9:数の子スパゲッティ(黄の国・第16の都市)

 ああ、そんな時期か、と。異世界屋台『一期一会』あるいは『ボヤージュ』の店主、飯福航いいふくわたるは心の中で呟いた。

 善哉ぜんざいを提供し終え、フラッと訪れた全国展開のスーパーマーケットの鮮魚コーナー。その一角に「数の子」の札を見たのだ。


 12月も半ばに差し掛かろうという頃。確かに旬である。

 どうしたものか、と飯福は考える。好きか嫌いかで言えば好きな部類だ。というより、飯福に嫌いな食べ物はほとんどない。


(けどなあ……量がなあ)


 大抵は何腹も入った大ケース販売となるだろう。おせち用に買う客などは、ハナから親戚一同での消費が前提である。独り身の飯福だが、親兄妹との関係は良好なので、そういう方法も選べないでもないが。


「うーん」


 屋台で数人分出せれば、それが一番なのだが、結構な量を作って備えても一人しか選ばなかったというケースもある。数日前、焼き鳥を三人前用意して三人選ばれたが、あれは中々に運が良かったのではないかと飯福は考察している。とかく気まぐれというか。こちらの事情を一顧だにしないところがあるというか。


(まあ最悪は、俺がチビチビ酒のアテで食うか)


 プリン体が気になるお年頃なので、なるだけ避けたいが。

 ……結局、飯福は誘惑に負け、2980円の物を一パック購入した。

 

 家に帰ると、数の子を塩水に浸けて塩抜き。塩を抜くのに塩水を使うというのは変な話だが。これは呼び塩と呼ばれる手法で、浸透圧を利用してムラなく塩を抜けるため、塩辛い食べ物を扱う時に重宝する。

 三時間おいて、水を交換。また三時間後に交換。日付が変わった後も、ダラダラ過ごして就寝。


 翌朝、つまり本日、冷蔵庫から取り出し、一腹、小さく千切って食べてみると、ちょうど良い具合に塩が抜けていた。


「……そうだな、バター醤油のスパゲティにしようかな」


 恐らくは、魚卵とも馴染みのある青の国あたりが選ばれたのでは、と。飯福はクローゼットをカンニングした。

 だが、点在する緑と、薄い黄色の砂がどこまでも広がる光景に、意表を突かれた。


「黄の国か……本当、読めないな」


 このクローゼットは、もしかすると自分のことが嫌いなのではないか。飯福は冗談半分、本気半分にそう思う。


「まあ、どこの国の誰相手だろうが、関係ないんだけどな」


 選ばれた相手に選ばれた料理を提供する。飯福の仕事はそれだけである。

 着替えを済ませ、屋台の準備を始めた。


 ……だが。ここで想定外の事態が起こった。

 12月の日本から、気温40°近い砂漠気候へ瞬時に移った飯福の体が、悲鳴を上げたのだ。すぐ傍にクローゼットがあり、いつでも戻って水分補給できるという慢心。慣れない砂地での設営による想定以上の体力の消費。バランスが悪く安定しない屋台。四苦八苦するうち、飯福は多量の汗をかいており。


「ふう、よう、やく……おわっ!?」


 やっとのことで設営を終えて、立ち上がろうとしたのだが。フラッと体が揺れ、視界にも異常をきたす。地べたに逆戻りして、へたりこむ。砂に着いた尻が焼けるように熱く、今更になって砂漠の恐ろしさを実感した。


(これ……やば)


 目の前がクラクラする。滴る汗が冷たいような気がして、手で拭おうとしたが、上手く動かない。マズい、と脳が警鐘を鳴らす。屋台の周辺にいる間は、飯福自身、(客以外の)誰にも認識されないハズだ。死の一文字が彼の脳裏をよぎる。

 と、その時。


「ちょっと、アンタ、大丈夫かい!?」


 いつの間にか傍に女性が立っていた。砂に消されて足音が聞こえなかったのか、飯福自身に周囲に気を配る余裕がないからか、全く気付けなかった。とにかく自分が見えている人間に会えて、飯福は安堵した。最悪でも医者に担ぎ込んでもらえるのでは、と。


