16:★蒸しソーセージ(赤の国・第18の都市)

 過日、マレビトの先輩であるところの科野欣也しなのきんやにコピーさせてもらった資料、科野が独自で集めたそれらは非常に有用で、飯福も暇を見ては読んでいたのだが……


「温泉か……楽しみだな」


 なんでも赤の国の第18の都市に風変わりな温泉があるという記述を見つけ、朝から年甲斐もなくワクワクしているのだった。しかも、家から直通で温泉に行けるというシチュエーションが、なおのこと彼のテンションを上げる。日帰り温泉は移動だけで時間を取られ、逆に疲れるというパターンも少なくないが、この場合、そういった面倒とは無縁なのだから。


「今朝買ってきたソーセージと、キャベツ、ニンジン。チンゲン菜はフカヒレ丼のが残ってたな」


 飯福は冷蔵庫の中を覗き込み、残りの食材を確認する。


「まあ、ありもので作るか」


 古くなりかけている野菜もある。こういったものは大抵は自分用飯で消費するのが常だ。


「赤の国の第18の都市で。あ、なるべく温泉に近い所で頼む」


 どこまで反映されるかは彼自身も知らないが、一応リクエストは出しておく。一時間も歩くようなら、折角のドアトゥー温泉計画が台無しだ。


「さてさて……」


 クローゼットを開けて、向こう側を覗く。寂れた宿場町のような風景だ。遠くの宿の屋上に、赤の国の国旗が立っているのが見えた。

 飯福は玄関からサンダルを持ってくる。着替えなどを詰めたバッグを肩に掛け、いざ向こう側へ飛び出した。


 乾いた土を踏みしめ、異世界へ降り立つ。途端、ムワッとした熱気に身体中を包まれた。真冬の日本から、この気温差。飯福は慌ててパーカーを脱いで、ロングTシャツだけになる。脱いだパーカーは、クローゼットの向こうに放り返しておく。


「まずは情報収集だな。近くにあるといいんだけど」


 街の中を歩く。すぐにあちこちで看板を見つけられた。恐らくはアレらに書かれた文字が温泉の意で、下の矢印が場所を指し示しているのだろう。

 折よく、道を歩いていた男性に訊ねて確認すると、予想通りだった。また温泉の手前に建っている小屋でカネを払い、木札を受け取り、それを利用許可証とするとの情報も得られた。


 飯福は看板の矢印に従い、街外れへと向かう。

 小高い丘の登り道は、草が刈られ、凹凸も多少は整備されているようだった。蹴つまずきそうな、地中から飛び出した石や木の根などは取り除いてならしている様子。サンダルの飯福でも難なく歩くことが出来た。


 頂上に到着。飯福の他には誰も来ていないようで、どうもあまり賑わっている風ではなかった。近くを見回すと、年季の入った木造の小屋を見つけた。軽くノックしてみると、どうぞと返って来たので、飯福は扉を開いた。


「いらっしゃい」


 番頭(という表現で良いのか飯福にも分からないが)の女性が、けだるげな様子でカウンターに肘をついて座っていた。


「入ってくかい? 入湯料にゅうとうりょうは銀貨一枚だよ」


 女性が指を一本立てる。

 飯福は首肯し、自身の巾着から、銀色の硬貨を一枚取り出した。


「はいよ」


 女性がカウンター下から取り出した木札と交換する。『2』と書かれている。ちなみに有難いことに、数字は飯福にも読めるし、書いたソレも通じる。つまり異世界も地球のアラビア数字と同じ形のものを算用数字として使用しているということになる。偶然か、神の作意か。それは飯福にも分かりようがないが。


「この木札があれば、湯を半日と、窯が使えるよ」


「窯……もしかして蒸気で蒸す窯か!?」


「じょうき?」


「ああ、えっと……温泉の熱が地面を温めて……」


「そう、それ。その湯気が上がってくるところに窯を作ってあるんだ。そこに食べ物を入れたら、良い感じに蒸し料理が出来るよ」


 やはり、と飯福。日本の有名な温泉街にもあるものだ。

 彼の目の色が変わった。休日とはいえ、やはり変わった調理法が試せると聞けば、料理人の血が騒ぐのだろうか。いや、実際は、


(風呂あがって家に帰ってから作ろうかと思ってたけど、これは予定変更だな)


