12:牛肉のフォー(黒の国・第2の都市)
異世界屋台を営むアラサー男、
「すいません、まだ準備……あ、飯福くん! 来てくれたんだね! ごめんね、いきなり呼び出して」
店の戸を開けて入ってきた飯福の姿を認め、秀一が挨拶と謝罪を一緒に済ませる。飯福も軽く手を挙げて挨拶とし、店内に入っていく。
六車秀一は、前の職場での元先輩だった。今の飯福と同じく、10年ほど飲食業を渡り歩き、自分の店を構えたのが三年前。気の良い先輩だったので、飯福も開店祝いの花を贈ったのを昨日のことのように覚えている。
それからも、折を見ては店に食べに来たりして、繋がりを持ち続けている相手だが……今朝いきなり電話があった。
近くの小学校がインフルエンザで学級閉鎖になったそうで、秀一の甥っ子もその影響で家にいるとのこと。それが自分に何の関係があるんだ、と訝しみかけたところで秀一は本題を話し始めたのだった。
『給食で何とか子供を食わせてる家庭や、共働きで昼を作れない家庭もあってね。それがいきなり休みになると……』
それだけで飯福は察した。以前、『一哲うどん』に赴いた時に聞いた、キッズ食堂を始めたという話。つまりは、そういうことで。飯福に電話してきたのも、ヘルプを頼んでのことだろう。
『フォーはあるんですよね?』
皆までは言わせず、飯福はそう返した。
『あ、ああ、大量にあるよ』
電話口の向こう、恩に着る、という声の調子だった。
『なら牛肉だけ買って行きます。紫タマネギは?』
『ごめん。心許ない』
『了解です。そっちも買って行きます』
『ありがとう』
電話を切る。牛肉のフォーは『定食ムグムグ』の人気メニューだ。普通に客に出す分は入れているだろうが、急遽、子供たちの分が増えたので、対応しきれないのだろう。
飯福は車を飛ばし、精肉店を回った。安くて良い牛モモ肉を大量に仕入れ、タマネギ等々もスーパーで買い込み、商店街に向かう。
というような朝の一幕があって。
そして今、こうして『定食ムグムグ』を訪ねたというワケだ。
「買い物まで頼んじゃって……本当に助かった。いくらだった?」
「いえ、いいですよ。俺も、六車さんがキッズ食堂始めたって一哲さんとこで聞いた時から、なんかしたいなって思ってたんで」
「いや、でも」
「本当、大した額ではないですから」
飯福は顔の前で手を振り、頑として代金は受け取らない意思表示。実際、請けた時点で、彼の中では百パーセント、慈善活動なのだ。それが出来るくらいの蓄えも(異世界に)ある。
「ありがとう……せめて最後にフォーの麺くらいは幾つか持って帰ってよ」
「え、ええ。それじゃあ、そうさせてもらいます」
それくらいなら、まあ。といったところで、飯福も頷いた。彼の妻が打つ麺は美味い、というのもある。
店舗の奥に入ると、調理部屋がある。早速、そこから麺を打つ音が聞こえてきた。
顔を出すと、東南アジア系の顔立ちをした、若い女性と目が合う。
「ああ、飯福さん」
苗字からも分かるように、秀一の妻である。前職場にアルバイトとして入ってきたところを、秀一と良い仲となり、そのままゴールイン。この店の開業時も献身的に協力したと聞く。
「やあ。久しぶり……早速だけど時間がない。手伝うよ」
当然、前職場では飯福も社員をやっていたので(副店長に昇進する前だった)、彼女ともそれ以来の知り合いである。
「ありがとうございます」
風亜が歯を見せて笑う。
飯福は部屋に入り、手を洗ってから、ボウルの中の生地をこね始める。グッグッと体重をかけ、丁寧に、力強く。これは米粉と片栗粉、塩と湯を混ぜたものだ。飯福も以前教えてもらって自作した事があるので、工程は完全に理解している。
まな板の上に打ち粉を振って、こね終えた生地を乗せると、麺棒でグリグリと伸ばしていく。
「こんなもん?」
「うん、良いですよ」
風亜が手で丸を作る。選手交代。麵切り包丁を持った秀一に場所を譲る。
この部屋は、ほぼほぼ麺を打つためだけの用途だ。手狭なので、飯福は外に出る。一言断ってから、店舗側のキッチンに入り、買ってきた牛モモ肉を適当なサイズに切っていく。紫タマネギは薄切りにして、水の入ったボウルへ投入。