「脱水だね、たぶん。ウチ、近いから来な。立てるかい?」


 気風の良い女性。褐色の肌に、クリームイエローのワンピースが似合っていた。細身に見えるが、飯福を引っ張り起こした時の腕力は中々だった。


「すまん……たす……かる」


 フラフラと歩くが、二、三、たたらを踏んだ。女性は自身の腰から下げた巾着を開き、


「ほれ。青のマナタイトだ。塩もな。水だけ飲むと、余計悪くするんだよ」


 水中毒の話だろう。科学的な原理は知らずとも、砂漠の民の経験則からくる知識か。


「ミストルア様、恵みをお与えください」

 

 塩と水を得て、飯福は体がスッと軽くなるのを自覚した。生き返った。大袈裟ではなく、そんな風に感じる。

 歩き出す。多少はマシになった様子だが、女性が隣からそっと肩を貸した。飯福は礼を言って、世話になることにした。


 ………………

 …………

 ……


 女性(チェレン・ローエックと自己紹介された)の家は、歩いて10分ほどの場所にあった。砂地を抜けるとすぐに緑が繁茂する地帯に入った。オアシスだ。飯福が屋台を建てようとしていたのは、そのオアシス都市の外周だったようだ。


(ならオアシスの中に繋いでくれよ。イジメか)


 内心でクローゼットに悪態をつける程度には体も回復してきていた。オアシスの内側は少し涼しい。緑の匂いも彼をリラックスさせる。


「ほら、あれがウチだよ。もう少しだから頑張りな」


 丸くて横に広い、石造りの家。その横には布のテントも張られている。どちらが彼女の家だろうか、と飯福が怪訝な顔をすると、チェレンはフフッと笑った。


「布のテントの方が昼間の家。夜の家が石の方さ」


「……寒暖差か」


「そう。昼間のうちは木陰の下にテントを出して過ごす。夜になる前に片付けて、石の方に入る。ここいらは、みんなそうして暮らしてるのさ」


 言いながら、テントの中へ飯福を案内するチェレン。屈んで入り口をくぐる。するとすぐに、小さな子供が二人、出迎えに走ってきた。だがそこで飯福を見て固まる。警戒と興味。四つの瞳が揺れ動く。


「ジルコ、マリアン。病人だ。寝床を用意してやってくれ」


「「びょうにん!?」」


 男の子と女の子(歳はどちらも10に満たないか)が驚きながらオウム返しする。そしてすぐに意味を理解すると、麻の敷布団を引っ張ってきて、テントの床に敷いた。少し硬そうな枕もセットして、母と客人を見る。


「ありがと。さ。ワタル、横になりな」


「ああ、すまない。子供たちもありがとう」


 飯福は寝床の上に横たわる。人心地ついた。

 と、チェレンが彼の額に手を当てる。すると、


「つめた!?」


「はは、驚いたかい?」


 チェレンは悪戯っぽく笑う。


「「母ちゃんのギフト!」」


 子供たちが種明かし。

 チェレンが説明を引き継いだ。いわく、『氷手ひょうしゅ』という、掌を氷のごとく冷たくすることが出来るギフトらしい。霜焼けなども起こさず、ただただ手の表面温度が氷点下に下がるということ。


「改めて、ギフトって不思議だな」


 少しずつ良くなってきている飯福が、しみじみと言う。


「それはこっちのセリフだよ。アンタこそ凄いギフトじゃないか。あの妙な木組みを何もない空間から取り出してただろう?」


「え? そこから見てたのか」


「そうだよ。というか、さっきテントを出た時に見慣れない人間が木を組んでるのを見付けて、面白そうだから行ってみたら……急にフラフラするもんだから、慌てて駆け寄ったのさ」


 飯福は驚きに言葉を失う。


(いくら砂漠に遮蔽物がないからといって、あれだけ離れた場所だぞ。肉眼で、俺の人相や何をしているかまで分かるなんて)