 自分の酒の肴をより美味くすることを考えていただけらしい。


「今日は客入りは?」


「今日もてんでダメさ。ほとんどアンタの貸し切りじゃないかね」


 番頭にとっては悪い話だろうが、飯福にとっては重畳なことだった。あとで日本から食材を持ち込んで調理しても見咎められないということで。


「外に出たら、小屋を背にして右側へ行ってごらん。そこに源泉。その少し先に、傾斜を這う丘下り温泉も出ているよ」


「ありがとう」


 丘下り温泉。これこそが、科野の資料にあった一風変わった温泉だ。まあ字面から想像はつくが、実際にこの目で見て、体験したい。そう思って、休日を使ってやってきたワケだった。


 建物の外、言われた通りに進むと、竹垣に囲まれた湯を発見した。あれが源泉だろう。囲いの上を越えてモクモクと煙が昇っている。囲いは三方だけで、一辺が出入り口になっていた。そこへ飯福が入っていくと、


「お? 誰か来たのかい?」


 人声が聞こえ、ハッとする。目を凝らすと、女性が一人、湯船に浸かっているのが見えた。湯煙でハッキリとは見えないが、褐色の肌をしている。


「……えっと。ここは女湯なのか? すまない。知らなかったんだ」


「女湯? アンタの国だと男女で湯が分かれてるのかい?」


 女性はキョトンとした顔で訊ねてくる。

 どうも赤の国のこの地域では混浴文化のようだ。実際、珍しいことでもない。青の国も女性がトップレスで泳いでいる地域は沢山ある。

 飯福は考える。どうするべきか。失礼しましたと、先に丘下りの湯へ行くのもアリだ。というより、彼の感性ではそれが無難である。などと考えていると、


「早くお入りよ。誰もいなくて味気なかったところなんだ」


 女性の方から誘われてしまう。


「アンタ、外国人だろう? 珍しい話を聞かせておくれよ」


「……」


 迷った末、飯福はシャツを脱ぐ。周囲を見回すと、湯から離れた場所に棚を発見した。各段に竹編のカゴが置いてあるので、その一つに衣類と荷物を預け、素っ裸で湯に入っていく。湯煙で互いにそこまでは見えないだろうとは言え、大胆である。まず間違いなく、日本だったらやっていない行動だ。だがここは異世界。隠しカメラで撮られていて、後からそれをネタに脅迫されるなんて心配もない。そもそも、こちらの世界の住人は良くも悪くも純粋だ。もちろん、悪知恵の働く輩もいるが、概ねはプリミティブに生きている。このように自分の知らない国からの来訪者に話をせがむような人は(飯福の経験上)まず他意はない。


 足から尻、腰、背中、肩、と。順に湯に包まれていく。少し熱め。飯福の体感としては、38~40°くらいだ。ふう、と大きく息をついた。


「ここの湯は良いだろう?」


「ああ。少し熱いが、気持ち良い」


 温泉の淵に縁石のように置かれた岩に背を預ける。


(生き返る)


 女性がいなければ、盛大に「ああ~」とオヤジ丸出しの声を出していたことだろう。

 と。その女性がジャバジャバと水音を立て、飯福の方に近づいて来た。一メートルほど先で止まり、彼の顔をマジマジと見つめてくる。


(うっ)


 裸の乳房が丸見えだった。思わず視線が吸い寄せられ、飯福は慌てて顔を上げた。女性の顔を正面から見ることになる。中々に整った造形だ。やや目元の小皺が目立つので、30代中頃だろうか。


