17:カツ丼(黄の国・第24の都市)

 オアシスより遠く。砂漠の岩石地帯、その急峻きゅうしゅんな崖の上に、一体の骸骨が立っていた。身の丈は190は優に超えようか。生前の肉のついた状態なら、さぞ恵まれた体格だっただろう。


「……」


 ボロをまとったその骸骨のかたわらには、おびただしい数の刀剣が、地面に鞘のまま突き立てられてあった。


 一陣の風が吹いた。来る。骸骨は脳も眼球もない体で、しかしそれを予期していた。



 ◇◆◇◆



 ボカニテ・オクティムは、フッと目を覚ますと、部屋が暗いことに驚いた。キッチリ睡眠を取った感覚はあるが、まだ夜だったか。と、そこで。


「ああ、そうだ。カーテンなる布」


 黄の国の都市部では一般的だという、窓に掛ける布。窓枠の上に目地棒めじぼうを渡し、そこに滑車をつける。布側にも滑車に噛みつく器具を取り付けると……


 ――シャーッ


 このように引っ張るだけで簡単に開閉できる仕組みだ。自分で布を被ったり、窓に背を向けて寝なくとも、これさえあれば、朝日に起こされることはない。黄の国の人たちは天才だ、とボカニテは感服したものだった。


「良い……朝だ」


 快晴。照りつける日差しは、既に昼のようである。

 宿の一階に下りると、人の良さそうな笑みを浮かべる老夫婦(宿の主人とその妻だ)と目が合った。ボカニテを見て、


「「おはよう」」


 と声を揃えて挨拶してくる。長年連れ添った夫婦というものが、皆こうなのかは知らないが、ボカニテの両親も似たようなところがあったのを思い出す。少しだけ郷愁を感じた。


「もう朝御飯は出来てるよ」


 旦那の方がニコニコ顔で告げる。テーブルの上に、大きな白い布が掛かっている。埃避けだろう、あの下に朝食があるらしい。

 ボカニテはその巨体を押し込むようにして、椅子に座った。布を剥ぐと、バッタの煮物をパンに挟んだ物、豆のスープが現れた。


(……芋虫は思ったよりは美味かったが。甲虫は歯応えが苦手だ)


 とはいえ、白の国からの渡航で貯金を殆ど使い果たしたボカニテに、高い宿の選択肢はなかった。是非もなし、である。


「……あむ」


 硬いパンの中で、パキパキと嫌な音を立てるバッタ。わたのエグみが口一杯に広がり、慌ててスープで喉奥に流し込む。

 そのようなことを何度か繰り返し、ボカニテは朝食を終えた。


(これが最後の食事になるかも知れないのに……)


 これではあんまりだろう、と。だがそこで、ボカニテは水浴び後の犬のようにブルブルと首を横に振った。


(何を弱気になってんだ。勝って戻ってくるに決まってるだろう)


 拳を握る。


「お客さん」


「あ、ああ。出る時間か?」


「うん。それはあと一時間くらいあるから、ゆっくりで良いよ」


 なら何用だと、目顔で訊ねたボカニテに、旦那は人の良い笑顔を浮かべて。


「バッタのお代わり、あるよ?」


「…………気持ちだけ貰っておこう」


 ………………

 …………

 ……


 宿で会計を済ませると、いよいよ懐は寒くなった。を倒した後は、この国でしばらく働いて路銀を稼がねばならないだろう。


 石造りの家々の間を縫い、大通りに出ると、いちが出ていた。地面に敷いた厚い布の上に商品が並び、その奥には店主が座る。そういう形式の露店がズラリ、通りを埋め尽くしている。ここら辺はまだ緑が多いのだが、店主も客も長いローブを着て、日差しから肌を守っていた。


(何か景気づけに買いたいが……)


 カネの余裕もないが、やはりあのバッタでは力が出ないのも事実。何か口直しがあればと思い物色したが……木の実と砂糖パンといった、甘味系が多く、彼の食指は伸びなかった。


(これくらいなら、向こうに着いてから探した方が良いな)


 そう結論づけ、ボカニテは大通りを西へ抜け、再び狭い路地へ入る。しばらく道なりに進むと、とある商会の前に着いた。懐の地図を確かめ、看板を確かめ(黄の国の文字なので読めないが)、一つ頷いて扉を開ける。


