7:★珍魚のステーキ(青の国・第15の都市)

 月に10日くらい休みたい。これは飯福が飲食店勤めをしていた頃に、夢物語のように願っていたことである。だが今はこうして、いくらでも自由裁量で休めるような状況になったにも関わらず、飯福は自身の休みを月に六日と定めていた。週休一日と二日を週ごとに輪番で回す形だ。就活生が「完全」週休二日制と勘違いして罠に落ちる、隔週土曜日出勤のような、あの悪名高い月六休。ただまあ飲食業が長かった飯福からすると、六日でも十分恵まれていると思えてしまうのだが。というより、毎週二日も休んでしまうと、料理を作りたくてウズウズして、かえって落ち着かないのである。店勤めの時から比べて、一日あたりの勤務時間も格段に短くなっていることだし、必然、調理をする時間も激減している。それでバイオリズムが狂うあたり、根っからの社畜だ、と自嘲もするが。


 そして今週は二休の週となる。しかし半分忘れかけていて、ギリギリの本日、日曜日(厳密に言えば日曜日は翌週になるが)に休みを取ることになった。人が少ない平日休みにしたかったな、と後悔しても遅い。


「まあ、こういう時は異世界でバカンスという手が使えるんだけどな」


 飯福だけの特権である。

 調味料のストックなどを確認し、諸々と家事などを片付け。朝の10時過ぎには出発可能となった。

 寝室に行って、衣装ケースを漁る。クローゼットがダメになった時、彼の服も丸っと異次元の彼方へ消えて行ったようで、買い直しに奔走する羽目になった。そしてこの衣装ケースを臨時に寝室に置いて、タンス代わりとしている。

 そこから水着とゴーグル、タオルを数枚引っ張り出し、飯福は居間へ移動する。


「今日は休日。青の国の第15の都市に繋げてくれ」


 休日と宣言すると、食事提供のノルマが免除される。加えて好きな都市に繋げてもらえる。とはいえ、一日一都市の原則は健在で。つまり青の国・第15の都市以外に、今日のうちに繋げ直すことは出来ない。

 飯福はクローゼットの光が収まるのを待って、戸を開けると中を覗き込んだ。南国の植物と、日に焼けた褐色肌の人々、遠くにオーシャンブルー。


「おっけ。行こう」


 一歩踏み出すと、飯福の体を、真冬とは思えない温暖な空気が包み込む。青の国の南部は常夏。年間通して23°~28°あたりの気温である。

 飯福はすぐに深呼吸する。日本では考えられないほど澄んだ空気と、そこに混ざる濃密な磯の香り。路地裏に繋がっていたようで、大通りに出ると、振り返って場所を覚えておく。しばらくすると発光も収まる、ただの長方形の空間。近くの目印で覚えておかないと、帰宅難民の出来上がりである。


 木造の家屋が疎らに並ぶ通りを南へ抜ける。遮蔽物の数が減ると、大海が一望できた。その海岸の手前にある、かなり大きなコテージ。飯福がそこに入ると、すぐにカウンター越し、受付の女性に笑顔で迎えられた。


「鐘六つ分、お願いしたいんだけど」


「うん、空いてるよ。金貨四枚と銀貨二枚ね」


「はいよ」


 飯福は言われた金額を払い、領収書を貰う。


「三番のボートを使ってね。じゃあ、ごゆっくり」


 数字の『3』を打たれた割札を受け取り、飯福は建物を後にする。桟橋の方へ歩いて行くと、小型ボート(というより渡し舟の趣だが)が五艇ほど、係留杭にロープで結びつけられ、波間を揺蕩たゆたっていた。近くで釣りをしていた初老の男が、飯福に気付き、ゆっくりと立ち上がった。竿を外し、桟橋の上に無造作に置いた。


「よろしく」


「あいよ」


 言葉少なに。それでも男は三番のボートに慣れた足取りで乗り込むと、手を伸ばし、飯福の乗船を助けた。ロープを外し、桟橋の上に放り投げると、男は舳先側へさきがわに座る。すぐに両手を祈るように組み合わせ、


「ミストルア様、ご加護を下さい」


 呟いた。すぐにボートの下に取り付けられた青のマナタイトが光り、水流を生み出す。飯福にも全く原理は分からないが、各色のマナタイトという鉱物は祈りに反応し、特定の現象を引き起こす。この世界のエネルギーは大部分、このマナタイトが占めている。

 そしてミストルアというのは、青の神の名だ。主神セレスの友人とされる女神である。


 普通に漕ぐより少し速いくらいの速度。船頭は立ち上がると、かいを持ち、チンタラと漕ぎ始めた。漕ぐというより、推進力は十分なので、船体の安定と、進行方向の調整の役割の方が大きいようだ。