「で。アンタはどこの国から来た人なんだい?」


「あー。いや、俺は異世界人なんだ」


「へ!?」


「まあ信じる、信じないは自由だけど」


 今日は屋台も引き連れていないので、例の分かりやすい後光を背負うという実証が出来ない。あくまで飯福の自己申告ベースである。


「……確かに見たことのない髪色と目の色だから、どこ出身か皆目見当もつかないと思ってたんだけど……」


 女性が更に近付いてきて、飯福の顔をマジマジと見つめる。裸の女性に至近距離で凝視されるというひどく落ち着かない状況に、タジタジとなってしまった。


「も、もしかしてマレビト様ってヤツかい!?」


 急に思い至ったようで、少し大きな声をあげる女性。


「いや……最初はそんな感じの扱いを受けたりもしたが、もうすっかりただの人だよ」


「そ、そうなのかい? 敬語とか」


「いらない、いらない。偉くなったワケでも、凄くなったワケでもないから」


 料理を作れば、客は目を剥いて「すごい、すごい」と称賛するが、実際に凄いのは先人たちだと飯福は正しく認識している。開発努力の果てに生み出された調味料。肉や魚の加工技術。プロ・アマ問わず切磋琢磨して生まれるレシピたち。自分はそれらの恩恵に与っているだけ。いわばクローゼットが光る、とっくの前から自分は(異世界から見れば)弩級のチートギフトを貰っていたのだ、と気付かされたワケである。


「へえ……謙虚な人だね。貰いモンを自分の力と勘違いして、調子に乗る輩の方が多そうだが」


 そう褒められても面映ゆい。思わず彼女の顔から視線を外すと……タプンとした豊満な乳房を見てしまって、更に落ち着かなくなった。


(郷に入れば郷に従えとはいえ……異文化は中々に慣れないよな)


 それが楽しいところでもあるのだが、と飯福はもう一度顔を上げ、真っすぐ正面を見た。先ほど受付をした山小屋と、その奥に背の低い木立が見えるだけで、殺風景なものだった。


「露天風呂なのに、景色がなあ」


「景色が見たいなら、丘下りをすると良いよ。人家の明かりがキレイだから」


「おお、なるほど。景観も良いのか」


 有益な情報だった。


「っとと。自己紹介がまだだったね。アタシはジアータ。ここからもう少し向こう側、第10の都市の温泉街に住んでる」


「あ、ああ。俺は飯福航。ワタルで良いよ。しかし、もっと栄えた温泉街に住んでるなら……わざわざこっちに来る必要は」


「いやね。丘下りも出来るし、人が少なくて穴場なのさ」


 なるほど、と飯福。栄えているということは、もちろん客が多いということを意味する。地元民からすると、逆にそういうところに今更行くのは違うのかも知れない。


「赤の国はどうだい? 景気は?」


「ダメさ。戦争で負けて以来、どうにもこうにも。戦前は、この湯も、もっと客が居たんだけどね」


 少し辺鄙な場所のようだし、都会から来るのは時間と手間がかかるのだろう。

 経済が悪くなれば人々の労働時間も増える。金銭的にも時間的にも余裕が求められるような娯楽から順に人が減っていくのも道理。


「こっちは東だからまだマシだけどね。西は本当にキツイって聞くね」


「ああ、みたいだね」


 東や西とジアータが言っているのは、炎道えんどうを挟んだ東西のことである。赤の国は南北に炎道と呼ばれる、やたら地熱の集まる場所があり、端的に言ってそのラインは釜茹で地獄だ。東西交流や物流の大きな妨げになっている。が、そのおかげで東側は戦禍を逃れたという側面もあった。


「ワタルの世界の方は? 景気は良いのかい?」


「いや、ダメだ。斜陽の国だよ」


 飯福は簡単に切って、


「ただまあ。こっちで色んな国を旅しながら料理を出して、なんとか生きてるよ」


 話題を逸らす。地球のことをベラベラ話すと、色々と不都合があるかも知れない。飯福は、この世界の技術水準や文明レベルに干渉する気は更々ないのだ。自分はしがない料理人。それ以上でも以下でもない、というスタンスである。


「へえ! 良いなあ。アタシはこの近辺から出たこともないから憧れるよ」


 ジアータが目を輝かせる。


「でも金持ちだねえ。船旅だろう?」


 この世界では旅客船など気安く乗れるものではないし、貿易船の船乗りでもなければ世界を周るなんて普通のことではない。時間も恐ろしくかかるため、もう働かなくても一生使いきれないほどの財を成している金持ち、という推論を彼女は立てたのだろうが……飯福は首を横に振る。そして自分のギフトのことを話して聞かせた。


