15:カッサータ(緑の国・首都)
(誰一人、理解してくれないなんて……)
ピアンネ・シェームットの夢は暗礁に乗り上げていた。
16歳で緑の国の首都に出てきたは良いが、そこから一年。藻掻きに藻掻いて、しかし何の成果もあげられなかった。成り上がるまでの繋ぎとして就いたつもりの酒場の給仕の方が、ずっと本業となっている有様。
(こんなハズじゃなかった)
安アパートの隣の部屋からは、酔っ払いの歌声が鳴り響く。住人はうるさいし、ボロくて虫は出るし、風呂もトイレもついていないしで、劣悪な住環境だった。
契約した時は、数ヶ月以内に事業を軌道に乗せ、すぐにこんなアパートは出ていくつもりだったのに。
「なんで……なんで私の芸術が理解できないのよ」
世界一の芸術の都と称される、緑の国・首都。多くの音楽家や画家が輩出される、芸の道を志す者にとっては楽園のような街。ここでなら、自分にもチャンスがある。見てくれさえすれば、必ず相手の心を掴んでみせる。ピアンネは野心を燃やしながら、故郷の村を出たのだった。
だが、現実は甘くなかった。自分だけではなく、チャンスを求めてやって来る者達は国中、いや海外からも、後を絶たない。確かに裾野は広い。だが、夢追い人の数も膨大で、結局は激しい競争を強いられるのだ。
パトロンを募ったものの、誰からも見向きもされなかった。いや、正確には一人いた。若い女の武器を使えと言わんばかりの好色オヤジが。もちろん、こちらから願い下げた。それを数に入れないなら、やはりゼロである。小麦や米の輸出黒字で潤うこの街には金持ちがゴマンといるというのに……
「花なら、この国にはいくらでもある。まして枯れた花など」
決まって彼らはそう言った。
(私の感性が……おかしいのかな)
そこは絶対の自信を持って出てきたハズである。でなくば、大して裕福でもない実家に無理を言って、夢を追わせてもらうことなど、とても出来ない。
だがこうも否定され続け、まして一応は芸術の街で目の肥えた実業家をやっている大人たちから門前払いを食らい続けていると、その根幹すら揺らいでくるのだ。
「はあ……」
このまま、おめおめと故郷に帰って農業。それは嫌だった。都会で華々しく活躍し、帰るにしても大手を振っての凱旋。出てくる時に「成功するワケない」と嘲笑った連中の鼻を明かすのだ。それ以外は認められない。そう誓ったハズなのに。
「……」
カーンカーンと鐘が鳴る。午後六時。酒場に出勤する時刻だった。
緑の国の首都は西側の第2の都市と隣接しており、そちらは工場地帯。小麦の製粉、米の精米を、大規模な建物内に大量の人員を雇い入れ、行っている。
つまり第2は労働者の街で、首都側は彼らの雇い主、つまり資本家の街。
この二都市の複合で、緑の国の経済の中心というワケである。
そして当然、ピアンネのような庶民が働く職場といえば、工場近くの小汚い大衆酒場となる。アパートはなんとか川の向こう、ギリギリ首都側(首都に住んでいるというチンケなプライドが満たされる)なのだが、職場はもう正真正銘、第2都市の一等汚らしい区画である。
(自分もすっかり、そこの住人なんけどね)
皿をテーブルまで運ぶ。鶏の香草焼き。骨も皮も筋もついたまま。味付けは濃い塩と、肉の臭みエグみを消すための強い香草。ピアンネには、大雑把で全く洗練されていないと感じるそれを、しかし客は美味そうに囓り、酒と共に胃へ流し込む。
「ピアンネちゃ~ん! お会計!」
「はあい。ちょっと待ってて!」
まあ客は下品かつバカばかりだが、今のところ身の危険は感じたことがないのが救いである。
約六時間、日付が変わる頃まで働く。店長(筋肉質な男性だが、女性の格好をしている)が、途中休憩を告げる。
「ピアンネちゃん、お疲れ様~」
「うん。お疲れ様」
「賄い、食べるわよね~?」
「……お粥、もらえるかしら」
「あらあ? そんな質素で良いの?」
今は食欲があまりない。なにせ、街の目ぼしいパトロン候補を、今日で当たり尽くしてしまったのだ。これからどうすれば良いのか途方に暮れているところである。