 石造りの建物特有のヒンヤリとした空気に、ボカニテは僅かに頬を緩めた。カウンターの向こう、鳥人が気さくな笑顔を浮かべている。


「いらっしゃい」


「……ここは個人気球もやってくれると聞いて来たんだが」


「ああ、やってるよ。一人かい?」


 首肯する。

 個人気球というのは、まあ読んで字の如く、公共の乗り合い気球ではなく、個人が私用で使う物である。大体は金持ちの道楽。たまにボカニテのように旅人が奮発して使うことも無くはない。


「どこまでだい?」


「第24都市まで」


 乗り合いが停まらない街。こういったケースも個人気球を使わざるを得ない。受付の鳥人はその都市番号を聞いて、ボカニテの体躯、そして腰に差した刺突剣を見やり……渋い顔をした。


「もしかして……人外蒐刃じんがいしゅうばかい?」


「……」


「悪い事は言わない。やめておけ。本当に、誰一人帰って来ないんだ」


「聞いてるよ」


「冗談でも誇張でもない。あそこへ気球を停めなくなったのも、ヤツを討とうとする命知らずをこれ以上出さないためだって、専らの噂だよ」


 黄の王室としても、自国を訪れた外国人たちにバタバタと死なれては、いかにも体裁が悪い。そこで公共の乗り合い気球を停めなくしたのでは、と。


「それも聞いたことがあるな。けど行くよ。だってもう、俺に敵は居ないんだ」


「え?」


「白の国の異世界一刀流。その当代最強に勝っちまってな」


 シナノというマレビトが開いた、異世界一刀流。白の国で最も多くの剣士が習う流派だが、それとは別の流派のボカニテがアッサリとシナノの後継を倒してしまったのだ。


「そうなのかい? 白の国最強ってことか?」


 流石に国が違えば異世界一刀流も、知っている人間は殆ど居ない。ボカニテは軽く首を縦に振る。国内最強。もちろん、国民全員と手合わせしたワケではないので、100%ではないが。


「なるほどなあ。俺には分からん感覚だが、強いヤツをどんどん倒していって、果てに頂点に立ちたいものなんだな」


「当然」


 間髪入れずに。剣の道を志した時から、それを見据えない男はいない、とまでは言わないが、少なくとも彼と……彼の兄もそうだった。


「意思は……固いみたいだな」


「でないと、全財産はたいて、黄の国まで来たりしない」


 船旅は安いものではない。それだけで覚悟の証明になる。


「…………仕方ない、か。最期を選ぶ権利が、人にはある」


 受付の男は、ボカニテが絶対に勝てないと思っているようだ。あの異世界一刀流にも勝ったんだぞ、と語気を荒げたい衝動に駆られたが、まあ知らないのだから仕方がない。

 それに彼自身も強気の中に、無視しがたい怯懦きょうだも混じっていたりする。あの天剣シナノが若かりし頃、挑んだが敗れ、逃げ帰ってきたという噂があるのだ。その真偽を本人に確かめたところ、「人外蒐刃アレは人では届かない」とだけ返ってきたそう。


(もし本当なら、命からがら逃げ帰れるだけでも天剣レベルってことになるが)


 倒すとなると、神のレベルだろうか。そんなことを考えてしまうと、やはり怯む気持ちも否めないのだ。


(……兄者も)


 そこまで考えかけ、ボカニテは「ふう」と息を吐く。今更、引き返す道など、彼にはない。行くしかないし、その為にここまで来たのだ。それに、怯えと二律背反に。渇望もあった。そのバケモノを倒すことが出来れば、間違いなく史上最強の称号を手に入れられる。それはあまりに甘美で、思い描くだけで脳が焼けるようだった。欲しい。欲しくて堪らない。天剣が何だ。俺が最強だ。そう世界中に示せるのだ。

 何者にも怯える必要はなくなり、世界中の誰に対しても胸を張って対峙できる。屈さなくていい。どんな景色なのだろう。どんな心境なのだろう。高揚感で脳がはち切れそうになるのか。はたまた逆に虚しくなるのか。どちらでも構わない。至りたい。その境地へ。


「おーい、お客さ~ん」


 思考の海に漂っていたボカニテを呼び戻す、受付の声。


「……御者ぎょしゃ衛者えいしゃは何人つける?」


 気球には、飛行中、御者・衛者と呼ばれる鳥人族がつく。気球を牽引するのが御者。鳥の接触から気球を守るのが衛者。ちなみに公共の乗り合い気球には前後左右、合計八人の御者・衛者が駆り出される。