「なんとまあ。羨ましいギフトだよ」


「ははは。おかげで退屈しなくて済んでるよ。ジアータのギフトは?」


「アタシのは『鉄拳てっけん』。妙な真似すれば、一発でアバラ逝っちまうよ?」


 ひっ、と飯福は腹の辺りを押さえる。カラカラと男前に笑ったジアータ。


「まあアタシはこれでも人を見る目はあるんだ。ダメそうなら、二、三、話したところで切り上げてるさ」


 どうもいつの間にか、彼女のお眼鏡に適っていたらしい。貰いモンで調子に乗る輩ではない云々が効いたのか。


「それにまあ、セレス様が悪い人間をマレビト様に選ぶワケがないからね」


 自分の目+信仰ということらしかった。

 そんなワケで信頼を勝ち得た飯福は、彼女に請われるまま、色んな国の話をした。やはり自国の情勢に嫌気が差しているのだろう。緑や白といった、豊かで安定した国家の話には食いつきが良かった。対照的に黒の国だけは名前も聞きたくないとのこと。やはり遺恨は根深い。


「さて、そろそろ上がろうかな」


 長話しすぎた。温泉に慣れていない(普段から滅多に行かない上、家でも専らシャワーである)飯福は少し湯あたりしたようだ。立ち上がり、縁石を越えた辺りで、少しフラつく。


「ちょっと、大丈夫かい?」


 ジアータが追いかけてきて、肩を貸した。


(うっ)


 豊かな乳房が脇腹に触れ、飯福は一瞬声を上げそうになったが、それ以上に具合が悪かった。深酒した時のように、目の前がグルグルする。

 ジアータに介護されながら竹垣の外に出ると、小屋と反対側へ。そこには木で組んだベンチがあった。そこへ座らせてもらうと、少し楽になった。12月の夜風は、しかし温泉地特有の湿気と熱気を孕んでいて。それでも頬を撫でていくと人心地つくのだった。


「……ありがとう」


「いや。アタシが悪い。不慣れな観光客に、長湯をさせてしまった」


 ジアータはここで待っているよう告げると、自分の荷物を取りに行った。戻ってくると青のマナタイトを使い、飯福に冷たい水を飲ませる。頭にも水をかけてもらい、それで飯福もだいぶスッキリする。


 それから10分程度、そこで涼んでいると今度は体が少し冷えてきた。立ち上がってみる。もう何ともなさそうだった。


「丘下り、してみようかな」


「もう良いのかい?」


「ああ」


 飯福は竹垣の中に戻り、カゴから荷物を取る。改めて考えれば、中々に不用心だったが、どうも誰も新たな客は入らなかったようで、全くの無事だった。

 飯福はカバンの中からスイムバッグを取り出す。折り畳んであったそれを広げ、今度は逆に布のカバンをそこに入れる。これで濡れても大丈夫だ。その様子を見ていたジアータが、


「へえ。変わった材質だね。見たこともないよ」


 と、興味深そうに言う。飯福は苦笑い。異世界人の目の前で、堂々とオーバーテクノロジーを見せるのは考え物だが、まあ彼女なら大丈夫だろうと判断したのだった。恩人にコソコソ隠し事するのは気が引けるのもあった。


「これ、水を弾くんじゃないのかい?」


「うん、まあ、そんな感じ」


「それなら、アタシの着替えも入れておいてくれないかい?」


「え、あ、ああ。いいよ」


 シャツと下着、ズボン。下着は麻のトランクスのような形だ。華美な女性用下着はこの世界にはまだないのか。或いは飯福が知らないだけで、紡績の盛んな黄の国や、先進的な黒の国にはあるのかも知れないが。


 歩いてみても、もうフラつきなどはない。飯福は先を歩くジアータについていきながら、湯煙が漂う周囲を見やった。丘、といっても彼のイメージとはかなり違う。地面は大部分が土で、温泉の水が飛び散るエリアにだけ草が密集している。冬だが青々としている辺り、常緑種のようだ。木も低木が数ヶ所に群生している状態で、あの下が地下水が豊富なのだろうと当たりがつく。