そんな話もつい愚痴まじりにしてしまう。
「アタシは好きだけどねえ。ピアンネちゃんの
「ありがとう。ロクセルさん」
「ロクシーちゃん、でしょう?」
口元は笑っているが、目が笑っていなかった。ピアンネは慌てて、
「ロクシーちゃんだけよ、うん。私の芸術を分かってくれるのは。本当、女の子ね、うん」
訂正して、おべっかも追加しておく。とても気の良い店長だが、ついうっかり本名で呼んでしまうと、このように面倒くさい。対外的にはロクセル店長と呼ぶので、時々切り替えに失敗するのだ。
「はあ……あと二時間か」
「ええ。頑張りましょう」
日曜日の夜は、土曜日よりは随分マシだ。休日とはいえ、明日からの仕事に備えて、早めに酒を切り上げる客が多い。夜中の二時まで飲んでいる方が珍しいので、もう一時間早く店を閉める案もあるくらいだ。
塩と卵の粥を食べ、もうひと踏ん張り。一グループ帰ると、連鎖反応的に他のグループも帰っていく。明日も仕事だからな、と。これを聞いてしまうと他のテーブルにも伝播するのだ。
最後の客を見送って、閉店作業。最後の鐘(夜12時)から、砂時計を二回引っくり返した午前二時。全ての作業が終わり、白のマナタイトの明かりを落とす。
「セレス様。本日もお恵みを、ありがとうございました」
暗くなった店内。ピアンネともう一人の女性従業員を、店長が送っていく。こういうケアが充実しているのも、彼女がここで働き続ける理由の一つだった。
アパートに着くと、天井を仰いだ。もうそう長くはこの場所に居られないかも知れない。当初の予定、成功者となって、より良い物件に引っ越すために解約する……そんなピアンネの皮算用は脆く崩れ。敗戦処理のために解約、田舎へ戻るという最悪の筋書きが、すぐ目の前まで迫っている。
「……ぐすっ」
泣くまいと決めていたのに。ピアンネの目からは熱い雫がこぼれ落ちる。整った容姿の中で、勝ち気な印象を受ける釣り目が、今は悲しみに垂れ下がっていた。
そのまま彼女は、いつの間にか眠ってしまっていた。あまり早く寝ると、翌日の遅番がキツくなるのだが。そんな理性も働かなかった。心の方が疲れ切っていたのかも知れない。
「……あ」
カーン、カーン。鐘の音、七回。午前七時。四時間ほど眠ってしまったようだった。
ピアンネはベッドから起き上がり、洗面所へ向かう。青のマナタイトを使って歯を磨き、顔を洗って、白粉と口紅を塗ろうとしたところで……
「もう礼儀とか気にする必要もないのよね」
上流階級の人間に会う時の、最低限のマナーとして化粧を覚えたが、もう意味がない。カネと時間の無駄である。
ボサボサの髪だけ整え、あくびを噛み殺す。と、腹が鳴った。出掛ける気力も無いので、自炊する。といっても、ズボラ飯未満の物だが。
生米を煮て、チーズと干し椎茸を刻んだ物を入れ、粥モドキにする。米が半煮えで普通にマズかった。料理は実家に居た頃からやっていたが、結局あまり上手くならなかった。
鍋を洗い、食休みをしていると、再び眠気に襲われる。今日はもう、昼間はどこに行く予定もない。眠れるだけ眠ってしまおう、と。ピアンネは再びベッドに横になり、意識を手放した。
暑さに目が覚める。12月も半ばだというのに、寝汗をかいていた。起き上がると、部屋の窓を見やる。外からの熱なのだ。この室内温度の上昇の原因は。
「はあ~」
風上に、飲食店街があるのだ。そこの店舗が一斉に米を炊いている。店の中に煙をこもらせると客入りが悪くなるので、通りに大きな釜を出して、
昼に向けての炊き出しで通りにこもった熱は、日中の太陽光のせいで逃げず、更にそのまま今現在、夜に向けての炊き出しが行われている。恐らく夕方三時頃。この時間帯が、即ち一番暑い。そしてその熱気は風に乗り、熱波となってこの吹き溜まりのアパートにぶち当たる。
「うう」
ダメだ。小腹も空いているが、自分でまた火を使う気にもならなかった。
また寝起きの髪を整えてから、外へと繰り出した。一歩出るとムワッとした空気が頬を撫でる。夏のようだ。
