待つこと五分程度。店の前まで辿り着く。外装が小奇麗になっている。

 順番になり、中に入った。天井と床が木目タイルになっていて、ショーケースもデパ地下のように黒を基調にしている。街の肉屋によくある、銀トレーの中に緑のシートを敷いた、昔ながらの陳列とは一線を画す様相。天井からぶら下がった笠つきの電球も、どこか洋風でセンスが良い。

 全体的に肉屋の範疇は逸脱せず、それでいてオシャレだった。


(有閑マダムたちを取り込めるかも知れんが……)


 最悪は客層が変わるだろうか。あの無骨で昭和情緒溢れる店構えに何となく安心感を覚えていた飯福としては、一抹の寂しさもある。まあそれでも彼は料理人。仕入れ先が変わらず、肉の質も落ちないのなら、これからも折を見て覗きに来るだろうが。


 ショーケースの前まで行く。向こう側に若い女性がいた。件の孫娘だろう。丸っこい体と顔。白いコックコートが、はち切れんばかりだ。ふくふくの顔でにこやかに笑い、年配客に肉の説明をしている。愛想がよく、可愛らしいので年寄りウケはかなり良さそうだ、と飯福は睨む。よく知る晋司の孫ということで、愛着も湧くのだろう。


(これが客商売の面白いところで……店員の人柄ってのも大きな要素に入ってくるんだよな)


 味が拮抗している二つの店のうち、どちらの常連になるかと言われれば、気持ちのいい接客をしてくれる方。こういう人もかなり多くいる。

 なので孫娘はその点がまずクリアできているのは大きなアドバンテージだろう。


「いらっしゃいませ!」

 

 ショーケースの前が空いた。ハツラツとした笑顔を飯福にも向けてくる。小さく会釈して、中を見る。パッと見だが、目利きは変わっていないように思われる。或いはそっちは晋司が担っているのだろうか。


「ブランドポークのミンチを……600ください」


 今日は異世界にはハンバーグを提供する予定だ。一人前200グラムのボリューム満点な一品を、最大三人前。

 

「これ、鹿児島産ですよね?」


「え、あ、はい。もしかして常連の方ですか?」


 産地まで知っているので、そう思ったのだろう。


「あー。たまに。利用させてもらってます」


 しかし飯福としても常連と胸を張れる頻度では来店していない。


「あ、そうなんですね。ありがとうございます! すいません、私、前職が肉の解体の方だったので……この店はノータッチで」


「へえ。解体ですか……それは凄いですね」


 飯福の中で、孫娘の株が上がる。最初から肉の専門家になるために修行していたということだ。近くで顔を見ると、恐らくは20代の中頃。高卒から働いているとすると、結構経験を積んでいることだろう。そして武者修行を終え、満を持して家業に就いたと。


「……お客さんは、飲食関係の方ですか?」


「ええ、まあ。細々と包丁を握ってますよ」


 謙遜でも何でもなく、一日あたり一人~三人程度の客しか取っていない(取れない)ので、細々としか形容しようがない。


「肉マサムネさんが仕入れてる薩摩ポークは、脂身がなめらかで、メチャクチャ柔らかいハンバーグが作れますよね」


「あ、ありがとうございます! 嬉しいです!」


 少女のように人懐っこく笑う孫娘。これはもう、年寄り連中は全員ヤラれただろうな、と飯福は胸中で苦笑する。


「そのままでも十分に柔らかいんですけど、煮込みハンバーグにすると、歯が悪いウチのおばあちゃんも喜んで食べてくれるくらい、更に柔らかくなるんですよ」


「ああ、煮込みかあ」


 そういえば、しばらく作っていなかったな、と飯福。

 その後は少しだけ店の内装の話などをして、肉を購入、退店した。


 商店街の反対側の店舗も冷やかそうかと、店の裏側を通った時だった。ちょうど業者対応を終えたらしい、晋司氏と目が合った。飯福の方へ近付いてくる。


「毎度どうも」


「いえいえ。リニューアルって聞いたので、冷やかしがてら」


「ははは」


「盛況のようですね」


「最初だけじゃなきゃ良いんですけどねえ」


 孫娘への可愛さ余って、盲目的にはなっていないようだ。まあ晋司氏は何十年とやってきて、食べ物屋の酸いも甘いも味わってきた大ベテランなワケで。流石に愛嬌だけで渡れるほど甘くはないと知っている。