(火山性じゃなさそうだからなあ。地中はどうなってるんだろう)


 硫黄などの匂いがしないので、日本の大部分の温泉(火山性)とは毛色が違う。炎道というイレギュラーもあって、中々興味深いことになっているのかも知れない。まあ飯福は地質学者でもないので、ボンヤリとした好奇心だけだが。


「あそこだよ」


 ジアータが指さす先。丘の中腹から川が流れている。それは、丸木舟の船体だけ繋いで作ったような滑り台へと流れ込んでいた。流しそうめんを彷彿とさせる光景だ。

 中腹までは石の階段がしつらえてあるので、ジアータはそちらへ下りていく。飯福も続いた。


 近くまで来ても、水の流れる音はそれほど強くなく、滑り台の傾斜も緩やかだった。これなら怖くはなさそうだ、と伝えるとジアータも笑った。スノコのような木板に布を巻きつけたソリ代わりの物がスライダーの乗り口脇に置いてあった。自由に使って良いらしい。それに乗り、ゆっくりと川下りのようなスピードで、ジアータの後から滑っていく。日本にも温泉と常温の川のミックスのような「ぬくい」水流はあるが、これはやはり飯福の体感では38°以上はありそうな、「熱い」湯だった。


「これは……」


 気持ち良い。湯気と熱気の中に、冬の空気もほのかに感じる風。しかし下半身は温泉の湯に包まれている。水の抵抗を局部で感じ、今更ながら自分が大自然の中で全裸であることを思い知らされる。


(俺も変わったなあ)


 羞恥や背徳感より、圧倒的に解放感が勝っている。屋台を始めて二ヶ月余り。日本人という殻を、こちらの世界ではスムーズに脱ぎ去ることが出来るようになってきた。


「板、よく押さえておかないと、置いてかれちゃうよ!」


 大きな声で注意してくるジアータ。置いていかれる、というより板だけ進んでしまうと、ジアータの背中や尻に当ててしまう。飯福は改めて巻き付いている布の持ち手をキツく握り直した。


「景色を見てごらん!」


 言われてジアータの尻から視線を上げる(やましい意図で見ていたワケではない……つもりである)と、飯福は息を飲んだ。


「おお! 街の明かりが」


 白のマナタイトが放つ白色だけでなく、黄色や青などが、街には浮かんでいた。

 街灯が丘の道中にも配置されているため、こちら側も完全な闇ではないのだが、それでもあの光量には敵わない。


 家々の窓から零れる色とりどりの明かり。どうも窓自体に色を着けているらしく、白の光が外側からは別の色に見えるようだ。


「キレイだろう?」


「あれは敢えて、色を着けてるのか?」


「そうだよ。あれはアタシの住む第10都市の名物。あそこも温泉街だからね。夜景は命なんだ」


 都市としての戦略、ということらしい。


「星空みたいだろう?」


「ああ。それだ」


 適切な形容を考えていた飯福だったが、ジアータの言葉にシックリきた。周囲が暗い中、ぽっかりと小さな街の分だけ、煌びやかに光る様子は、地上のプラネタリウムのようだった。

 上半身は風を切る爽快感。下半身は半身浴の心地よい熱さ。視界に広がるは絶景。ゆっくりとは言え、徐々に徐々に高度が下がり、景色が見えなくなってくると、飯福は「ああ、惜しいな」と純粋にそう思った。


 バシャンと水音がして、視線を下げる。ジアータが岩に囲まれた温泉の中に飛び込んでいた。終点、流れ着く先のようだ。常に湯が流れ落ちてきているため、その岩囲いの中は満タン。ジアータが飛び込んだ分だけ、一気に湯が溢れていた。飯福も遅れてそこへ飛び込む。軽く沈んだ後、すぐに水面に顔を出す。


「はあ~。終わってしまった」


「あはは。気に入ったかい?」


「ああ。すごく良かった。案内してくれてありがとう」


 飯福が礼を言うと、ジアータはニッコリと笑い返す。

 こうして、名物「丘下り温泉」を堪能した飯福だった。



 