(だから家賃が安いんだけど)
川向こうの生産工場、川を挟んだこちら側の飲食店街。ここら辺は底辺労働者たちがカネを順繰りに回しているだけだ。工場で働いて稼いだカネで工員たちが飲み食いする。その売り上げで、飲食店は工場から食材を仕入れる。そして彼ら全員を受け入れる安アパートが建ち並び、街を形成する。通りはゴミゴミしていて、夏場はネズミやゴキブリも多い。
この第2の都市を、回せば回すほど儲かる仕組み、その頂点に位置するのが……ピアンネは、東側、首都を睨む。経営者たちが住む街。あちらは道も広くてキレイで、居並ぶ飲食店にも気品があり、街全体がとても豊かだ。清潔の一言。
「こうまで違うと、笑えてくるわよね」
自分もあちら側に行きたかった。だがきっともう。
ここに住み続けて、いつまでも叶わなかった夢の残滓を抱いて眠るくらいなら、やはり帰った方が良いのだろう。農業で終わる一生は嫌だと思っていたが、ここで敗残者として終わる方がもっと
「ふうう」
小さく息を吐く。ここら辺は、もう12月の空気だ。まあ緑の国のこの辺りは、元々そこまで寒くはならないが。故郷の方は雪が積もってるかな、とピアンネは郷愁に駆られた。
「……ん?」
ふと。変わった屋台が彼女の目に止まった。白と黒の板を組み合わせて作られた、オシャレな外観。しかしカウンター裏に調理スペースも調理器具もない。どこか別の場所で作って持ってくるのだろうか。
屋台は、甘い、とても甘い匂いを漂わせていた。
「……甘味を出すのかしら」
と、そこで。カッと光が放たれる。屋台の向こう、何もない空間からだった。慌てて地面にしゃがみ込み、目を腕で覆う。誰かのギフトだろうか。攻撃されたのか。はたまたこの光に害はないのか。ピアンネの脳内を様々な疑問が飛び交う。だが、そこで発された、
「いらっしゃい」
落ち着いた男の声。取り敢えず敵意は感じられないので、ゆっくりと立ち上がる。光もかなりマシになっているが、男は後光を背負っているようだった。
黒い髪に黒い瞳。黒い長袖シャツを着ている。年の頃は20代後半くらいだろうか。
「えっと……なんで光ってるワケ?」
「あ、ああ。冷静に突っ込まれると辛いんだが……まあ俺のギフト、かな?」
なぜ疑問形なのか。どうも怪しい男だ、とピアンネは警戒する。
「なんていうギフトなの?」
「あー。異世界屋台?」
「さっきから、なんで疑問形なのよ……」
「まあ俺はこっちの世界の人間じゃないからな。ある日突然、後天的にもらった力だから、あんまり実感がないんだ」
「こっちの世界の人間じゃないって……え!? もしかして、マレビトさんってヤツ?」
「まあ厳密には元、になるのかな。何度も来てるから神気とかはない」
にわかには信じがたいが、光の中から現れたり、髪や目の色が常人離れしていたり。言われると納得してしまう要素も多々ある。
ピアンネは改めて屋台をしげしげと眺める。白と黒の二色だが、表面に僅かに光沢がある。またカンナやヤスリも丁寧で、木板にはささくれ立った箇所が一つとしてない。
視線を下ろす。椅子が三脚。こちらも上等な作りだ。座部に小さな布団まで敷いてある。指先で押すと、柔らかく、しかし弾力もあり、とても座り心地が良さそうだった。
総じて。屋台なのに、妙に洗練されている。このアンバランスな店の階級が分からず、
「ここは……私のような貧乏人でも入れるのかしら?」
素直に訊ねるピアンネ。
「もちろん」
店主は鷹揚に頷いた。
「それで、この屋台はどんな料理を出すの? こっちの深緑の板に書いてあるのかしら? うーん、読めないわね」
「俺の世界の言葉だからね。今日はカッサータ。甘くて冷たいお菓子だよ」
「へえ! ちょうど良いわ。まだ少し暑かったから」
「この辺りは暑いのかい?」
「ええ。飲食店がこぞって通りで火を使うのよ。おかげで12月なのに、8月のようだわ」
首筋の汗をそっと手の甲で拭いながら、ピアンネは椅子に腰掛けた。予想通り、座部の布団は、弾力がありながらも尻を包み込むような感触。座り心地抜群だった。
「すぐ持ってくるよ」