 目の前には絶景が広がっていた。切り立った崖のような諸島に囲まれた海。透き通ったエメラルドグリーンの浅瀬に、サンゴの白や、熱帯魚の黄色が時折顔を見せる。水深がやや深い所は青が濃く、浅瀬の方は、島の浜から続く砂糖のようにキメ細やかな白い砂が映える。鮮やかな色同士のコントラストは、目に眩しいくらいだった。

 先程の疎らな建物しかない街を、第15の都市たらしめているのは、この最高のオーシャンビューに他ならない。飯福も「ほう」と溜息をつく。もう三度目となるのに、毎度圧倒される美観。


 島へ近づくにつれ、水深の深い場所はなくなり、魚影も減り、ひたすら遠浅のエメラルドグリーンの海と白い砂浜の対比だけになる。絵の具で描いたのではないか、と。現実感を喪失してしまいそうな程の美しさ。


 ボートは慎重に入り江を進む。と、そこで竹造りのイカダにも似た船が見えてくる。イカダと異なるのは、その基板の上に同じく竹造りの家屋が建っている点だ。ハウスボート。海上をプカプカ漂う、野趣に溢れるホテルである。

 その内の一つ。戸に3番の割札が掛かっているハウスボートに、渡しのボートを横付けする船頭。


「ありがとう」


「鐘六つ分だよね? それだけ鳴ったら迎えに来るから」


「ああ、よろしく」


 ハウスボートに飛び乗る飯福。グラリと揺れて少々肝を冷やしたが、しゃがんで体勢を低くして事なきを得る。船頭に笑われてしまったが、まあ日本の内陸に住んでいる人間なら、こんなものだろう。

 苦笑して立ち上がると、やじろべえのように両手を広げてバランスを取りながら家屋の中へ。爽やかな竹の匂いに、飯福は大きく深呼吸する。寝室とリビング。簡易のトイレ(ぼっとん式で、下に鉄製らしきタンクがついている)もあり、便器の脇には青のマナタイトが10個ほど。尻を洗うための物だが、飯福はキチンと自宅で大小とも済ませてきてあるので、世話にはならないだろう。


「まあこれでも、この世界では破格な設備だよな」


 大抵は用を足した後などは葉で拭いたり、ひどい所だと自分の手で拭き取る。実際は飯福の世界でも、発展途上国の村などでは残る習慣だが。


 リビングで水着に着替え、ゴーグルをカチューシャのように髪にかけ、いざ海へ。幸い、他のハウスボートには人の姿は見当たらない(中で昼寝でもしている可能性はあるが)ので、気兼ねなくオーバーテクノロジーの産物、ゴーグルを使えそうだ。引き下ろし、両目に嵌めると、飯福は、


「やっほおおおい!!」


 美しいエメラルドグリーンに飛び込んだ。普段の彼からは考えられないような奇声を上げ、白い水柱を立てて。無人×大自然はこうまで人を開放的にするのだった。

 潜ったまま、飯福はドルフィンキック(のつもりの尺取虫的な動き)を繰り出し、推進していく。海底の岩に小さなサンゴや名も知らぬ貝がくっついていた。


 更に進んで行くと、小さな熱帯魚の群れにかち合う。黄色と黒の斑模様をした愛らしい連中で、飯福の周りをフヨフヨと泳いでいる。何匹か青のマナタイトの影響か、青に黒の斑の個体も見られた。


(あの渡しのボートの下についてるマナタイトが原因かな)


 日に何度か通る、その直下を泳いでいれば、そういうこともあるのかも知れない。あるいは海中にマナタイト鉱石が眠っているか。


 飯福はそんな他所事を考えながら、そろそろ水面に上がる。ぷはあ、と息を吸って、そのまま全身の力を抜いて、大の字で水面に浮かんだ。穏やかな波がこめかみの辺りをチャプチャプと刺激する感触が、くすぐったいような、気持ち良いような。好奇心旺盛な魚が、下から背中をツンツンと突いてくる。ドクターフィッシュということもないのだろうが、ついばまれるような感触に、飯福は鼻から息を漏らした。


「ああぁぁぁ…………」


 何もしないをしている。大胆なる人生の浪費。背徳的で退廃的で、恐ろしく甘美だった。


「寝そうだわ…………風呂で溺死する酔っぱらいは天国の夢を見るか」


 自分でも意味の分からないことを言っているのは彼も自覚しているが、誰も居ないのだから仕方がない。

 そうして漂っている間に、遠くからカラーンカラーンと涼やかな音が響く。街の時計塔で鳴らしている鐘だ。12回。正午である。うるさいが、12回も鳴れば昼を食い忘れることもない。良い慣習かも知れない、と飯福は思う。