寸胴鍋の中を覗き、おたまで軽くスープを掬った。味見。いい具合だ。水、ナンプラー、鶏ガラ、ガーリックを煮込んで作ってある。今朝、学級閉鎖の知らせを受けて大急ぎでこしらえたのだろう。
鍋を二つコンロにかけるとフォー麺を茹でにかかる。モヤシと牛肉も並行して塩茹でにする。
と、そこで。麺打ち部屋から風亜が飛び出してきて、店の玄関へ。
扉を開けると早速、少年三人組が来客。飯福が店の壁掛け時計を見上げると、11時ジャスト。開店時間だった。
先んじて作っていたのだが、これは間に合いそうにないか。
少年たちが席について、キッズ食堂のチケットを、壁に掛かったプラケースから三枚取り出す。これは予め地域の大人が先払いして購入する形で、子供たちがそれを取って使えるように置いてあるのだ。つまり見知らぬ大人からの奢りということになる。
メニューは牛肉フォー限定とさせてもらっている。秀一の甥を通じて、キッズ食堂の利用希望者にキチンと通達がいっている模様。子供たちは、どのメニューだとかそういう事は言わなかった。
(甥御さんのクラスが40人弱で、13人欠席とか言ってたか)
最大は27人弱、来店するということになるだろうか。まあ感染予防の名目なので、外出自粛する子供たちも少なからず居るだろうし、そもそも経済的、時間的に困っている家庭ばかりでもない。実際はその半分くらいでは、と六車夫妻も見積もっている。
キッチンタイマーが鳴る。麺をザルに上げた。器に寸胴からスープを注ぎ、湯切りした麺を乗せる。キッチントングで麺を整え、その上から塩茹での牛肉、先に上げておいたモヤシを乗せる。
「みんな、パクチーは?」
飯福がキッチンから顔を出し、子供たちに訊ねる。
「いらない」
「俺、いる」
「俺も。入れて」
了解と返した飯福。
「アリ2、ナシ1。ナシ1、先に出ます」
完成した料理を盆に乗せて、キッチンに戻ってきた風亜に手渡した。
「あい」
モチビトのような返事をして、運んでいく風亜。入れ替わりに秀一がキッチンに入ってくる。そこで、新たな来客。少女が一人。
「いらっしゃい。今日も?」
風亜が訊ねると、少女はコクンと頷いた。お願いします、と蚊の鳴くような声で続ける。先に入っていた少年三人とは別のテーブルについた。壁に掛かったケースからチケットを一枚取り、風亜に渡す。
すると……クスクスという笑い声が、飯福の耳に聞こえてくる。麺を茹でながら、肉を追加で切っている片手間、首だけ伸ばして客席の方を見る。先ほどの三人の少年たちが、新しく来た少女を見て笑っているらしかった。
「……
横で作業する(12時から押し寄せるだろう一般客の料理の仕込みだ)秀一がコッソリと飯福に教える。
「のどよわいのに出歩いてて、いいのかよ?」
「ウソなんじゃねえの?」
「ちがうって。家がビンボーだから、いのちがけで来てんだよ」
三人の下卑た声。話しぶりからして檸檬は気管支系の持病があるのだろう。子供は残酷、なんて言葉で片付けるにも、目に余った。少女は肩を縮こめ、隠れるようにしている。
カッとなった飯福は飛び出しかけた。だが直前で踏みとどまる。ここは自分の店でもないし、異世界でもない。あちらの世界なら、ハッキリ物を言う方が逆に良い結果をもたらしたりするのだが。こちらだと子供を怒鳴ったりすると、後々面倒が起こる。飯福個人なら別に構いやしないのだが、この店の従業員をやっている時にそれをしてしまうと……
(くそっ。だから店舗は嫌なんだ。しがらみが多すぎる)
と、そんなことを考えている時だった。風亜がカツカツと三人の方へ近づいて行って、
「帰りなさい」
ハッキリと告げた。
「「「え」」」
硬直する子供たち。まさか自分たちの下らない陰口に対して、大人が介入してくるとは思いもしなかったのだろう。
「あの貼り紙見える?」
指さした先。『他のお客様のご迷惑になるような行為をされた場合、退店をお願いすることがございます』と書かれた紙が壁に貼ってあった。フリガナも振られているので、漢字が読めないという言い訳は通じない。
「……きゃ、客を追い出して良いのかよ」