 だがまあ一~二人用の小型気球であれば、流石にそれほど大量につける必要はない。


「一人ずつで」


 概ね、これくらいで事足りる。


「了解。途中で……その……気が変わって戻って来るとかでも全然良いと思うからな。そん時は20番目の都市に支部があるから、そこへ行って事情を話してくれれば、迎えの気球を出すぜ」


 気が変わってと言葉を濁したが、まあ簡単に言うと怖気づいて中止にしても恥じるなと言っているのだろう。見栄で命を粗末にするなよ、と。この受付はかなり優しい性格のようだ。


「……心に留めておくよ」


 そう返したボカニテだったが、彼がその選択を取ることはなさそうだった。

 受付は紙の契約書を渡し、記入を促した。一枚はこの事務所で預かり、もう一枚は客用。それを持って気球発着場に行けば、一人用の気球と御者・衛者二人を見繕ってもらえるという事だった。


 商会の建物を出ると、南西に進む。しばらく行くと、木の柵が左右どこまでも続く広い場所に出た。柵の上、空へ視線をやると、ちょうど気球が浮き上がるところだった。乗り合いだろうか。かなり大きい。


 入り口を見つけるのに苦労したが、柵の途切れた部分を探せば何とかなった。中へ入ると、すぐに布テントの屋根を張った、簡易の受付机。そこにまた鳥人がいた。先程の受付と違って、上半身の筋肉がグッとシャツを押し上げている、ガタイの良い男だった。衛者が持ち回りで事務方もやっているのだろうか。


「やあ兄弟。乗り合いかい?」


「いや。個人だ。これを」


 四つ折りにして持っていた用紙を男に渡す。開いて文面を見た男は、チラリとボカニテを見やったが、余計なことは何も言わなかった。既に商会の受付で言われ尽くし、それでも来たという事は、止められる段階にないという判断だろう。


「実際の運賃が時価なのは……」


「ああ、空いてるヤツの中から習熟度とかで選んでもらうのさ。それに応じて値が変わる」


「なるほど……一人旅だし、そこまで熟練の者は要らない。最低限、俺が落ちそうになったら拾い上げてくれれば」


 実際、鳥との接触で気球に穴が開いたとしても、鳥人が傍についていれば命は助かるケースが殆どである。


「だったら、最近入ったのと、中堅で組むか?」


「ああ、それくらいで良い」


 聞くと値段もお手頃だった。


「おーい! リリットリー! モストリー!」


 受付テントの奥、衛者の詰め所とおぼしき石造りの建物に向かって、男が大声で呼びかけた。

 すぐに飛び出してきた青年二人。どちらも翼を畳んだまま、傍まで駆けてくる。


「第24の都市まで。お一人さんだ」


「24……」


 片方の青年、釣り目の方が意味深に繰り返した。逆にもう一人、気の弱そうな青年はキョトンとしている。恐らくこちらが新入りだろう。

 そしてその新入りは、ボカニテに青のマナタイトをサービスで渡すと、気球のカゴ部に取り付ける金具とロープを準備し始める。


「……第24までは八時間くらいだ。ちなみに黄のマナタイトの追い風は、個人気球だと危ないから使えないよ」


 釣り目の方、リリットリーが説明する。少し前、午前の鐘を九回聞いた。約八時間の旅程となると、到着は夕方の五時だ。


「俺たちは夜目も効くけど……出来れば日が落ちる前には着きたい」


 少しカツカツか。12月に入り、砂漠気候のこの国でも日が落ちるのが早くなっている。

 リリットリーはアゴでしゃくるように向こう側を示した。鉄の棒が立ち、布のテント屋根が張られた、大きなスペース。一人用気球のカゴが幾つか安置されている場所だった。


「モストリー、行くよ」


「あ、ちょ、ちょっと待って」


 ロープがほどけずにモタモタしていたようだ。盛大な溜息をついたリリットリーが助けに入る。

 程なく準備が整い、気球は離陸路へ。すぐに強い風が一陣、駆け抜ける。それを逃さず捕まえ、気球は空へと舞いあがった。






 ボカニテの兄・ルカンテは剣の天才だった。齢18で国内に敵ナシとまで言われるほどの腕前で、当の本人は天剣シナノの全盛期と戦ってみたかったと(不遜にも)そう言って憚らなかった。