と言い残し、店主は何もない空間へと足を踏み入れ……
「え!? きゃっ!?」
再び光が辺りを包む。そしてその中で薄目を開けていると、店主の男が光の長方形の中に消えていくのが見えた。ピアンネはチラリと後ろを振り返る。先程もそうだったが、誰一人この光に対して反応が無い。往来を通る人々は、忙しなく行き交う間、彼女にも屋台にも
(これ本当に……マレビトさん、なのかしらね。お伽噺とかじゃなく)
戻ってきたら敬語を使うべきか、とも思うが。特に不敬だと思われている雰囲気もないので、変に畏まらない方が逆に良いか、と思い直す。
そして本当にすぐに、光が収まりきる前に店主は戻ってきた。手には皿。提供台にそっと置く。料理を見て、ピアンネは息を飲んだ。
「……キレイ」
白い断面の中に、いろとりどりの干した果物。緑、オレンジ、赤、紫。こんな食べ物は見たことがない。
「カッサータ。イタリアの伝統的なスイーツだ。チーズに糖や生クリームを加えて練り、シロップに漬けたドライフルーツ、チョコチップを加えて冷やし固めた物」
店主が説明するが、ピアンネには半分以上、よく分からなかった。
「まあ本場のは少し違うのかも知れないが、俺流アレンジという事で一つ」
もう片方の手に持っていた、ミルクの入ったグラスも提供台に置いて、完了のようだ。掌を差し向けられて、ピアンネはフォークを握る。
「あ! そうだ。これ、おいくら?」
「え」
未知の食べ物(しかも心を奪われている風だった)を前にして、カネ勘定の話を先にされるとは思っていなかったのか、店主は面食らった様子だ。まあここら辺は、若く美しい女性の危機管理である。食べた後に法外な値を吹っ掛けられ、いかがわしい交渉をされないため。
店主は苦笑しながら……
「ドライフルーツが少し高いから、悪いけど、その乗っている三切れで銀貨一枚だな」
「果物が高いって……見たところ、キウイ、ミカン、イチゴ、レーズンを干した物でしょう? そこら辺で安く売ってるわよ」
「……緑の国はそうかも知れんけど。日本では高いんだよ」
疑わしげな目をするピアンネ。
「値下げなさいな」
「え、ええ……」
困惑した店主は、アゴの無精ヒゲを撫でた。
「そうだな。じゃあ、取り敢えず食ってみてくれ。それで納得いかない味だったら、値下げ。満足なら銀貨一枚を払ってくれ」
「いいわ。ふふ、相当の自信ね」
ピアンネはカッサータにフォークを入れ、
「意外と硬いわね」
少し苦労しながら切り分ける。
「アイスケーキみたいな感じだからな」
「あいす……景気」
「不景気みたいだな」
苦笑する店主を尻目に、ピアンネがフォークに刺した一切れを口に運んだ。
「!?!?」
まず、とにかく冷たい。そしてすぐに甘さの多重攻撃。生地はなめらかで溶けるような食感だが、溶ける端から舌に芳醇な甘みを伝えてくる。砂糖たっぷりの下品な甘さではない。チーズのほのかな酸味も加わり、複雑な甘みを醸成している。そして中に詰まったフルーツ群。干した果物特有の食感に加え、噛めば瑞々しい果糖と、シロップのもったりした甘さ。そして、黒い粒。果物の種だと思っていたそれは、ピアンネの口の中で革命を起こす。
(苦い……ようなコクを最初に舌に感じたハズなのに、今はもうどれよりも濃い甘みに変わってる)
前歯で噛むと、少し硬く、しかし小さくなると途端に逃げるように溶けてしまう。僅かな苦さと、濃厚な甘みを口中にバラ撒きながら。
店主に聞けば、先程言っていたチョコレートという物らしい。全く未知の食材である。
「すごい料理ね……カッサータ」
美味しい。途轍もなく。自分が今までに食べたことのある、どんな菓子より甘いのに、どんな菓子よりしつこさがない。爽やかで、瑞々しく、溶けて
「もう一口」
今度は、一切れの残りを丸々いった。
「ん~~~♪」
リスのように口一杯に頬張り、目を糸のように細め。ピアンネは、ここ数日、いやもしかするとこの街に来て以来、最大の幸福に包まれていた。
(ああ……この街を去る前に、こんな素敵なお菓子を食べられるなんて!)