 

 ジアータも飯福も、体をタオルで拭き(この時もジアータは飯福の持つタオルの質の高さに驚いていた)、服を着た。


「あ~あ。せっかく、眼福だったのに」


「こら。まったく……年増女をからかうモンじゃないよ」


 やはりセクハラという概念もないせいか、飯福の口も軽い。そしてそのままのノリで、


「ジアータ、今日は看護やら案内やら、ありがとう。お礼に料理を振舞いたいんだが、どうだろう?」


 と、誘う。


「え? ああ、そうか。ワタルは料理人だったね。となると、異世界の料理が食べられるのかい?」


 期待に目を輝かせるジアータに、飯福は鷹揚に頷いた。


「ついてきてくれ」 


 今度は飯福が先に立って案内。10分ほど歩くと、第18の都市の外れに戻ってきた。第10都市が見えたスライダーとは反対側だ。寂れた通り、石造りの家が並ぶ、その途中。ポッカリと空き地があった。


「ここだ、ここ」


 異世界に出た時は、周囲の様子をよく覚えていないと、クローゼットの位置が分からなくなるという怖さがある。ただ空気を読んでくれているらしく、休日に繋げた場合、街のかなり分かりやすい位置に出ることが多い。ちなみに仕事だと、すぐにそこに屋台を建て、動き回らないことが殆どなため、微妙な位置に出ることもある。


「ちょっと待っててくれよ」


「あ、ああ……けど、こんな何もない場所に」


 ジアータが言い終わる前に、飯福はその何もない場所に一歩踏み出す。するとすぐに光の長方形が現れ、彼女が制止する間もなく、飯福はその中へと消えて行った。


 日本に戻った飯福。クーラーバッグに保冷剤をブチ込み、野菜とソーセージ、食パン、調味料を詰めた。紙皿と箸、フォーク、そして缶ビールを四本ほど加え、すぐに異世界へ戻る。


「ワタル!」


 突然の事態に硬直していたジアータが、戻ってきた飯福の姿を見て声をあげた。


「これがアンタのギフトか! すごいね!」


「ああ、便利なモンだよ」


 笑って答える飯福。ジアータはその肩にまた見覚えのないカバンが掛かっているのを見て、興味を惹かれた様子だ。


「クーラーバッグさ。中はヒンヤリしている」


 そう言って、飯福は軽くポンポンと叩いた。


「受付で、窯を使えるって聞いたけど」


「え? あ、ああ。さっき落ちた終点の傍だよ」


「オッケー。また案内してくれるか?」


「お安い御用だよ。異世界の飯のためなら!」


 ………………

 …………

 ……


 真っ黒な窯の上に、竹編のカゴを置き(先程の荷物入れより目が細かいものを使用)、その上にカット済みのニンジンを乗せ、ニンニクチップを散らす。そして上から濡れた厚手タオルを掛ける。


「ニンジンは硬いからな。先に蒸らしておく」


 それから数分。ジアータと駄弁り、頃合いを見て、キャベツとチンゲン菜も投入。塩コショウを振り、全体を箸で和えた。ムワッとした蒸気の中、目を細めながら作業する。指先も熱い。


「軍手を持ってくるべきだったな」


 温泉蒸気で蒸し料理というのは、飯福も初めての経験なので、勝手が分かっていなかった。


「既にすごく良い匂いがするよ。新鮮な野菜だねえ。冬場だし高かったろう?」


「いや、そうでもないよ」


 一瞬、ビニールハウスやら温度管理やらと口走りそうになり、慌てて口をつぐむ。

 更に数分。ジアータと雑談を進めるうち、ここが赤の国のどこら辺なのかが判明した。中央東、炎道から少し離れた位置のようだ。以前、第19の都市で冷やし茶漬けを出したことがあるが、あそこから見ると、南東にあたるそうだ。だが、そう遠くはない。あちらが炎道を越える者たち用の安宿や荷主たちの落とすカネで多少なり潤っているのに対し、こちらは温泉資源(ただ先程のジアータの話にあったように、戦争以来めっきり客入りが減った)と、申し訳程度の農業で糊口を凌いでいる状況。