 兄弟の流派は、細い刺突剣を使うのだが、その体捌きに大きな特徴がある。敵を中心に、絶えず円を描くように動き続けるのだ。隙を突いて攻撃に転じる時も、回避の時も、護拳に敵の剣を受けて防御する時も。常に蝶のように流麗。舞踏剣流ぶとうけんりゅうと称されるのは、その動きが所以だった。

 そしてその当代最高の使い手、開祖の再来とまで言われたのが、兄・ルカンテだったのだ。


(強かった……本当に。何より、あの技……)


 兄について思い出す時、決まって脳裏に浮かぶ、彼だけの技がある。円旋えんせん。舞踏剣流の防御の概念を覆すような、凄まじい技だった。

 稽古で初めて食らった時の衝撃は、今でもボカニテは昨日のことのように思い出せる。


 ………………

 …………

 ……


 自分の刺突が兄・ルカンテの護拳に防がれた。次の瞬間だった。グルリと視界が回ったような錯覚に見舞われ……気が付くと自分の剣が宙を舞っていたのだ。「へ」とか「は」とか意味のない音を発したと記憶している。だが、あっという間に距離を詰めてきた兄に、鳩尾を思い切り突かれ、その単音すら喉から出せないようにされてしまった。弟相手だろうが全く容赦がない。それがルカンテの稽古だった。

 数分、息を整え。すると今度はボカニテの胸中を興奮が駆け巡っていた。


「兄者! あれは何だったんだ!?」


 ボカニテも初めて見る技だった。毎日のように同じ道場で稽古をしているのに、自分が知らない間に、未知の牙を研いでいた。やられた、という悔しさと。流石、という誇らしさ。ライバルであると同時、やはり家族でもあった。


円旋えんせん。俺のギフト、自在関節じざいかんせつが可能にした技だ」


 関節を自在に外し、戻すことが出来る。何度繰り返しても、変形なども起こらず、元々そういう生物であるかのように。

 ルカンテは剣先を椀状の護拳部で受け、そのまま肩の間接を外し、腕を有り得ない方向に捻って弟の剣を絡め取ったのだ。そしてその後、素早く関節を入れ直し、力強く跳ね上げた。それが技の正体だった。


 持って生まれたギフトと、たゆまぬ研鑽の果てに体に染みついた技術の融合。剣士として、また一つ進化した。それはボカニテにとっては嬉しくもあり、妬ましくもあるが。それでもやはり、


「おめでとう。兄者」


 同じ剣士として、新しい技を生み出す難しさを知っていればこそ、この言葉しか出てこないのだった。

 そうして二人、軽い晩酌を交わしながら、剣のことや互いの人生のことを語らった夜。それが兄と過ごした最後の時間だった。


 数日後。兄が失踪したという知らせを聞いたのだった。


 ………………

 …………

 ……


 気球の高度が下がってきたのを感じ、ふっと追憶から意識を戻したボカニテ。なんの気なしに、下に広がる風景を見ようとして、ハッと息を飲んだ。

 砂漠の中に点在する岩肌。赤茶けたその崖の上に、それがいた。


「……」


 ボロを纏った骸骨の剣士。傍には何本もの刀剣が鞘に収まったまま、突き立てられてある。まるで墓標のよう、いや実際そのものである。かの骸骨に挑み、屠られた者たちの刀剣を、ああして地面に並べているのだから。

 そして、その様がまるで刀剣を蒐集しゅうしゅうしているかのように見えるためについた異名が……


人外蒐刃じんがいしゅうば


 一体何者なのか、いつからそこに居るのか、生前は人だったのか。何もかもが不明で、調べようにも誰一人として勝てない、正しくバケモノ。


 ボカニテはその姿を目に焼き付け、ゆっくりと息を吐いた。


 やがてその崖も通り過ぎ、気球は黄の国・第24の都市へ。オアシス地帯にポツポツと人家や商店が並ぶだけの、うら寂れた集落だった。この地域によくある、岩を積んで、間を土で接着しただけの簡素な家々を見て、ボカニテは自身の考えが甘かったことを知る。


(これは……夕飯どころの騒ぎじゃないな)