人生、捨てたものじゃない。大袈裟かも知れないが、そんなことまで考えていた。
夢中で二切れ目。甘さと冷たさ、少しの酸味。またウットリとした顔になる。
最後の一切れ。うう、と思わず唸ってしまう。名残惜しい。
「……これ、持って帰るとかは出来ないのかしら?」
「溶けるな。半分溶けたくらいだと食感が変わって、それはそれで美味しかったりするけど……溶けきったらキツイ」
「わ、分かったわ」
ピアンネは最後の一切れにフォークを刺し、二度、三度に分けて味わった。
余韻に浸るように目を閉じて、20秒ほど脳内で反芻してから。
「……ありがとう。すごく美味しくて、すごくキレイな料理だったわ」
「それは良かった」
「銀貨一枚、十分に払う価値があるわ。はい」
巾着から銀貨を出すと、それをトンと指先で台上に置いた。食べる前の店主の自信も頷ける出来だった。
「この屋台は、いつもここで出しているの?」
「いや、コイツは世界を巡る屋台だ。明日は緑の国には居ない可能性の方が高い」
「そ、そんな……だったら、もっと味わって食べるんだったわ」
ガックリと肩を落とすピアンネだった。
「うう。給料日前だから、おかわりも出来ないし……」
その様子に同情したのか、店主が小さく息を漏らした。
「……ちょっと待ってな」
そう言って、また光の中に入っていき、一分とかからず、戻ってくる。その手にはもう一切れ、カッサータの乗った皿。
「フルーツの値段差分、少しだけサービスだ」
「え? い、いいの?」
提供台にコトンと置かれた皿。ピアンネは目を輝かせると、拝むように指を組んで見つめる。目に焼き付けるといった風だ。
「やっぱり見た目もキレイよね……これ出せば、パトロンたちも食い付きそう」
「ん? なんだ? お嬢さん、もしかして芸術家志望か?」
「え? あ、ええ……」
正確には志望だった、だが。
「……良いわよね。こんなキレイな物を思い付くのだから……って! これ!」
「どしたい!?」
突然の大声に、料理に不備でもあったかと、慌てる店主だったが、ピアンネの様子はどうもそういうことではなさそうだった。
「こ、これ……私ね、
「落ち着け」
店主の低く優しげな声に、ピアンネはハッとする。確かに慌てすぎていた、と。
「でもこのカッサータを見てたら、不意に浮かんできて……! ねえ、この配色、使わせてもらえないかしら?」
店主は困惑した表情で、
「いやまあ、配色は誰のものでもないからな。アイデアに著作権はないし、これくらいだとアイデア未満だろうし」
と、ピアンネにはよく分からないことを呟いた。そして、最終的には小さく頷いて。
「どうぞ。良いものが出来るといいな」
先程と同じく、優しく落ち着いた声音で承諾を伝えた。
「ありがとう! マレビトさん!」
「今はただの料理人だよ」
「ふふ。そうだったわね……っとと。こうしちゃいられないわ! 早速帰って……!」
一刻も早く帰って、アイデアを書き留めたい。その一心で立ち上がったが、
「お、おいおい。食ってかないのか?」
店主に言われ、慌てて座り直した。それはそれ、これはこれ、である。
フォークで三つに切り分け、一口一口、味わって食した。
カッサータを見て、食べて、甘さに蕩けて……もう一度、幸せを噛み締めながら、ピアンネは同時に浮かんだアイデアも脳内で反芻していた。
至福、だった。創作意欲の
思えば、こんなにも「作りたい」という欲求に衝き動かされたのは、いつ以来だろうか。村にいた頃は、こればかりだったのに。いつの間にか、どうすればパトロン候補にウケるか、どうすれば自分の芸術を理解させることが出来るか、そんなことばかり考えて作るようになっていた。