「そんなんしてたら、SNSに書かれて」
「そ、そうだよ。マズいんじゃないの?」
小賢しい、と飯福は更に眉間に皺を寄せた。だが、確かにキッズ食堂が、子供を追い出したなんて拡散されれば、大変なことになるのも事実。
ところが、それで大人しくなる風亜ではなかった。
「好きなだけ書けばいい。私たちだって店のSNSアカウントはある。反論はいくらでも出来るよ。それに……」
風亜は店の天井の隅を指した。防犯カメラが設置されている。
「あれにアンタらが女の子をバカにして笑ってる映像がバッチリ映ってるよ。変なこと書き込んでごらん? 炎上するのはアンタらの方だよ」
青ざめる子供たち。更に風亜は続ける。
「このチケットは苦しい環境の子供たちを助けたくて、優しい大人が買ってくれてる物だ。その人たちは、決して弱い子をイジメるようなガキに使って欲しくて買ってるんじゃないんだよ」
「「「……」」」
「親に言ってもいいよ。こっちには証拠もあるし、この場にいる全員が聞いてる」
見れば、一般の客たちも(早い昼休憩だろうか)戸口に立っていた。一様に険しい顔をしている。
「分かったら帰りな。親が共働きで居ないんだろうが……昼抜きで反省すると良い」
少年たちは、やおら立ち上がり、すごすごと帰って行った。いよいよ言葉の通じない相手ではなかったようだ。待ちの客たちから拍手が起こった。
「……すごいですね。風亜ちゃん」
「うん。情けないけど、俺、一瞬、保身を考えちゃって……」
それは飯福も同じこと。もちろん自分のことではなく、この店のことだが。
しかし男衆が役に立たない間に、スタッフ最年少の女性が大立ち回り。中々に立つ瀬がなく、二人は乾いた笑いを漏らした。
意外にも少女はパクチーもレモンも入ったフルセットを頼んだ。レモンは彼女の名前と同じなので好きなのだそう。パクチーについても喉がスッとする感じがあって好きなのだとか。風亜が飯福に教えてくれた。
「いっつも、アレで頼むんですよね」
「パクチーは大人でも好み別れるのにな」
或いは本当に喉の調子が良くなるのだろうか。それなら薬草の類だと、もっと……
飯福はつい、異世界で手に入れた
「……」
先程もリスクばかり考えて動けなかったのに。そういう気持ちもなくはないが、飯福にも生活が、人生がある。人生を棒に振るような危険を冒してまで、見ず知らずの少女のために踏み出すことは難しかった。
(千年麗人が効くとも限らないしな)
言い訳だ、と自分でも心のどこかで自覚しながら。
飯福は、結論としては何も言わず、頼まれた料理だけ作って出した。
檸檬はそれを食べ終わると、少年たちから庇ってくれた礼を言って、帰って行った。小さな背を見送った飯福は、罪悪感に胸をチクリと刺されたような心地だった。
………………
…………
……
怒涛のアイドルタイムを終え、飯福は店奥の麺打ち部屋の椅子に深々と腰掛けていた。口から魂が抜けているような、半開きっぷりだ。
久しぶりに飲食店の真髄を味わった。異世界屋台などという、ぬるま湯からの落差。
「結局、子供は八人だけだったね」
「あの追い返した三人を除けば五人」
夫婦が数を教えてくれる。ブランク開けの飯福はそこまで見ている余裕はなかった。
そろそろ魂を口から入れ直した飯福は、椅子に座り直す。
「……キッズ食堂、どうですか?」
「うん。まあ当面は続けてみようかなって思うよ。檸檬ちゃんのこと、知っちゃったからね……」
他にも家庭事情で来る子はいるが、彼女のように常連客と同じような頻度の子は居ないらしい。それも申し訳なさそうに来てチケットを使うものだから、もしかすると我慢して今の頻度なのかも知れない、と夫妻は睨んでいるそうだ。
「……」
ネグレクトとかされてるんじゃ、と紡ぎかけた言葉を飯福は飲み込んだ。どうせ干渉は出来ない。恐らく風亜でさえ、そこまでは踏み込めないのだろう。彼女も顔を伏せている。
「とにかく今日は助かったよ。ありがとう」
「ありがとうございました」
夫妻に頭を下げられ、飯福は顔の前で手を振った。「いえいえ」と。