「解体もやってたと聞きましたが」


「ああ。そうなんですよ。なんで肉のことは一通りは分かってるみたいで、そこは安心材料ですけどね」


「接客も問題なさそうですし」


「ああ、そこは私より優れてますわ」


 冗談とも本気とも取れない言い方で笑う。彼は無愛想とまではいかないが、飯福のような同業と一般客では少し対応に差をつけるところがある。食材に明るくない人たちを見下すワケでもないのだろうが。


(まあでも実際、あの子は今までとは違う客層も引き込めそうだよな)


 少し今までの形態とは変わるが、なんだかんだ『肉マサムネ』は安泰なのではないか、と他人事の飯福は楽観的なことを考える。


「まあ取り敢えずは、あの子の思うようにやらせてみますわ。失敗しても、それはそれで経験ですから」


 晋司氏は、そこで優しい祖父の顔になり、


「なによりも……私の体がもたなくなったら終わりだと思っていた店が、続いてくれる目がある。こんなに有難いことはないですよ。孫に感謝です」


 そう言って屈託なく笑った。






 家に戻ると、飯福は早速、自筆のレシピ帳の束を漁る。少し格闘した後、煮込みハンバーグのレシピを発見。キッチンの脇に書見台を立てて、ページを開いたままそこへ置いた。


 まず冷蔵庫から取り出したタマネギ(4分の1)をみじん切りにする。続いて買ってきた肉から200グラム量って取り、塩コショウを適量加え、少し粘り気が出るまで混ぜる。パン粉大さじ4、卵1個、牛乳大さじ2、薄力粉大さじ1、オールスパイスを適量加え、再びよくこねる。この時点でもう手がベトベトだが、その掌に更にオリーブオイルを塗る。そして肉ダネをおよそ半分に取り、両手の間を軽くトスし合い、空気を抜いていく。この時、タネの表面に先ほど掌に塗ったオリーブオイルが満遍なく行き渡ることで、焼きの段階で割れたりするのを防ぐ効果がある。


 楕円に整え、真ん中の辺り(少し火が通りにくい)を軽く指で凹ませ、成型完了。冷蔵庫に入れ、少し冷ます。その間にタマネギ、ニンジン、しめじをカットして下準備を済ませる。

 タネが冷えた頃に、フライパンを用意。油をひいて熱する。頃合いでタネを投入。両面に焼き色がつくまで中火で焼く。その後は、タネを取り出し、フライパンに残った肉汁も利用してソース作り。肉クズなどは取り除き、先程のタマネギ、ニンジン、しめじを放り込んだ。中火で焼き色がつくまで加熱する。この後に更に煮込むので、完全に火は通っていなくてもオッケーである。


 赤ワインを入れ、強火。アルコールを飛ばしたら、ケチャップ、ウスターソース、水を加えて、ひと煮立ちさせる。

 ハンバーグを戻し入れて、蓋をすると、弱火でグツグツと煮込む。ソースの量を見ながら頃合いで火を止め、完成。


「ふう。久しぶりに作ったけど……まあまずは味見だな」


 箸食でない国に出る可能性も考え、飯福はフォークとナイフを持ち、少し早いがハンバーグランチと洒落こんだ。



 ◇◆◇◆



 リマ・ジェ・サイラーは工房の端に置いてある燃焼時計を見やる。作業開始から二時間ほどが経過しているようだった。ふう、と大きく息をつき、回転ろくろを止めた。ギフト『回転付与かいてんふよ』。彼女の集中力と体力が続く限り、物体に回転を与えることが出来る能力だ。もっと物騒なことにも応用できそうだったが、若き日のリマは陶芸家の道を選んだ。そしてその道一筋、もう50年近くも歩んできた。


 天才の名をほしいままにし、芸術の街である緑の国・首都でも彼女の名は轟いている。十分な財も築いた。そんな彼女が、まだこうして赤の国との国境沿い、良い土が採れる第8の都市に引きこもっているのを見て、人々は尊崇の念を募らせるが。