 それこそギフトじゃないかと思ったが、それを聞いた子供たちが平然としているところを見ると、砂漠の民のデフォルト視力のようだ。


「ちなみにアンタのあれは何ていうギフトなんだい?」


「そうだな……異世界屋台、と自分では呼んでるが」


 飯福は思案顔のまま答えるが、実際、彼自身もあの現象の正式な名前を知らないのだった。

 だがそれを聞いて、チェレンの顔色が明らかに変わる。


「アンタ……じゃなかった。アンタ様は、もしかしてマレビト様でいやがるのですかい?」


 敬語など、もしかすると生まれて初めて使おうとしたのだろうか。不思議な仕上がりになっている。


「いや。まあもう神気もないし、異世界から来た一般人だよ」


「いやいや。異世界から来てる時点で、一般人ではないよ! ですよ!」


 まあ確かに、と飯福は苦笑する。


「す、すごい! イセカイのおじちゃん?」


「マレビトさま!」


 子供たちも興奮気味。

 ああ、そういえば、と飯福。各国の過酷な環境に住む人々は、一等信仰心が強いとヨミテに聞いたことがあった。この砂漠の街では、恐らく青のマナタイトは、まさに神の恵み。生活に直結する分、感謝と崇拝は必然的に強くなる。そういうことだろう。


「いや、よしてくれ。本当にただ珍しいギフトを授かっているだけの一般人なんだよ」


 飯福は体を起こす。頭がクラクラする感覚は消えていた。


「でも」


「じゃあ、おじちゃんはおしごとは? カミサマのおせわするおしごとじゃないの?」


「違う違う。料理人だよ。屋台っていう組み立て式の店を使って、お客に料理を出して、お金をもらう仕事」


 その卑近さに、ようやくチェレンも肩の力を抜いた。元マレビトということで、下に置かない扱いはするが、神聖視まではしないというところで落ち着いたのだろうか。

 まあ元々、飯福からすると、かなり手厚く世話をしてもらっているという所感だが。


(ていうか、今更気付いたけど。あの時、普通に水と塩だけもらって、日本側に放り込んでもらえば早かった話かも)


 判断能力も完全にマヒしていた。まあ今更、そんな失礼なことは言えないが。


 もう一度水を貰い、塩を軽く舐め、深呼吸する。立ち上がってみる。遊牧民のゲルを思わせるが、そこまで高さがなく、身長175センチある飯福は軽く屈まないと天井に頭をぶつけそうだった。


 外に出る。すると、石造りの家屋の方でも物音がした。誰かいるのだろうか。飯福が怪訝な顔をしていると、後ろからチェレンが、


「従業員だよ」


 と一言。敬語モドキはやめることにしたらしい。飯福としても、そちらの方が落ち着くので何も言わなかった。

 やがて家屋から人が出てくる。チェレンに負けず劣らず細身の男性だった。飯福を見てビックリしている。


「ご苦労様。この人は、砂漠で倒れかけていた元マレビト様だ」


「え!?」


 従業員は固まってしまう。だが次の瞬間には跪いて、飯福を崇め始めた。


(またか)


 先程と同じ説明を繰り返し、彼が立ち上がったのはそれから五分以上経ってからの事だった。






 チェレンはこのオアシスでヤゴの養殖事業をしているらしい。

 砂漠の中にポツンと湧き出した地下水の溜まり。湖のようなそこを囲うように僅かな緑が生えており、その緑の間を縫うように家々が建てられて街となっている、この第16都市。そのオアシスの恩恵に与りながら生きる彼らの主な産業はナツメヤシ・綿花の栽培と、彼女の手掛けるそのヤゴ養殖業となる。


 ナツメヤシの方はほとんど街の人々の食用で消えてしまっているため、外貨の稼ぎ手は綿とヤゴとなる。ヤゴも勿論、食用なのだが、この街では油や香辛料がそれほど簡単に手に入らない。国の東、緑の国との境側に大きな都市は集中しているのだが、そちらへの出荷用である。肉厚で柔らかいので、高級食材としてありがたがられている。


「なるほどなあ……外貨は調味料や野菜の購入費用か。あとは青のマナタイトも」


 それらは基本的には砂漠気候では手に入らないため、街の外から買う以外にない。正直、食の確保だけで手一杯という印象を、飯福は受ける。まあそんな地域は、この世界では多いが。

 