「さっきも言ったけど、麺を欲しいだけ持って帰ってね」
「ありがとうございます。けど夜の分もあるでしょうから」
「大丈夫ですよ、また打ちますから」
風亜が力こぶを作ってみせる。飯福は軽く笑った。
結局、5玉ほど貰って、『定食ムグムグ』を後にした。
家に帰り、ナンプラーなどの調味料があることを確認。滅多に使わないので、賞味期限が切れてないかと危惧していたが、そちらも大丈夫だった。今日はもう体も覚えているし、異世界でもフォーを出すつもりだった。
レシピはムグムグ直伝。風亜は本場の味と違う日本風をどう思っているのかは分からないが、飯福としてはサッパリしていて好みである。
「そうだな……パクチーの代わりに、千年麗人を少し入れてみようか」
葉のまま貰ったヤツを刻んで乗せよう、と。匂いはパクチーより苦めだが、スープの味を壊すほど強くもない。薬膳料理。恐らくこれで、体に不調のある客が選ばれるだろう。
……飯福の中で、先程の佐山檸檬の小さな背中が脳裏に焼き付いていた。彼女にしてやれなかったことを、異世界の誰かにしてやることで、罪の意識から逃れようとしている、と言えばそれまでの話だった。
居間へ行ってクローゼットを開ける。げ、と声が出ていた。黒の国。それも工業都市だろう。以前も行ったことがあるが、空気が非常に悪いのだ。
流石にヒ素だとか、本格的にマズイ物質は、除毒のギフト持ちが定期的に大気を浄化しているので存在しないハズ。また奇病や感染病の話なども聞かないので、大丈夫だろう、と飯福も信じているが。前回、行って戻ってきた後には病院で健康診断がてら、診てもらったという経緯がある。もちろん異常ナシだった。
「……マスクをフル装備するか」
それでも万全を期しておこう、と飯福。屋台の設営中ならびに接客中も防塵と医療用を二重にして臨もうと考えている。
(ビビりすぎか、とも思うけど)
飯福は、先程の少年三人と、自分、風亜のことを思い出した。リスク、リスク、リスク。店名を『保身第一』か何かに変えた方が良いのでは、とも。異世界屋台・保身第一。あまり食欲はそそられない。
「……やめよう」
自虐を続けていても仕方ない。飯福は頭を切り替えた。
◇◆◇◆
リドリー・ドネルは目を覚ますといつも、倦怠感と頭痛、咳に悩まされる。侍女たちは彼女がコンコンと咳き込む音で、その起床を察知するくらいである。
両親も娘を大層不憫に思い、何人もの除毒ギフト持ちの医者に診せたが、快癒は未だ遠い。除毒に関しては、全員が口を揃えて「お嬢様の症状は毒によるものではありません」と言うので、最近は手を打ちあぐねている。
その日も、海外から名医が来ていると聞きつけ、わざわざ首都まで足を運んだのだが、処方された薬を飲んでも大した効果はなかった。数日続けろとは言われたものの、草の匂いが生々しく、帰路の馬車に揺られたリドリーは、えづいて戻してしまう有様。泣きながら、もう飲みたくはないと言われれば、娘に一等甘い両親は無理強いも出来ないのであった。
カコ、カコと
両親は、もしかすると娘が大人になるまで生きられないのではと悲観的な想念に囚われ。娘は娘で、良家と縁を結び、ドネル家に貢献したいという夢が、今のままではとても叶わないと俯いていた。
と、突然。
そんな真っ暗な彼らを、カッと明るく照らす光が差した。思わず全員、両手で顔を覆う。何事か、と父バインスが薄目で通りを見やると、
「木組み……か?」
逆光でよく見えないが、徐々に光が弱まってくるにつれ、その姿を捉えることが出来た。木の台に四本の棒が立ち、その上に三角屋根が乗っている。そこから吊るされている四枚の赤い布。更にその横に面妖な楕円の赤い物がぶら下がっている。
「と、止まれ!」
御者に鋭い声を発したバインス。その妻と娘は抱き合うようにして急停車の衝撃を和らげる。馬が止まると、御者は驚きに満ちた顔で振り返った。
「どうかなさいましたか!? 旦那様」
「どうかって、オマエ……」
御者は心底、停車の意図が分からない様子。
「あそこ、オマエには見えないのか? 光り輝く木組みが」
「ひ、光り輝く木組み……でございますか?」