「……実際は違う。作ってないと潰れてしまうの」


 リマは涙声で絞り出す。聞く者も居ない、一人きりの工房で。壁に掛かった肖像画を見る。自分と亡き夫と、一人息子。全員が微笑んでいる、もう20年以上前の絵だ。


 まだ息子との仲にも亀裂が入っていなかった頃。幸せだった……いや、そう思っていたのはリマだけだった。そんな頃の記憶。


 ………………

 …………

 ……


 当時のリマは、この国最大の芸術祭で五年連続の大賞を受賞し、富と名声を不動のものとしていた。そしてまた、恐ろしく増長していた。自分が作品を作れば、それはたちまち人々に認められ、専門家を唸らせ、資産家が競り合って落札する。そんな物が本当に簡単に出来てしまう。まごうことなく天才だった。授賞式でも新聞記者がいない場所では、二位以下の芸術家たちを小馬鹿にしたような態度でいた。そんな態度が反感を買い、しかしそれを負け犬たちの下らぬ嫉妬と切って捨てていた。


 苛烈な気質は、家族にも向いた。夫は殆ど専業主夫のような形で家を支えていたが、それを甲斐性ナシと揶揄し、あまつさえ小粋な冗句のつもりでいた。今、彼女自身、当時を思い返して感想を述べるなら……ただただ幼かった。下積みもなく、陶芸を教わった師匠の腕前を二日後には超え、一年後には幾つもの大会で賞を獲って……苦労の「く」の字も知らずに頂に立ってしまったのだ。


「なんでこんな簡単なことが出来ないの!?」


 陶芸を始めた息子にもトゲのある言葉を毎日のように吐いた。

 これほど楽に稼げる仕事はない。なので可愛い可愛い息子にも同じ道を歩ませることにした。というより他の選択肢など考えもつかなかった。息子はリマと同じギフトを授かっていたため、尚更だった。夫は一度だけ、息子・ロイスの「やりたいこと」を聞いてみたらどうだ、と助言したが。当時のリマは信じられない物を見る目で夫を見返した。絶対に幸せになれる道があるのに、子供が一時の未熟な衝動でそこから踏み外すのを看過しろというのだ。リマは夫にあらん限りの罵声を浴びせた。


 そんな日がしばらく続き、まず夫が倒れた。リマを満足させられる完璧な家事を追及するあまり、人生の終盤は心を病んでいた。自分は稼ぎでは無能なのだから、家事くらい満足にこなせないと。彼の口癖だった。妻から頻繁に浴びせられていた言葉のナイフで自分を深々と刺していたのだろう。洗脳と言い換えてもいいかも知れない。

 最後は物を食べるのを拒み続けた。妻を納得させられる食事ではないので、見るのもイヤだ、と。骨と皮だけの体で、逝ってしまった。


 そこでリマは自らを省みるべきだった。だが夫を失った彼女は、より一層息子の育成に熱をあげた。せめて残された最後の家族は、幸せにしなければいけない。この成功者たる自分が、妻や母としては失格などと陰口を叩かれるのは我慢ならない。そんなことを考えていたように思う。この期に及んで、彼女は自分のことばかりだった。


 そして。息子・ロイスが15歳になった年のことだった。彼は忽然と姿を消した。家中を探し回り、置手紙の一通だけを見つけた。いわく。もう付き合いきれない。このままだと父と同じく、自分も恐ろしい母親に殺される。アナタは魔女だ。優しい父を殺された恨みは一生消えない。いくら芸術が分かっても、人の気持ちが分からないアナタを尊敬したことはただの一度もない。そのような言葉が淡々と綴られていた。


 リマは激怒した。ここまで育ててやったのは誰だ。なに不自由なく暮らせたのは自分が大金を稼いでいるからだろう。そんな自分に向かって言うに事欠いて魔女だと。何様のつもりだ。怒りに打ち震え、息子が作った作品を全て叩き割ってしまった。


 それからのリマは、一層他人を寄せ付けない人間になった。人は裏切る。唯一、裏切らないのは土だけだ。鬼気迫るように陶芸に没頭した。だが、その土までも徐々に腐っていった。なみなみと注がれる称賛という水が、寝ていても転がり込んでくる大量の金銀が、濁らせた。大会○連覇という文字はただの文字列以上の意味を持たず、賛辞は耳障りですらあった。虚しい。もはや人生に喜びはない。