 昼は気球の中で、干し芋を幾つか食べた。だが当座の空腹を凌ぐだけ、といった用途で、決して美味いものではない。まあ今朝のバッタ三昧よりはマシだが。


「旦那、手摺に掴まっていてくれ。着陸する」


 前方の御者、リリットリーが声を張り上げる。ボカニテが言う通りにすると、後方のモストリーと二人で器用にブレーキをかけ、ゆっくりゆっくりと高度を落としていく。少し追い風があるため、モストリーの方は後方に引っ張りつつの降下だ。


 やがて、カゴの底の鉄板が、砂の地面に接地した。リリットリーの合図で、鳥人の二人も着地。自分達の体に巻き付けたロープを外し、金具ごとカゴの中へ放り込む。


「旦那、この街には宿は一つしかない。俺たちは気球畳まなきゃだから、街の人に場所は聞いてくれ」


「分かった。ありがとう」


 ボカニテは、一瞬、チップでも渡すべきかと思ったが、やめておいた。先払いで結構な額を既に払っている。これ以上は、本当に節約しないといけない。

 結局そのまま歩き出し、そして人に訊ねるまでもなく、宿らしき建物を見つけた。ドアを押し開く。


「いらっしゃい……旅人かい?」


 壮年の男性がカウンター向こうから声をかけてくる。


「あ、ああ。一泊したいのだが」


「がら空きだよ。どこでも好きな部屋を選ぶと良い」


 自虐的な笑み。まあ見たままだが、儲かってはいないようだ。


「なら二階の角にしてくれ」


「あいよ」


 カネを払い、鍵を受け取る。部屋に荷物を置いて、自由になった両手を広げると、体をグッと伸ばした。

 ボカニテは窓を開けて、街を見渡す。と、視界の端で何かが光った。オアシスの湖面だろうか。そちらを見やる。


「え?」


 絶句。先ほど通ってきた道に忽然と姿を現した……木組みの屋台。黄の国の露店とは毛色が違いすぎる。異様、異物だった。


「…………まあ、俺が明日挑もうとしてるのも、バケモノだけどな」


 今更、不思議な屋台を見たくらいで動揺していては、程度が知れるというもの。


「行って……みるか」


 興味本位、怖気づいていない証明、虫以外の料理が食べられるかも知れないという期待。それらを胸中で綯い交ぜに、ボカニテは宿を出る。

 屋台へと近付いていく。不思議なことに、周囲を歩く村人たちは、この異質な屋台より、ボカニテに視線を向けていた。余所者というのが分かるからだろうが……


(それにしても、あっちは完全無視って……というより、見えてないような)


 なんとも面妖なことだ。人外蒐刃といい、この街には不思議な存在が集まるのだろうか。

 ボカニテはそれでも歩みを止めない。先ほど覚悟を固めたばかりだし、何より。


「メチャクチャ、美味そうな匂いがする」


 フラフラ吸い寄せられる様は、彼が辟易していた昆虫のよう。あっという間に傍まで来た。と、突然。


「うおっ!?」


 眩い光が目を焼いた。思わず腰の細剣に手をやりかけるが……その光の中から人影が生まれ、躊躇する。それでもその人影が攻撃の動作をすれば、その時は抜く。そういうつもりで構えていると。


「いらっしゃい」


 男の声。光が徐々に収まり、その姿が見えてくる。黒髪黒目、珍しい模様のシャツを着た30前後の男だ。


「……アンタは」


「異世界屋台・一期一会の店主だ」


「いせかい……」


 ハッとする。異世界一刀流のシナノと同じではないか、と。


「ま、マレビト様でしたか!?」


「あー、やめてくれ。もう何度も来てて、神気もない。アンタと同じ、ただの人間だ」


「そ、そうなのですか?」


「敬語もやめてくれ。俺はシナノさんみたいに、この世界に貢献する存在じゃない。敬われると逆にいたたまれない」


「そ、そうか。分かった。普通にしよう」


 他ならぬマレビト本人の望みなら是非もない。


「それで、えっと……屋台ということは、料理を?」


「ああ。今日はカツ丼だ」


「カツ丼」


 オウム返しをしながら、ボカニテは形や味を想像する。だが、全く画が浮かんでこない。


「一杯、銅貨八枚だが、どうするね?」


「う、ううむ」


 美味い物なら、金欠でもそれくらいは払いたい。だが、画すら浮かばない物には、いくらマレビトの勧めとはいえ……


「ふむ。ならまずは持って来てみようか。ちょいと待っててくれ」


 そう言い残し、店主が踵を返す。淡い光が収まりつつある、謎の長方形の中へ消えた。それと同時、またも発光。しかしその後は、どこかの家屋の中が映っていた。逆光も残っているため、カウンターに身を乗り出して覗かないと、ハッキリは見えそうにないが。流石にそこまでするのは、はしたないかと思い留まる。