「気球船が飛んでくれるから、ここらはまだマシさ。もう少し西に行くと……こんなこと言うのもなんだけど、よく生きてるなって村もいくつかある」


 チェレンにいざなわれ、石造りの家の方へ入った飯福。先程の子供たちが外で元気に遊び回る声をBGMに、街の事情をあらかた聞き終えた。


「それで新鮮な食材が届くと、すぐに砂中庫さちゅうこに入れて保管するのさ」


 チェレンが石で出来た床の蓋を外すと、床下収納になっていた。ただ砂地を掘った穴に木板を嵌め込んで作られた空間のようで、その板の隙間から少し砂が入り込んできている。だが、それでもかなりヒンヤリした空気が満ちていた。

 確かに床下収納は気温が低くなるが、それにしても砂漠気候でこうも涼しいのか、と飯福が訝っていると。ふふんと得意げな笑みで、


「これさ」


 チェレンが収納に手を突っ込み、取り出したのは……


「こ、氷!?」


 よもや、よもやの物質だった。だが確かに氷だ。透明で表面はキラキラと光っている。形は独特だが。


「あ、そうか氷手ひょうしゅだっけ。水を手で掬って凍らせたのか?」


「ご名答。これがアタシのギフトの有効活用法さ」


 そっと氷を床下に戻す。そしてその代わりに何か別の物を取り出した。掌に乗せて差し出してくる。同じく氷のようだが、中におびただしい数の赤い線状の虫が入っていた。


「アカムシの冷凍か?」


「ん? グンミミズだが……アンタの世界ではそう呼ぶのかい?」


 別の名前で聞こえるということは、もしかすると、アカムシに似た別種なのかも知れない。ただミミズの部分は共通しているので、どうなのだろうと飯福も推理に窮する。まあ、生物学者でもないので、どうでもいいと言えばそれまでだが。


「まあとにかく、こいつらをヤゴに与えるのさ」


「へえ。しかしそのグンミミズとやらは黄の国で捕れるのかい?」


「うん。東側ではね。でも緑の国の方が多いかな。青の国にもいると聞いたこともあるけど」


「それも買ってるのか?」


「いや。減ってきたら定期的に捕りに行くのさ」


「ああ、なるほど」


 つまり勝手に捕っても怒られないということか。元手はタダで、養殖に使えるのだから、かなり利益率は高そうだ。


「じゃあチェレンも乗れるような、人用の気球船も来てるのか」


「ああ、そうだよ。そして、その運賃以外は、ほぼ費用がかからないのさ。中々良い商売だろう?」


「アンタがグンミミズを捕りに行ってる間、あの二人の子供たちは? 旦那さんが?」


 そこで少し答えに詰まったチェレン。飯福は不用意に踏み込んでしまったか、と反省する。


「あの子たちは、アタシの本当の子じゃないんだ。いわゆる、捨て子みたいな子たちでね。こんな街……いや、昔はもっと小さくて村って規模だったんだけど、やっぱ住みにくいし、出ていくヤツも多くてね」


 なんとなく事情を把握した飯福。決して富んでいるとは思えないここから都会へ羽ばたくのに、小さな子供は(酷い話ではあるが)枷でしかない。


「置いてかれたのか」


「ああ……まだ二人とも赤ん坊の頃だったな。まさか、アイツらが、あんな酷い事するなんてなあ……信じられなかった」


「知り合いの子なのか?」


「幼馴染だった夫婦の子たちだ。兄貴がジルコ、八歳。妹がマリアン、七歳」


 チェレンは25と言っていたので、18で幼馴染たちの子を引き取る決断をしたということになる。


(強いなあ)


 前時代的な、この世界でしか持ち得ない強さというものを、飯福は感じている。チェレンの四つも年上の彼は、この歳になっても子供を育てる自信など持てない。環境がそれを許してきたし、逆にチェレンは許されなかった。そういう一言で片付けるには憚られる差だった。


「……いつかね。あの子たちにも話そうと思うんだけど」


「……そう、か」


 何も気の利いたことは言えない。また軽々しく言うべきでもないと飯福は思う。


「あはははは! マリアン! こっちだよー!」


「まってよ~、おにいちゃ~ん」


 外をはしゃぎ回る二人の声が、先程よりどこか尊いものに聞こえてしまうのは、感傷が過ぎるだろうか、と飯福は自嘲する。


「……オアシス、行ってみるかい? ヤゴの養殖も見せてあげるよ」


 話を変える意味もあったのかも知れないが、チェレンはそんな提案をしてくる。飯福も興味があったので二つ返事でお願いした。


 家を出て、また10分ほど歩く。東側にはナツメヤシの木々が茂っている。この街の基幹産業の内の一つだ。デーツは黒糖の塊のような食感、味をしているが、栄養価が非常に高く、割と腹持ちも良い。こういう貧しい地域では重宝するだろう。