 ある日、救いを求めるように亡き夫の部屋に入った。数年、誰も立ち入らなかったその場所は埃臭く、所々にカビも生えていた。机の引き出しを開けた。手記を見つける。貪るように読んだ。結婚当初のページには、リマの作品に対する瑞々しい賛辞が並んでいた。キラキラと目を輝かせていた青年期の夫の顔が脳裏に甦る。しかしそれは読み進めるにつれ、塗炭とたんの日々へと変わっていく。最後の方のページは『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…………』。その言葉だけで埋め尽くされていた。リマは膝を折った。こんなにも夫を傷つけ、壊していたなんて気付いていなかった。いや、もしかすると、気付いていながら、認めるのが怖かっただけなのかも知れない。


「戻りたい……出会った頃に。こんなギフト、なくてもいいから」


 一瞬、ギフトのせいにしかけるリマだったが、額を強く床に打ち付けて、その誘惑を振り払った。違う。素晴らしいギフトを持ちながら、他人のために役立て、社会に貢献し、幸せな家庭を築いている者はゴマンといる。ギフトのせいではない。全ては己の不明、傲慢、鈍感が招いたことだ。


「ロイスの言う通り」


 人殺しの魔女だ。自分をよく知らない人間からは、尊敬やカネを掠めとれても、身近にいる人間は騙せない。

 手紙には一度も尊敬したことがないとも書いてあった。今なら、それも当然だと分かる。


 矢も楯もたまらず、リマは蔵を探した。若き日の夫が褒めてくれた、思い出の陶器を探し求めて。一心不乱に探し回った。だが、どこにも無かった。この蔵の物は夫にも触らせなかった。もちろん、家政婦にも。つまり、自分が処分した。それ以外にない。定期的に要らなくなった昔の作品を捨てたり売り払ったりしていたのは覚えている。ゴミ、と内心で烙印を押して。きっと、夫との思い出の品すら、忘れて気付かないまま処分した。


 薄暗い土蔵の中で、声を限りにリマは哭いた。そんな資格もないと理解しながらも、止めようもなかった。


 そして。捨ててしまったのなら、せめてもう一度作ろうと思い立った。あの思い出の品に近い物を。脳が焼けるかと思うほどに記憶を探り、なんとか作り上げたそれは……あまりに完成度が高かった。若かりし頃に作った粗削りな、だけどこれから頂点へ駆けあがるんだという野心に溢れた作品とは似ても似つかなかった。

 あれは、あの頃にしか作れない物だったのだ。今からでは、もう……

 それでも、それを認めてしまうと本当に生きる意味を失う。せめて目標がないと。そこまで考えて、また自分本位だと気付き、吐き気がする。それを堪えながら、幽鬼のように作り続ける。そんな日々を、リマはもう何年も送っていた。


 ………………

 …………

 ……


 頭を振り、詮無き追憶を終える。ゆっくりと椅子から立ち上がり……


(痛っ!)


 リマは最近、とみに歯が悪くなっていた。若い頃に硬い干し肉を好んで食べては、夫に「歳を取ってから、歯が悪くなっても知らないよ」と注意されていた。それに対して、彼女は怒鳴り声で応えていた。自嘲の笑みすら浮かばないほどの自業自得。


「お腹が空いた」


 咎人でも腹は減る。リマは台所の食材を思い浮かべる。夫が旅立ち、家政婦も雇わなくなってから、簡単な料理を覚えたが、完成度は夫のそれとは雲泥の差だった。自分で作るようになって初めて、美味しくて体のことを考えて作られた料理が、どれだけ有難い物なのかを知った。そして、それをぞんざいに扱っていた愚も。


「豆も粥も飽きたわ」


 何かもっと美味しい物が食べたい。リマは街に繰り出した。

 通りには、白のマナタイトを納めた石造りの街灯が並ぶ。それらがボンヤリ発光して辺りを照らしていた。通り沿いに建つ飲食店。既に全部の店を試してしまったが、実際のところ、リマが作るのと大差ない味だった。食指が伸びない。近くの湿地で獲れるカエルを香草焼きにした物と、少しの酒で誤魔化そう。そう決めたところで、


「え!?」


 突然、昼間のような発光。街灯の中にある白のマナタイトがおかしくなったのか。身構えた矢先。唐突にその現象は収まった。


「なにが……」


 光の発生源を探し、視線を巡らせる。飲食店と飲食店の間、ほんの僅かな隙間に屋台が出ていた。白と黒の二色の木板で組まれており、この街の景観からは完全に浮いている。そしてその屋台の奥、人が立っていた。黒髪に黒目。白いシャツを着ている。