 椅子に座る。小さな布団がついていて、フワフワと柔らかい。これまた不思議な、と驚いていると、店主が水を持って戻ってきた。グラスの端に黄色く瑞々しい果物の輪切りが刺さっている。サービスだと言い残して、また光の中へ消えて行った。


「水、か」


 そういえば喉も乾いていた。果物を外し、グイと飲む。冷たく澄んでいる。爽やかな酸味も含んでおり、とても美味だった。


「これは……」


 果物の果汁だろう。この果物も食うべきか、と思案しているうちに、再び正面から強い光。

 中から現れたのは、店主と、その手に深い鉢を乗せた盆。


「おまち」


 盆が置かれる。


「お客さん、黄の国だし箸は使えるよな?」


「いや、俺は白の国の者だ。まあ使えるが」


 白の国も箸食文化だ。

 店主は一つ頷いて、鉢の蓋を取った。途端に広がる、暴力的なまでの香り。ボカニテは目を見開いた。鼻をヒクヒクとさせ、香りの一片も逃さないとでも言わんばかり。グルル、と腹の虫が鳴く。見た目もすごい。揚げパンのようなキツネ色の食べ物の周りを包む卵は黄金に輝くようで、更にその上に小さく刻んだ緑の葉が散らしてある。


「こ、これはどういう料理なんだ?」


「パンの衣をつけた豚肉を油で揚げたものを、味付けした卵でとじた料理だな。それをライスの上に乗せて丼にしてる」


「パンのころも? とじる?」


 よく分からないが、とにかく美味そうである。ボカニテは巾着から銅貨を八枚とると、提供台の上に乗せる。先程の水の美味さ、そしてこの見た目と香り。十分に賭けるに値した。


「それじゃあ」


「ああ、どうぞ。熱を持ってるから掻き込まないようにな」


 ボカニテは頷きを返し。湖面の氷のように固まった卵と、カツを一緒に持ち上げ、一口噛んだ。


(なっ!?!?)


 口の中に広がる、軽い塩味と不思議なコクのある甘辛さ。それらの旨味が、卵にもパンの衣にも染み込んでおり、口中を一杯に満たす。更に食感。トロリとした半熟卵が舌の上を踊り、タレを吸い込んだパン衣の重厚な歯触りに悶絶する。そしてその衣を割れば、ほどけるように柔らかな豚肉が控えていた。


「…………」


 ボカニテは心底から思う。マレビトとは、正真正銘のバケモノである、と。シナノとはまた全然違った方向性の才能ではあるが。かの一刀流や、このように脳天をカチ割られたかのような衝撃を受ける飯。この世界では、一生かかっても出てこない代物である。


 ライスに箸が伸びる。一口掬うと、舌の上へ。


(ああ……)


 タレを吸った飯も、これだけで今朝の虫の数千倍は美味い。

 今度はカツと卵と、ライスと、更に緑の野菜を試してみる。口の中に放ると、葉物はツンと鼻を抜けるような清涼感と、シャキシャキの茎の食感を残す。またも瞠目してしまうボカニテ。


「三つ葉だ。良いアクセントになってるだろう?」


 ボカニテはかすかに頷き返すだけ。その後は、ひたすらにカツ丼を掻き込む。事前の注意も虚しく、口内を少し火傷したが、それすらも気にならない美味さだった。


 あっという間に完食してしまった。最後に反芻するように目を閉じ、しばらく余韻を味わっていたボカニテだが、


「ご馳走さん。美味かった……本当に美味かった。こんな最高の飯を食って挑めるなんて、俺は幸せ者だ」


 しみじみと言い、店主に向かって頭を下げた。ここに屋台を開いていてくれて、ありがとう。そういう気持ちがこもっていた。


「……やっぱり。アンタ、勝負を控えてるのか」


「いかにも。なぜ分かる?」


「カツ丼で、剣士が選ばれてるからな」


「???」


「いやな。カツと勝つを掛ける言葉遊びがあるのさ、俺の国では。何か勝ちたい勝負事がある日の前日なんかは、こうしてカツ丼を食べる。もちろん迷信だが、まあ藁にも縋るというか」