いわば、頭で作っていた。魂で作らなくてはいけないのに。
ピアンネは食べ終わると、皿にフォークを置いて、深々と頭を下げた。
「ありがとう。店主さん。私、もう一度頑張ってみるわ! ううん、もう夢が叶うとか、どうとかじゃない! 作りたいの! 物を作るって、こういうことなんだって……それをこのカッサータが思い出させてくれた!」
この店主は、やろうと思えば、この国で、いや世界で頂点を獲れるだろう。数百年先の甘味を作っている。ピアンネは掛け値なしに、そう思う。
だが、彼はやらない。世界中を好きに周り、好きなものを作って、客の目を見て(自分は個人個人のパトロン候補の顔もよく思い出せない)、料理を出している。
正直に言うと、憧れる。だがそれは、いつでも頂点を獲れる余裕が前提なのだろう。まだ何も成していない、何者にもなれていないピアンネには出来ない生き方だ。正にマレビト、住む世界が違う。そんな彼の、頂点で異次元の料理。
それが不思議な縁で一時だけ自分の前に現れ、味わうことが出来た。そしてそこから着想を得た。天の配剤としか表しようのない幸運。
屋台の名はボヤージュ(航海)というらしい。きっと二度と自分のところへ、この船が立ち寄ることはないのだろう。そういう直感があった。
だからこそ、ピアンネは最高の甘味に、アイデアの源泉となった美しい造形に、感謝と敬意を示し、深々と頭を下げて、屋台を辞したのだった。
………………
…………
……
アパートに帰ると、ピアンネは部屋中をひっくり返した。なるべくキレイで可愛らしいビンを探し回り、二つほど見繕った。
「よし……」
先に白のマナタイトをビンの底へ。そしてその上に乾燥花を三種類、そっと置いた。
「大いなる女神セレス様、どうかご加護を」
ピアンネの祈りに、マナタイトが輝く。白い光に照らされた、青、赤、黄の花たち。
「……キレイ」
ウットリと目を潤ませ、光と花の共演に見入る。
「もっと! もっと沢山の組み合わせ!」
乾燥花をかき集める。それらを、どう組み合わせ、光に対してどの角度を取るのか。凝り始めるとキリがない。だが、
「楽しい……」
体の芯から出てきた言葉だった。
後から後から湧き出てくるアイデアと充実感。ああ、モノづくりをやっていて良かった、と。ピアンネは深く深く、そう思った。
そうしてしばらく没頭していると、鐘が鳴る。いつの間にか六つ。慌てて支度をして、酒場に向かった。店長に見せたくて、一つだけカバンに忍ばせて。
月曜日の客入りは少し悪かった。平日で言うと、やはり金曜日の入りは良く、あとは似たり寄ったりだが。
「お疲れ様、ピアンネちゃん」
「お疲れ様」
今日は12時までの営業だ。しかし、ピアンネはヘロヘロである。
「どうしたの? 今日は」
「それが、実は。出勤前のご飯、食べ忘れちゃって」
あのカッサータを夕方三時頃に食べたきり。帰宅してからは、一心不乱に乾燥花のビンを作っていた。
そんな話をすると、店長は驚き。
「へえ……マレビト様の屋台。不思議なこともあるものね。それでそれで? 作ったビン、持ってきてるんでしょう?」
店長はウキウキとした顔で、ピアンネを促す。彼……彼女の美徳だ、とピアンネは思う。従業員の幸せや喜びを、我が事のように分かち合ってくれる。
ピアンネはカバンからビンを取り出し、店長の前に置いた。賄いを作っていた、もう一人の女性従業員(副店長)もやってきて、興味深げにビンを見やる。
「大いなる女神セレス様、どうかご加護を」
ピアンネが祈ると、ビンに入っていた白のマナタイトが輝きを放つ。白光に照らされた花は、まるで生花のようやツヤを見せた。
「キレイ……」
恍惚とした調子で呟いた店長。