 目が合った。リマは逡巡したが、結局行ってみることにした。


「いらっしゃい」


「ここは……屋台、なの?」


「ああ。異世界屋台・ボヤージュだ」


「いせかい……もしかして!?」


 リマはハッとする。


「マレビト様ですか!?」


「まあ、かな。とっくに普通の人間だよ。神気もない」


 と店主の男は言うが、リマは近付いて行って、カウンター越しに手を合わせる。


「や、やめてくれ。本当に、そんな大層な者じゃない」


「ありがたや。ありがたや」


 昔は神など大して崇めてはいなかった。だがこうして歳をとり、様々な物を失い、最後に縋るのは神である。これもまた虫の良い話だと自覚しながらも。


「参ったね。なあ、ばあちゃん。俺はしがない屋台の店主だ。拝まれても料理しか出せないよ」


「料理……マレビト様の」


 即ち神の料理だ。またも拝み倒しそうな勢いのリマ。


「銀貨一枚。煮込みハンバーグだよ。食ってくかい?」


 首が千切れるほどに、何度も縦に振った。店主は苦笑し、少し待っているよう伝えて、踵を返した。何もない空間が発光する。先程の光と同じものだろう。リマが目を細めている間に、店主はその光の中に消えた。かと思えば、すぐに戻ってきた。手には水の入ったグラス。


「サービスだ。料理の方もすぐに持ってくる」


 そう言って再び光の中へ。そして三分ほど経った頃、戻ってきた。手には銀のトレー。その上に皿が二つ。ライスを乗せた物と……肉の塊だろうか、楕円の茶色い料理が乗った物。リマはスンスンと鼻を鳴らす。香ばしい匂いが、腹を刺激する。それなりの地位を築いている彼女、美食もそこそこ嗜むが。


(見たこともない料理。匂いも素敵)


 期待に目を輝かせる彼女の前に、静かにトレーが置かれた。ライスも粒立ちが立派な上物だが、やはり目を奪われるのは肉料理。茶色に少し赤が混じったソースからは、トマトと、酒の匂いもする。口の中に唾液が湧いた。


「こちらは……」


「煮込みハンバーグ」


 店主は深緑の板を軽く指すが、リマには読めない文字だった。軽く後ろ頭を掻いた店主は、とにかく食べてみろと促した。

 リマは内心、躊躇していた。匂いは美味そうだが、この分厚い肉の塊を、自分の弱った歯で噛み切れるだろうか、と。若い頃なら、喜び勇んで食いついたのだろうが……


「柔らかくて美味いよ」


 その言葉が決め手となり、リマはそっと肉塊にナイフを入れてみる。すると、どううだろう。まるで粘土に指を沈める時のように、軽々と刃が通るではないか。驚きに目を見開きながらも、その切り分けた塊に、今度はフォークを刺す。やはりこれも簡単に先が入ってしまった。


「……」


 ゴクリと唾を飲み。えいや、と口の中に放ると……


(こ、これ! 柔らかい。舌で押すだけでほぐれる!!)


 そして、ほぐれた後の旨味。肉汁がジュワッと弾け、トマトの酸味、ブドウ酒(?)の苦味と甘みが、幾重にも絡んだソースと混ざり合う。なんと複雑な味わいなのだろうか。


(美味しい……こんな美味しい料理、初めて食べた)


 今まで、亡き夫が作った物が一番だと思っていた。それは罪悪感から、そう思い込んでいた部分もあったのだが。ちょっとこれは桁違いだった。


(百年……ううん、下手したら数百年先の料理)


 夫の腕がどうこう、という次元ではなく。この世界の調味料や食材を使っていたら、数百年は追いつけない。それほどの差を感じさせる。


「これは……獣の肉ですか?」


「ああ。豚だな」


「こんなに柔らかく出来るなんて……」


 そこでリマの腹が「くう」と鳴った。御託は良いから、さっさと掻き込め、と。そういう指示だった。本能には抗えず、今度はキノコと野菜を乗せた肉塊を一口分。咀嚼した瞬間、野菜が甘みを主張する。キノコの絶妙な歯応えと、ソースに絡む微細な苦味。そしてそれら全てにまとわりつくような、濃厚な脂の味。美味すぎる。ライスが欲しくてたまらなくなり、フォークが知らずに掬っていた。口の中へ放り込む。途端にソースと肉汁を吸い込んだ。ライス本来の甘みと、粒立ちの食感も味わいつつ、全てを飲み込み、喉奥にも至高の味を届けた。