「来年には抜かれるだろうね。戦争に負けて以来、炎道を使わざるを得なくなったから、ますます炎道沿いの宿場町は伸びていくだろうし」


 ただそれは、あまり良い発展とは言い難い。海路を奪われ、仕方なく出来た需要で、しかも人をボロ雑巾のように使い捨てるような仕事だ。思わず飯福もしんみりする。と、


「ああ、ゴメンよ。せっかくの飯がマズくなるね」


 ジアータが明るく言った。飯福も気を取り直す。ちょうど、キャベツがしんなりした頃合いだろう。タオルを取り払い、様子を見る。うん、と一つ頷き。


「じゃあいよいよ真打登場だな」


「お?」


 少しシリアスになりかけていた空気を吹き飛ばすように、飯福も明るく。クーラーバッグから満を持してソーセージが飛び出した。『低島屋ひくしまや』のデパ地下テナントに入っていたドイツソーセージ屋、その中でも最高級(何かの金賞を獲ったとか)の品だ。休日の晩酌用にと今日の午前中に買っておいたのだった。


「おお! 腸詰めじゃないか!」


「赤の国にもあるんだったか?」


「あるよ。塩辛くて美味いんだ」


 端正な顔を綻ばせる。

 飯福はソーセージを野菜の中に混ぜ、更に数分の蒸らし時間を取った。その間、待ちきれないという様子で、ジアータは窯の周りをウロウロしていた。よほど好きなのだろう。ただ、


「知ってる料理が出てくるとはねえ。案外、異世界も大したことないんじゃないのかい?」


 などと飯福を挑発して遊ぶことも忘れていなかった。それに不敵な笑みを返すだけの飯福。そんなこんなで、時は満ち。


「完成だ。お好みでマスタードをどうぞ」


 粒マスタードを紙皿の端に出し、別の皿に野菜とソーセージを取り分ける。親切にも、近くに木のテーブルと椅子があったので、そちらに持って行って二人で向かい合わせに腰掛けた。バッグから、もう一人の主役、缶ビールも取り出す。


「な、なんだい!? その奇妙な容れ物は!?」


 予想通りの反応に、飯福は笑う。


「中には、とびきり美味い酒が入ってる。ジアータもどうだい?」


「い、いや。アタシも酒は好きだが、遠慮するよ」


 やはり缶容器に警戒している様子。


「それじゃあ、料理を食べようか。パンも出そう」


 バッグから更に食パンを二斤。それぞれの皿に乗せる。


「こんなに白くて柔らかいパン……見たことないよ」


 驚きながら、ジアータが軽く噛む。簡単に千切れ、口の中へ。咀嚼しながら、


「う~ん! 美味い! 甘いし柔らかい!」


 ご満悦。更に今度は野菜をフォークで幾つか刺し、口に運ぶ。今度はよく噛んで飲み込んでから。


「これもやっぱり新鮮だ! 噛めば美味い汁が溢れ出てくる。しなっとして柔らかいし、いくらでも食べられそうだよ」


 そして最後のソーセージを前に、一度、唾を飲むジアータ。パンと野菜の想像以上のクオリティに期待感が膨らんでいるのが飯福にも見て取れる。


「いくよ」


 フォークで刺し、一口。パキッと小気味の良い音。そして肉を噛んだ途端、


「ん~~~!!」


 おとがいを反らし、悶絶した。少女のように足をパタパタと。目を見開き、飯福を見る。その目が問いかけている。アンタは魔術師か、と。

 そのまま一心不乱に、二口目、三口目、四口目。止まらない。パキンと音を立てる度、至福の笑顔を見せる。瞬く間に一本を食べ終え、


「ああ……ああ……」


 ジアータは語彙を消失させてしまった。

 

 飯福もそれを見届け、箸で野菜を摘まむ。塩コショウの加減は良い感じ。しなっと柔らかく瑞々しい仕上がりにも満足する。そしてソーセージを掴んで、一口。肉汁が溢れ、皮に効いた塩分も上品だ。缶タブを開け、一気にビールで流し込む。