とぼけている風でもない。むしろ口にこそ出さないが、自分の主が乱心したのではないかと疑っている空気さえあった。
バインスは振り返る。妻と娘の方は、彼と同じものが見えているようで、前方を指さしている。そこで娘、リズリーがハッとした表情をする。
「お父様! 恐らく、マレビト様のギフトです!」
「え」
「小新聞で読んだのですわ。最近……エヴァード・ウィザローの印刷所で刷られた」
「……あそこのは、小説なる
記事が三つほどあり、その裏にエヴァード自身が書いたという小説なる物語が載っている。あのような物に耽って勉学を疎かにされては敵わない、とバインスは購入を禁止していたのだが。妻のリンジェがそっと目を逸らす。なるほど、甘やかしたか、と察する家長。
「い、今はそれよりも……小新聞で取り上げられていた、黒髪黒目のマレビト様が、選ばれた者にしか見えない屋台なる移動式の飲食店をなさっている、という記事の話ですわ」
「なんと、まあ。博識な子なのでしょう! ねえ、アナタ?」
後ろめたさから妻リンジェは殊更に明るい調子でリドリーに便乗する。
「……それも、エヴァード・ウィザローの作り話やも知れんぞ?」
「そんな!」
「新聞を作る者が、一緒に空想話など載せているから悪いのだ。疑われて然るべきだろう」
「ですがお父様。実際に今この目で見たではないですか」
「それは……」
だが本当にマレビトのギフトかどうかは分からない。エヴァードのホラと、たまたま似通ったギフトを持っている者かも知れない、と。
しかしながら、輝く屋台、選ばれた者にしか見えないという記述と現状が完全に合致しているのも事実。少なくともリドリーの方は確信しているようだった。
「ねえ、行ってみましょうよ? アナタ」
「ほ、本気か?」
「お父様、ワタクシも確かめてみたいですわ」
女二人に言われると、家長とはいえ反論の言葉に詰まってしまう。
「もし……お父様が怖いのでしたら、ワタクシとお母様だけで行ってみますわ」
それが決め手だった。こんな程度で臆したなどと疑われては家長の名折れである。先頭に立って、馬車を下りる。道端に馬車を止めなおして待っておけ、と御者に命令を下すと、颯爽と歩き出した。母娘は顔を見合わせ、ニッと笑って、その後を追った。
………………
…………
……
「いらっしゃい。今日は家族連れか。大量提供のクセが抜けてなかったのかね」
屋台の中には人がいた。店主、ということになるのだろうが。
「……アナタは、マレビト様でしょうか?」
バインスが恐る恐るといった風に訊ねる。黒髪黒目、確かにリドリーが新聞で読んだ通りの特徴だが、口元から鼻にかけて珍妙な布を貼り付けている。どこかの民族衣装か何かだろうか。
「マレビト……まあ、確かに異世界から来てる人間だが」
「やっぱり! エヴァード・ウィザローの記述の通りですわ! マレビト様は、ゼンザイなる食べ物をお作りになられたとか?」
リドリーがキラキラの瞳で、店主を見上げる。
「……ああ、夫婦で来た彼か。しまったな。新聞記者か何かだったのか」
店主は困惑気味に後ろ頭を掻いた。
「こちらは、本当に屋台なる物ですの?」
妻リンジェが物珍しそうに、木組みや横に吊るされている不思議な赤い楕円を見やる。
「ああ。異世界屋台・一期一会だ。今日のメニューは牛肉と薬草のフォーだよ」
「牛肉!? 干し肉ですの?」
意外と肉も好きな娘リドリーが食いつく。ちなみに。土地柄、北側で獲れるウサギなどが肉食メニューの主役だ。牛はこの寒冷気候では飼育に適さない。海外からの輸入品も、日持ちするよう、乾燥状態にされている物しか入ってこないのだ。
「いや。柔らかい肉だぞ。国産黒毛和牛だ」
「コックさん苦労? よく分かりませんが、扱いが難しい分、きっと美味しいのでしょうね!」
クリクリ動く青い目が、店主を捉えて離さない。
「リドリー、あまり興奮しないで」
母が注意するも、一足遅かったらしく、
「げほっ、ごほっ」
リドリーは咳き込んでしまう。
「マレビト様。先ほど、薬草とも仰っていましたね?」
バインスが訊ねる。店主は頷いた。すると、問わず語りに。