「……」


 改めて溜息が出るほどの美味さ。疑っていたワケでもないが、目の前の青年は間違いなく、神の使いだと確信した。そんな彼の神聖な料理を味わえた感動と、こんな不実な自分の下に訪れてくれた慈悲への感謝と。リマは椅子から転げ落ちるように、地に伏せ、店主に頭を垂れた。


「ちょ、ちょ、ちょ! いきなりどうした!? やめてくれ!」


「いえ。このような素晴らしい料理をお恵みいただいてしまっては、こうするより他に……」


 店主はカウンターを出て、グルリと屋台を回り、老婆の腕を掴んだ。乱暴にはならないよう、腰にも軽く手を添えて起こす。


「おお……このような惨めな婆に、御手みてを」


 涙を流していた。


「緑の国で、こんなに信心深い人も珍しいな……」


 店主は顔が引きつっている。優しくリマを椅子に座り直させ、


「頼むから、普通に食ってくれ。俺としては料理を放り出されるのは困る」


 真剣な声音で言った。


「は、はい。失礼いたしました。そうですね。これほどの物を頂戴しておきながら……地に伏すのは後でいくらでも出来るというのに。視野が狭くなっておりました」


「後でもやめて欲しいんだが……まあ、とにかく冷める前に、おあがりなよ」


 その言葉に大きく頷いたリマは、そこからはひたすらに料理を味わった。やはり何度か涙ぐみながらも、時間をかけて平らげた。最後に水を飲み、ああ、と目を閉じ、店主に向かって両手を合わせる。


「それじゃあ、お代の銀貨一枚を」


「どうぞ、お納め下さい」


 リマは巾着をそのまま引っくり返す。金貨がざっと100枚は入っていた。


「こんなに受け取れないな」


「しかし……」


「銀貨一枚だ」


「……それでは、おカネの他に何か出来ないでしょうか。ワタクシは本当に、この料理に感服いたしました。最近は歯も悪く、食事も楽しくなかったのですが、久しぶりに、いえ、人生最高の食を堪能させて頂きました。この感謝を、どうか」


 再び拝みだしてしまった。店主はほとほと困ったという顔で思案する。数秒経って、


「アンタ、なにを生業にしてるんだい?」


「はい。陶芸家をやっております」


「そうか、それはちょうど良かった。こっち水準の皿が欲しかったんだ」


「皿……ですか?」


 ハンバーグやライスの乗っていた皿を見たリマ。かなり上等な品のようだが、他にも要るのだろうか。


「俺の料理で状況が改善する人や困窮している子供、お客がそういうタイプだった時は……やっぱ放っておけなくてね。お土産として料理を持たせるんだ」


 リマは頭を殴られたような心地だった。自分より遥かに凄いギフトを持ち、腕を磨き、その気になればこの世界を席巻できるような料理を出せる人が。頑なに設定値段以上のカネを受け取らず、それでもと請えば、弱者のために使う品を、と言う。

 才に溺れ、カネを荒稼ぎし、それで自分が他人より何段も上にいると勘違いして周囲を傷つけ。そのツケが孤独を生み、今度はそれをあまつさえギフトのせいにしようとしていた。

 比べるのもおこがましい程の人間力の差に叩きのめされていた。


 自身の不明への羞恥と、マレビトという看板を抜きにした、店主本人の人徳に畏敬の念を禁じ得ない。神使とは、かくも尊い存在なのか、と。再び地に伏しそうになるが、こんな老いぼれの作でも浮かぶ瀬があるというのなら、立ち止まっている暇もない。


「マレビト様、それではどうぞ、ワタクシの家までお越し下さい」


 




 マレビトの青年は、結局、リマが次々と見せる受賞作品や佳作群には目もくれず。むしろ彼女が自分の料理皿用にとテキトーに焼いた物などをありがたがった。


「華美な物や、意匠を凝らした物が欲しいんじゃないんだ。料理が乗ればそれ以上の贅は要らないんだよ」


 その言葉に、リマはまたも消え入りそうになった。マレビトに自身の技巧や芸術性を褒めて欲しい。そんな浅ましい気持ちがどこかにあったことを否定できない。他者の賞賛など飽いたとうそぶいておいて、この体たらく。