「ピアンネちゃん、これいけるんじゃない? どこかに持って行ったら?」
副店長が促すが、ピアンネは苦笑して頬を掻いた。
「それが……もう、アテは全部回っちゃった後なのよ」
一昨日で打ち止めだったのだ。だからこそ、昨日は実家に帰るしかないと凹んでいたのだから。
だから……
続く店長の言葉に、ピアンネは本気で驚いたのだった。
「ピアンネちゃんさえ良かったら、ウチの家で、その販売をやらせてくれないかしら」
「え!?」
店長の家、とは。彼の家はここでは、と顔中に疑問符を浮かべるピアンネ。店長と副店長は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべて、
「店長の本名は、ロクセル・ファイルーク……って言えば分かるかな?」
「ファイルーク!? ファイルーク造船の?」
この国でも有数の名家だ。大型帆船の製造で、莫大な財を築いていると聞き及ぶ。
「そ。まあ四女だから、経営とかには全然口は出させてもらえないんだけど、その代わり、こうして自由にさせてもらってるのよ」
四男坊とはいえ、嫡子ならもう十分に勝ち組だ。
「ロクシーちゃんはね。こうして道楽で酒場をやりながら、良い男と、良い才能を探してるんだよ」
副店長が補足する。
「そんな……そんなことって」
まだ事態を飲み込みきれていないピアンネが、うわ言のように繰り返す。
「ピアンネちゃん。私ね、アナタの乾燥花を初めて見た時から、センスあるなと思っていたの。でも、売り出すにはパンチが足りない」
「あと一皮剥けてくれたら~ってこぼしてたよ」
「そ、そうだったの……」
ピアンネは嬉しいやら、驚かされたやらで、中々上手い言葉が出てこない。
「でもね。その一皮が剥けてくれた。これ、売れるわよ。貴婦人方は常に面白くて可愛いものを求めてるの。これはバッチリ需要のど真ん中。そして何より」
「な、何より?」
「私、これ好きよ!」
「え!?」
そんな子供みたいな、とピアンネは再度驚かされるが……案外そんなものなのか、とも思う。自分だって、楽しいから食事も忘れて作って持ってきたのだから。
「ピアンネ・シェームットさん。どうかしら? やってみない? この乾燥花が首都を席巻するところ、見てみたくない?」
悪戯っぽい笑みで、店長はピアンネを見る。そこでようやく、夢にまで見たパトロンを得たことを理解したピアンネは、半ベソをかきながら、
「やりたい! 見たい! こちらこそお願いします、ロクシーちゃん!」
叫んでいた。泣き笑いのまま見つめる店長の髭面は、優しく笑い返していた。
感謝と感動を改めて伝え、ピアンネは今日の仕事を上がった。
部屋のベッドに寝転がりながら、ピアンネは思う。全くなんという奇縁なのか、と。本来、出会うことのない世界を航ってきた料理が結んだのは、まさかまさか、ほぼ毎日会っていた店長、そのもう一つの顔。
「案外、こんなすごいヒキを持ってるなら、またひょっこり、あの屋台にも会えるかも」
もう会えないだろうという自分の直感の方が怪しい。なにせ、あんなに近くに居た店長の正体すら勘付けないのだから。
「ふふ。また食べたいわ」
幸せを運ぶお菓子、
「カッサータ」
その名前を口にしながら、いつしかピアンネは安らかな眠りについていた。
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およそ半分のここで一旦休載を設けます。現在は26話を執筆中ですので、完結(31話)まで書き上げてから続きをあげます。あしらからず、ご了承ください。
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