「ウチの娘は、生まれつき喉が悪いのです」
「方々、手は尽くしたのですが……」
「医者たちは、毒の作用ではなく、病ではないかと言っていて」
「マレビト様の薬草……それは喉の病にも効くのですか?」
両親が口々に言い募る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はただの料理人だ。薬草はたまたま手に入れた物でな。絶対に効くなんて保証は到底できかねる」
店主は諸手を挙げる。
「しかし……もう我々が縋れるのは……」
「わ、分かったから。取り敢えず作ってみるよ。ただし、効かなくても文句はナシで頼むよ?」
それだけ言うと、店主は逃げるように背を向けた。三人が訝しむ間もなく、ピョンと飛び込むと、何もない空間が突如発光。うわ、と手庇を作る下で、目を細めて見やるバインス。その目の前で、店主の男は光の中へと姿を消したのだった。妻と娘も見たのだろう。驚愕に息を飲む気配があった。
と、すぐに店主が戻ってくる。ガラスで出来た(恐ろしく均一の)グラスに水を入れた物を持って帰ってきたのだ。
「す、凄いですわ。こんなキレイなグラス……白の国の工房の作ですか?」
妻リンジェが訊ねるが、店主は曖昧に笑って答えなかった。代わりに、
「次は料理を持ってくるから、座って待っていてくれ」
とだけ言い残し、また光の中へ消えていった。三人は顔を見合せ、恐る恐る、屋台の提供台の前に並んだ椅子に座ってみる。
「まあ!」
「これは!」
「柔らかいですわ!」
こんな椅子は初めてだった。小さな布団のような布が、不可思議な弾力を持っていた。
「これ、売っていただけないかしら」
リンジェの言葉に、二人もコクコクと頷く。続いて、水の方も味わってみる。仲良く三人でグラスを傾けると、
「ん、これは」
冷たい。川から汲んできたのだろうか。だが、その割には雑味や臭さが全くない。こんな水も初めてである。
「もう、疑いようもないな。あの方は間違いなくマレビト様だ」
「最初から言っているじゃありませんか」
「疑っていたのは、アナタだけです」
妻と娘に言われて、またも言葉に詰まるバインス。何か話題を逸らそうとした、その時。またも長方形の空間が輝き始め、マレビトが再降臨するのだと三人は察した。
案の定、数瞬と待たず店主が戻って来た。
「おまち。全員分、一度に作ってたから時間がかかってしまったよ」
トレーを器用に三つ持ち、順々に親子の前に置いていく。リドリーは、すぐさま器の中身に目を奪われた。
「キレイ……」
透き通るようなスープ(だが決して薄味ゆえではなさそうだ)、純白の細長い食べ物、紫の野菜、白と黄の二色の野菜、薄茶色の肉。そしてそれらの具の上に、瑞々しい緑の葉が散らされている。
「なんて彩り豊かなのかしら。絵画のようじゃない。ねえ、アナタ?」
「ああ、すごいな。こんなに色とりどりの食材をどうやって腐らせずに……」
考察に入りかけた家長だが、本懐を思い出し、スープの上に散る緑の葉をしげしげと眺める。他の食材は後回しである。
「こちらが薬草……」
「緑の国の奥地で採れる幻の薬草だ。効いてくれると良いな」
そう言って、店主は優しげに目を細める。
「そういや、黒の国の人達だが、箸は使えるのか?」
「ええ。社交界では他国の料理も頂きますから」
少し誇らしげにリドリーが返す。
「そっか。じゃあ是非、異世界の料理も召し上がってくれ」
その言葉を皮切りに、三人が箸を持つ。これも表面が非常に滑らかで凄まじい品質だが、今は置いておく。
そしていざ実食。まずは幅広のスプーンで、スープを一口掬い、音を立てないよう啜った三人。
「「「んん!?!?」」」
塩味をベースに、なにか濃厚な魚のエキスを感じさせる味わい。油もほとんど浮いていないのに、舌にいつまでも残るような。今まで食べた事のない味に、思考が固まる。
リドリーは続いて大好きな肉、柔らかコック苦労牛もスープに相席させ、口に運んだ。
(!? こ、これ! 柔らかいですわ! 噛めば肉のお汁が溢れ出してきて、スープの味と混ざり合う! 美味しい! 美味しいですわ!!)