「もう食べ飽きたけどね。肉や野菜も、もっと買えたら良いんだけど」


 都市部の住人でも高級食材ゆえ中々手が出ないというのに、輸送費もかかってくるから、こちらでは本当に稀にしか食べられないそうだ。

 チェレンは一つ溜息をついて、ナツメヤシの栽培地から目を逸らした。と、そこはもう既にオアシスだった。到着だ。


「ほら、あそこ。木の囲いを作ってあるだろう? あそこで養殖してる」


 彼女が指さす先。一メートルほどの高さの板を四枚立てて、水辺を間仕切っている箇所があった。

 チェレンの先導に従って、飯福も近づいてみる。囲いの中を覗き込むと、澄んだ水と、泥と砂の中間のような粘度を感じさせる底。そして、水の中を泳ぐ黄金色の虫。大きさはヤゴというより、タイコウチくらいはありそうだ。ただふっくらと腹が膨れていて、コオロギにも似ていた。


「珍しいヤゴだな。というか、本当にトンボになるのか、これ」


 絶対に自分の世界にはいない種だ、と飯福は確信している。果たして、


「ゴルグフラっていうトンボになるよ。ほら、あそこ」


 今度は顔を上げて、空を指さしたチェレン。小鳥くらいのサイズはありそうな、巨大なトンボが空を泳いでいた。くすんだ緑に黒の蛇腹模様。幼虫は美しい色をしているのに、成虫が汚いのは昆虫あるあるだな、と飯福は苦笑する。


「……気になったんだけど、素直に魚の養殖とかは無理なのか?」


 そんな質問をすると、チェレンは苦い顔をする。


「ここらの淡水魚はマズくて食えたモンじゃないよ。クサいし苦い」


「な、なるほど。魚卵とかも食えないのか?」


「え? 魚の卵って食えるのかい?」


「……俺のいる世界では食うな」


「へえ。興味あるな。トンボの卵も時々、食ったら美味いのかなとか思ってたからねえ」


 やはり。屋台が見えた時点でそうだろうとはアタリをつけていたが、本日の客はこのチェレンなのだろうなと飯福は推知する。


「後で食いにくると良い。ちょうど今日は魚卵料理の屋台をやろうと思ってたんだ」


「本当かい!? 偶然ってあるもんだね」


 実際は、その料理を望んでいる人間を客に選んでクローゼットが繋ぐのだから、必然なのだが。


 チェレンはしゃがんで、掌を開いた。あのグンミミズを凍らせた物を持ってきていたらしい。氷が溶けて赤い小さな線がウジャウジャと動いている。氷手を使わなければ掌は人並の体温ということらしい。ここへ来るまでずっと握っていれば、人肌解凍の完成という寸法か。


「ほら、いっぱい食って美味い肉になってくれよ」


 掌のグンミミズの大群を水の中に落とす。ヤゴの方もウジャウジャと集まってきて、我先にとエサを捕まえていく。こうしてブクブクと太らせるのだろう。


「…………こっちの都合で育てるってのも、なんか酷い話かも知れないけどね」


 小さな呟きだったが、飯福には聞こえてしまった。今度こそ踏み込みすぎないよう、そっと話題を変える。


「ちなみに、そのヤゴは美味いのか?」


「肉厚でプリプリだよ。アタシはあまり食べ物を知らないから、例えることが出来ないのがもどかしいが、まあとにかく美味い」


 なんとなく海老の食感を想像するが。甲殻のような表面は硬そうに思えるので、海老を殻ごと食べた感じだろうか、と飯福は推測する。彼の感覚では嫌だが、こちらの世界なら十分ご馳走と言えるだろう。