「くあ~!」


 湯上りの体に、キンキンに冷えたビールが染みる。野菜の甘み、豚肉の旨味と塩分、ビールの苦味。五臓六腑を駆け巡るようだった。


「こういうので良いんだよ、こういうので」


 シンプルな料理だ。素材の味を活かしただけの。だがそれが良い。生まれたままの飾らない姿になって、体中に溜まった諸々をデトックスした夜は、新しく入れる物もプリミティブに美味い物で良いのだ。

 今度はソーセージを一口と、食パンを一口。これも素晴らしいコンビネーションで、飯福の舌を楽しませる。そしてそれらを、大麦の旨味で喉の奥へ。


「くう~!」


 奇声をあげながら喉越しを味わう。と、そこで。対面のジアータと目が合った。非常に物欲しそうな顔をしている。野菜、パン、ソーセージと、全てが想像の遥か上だっただろう彼女が次に期待するのは当然……


「ワタル……」


「あ、ああ。飲んでみるかい?」


 バッグからもう一本取り出し、缶タブを開けて渡してやる。もう警戒はしていないようだが、飲み方が分からない様子。飯福は反対側に回り、缶を持つと、飲み口を彼女の唇につけてやる。


「その穴に上唇を入れるようにして、すぼめて飲んで」


 缶を渡す。言われた通りに実行したジアータは、


「ん!? こ、これ!!」


 飲み干すと、またまた目を剥く。


「なんでこんなに冷たいんだい!? そのカバンの中には冷たい川があるのかい!?」


 冷蔵庫のないこの異世界では、飲食物を冷やすとなれば基本的に川や海である。


「それに、喉を通り過ぎる時の、この弾けるような爽快感! これが酒……味わったことのない……」


「ソーセージの肉汁と一緒に飲んでみなよ」


 飯福の提案に、それを想像したのだろう。ジアータは蕩けたような表情をする。絶対に美味すぎる、と。

 果たして言われた通りに、二つを同時に喉奥へ流し込んだジアータは、


「く、くうう~~」


 飯福と同じような奇声をあげ、地団太を踏んだ。ははは、と飯福が笑う。構わず、ジアータは同じ組み合わせ、野菜ミックス、パンミックスなどを試し、その度に魂が満たされたような声と表情。

 

「もう一本あるけど?」


「欲しい!!」


 飯福はその飲みっぷり、食いっぷりに、自分の分のソーセージも分けてやった。そうして、30分ほど。皿は空になり、全ての料理は二人の胃袋の中に納まった。


「美味かった……アタシが知ってる腸詰めと比べて圧倒的な質の差があったよ。なんて言うんだろう……密度? みたいなのが段違いだった」


「結着性や保水性の違いだろうな」


 実は白の国の友人ヨミテからのヒアリングで、この世界の腸詰め(ソーセージ)の質は知っていた飯福。ゆえにあの不敵な笑みだったのだ。

 端的に言って、肉加工にかかる時間が現代技術とは雲泥の差なため、鮮度が落ち、くっつきが悪く水分も乏しい、ボソボソ&ザラザラの食感が残るのだ。


「参った。どうしよう、明日から普通の腸詰めを食べても満足できない舌になってしまったよ。野菜も、パンも。酒も!」


「ははは。それは悪いことをした」


 言葉とは裏腹に、悪びれる様子もなく、飯福は笑った。


 ………………

 …………

 ……


「それじゃあ、達者で」


「そっちこそね。今度、第10の都市に来たら、是非アタシのウチに寄っとくれよ」


 住所も教えられたが、果たして再び会うことはあるだろうか。それは飯福にも分からない。神(クローゼット)のみぞ知る、というヤツだった。


 何度も手を振って、第10都市へ帰って行くジアータを見送り、飯福も光の中へ消える。


「今日も良い休日だった」


 極楽温泉で美女と混浴、絶景を眺めながらスライダー、シンプルかつ美味い飯と酒。


「明日からまた頑張りますか」


 持ち帰ったゴミを片付けながら、飯福は明日のメニューを考えるのだった。

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