 よく分からないが、カツ丼にはそういうまじないの効果があるということらしい。ますますボカニテにとっては天祐てんゆうというべき料理だったようだ。


「いかにも。明日の朝、俺の人生を賭けた大勝負がある。だがこれでカツ丼の加護もついた。必ず勝つさ」


「ああ。俺も祈っとくよ。それと……」


 銅貨を一枚、ボカニテの方へ戻す店主。


「餞別だ。ウチの国では七も縁起の良い数字でね」


 銅貨七枚にマケてくれるらしい。

 礼を言って、ボカニテは屋台を辞す。帰りに振り返っても、やはり他の人間は誰一人として寄り付かない。本当に不思議な店だ、と苦笑しながら宿に戻った。






 翌朝。勝負の時が来た。支度をして宿の一階へ下りると、鳥人の二人がテーブル席にいた。虫を食べているようだ。


「旦那……行くのかい?」


 リリットリーが声をかけてくる。その対面に座るモストリーは青ざめた顔をしていた。昨夜のうちに、ボカニテがここへ何をしに来たのか聞いたのだろう。


「ああ。帰りの気球、頼むぞ」


 それだけ返して、宿を出る。その背を見送るリリットリーは何も言わなかった。


 街を出る時、住人たちは何とも言えない表情でボカニテを見ていた。中には合掌する者まであり、(悪気はないのだろうが)彼は良い気はしなかった。

 砂漠を歩くこと、30分。目的の崖の前に着いた。遠くからでも見えていたので迷うことはなかった。

 見上げる。ボロをまとったドクロの剣士。虚ろな眼窩がんかが、じっと崖下のボカニテを見下ろしていた。


 反対側へ回ると、砂が堆積し、丘陵のようになっていた。崖の半分以上が、その砂に飲まれている。坂を登り、最後は崖の断面を、所々の窪みを頼りに登りきった。

 崖の頂上は、まるでしつらえた闘技場のように、だだっ広い平面になっていた。その中央に仁王立ちしているのは……


人外蒐刃じんがいしゅうば


 名を呼ばれたからではないだろうが、ゆっくりとボカニテの方へ歩んでくる。そして三メトルほど離れた所でピタリと立ち止まった。


「……」


 崖の天面に墓標のように何本も突き刺さった刀剣。そのうちの一本がひとりでに宙を舞い、人外蒐刃の手に収まった。この固い地面に鞘ごと突き刺さっている時点で、およそ人智を越えた能力を使っているのだろうが……この自在に舞う剣もまた、ボカニテの度肝を抜くものだった。


(落ち着け……吞まれるな)


 ふう、と息を大きく吐いた。


「何処カラデモ、参ラレヨ」


 人外が喋った。ハッキリとした理性と、そして同時に絶対の自信と余裕を感じさせる。


「では……参る!」


 先手を譲ってもらったボカニテが地を蹴り、一瞬のうちに彼我の距離をゼロにした。神速の刺突。だが人外が剣の側面で受け、すぐさま斜めにして滑らせるように。尋常ではない。あの速さの刺突を、剣が傷つかない完璧な角度で受けられる反射神経。自分の剣を、まるで腕の延長かのように如意に操る技巧。桁外れの実力が、たったの一合で察せられた。

 敵の得物は、やや幅広の両刃ショートソード。それをブンと振り返してくる。だがその時にはボカニテも剣を素早く手元に戻しており、護拳部で受ける。骨だけの腕とは思えない、力の乗った重い剣戟けんげきだった。


「くっ……!」


 マトモに打ち合えば、剣の耐久力と、人外の膂力で削り切られる。それを察したボカニテは、トンと跳ねて後ろに下がる。ボカニテも170センチを超える上背に、鍛え抜かれた体躯を持ち、本来は力押しにも負けない剣士なのだが。


(だが……力で勝てないから、もう終わりなんて単純な剣じゃねえ)


 本来の舞踏剣流ぶとうけんりゅうは、力で劣る者が勝る者を打ち負かすための剣技。踊るように躱し、雷光のように刺す。速さで以って、力を制すのだ。

 ボカニテは、自分の30年間の全てを出し切るつもりで、ここへ来た。剛剣も柔剣も別なく、己の全てを以って、生涯最強の敵を打ち倒すために。


「ふっ……!」


 独特のステップで円を描く。確かに人外が放つのは重く力強い剣だが、これだけ動かれたなら、その重い剣では照準を定められない。舞う。ひたすらに舞う。付き合う人外も、地面をにじるように骨の足を動かしている。或いは傍目から見れば滑稽な姿だろうか。骸骨を取り巻くようにグルグル回り、骸骨もまたその場でクルクルと独楽のように回っている。


 だが。もちろんボカニテは、その中で油断なく勝機を窺っていた。そして……


(ここだ!)