「さっきの話だけど……ゴルグフラの卵も今度、調理してみようかなとは思ってるんだよね」


 まあサイズ感などは魚卵にも似ているかも知れないが。


「ちなみに、あのトンボは自然に卵を落とすのか?」


「うん。一応ね。水嵩が高いところを狙って卵を落とす習性があるみたいだから、そいつを利用して、あの囲いの中に意図的に産み落とさせているんだ」


 確かに、言われて改めて見れば、囲いの中の水位は一段高い。


「……」


 飯福はオアシスをグルリと見渡す。対岸の方にも同じ囲いが幾つかあった。


「あれは?」


「ああ、あっちは育てて放つのさ。ゴルグフラの数が減ったら、食い扶持がなくなるからね」


「なるほど」


 全部は捕らない。まあ鉄則だが、それが出来る程度には街に余裕があるということだ。飢える者が多ければ、放流用の物から盗んで、都会で売り捌く者が後を絶たないだろう。


「チェレンは、かなりこの街に貢献してるんだな」


 七年前は若者の流出が多かったということは、彼女の商売が始まってから、かなり街全体も浮上したということだろう。この劣悪な環境下で16番目の都市(都市のランクは経済力だけで決まるワケではないが)まで登り詰めるのは並大抵のことではないハズだ。


「……どうだろうな。ただアタシはガムシャラだっただけ。あの子たちを引き取るって決めた時に、この氷手ひょうしゅのギフトで何か出来ないかと考えに考えて」


「立派だと思う」


「いや……アタシも本当は村を捨てて都会に出ようかと思ってたんだよ。けど、アイツらの無責任を見て、反骨心っていうのかな。子供捨てて出て行ったこと後悔するような村に、いや街にしてやるって、さ」


「それは……やっぱり立派なことだと思うよ」


 飯福としては、四つも年下の女性がこれほど頑張っているのに、自分はプラプラとまったり薄給&不労所得で生きているのが少し申し訳なく感じられる。

 

 チェレンは、ありがとうと微笑み、


「……ワタルの仕事も見てみたいね。どんな料理を作ってるのか」


 話題を変えてきた。飯福は上がったハードルに苦笑いする。

 彼も勿論、自分で考案したレシピは幾つかあるが、大抵は先人たちの知恵をそっくりそのまま拝借しているだけである。彼女のように強い熱意で何かを「変えたい」と願い、新しい事を始めた経験はない。この異世界屋台とて流されるまま始めたものだ。


「ご期待に沿えるかは分からないけど。まあ危ない所を助けてもらった恩もあるし、是非食べて行ってくれ」


 ということで、紆余曲折の末、ようやく本日のランチ提供となった。






 屋台に戻る前に、チェレンのテントを覗くと、少年少女は仲良く眠っていた。遊び疲れて眠る。実に子供らしく健全だ。


「昼は食ってたのか」


「ああ、あの子たちは早いんだよ。朝も早くに起きるからね」


「……そうなのか。ガッツリ昼飯用なんだが、軽食の方が良かったな」


 クローゼットの方の人選ミスだろうか。時間的に彼女たち家族は飯福が来る前に昼を食べ終えていた計算で、つまり繋がった時点で満腹の人を選んだ、ということにならないだろうか。


(砂漠の中に繋げやがるし、今日はポンコツだったんだろうな)


 この異能に好不調の波があるのかは知らないが、今日に限って言えば、ダメダメである。飯福は鼻から息を漏らすが、


「ん? 食えるよ、余裕で」


「え?」


 思わず飯福はチェレンの体に視線をやる。かなり痩せ体型に見えるが……


「街一番の大食いなんだよ、アタシは。ただ目一杯食えることなんて基本ないからね。いっつも腹空かしてる」

 