「いくらだろうか?」


 リマは我が耳を疑った。確かに自分は浅ましい人間だが、困窮する人々を救うための品に値をつけたなら、もう終わりである。


「どうか……どうか……そのままお持ちください」


 懇願するように言って、なんとかマレビトに無料で渡すことが出来た。


「でも……工房のお手伝いさんとかも居るんだろう? 給料とか考えると、やっぱ作った物をタダで出すのは基本ダメだと思う」


 リマは後ろめたくて、そっと視線を外した。


「……もしかして、アンタ一人なのか? 結構な作品があるし、立派な工房に見えるが……」


「ワタクシが……自身で招いたことです」


 それ以上は語らない。いや、語れないというのが正確か。店主は何となく察したのか、寂しげに笑うだけで何も言わなかった。


「それじゃあ俺はこの辺で。頂いた皿は、必要としてくれる人たちのために有効活用すると誓うよ」


 リマはハナから疑ってもいないが。この誠実な店主がこうまで言うのなら、それは確定事項だろうと安心した。そして同時に、


「あの……寄付などは受け付けていらっしゃらないのでしょうか?」


「え? 俺が? あー。例えばさっき言ったような困窮者に、無償で料理を提供するための材料費なんかを援助してくれるという、そういう話だろうか?」


「は、はい」


 正直に言うと、リマはそこまで具体的に考えてはいなかった。ただこの青年に寄付をすれば必ずや正しい事に使ってくれて、それが間接的に自分の罪を少しでも洗い流してくれるやもという願望が言わせたに過ぎない。


「うん……それも良いけどさ。アンタ自身が人々のために役立つ技術を持ってるんだからさ。それを活かしてみたらどうだろう」


「え?」


 一瞬、マレビトが何を言っているのか、理解が及ばなかった。しかしすぐに、自分の陶芸の腕を指して言っているのだと気付いた。だがもう。自分の陶芸で誰かを笑顔に出来るとは到底思えない。夫との思い出を復元するために縋っているだけで……いわば、亡霊の手慰みである。


「俺は芸術のことは分かんないけど……貰った皿は全部、丁寧に作られてて使いやすそうだ。これをさ、教えてみたらどうだい?」


「え……?」


 本当に想定外なことばかりを言われる。


「こういう食器を作る生業を示してやれば良いんじゃないか? 子供たちに教室を開いてやるとかさ」


「……」


「アンタ、かなり高名な芸術家なんじゃないのか? ならきっと、今更アンタの芸術の後継者を作るのは無理だろう」


 巾着に無造作に放り込まれていた大量の金貨、工房の設備や大きさ。店主もここら辺を見て、リマの地位を推察していたのだろう。


「でも、生活用品のレベルで良いのならさ。それでアンタの教え子が生業を得て、陶芸の界隈にも人が増えたなら……残るものもあると思うんだ」


「教え子……」


 かつての息子の、痛みを堪えるような顔が脳裏に浮かぶ。父の死、母からの罵声。彼にとって陶芸は憎悪の対象ですらあったかも知れない。


「……終わりだと思っていた店が、続いてくれる目がある。こんなに有難いことはない……俺の生業の大先輩が言った言葉だ」


 店主は優しい顔でリマを見る。


「俺にはまだ老境の心理は正確には分からないけど……その時になって、自分が歩いてきた道を振り返ると、誰もいないのは寂しいって、そう思うかも知れないな」


 店主は、そこで言葉を切ってユルユルと首を振った。


「まあ……アンタ自身が決める事だな。若輩がナマ言った」


 そうして彼は貰った皿をカバンに詰めて立ち上がる。


「マレビト様……」


「……」


「まだワタクシに、人に教える資格はあるのでしょうか?」


「……それを決めるのは、きっと生徒だろうな」


 店主の青年は最後にもう一度、皿の礼を言って去って行った。リマはその背に深く深く頭を下げる。彼が曲がり角を過ぎて見えなくなってもなお、下げ続けていた。


 ………………

 …………

 ……

 

 翌週、緑の国・第8都市の街中に大きな立て看板が現れた。そこには『サイラー陶芸教室』と書かれた文字。そしてその下の参加申請欄には、沢山の子供たちの拙い文字が、所狭しと並んでいるのだった。

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