 わずかに円の動きを速める。ついて来られずに遅れた人外、その頭蓋へ向けて渾身の突きを放つ。だが、それは人外の張った罠。振り返ることもせず、斜め後方に剣を振り上げる。真っすぐ伸びる細剣を下から叩かれては、ひとたまりもない。無残にも宙を舞うだろう。と、思われたが。


(かかった!)


 ボカニテは伸ばし始めていた腕を胸に引き付けるように、思いきり戻した。細く軽い剣だからこそ出来る芸当だ。そして、すかさず。振り切ったショートソードの剣先へ。上から被せるように突く。敵の剣先を護拳の椀の中へ捉えた。そのまま即座に自身のギフト『重心移動じゅうしんいどう』を発動する。体重を後ろに残しながら腕だけで素早く繰り出す突き。しかし捉えた瞬間、すぐに体重が乗ってくる。地味だが、戦いにおいて非常に有用なギフトだった。特に戦い慣れていればいるほど、この速さで体重が乗ってくるというのは通常ありえざるという先入見がある。


(このまま!)


 彼の、舞踏剣流には不必要なまでの筋力が真価を発揮する。この技『破剣はけん』のためだけに鍛え抜いた体躯だ。また護拳部も、他の刺突剣より遥かに重厚な鉄(黒の国の職人に頼んだ一点物)で作られている。相手も恐らく業物の剣だろうが、これだけ縦の負荷が掛かれば……


 ――ピシッ


 刃こぼれの音。押しきれる。勝てる。天剣を超える。世界一となる。そして……生涯一度も敵わなかった兄を……超えるのだ。


「人外蒐刃! 討ち取ったり!!」


 刃が割れ、瓦解を始める。その刹那、だった。


 ――カーン!


 気が付けば、ボカニテの剣は宙を舞っていた。ありえざる方向に曲がった骸骨の腕。手に伝わる、円の残滓。回転したのだ。人外の関節が、そしてその手が握るたいの剣が。クルリと回り、その円運動にボカニテの剣は巻き取られた。

 人外の剣も最後の役目を終え、パキンと音を立てて折れる。だがすぐに、他の剣が彼の下へ飛んでくるのが見えた。


 ボカニテの指先に残る、捻られた感覚。懐かしい、あの日の感触。ああ、そうか。この人外は既に兄と戦い、その技を修めていたのだ。

 銀閃が人外の骨の手中に収まる。


「……天晴ナ剣ニ御座ッタ」


 その言葉を聞いた瞬間、ボカニテの全てがフッと浮き上がった。剣にまつわる全てが浮き上がる錯覚。世界最強、史上最高の剣士からの褒め言葉。掛け値なしのそれが、今までの研鑽も、敗北も勝利も、最強への渇望も、兄への嫉妬と憧憬も、全て全て、キレイに昇華していく。天に昇るとは、こういうことを言うのだ、と魂が理解した。


 最後に見たのは、慣れ親しんだ細剣の切っ先。真っすぐに己の心の臓へ伸びてくる。その冷たい銀は、しかしボカニテには久方ぶりの兄弟の抱擁のように思えてならなかった。


「兄者……ここに居たのか」


 苦しみも無く。ただの一突きで、まさに人外の技巧で……ボカニテの挑戦は終わった。



 ◇◆◇◆



 オアシスより遠く。砂漠の岩石地帯、その急峻な崖の上に、一体の骸骨が立っていた。ボロをまとった偉丈夫いじょうふむくろ。瞳すらない伽藍洞がらんどうの眼窩はジッと虚空を見つめている。


 その背後には、夥しい数の刀剣が鞘に納まったまま、地面に墓標のように並んでいる。

 しかし、丁寧に等間隔で並べられたその列を外れ、少し離れた位置に、寄り添うように突き立った二本の細剣があった。


 骸骨は(或いは何かを見送っていたのだろうか)青空へ向けていた視線を下ろす。


 ――風はまだ吹かないようだった。

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