 人は見かけによらない、ということらしい。


「オーケー、なら今日のお礼に腹一杯食わせてあげるよ」


 飯福も作り甲斐がある。

 やがて道なき砂漠を歩き、屋台に戻ってきた。風が巻きあげた砂が軽く積もっているのか、提供台の上がザラザラしている。手で払い落し、


「水を持ってくる。ちょっと待っててくれ」


 そう言い残すと、何もない空間へ一歩踏み出した。するとそこが突然光りだし、チェレンは驚き、目をキツく絞る。飯福はその光の中へ躊躇なく入っていき、


「ちょ、ちょっと! ワタル!?」


 チェレンの制止が届く前に、日本へと戻った。

 キッチンに入ると、ペットボトルの水をグラスに注ぎ、輪切りのレモンをふちに刺すように固定した。それを持って戻る。


 驚いて半開きの口になっているチェレンに出迎えられ、飯福は苦笑しながら、水を出す。


「驚いたよ。これがアンタのギフトかい。何もない空間から物を取り出してるところは見てたけど、まさかワタル自身も入れちまうなんてね」


「向こうが俺の世界だからな。入れないと、締め出し喰らっちまう」


 異世界に締め出し。笑えない事態だ。


「……この水はタダでいいのかい?」


「うん。もちろん」


 先程、飯福を助けるために(恐らく)貴重であろう青のマナタイトまで使わせたのだ。はるかに水資源の豊かな日本人がカネを取っていたら、それはアコギを通り越している。


「というか、飯もタダで食ってくれ。チェレンは恩人だ」


「い、いいのかい!? アタシ、さっきも言ったけど、街一番の大食いだよ?」


「おう。あるだけ食ってくれて構わない」


 最悪は数の子もパスタ麺もソールドアウトしてしまうかも知れないが、まあ恩返しはしておかないといけない。なにせ一期一会だ。


「今度は料理を作ってくるから、もう少しかかる。待っててくれ」


 再び自宅に戻った飯福。早速、調理にとりかかった。

 まずポットで湯を沸かす。その待ち時間で、ジャップロックに数の子を入れ、揉みほぐすようにして、塊を潰していく。あまり完璧にしようとすると、粒まで潰してしまうので、塊がある程度ほぐれたところで、熱してトロトロになったバターを入れ、袋の中で混ぜる。


 湯が沸いた。鍋に移し替え、中火にかけたまま、塩を入れる。少し待ってから、パスタを放射線状に広げながら鍋に投入。しなり、鍋の中に沈みだしたら、落とし込み、麺同士がくっつかないよう掻き混ぜる。火加減を見ながら、しばらく煮込む。


 その間に、先程の数の子とバターを入れた袋に、醤油を適量流し込み、更によく混ぜ合わせる。これでパスタソースが完成。

 麵の方も一本掬い上げ、軽く千切って、噛んでみる。アルデンテ。素早くザルにあげ、水を切ると、皿に乗せる。ソースを乗せ、よくよく和え、味を満遍なく全体に行き渡らせる。最後に刻み海苔を散らして完成。


 皿と箸(黄の国は昆虫食の発達に伴い、箸文化が根付いているため、フォークよりこちらを選択)を持って、飯福は異世界に戻る。するとチェレンが空になったカップを見せつけ、


「こんなに美味い水は初めて飲んだよ! なんだい、あの黄色の……酸っぱくて芳醇な食べ物は!?」


「……食べる用ではないんだが」


 どうも皮まで食べてしまったようで、跡形もない。

 果汁を水と合わせて、爽やかな味わいに仕立てるための物だと説明すると、


「じゃあ、その後は?」


「まあ……捨てるかな」


「なんて贅沢な! セレス様に罰を下してもらわないと!」


「や、やめてくれ……」


 だが確かに、こういった食糧が十分でない地域の人々からすれば、至極当然の反応なのかも知れない。


「ほら、料理が冷めてしまう。はやく食べてみてくれ」


 話題を逸らそうと、飯福は皿を台の上に置いた。途端、チェレンの視線が素早くそちらに走る。


「こいつは……」


「さっき言ってた魚卵を使った料理だ。数の子スパゲッティ。バター醤油味だな」


「かず毛? バッタ?」


「……まあ食ってみてくれ。美味いよ」


 飯福に急かされ、チェレンは恐る恐る箸を掴むと、数の子の塊を摘まみあげた。ゆっくりと口に運び、しかし最後は豪快にパクリといった。咀嚼。瞬間、目を見開いた。


「う、うま! ツブツブが! 弾ける! 甘辛い味が舌に残って……」


「麺、その細長いヤツも絡めて食べてみな」


 言われた通り、チェレンは麺を五本ほど掴み(もう躊躇はないようだ)、数の子の粒を巻きつけるようにして、大口を開けてバクッといった。


「!?!?!?」


 椅子の上で悶絶し、体が大きく揺れる。あまり激しい動きをされると、安定がまだ心許ない屋台も釣られてグラグラと揺れるのだが。まあ野暮は言いっこなしかと、飯福は苦笑する。