無言になってしまった娘を見て、両親も同じセットで食べてみる。
「なっ!?」
「これ!?」
二人も無言になってしまった。目をつぶりながら咀嚼し、飲み込むと。
「なんと柔らかい肉なのだ」
「噛むと、とろけるよう。それでいて脂っこくもない」
恍惚とした表情で、夢見るように感想を言った。
「こ、この白くて長い物は何ですの!? マレビト様」
リドリーが息せき切って訊ねる。
「麺だな。スパゲッティとか食べた事あるか?」
「あ、あれと同じ物ですの? い、色が違いますわ」
「あー。アレは小麦、こっちは米粉、ライスで作ってあるから厳密には違うんだが……区分としては麺料理になるんだ」
「???」
「まあ、食べてごらん。薬草も一緒に」
言われるまま、リドリーは麺を数束、スプーンの上に乗せた。更にその上に白と黄の野菜(モヤシというものだと教えられた)、薬草も追加して……目をギュッとつぶりながら口に運んだ。数時間前に吐いてしまった薬と同じような味だったらと思うと、どうしても直視できないようだった。だが、
「ん~~!」
美味かった。シャキシャキとしたモヤシの食感と、単体では殆ど味がしないゆえに、薬草の苦みやハーブ臭も少し和らげてくれる麺。スープとの兼ね合いも絶妙で、これなら全部服薬できそうである。
「美味しいのかい?」
「ふぁい!」
口に物を入れたまま喋るなどお行儀が悪い、と注意することも忘れ。両親もまた娘に倣うようにして麺とモヤシ、薬草を乗せたスプーンを口に運んだ。
「うん! うん!」
「おいひいですわ」
妻リンジェまで無作法をしてしまっていた。
そこからはもう、一心不乱といった様相。家族全員、黙々と平らげていき、やがてスープの一滴まで飲み干してしまった。行儀など馬車に置き忘れてきてしまったかのように、鉢を両手で持ってグイッと。
「ふあ~。美味しかった。この世の食べ物とは思えない」
「きっと、そうです。あの光の奥は神々の住まう世界なのでは?」
店主は苦笑して、首を横に振った。
「そうなのですか……あの食の細いリドリーでさえ、全部ぺろりと食べてしまうのだから、てっきり……」
バインスがそこまで言葉を紡いで、ハッとする。娘が小食なのは、食べ過ぎると咳き込むから、というのが大きい。つまり、こんな量を食べてしまっては……
「な、なんともないのか? リドリー」
キョトンとしている。そう言えば、と自分の喉を触り、胸の辺りを触り。
「信じられないくらい快調です。お歌も歌えそうですわ。らららら~♪」
本当に歌えてしまった。
「アナタ! ワタクシも。膝が痛くないのです!」
毎年この時期になると痛みだすリンジェの膝も、ポカポカと温かな春の日差しにでも包まれたようで。
そこでバインスも気付く。靴の中、慢性的な靴擦れがもたらす痛みが緩和されていることに。どうしても貴族の装いとして、硬い皮で出来た靴を履かざるを得ない以上、一生つきまとうと思われていた痛みが。
「信じられない……」
「神の御業ですわ」
「マレビト様……」
親子が口々に店主を讃えるが、当の本人は逆に全員の体の不調を肩代わりでもしたかのように、目をきつく閉じて何かに耐えていた。
「や、やめてくれ……そんなんじゃない。この薬草は貰い物だし、今日この料理にしようと思ったのも、偶然で」
「まあ! 偶然のメニューにワタクシたちをお選び下さったというのは、これはもう……」
「天の配剤だろうな」
「はい! なんと運が良いのでしょう、ワタクシたちは」
うっとりとした家族。
「ダメだこりゃ」
店主が小声で何か言ったが、それすら聞こえていない様子だった。
「……お勘定、いいかい?」
「あ! 仰せのままに」
そう言って、バインスは皮の財布を取り出し、金貨をジャラッと提供台に置いた。
「そんなに要らないよ。料理だけなら銀貨三枚程度だ。薬草分はこっちの気持ちの問題でサービスに……」
「とんでもございません! 是非! 是非! お納めください! 娘の喉がこれほど良かったことなど、生まれて初めてのことです。それだけに留まらず、我々の不調まで治していただいて! 銀貨三枚などでは……家の恥でございます!」