 やがて口の中の物を飲み干したチェレンは恍惚とする。


「美味い。こんなに美味い食べ物が……あるのか。アタシが育ててるヤゴでは、遠く及ばない……美味すぎる」


 昆虫食とスパゲティではジャンルが違うが。

 チェレンはそれから、美味い美味いと繰り返しながら、一心不乱にスパゲティを口に運んでいく。


「この上に乗ってる黒いグンミミズみたいなのも美味いね」


「それは海苔だ。ミミズじゃないよ」


 苦笑しながら教えるが、海苔を知らないようで、いまいちピンとはきていない様子。


「お代わりもあるけど?」


「今の半分くらいで」


「え? 良いのか?」


「ああ、アタシは大食いのつもりだったが……こんなに腹に溜まるモンを食ったことなかったから……」


 なるほど、と飯福。炭水化物をほとんど摂取してこなかったのだろう。ということは街一番の小食が来れば、炭水化物に拒絶反応を起こして一皿も食べられない可能性もありそうだ。


「ちょいと待ってな」


 また光の中へ飛び込んだ。先ほどと同じ要領でスパゲティを作り、戻る。

 今度はチェレンは噛み締めるように、一口一口、大切に食した。粒の食感なども確かめているようで、ゴルグフラの卵の食品転用について、考察を深めているのかも知れない。


「はあ~。食べた、食べた。こんなに腹一杯食えたのは、いつ以来、いや生まれて初めてかも」


「そいつは良かった。お粗末様」


「粗末? どこがだい? 素晴らしかったよ。味も食感も、それらの調和も。世界は広いと思い知らされた」


 日本流謙遜術は、異世界ではあまり通じない。


「はあ~。名残惜しいね。この屋台とやらは、今日限りなんだって?」


「ああ。明日は全く別の国の、別の街だ」


「はあ~。全く、このスパ毛を食べられるのが、今日だけなんて……」


 言いながら、ハッと何かに気付いた表情になるチェレン。


「そうだ! うちの子たちにもお土産できないかね?」


「あー。本当は積極的にはやってないんだが」


 それも最近はなし崩し的になってしまっている。一応、こちらの世界でも存在する素材の物だけ器として使うようにしているが、毎回、どの皿やカップを選ぶかで腐心するので面倒くさいのだ。


「まあ、あのチビたちにも寝床の世話になったしな。分かったよ」


「本当かい!? 恩に着るよ!」


 自分の時と同じか、それ以上の喜びようで。飯福は笑ってしまう。


「な、なんだい?」


「いや……ちょっと待っててくれ。スパゲティは難しいが、数の子のバター醤油を瓶詰にしておく」


 またまた往復して戻ってきた飯福は、ビンの口に厚紙を被せた物を持っている。中には言った通りの物が入っており、単体でも美味そうだ、とチェレンは目を輝かせた。


 ………………

 …………

 ……


 何度も振り返って手を振ってくるチェレンに、飯福も手を振り返している。


(養殖と養子か)


 この世界ではまだまだ、子供も働き手であり家族の戦力である。あの兄妹も数年と待たず、家業を手伝うことになるだろう。

 役に立つから育てているのか、愛おしいから育てているのか。きっとチェレンは自分のエゴに気付いてしまい、少し悩んでいるのだろう。


 だが最後に見た、あの満面の笑み。子供たちへの土産を大切に抱えて去っていくあの姿。あれは間違いなく、飯福には親のそれにしか見えなかった。

 新しい食を追及するのもまた、あの二人を飢えさせないために他ならず。


「母は強し、だな」


 こんな劣悪な環境下でも、虫卵の食品転用を自力で考えつく。未知のスパゲティにも二皿目では研究者のような目をしていた。

 飯福は、恵まれた環境の日本にいて、彼女のハングリーさに圧倒されたような心地だった。


「久しぶりに……レシピ考案でもやるかな」


 今日は結局一円の儲けにもならない丸損だった。だが、カネでは買えない刺激を受け、晴れやかな顔で飯福は屋台を片付けるのだった。

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