熱量に押された店主は、半ば仰け反るようにして頷いた。
「……だったら。薬草はあと少しあるから、それも持って行ってくれ。それで釣り合いを……」
「更にあの神秘の薬草を頂けると!?」
「あ、アナタ! 小切手を!」
「ああ、そうだった! その手があった! 財布の中身だけでは足りないと思っていたところなんだ!」
夫婦の興奮はとどまることを知らない。
「いや、あと一食の付け合わせ分くらいしか残ってないから……そんな小切手まで」
店主の言葉は耳に届かず。
バインスは懐から上等な紙を取り出す。銀行の印が入っているそれに、金貨200枚と書きなぐる。
「こちらで、どうか!」
「日本円で1000万円……いや、落ち着いてくれ」
「足りませんか!?」
「いや、そうじゃなくて」
「では是非! 娘にもう一度食べさせてやれれば、きっと全快するのではないかと、そう思うのです!」
「……あ、ああ。わ、分かった。分かったから」
店主は気圧され頷いていた。商談成立だ。彼はフラフラと、また光の中に消え、戻ってきたその手には、先程の薬草の三分の一程度が握られていた。
「ありがとうございます!」
「ああ、マレビト様!」
「お恵みに感謝いたしますわ!」
そのまま店主は切なげな瞳で、薬草をバインスに渡した。
「……それと。今日のことは、くれぐれも他言無用でお願いしたい。俺のことも、俺の屋台のことも、その薬草のことも」
「ど、どうしてですか?」
バインスは解せないと食い下がった。神話のような出来事、広く話してマレビトの偉大さを知らしめなくては、とさえ思っていたのだから。
「アナタ……きっと神の御業はみだりに話してはいけないのでしょう」
「卑しき者たちが、この屋台に殺到するようなことがあっては……」
「ああ、そうか。私の考えが足りなかったな。マレビト様、ご無礼を致しました」
「いや。うん。もうそれでいいや。そういう事だから他言は無用で」
「「「はい!」」」
最後に家族は頭が地面に着くのではないかというほど、深々と下げて、屋台を後にした。
三人が馬車に戻ると、大あくびをしていた御者が大慌てで口を塞ぐ。ドネル家はそこまで作法に厳しくはないが、往来で従者がダラけていると、家の名にも響く。これは流石に落雷かと覚悟したような表情をするが、
「出してくれ」
「え、あ、はい!」
「いつもご苦労だな。少し今日の手当ても増やしておこう」
「え!? えっと、あ、ありがとうございます!」
雇い主は異様なほど上機嫌らしかった。
◇◆◇◆
一方、屋台の前に立つ飯福は、小切手を握って固まっていた。
「どうすんだよ、これ」
罪悪感から逃れるように、異世界でも慈善的な仕事をして、胸のモヤモヤを取り除こうとしたというのに。まさかの金儲け、しかも1000万円である。
いたいけなモチビト族の英知をカネに換えたような罪悪感まで付加されてしまった。
「取り敢えず……銀行ってまだやってるかな」
街へ出て、人に訊ねながら銀行に赴くと、コソコソと換金をお願いする。彼の風体から怪しまれることもあったが、なんとか無事にミッションコンプリート。どうもバインスは銀行に筆跡も登録していたようで、小切手は間違いなく彼の直筆と認められたのが大きかった。
逃げるように銀行を後にし、日本に帰った。ふう、と人心地つく。そこでハタと気付いた。銀行で怪しまれた時に外したマスク、それをズボンのポケットに入れっぱなしだったのだ。当然、大気汚染にビビり散らかしていた市街を疾走する間はノーマスク。
「リスクはどうしたよ、リスクは」
自嘲を禁じ得ない。
「……今朝の段階では、キッズ食堂で徳を積もうと思ってたのになあ」
高く積まれたのは金貨と、自身の不徳ばかり。
なんとも空回った一日の終わり。飯福は胸のモヤモヤを、安酒と一緒に喉奥へ流し込むのだった。
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