 クルリと水上で反転し、クロールで泳いでいく。三番のハウスボートにしがみつき、両腕の力でグッと自身の体を持ち上げた。乗り上げた時、再びボートが揺れて「おっと」と声を出しながら体勢を低くした。

 ボートの端に高い竹の棒が一本立っており、その真ん中あたりに大きな青のマナタイトが括りつけられている。飯福はそれに触れ、


「ミストルア様、ご加護を下さい」


 祈りを捧げる。するとそのマナタイトからシャワー状の真水が降り注ぐ。それで海水を洗い流しながら、異世界人かつ信仰の薄い自分(不思議なギフトの件もあるので、超常の存在自体は割と信じてはいる)でも使えるのは太っ腹だな、などと考えていた。


 居間に戻ると、タオルで体を拭き、人心地。竹を組んで作っているだけなので、床面の隙間からすぐ下の海が見える。その床に大の字になって寝転がった。背中にゴロゴロとした竹の丸みと、ひんやりとした感触。海水とはまた違った気持ち良さだった。


「田舎のばあちゃん家を思い出すな」


 夏に帰省した際、ひんやりした板張りの縁側に寝そべった時の感触だった。一通り堪能すると、飯福は上体を起こし、スイムバッグを取る。中に手を入れ、握り飯とウインナーを包んだ銀ホイルを引っ張り出した。


「いただきます」


 しっとりと海苔が巻きついた、やや硬めに炊いた白米のおにぎり。僅かな塩気を舌で感じながら食べ進めると、マヨネーズ多めのツナマヨ。ドロッとした薄茶色の具と、硬めの米の食感が絶妙。パリッとしたウインナーと交互に食べて、あっという間に、


「ご馳走様」


 おにぎり二つとウインナー三本を完食。栄養バランスも何もない、究極の手抜き飯だが、これはこれで美味いのが困りものだった。シンプルライフの本日の趣旨にも合致していて、飯福は満腹かつ満足だった。


 その後、ベッド(竹製の硬いものだったが、気持ち良く眠れた)に移り午睡。次の鐘は気付かずに、その次で目覚めた。二回、午後二時である。飯福はまたぞろオーバーテクノロジーの産物、ソーラー腕時計を持っているので、実は鐘の回数を聞き逃しても、リアルタイムで今が何時か分かるが。


「はははは」

「あはははは」


 遠く、人の笑い声が聞こえる。別の岩島の砂浜には、水上コテージ(こちらと違って柱を海中の砂にシッカリと打ち付けて作っている家屋)が幾つも建ち並んでいる。家族連れや中流階級が利用することが多く(ほぼ一人用のハウスボートより利用料が安い)、割と盛況だ。そちらの声だろうか。


 うーんと伸びをした飯福は、ベッドから体を起こす。もう一泳ぎするか、と軽いラジオ体操をやり始める。11時から入ったので、午後五時まで。まだ三時間ほどは遊べる。


「さてと」


 ハウスを出て、ボートの端へ。もう一度、今度は黙って海へ飛び込む。と、すぐに。小さなウミヘビをゴーグル越しに発見した。純白のヘビだ。主神セレスを崇めてはいない飯福の目にも縁起物に見える。軽く拝む仕草。

 ここら一帯は観光資源であるため、地元の人間が、毒性のある生物が棲みついていないか、週に二回ほど近辺を潜ってチェックしているらしい。なのでアレは安全なハズだが。


(まあ、とはいえ近寄らないけどな)


 有毒、無毒に関わらず、野性のヘビに噛まれたい人間は居ないだろう。

 飯福は迂回するように泳いで、砂浜へと上がる。島が防波堤のようになって、その手前に流れ着いた砂が、長い時間をかけて堆積し、砂浜を形成しているのだ。砂糖をこぼしたような美しい浜から、改めて遠浅の海を見る。エメラルドグリーンとその先の紺色のコントラスト。反対側、崖のような島を見上げる。灰黒色の岩肌に割り込むように緑の木々が生えている。どことなく盆栽のような趣を感じる。

 この両方の境に立って、首だけ動かして両方の景色を堪能するのが乙で、飯福は殊更気に入っていた。


 そして最後はバタンと砂浜の上に転がった。作り物じみた青さを誇る空と、綿菓子のような白い雲。明日はそんな物でも作ろうか、などと考えたが、機材も無しに作れるのかすら飯福は知らなかった。テキトーに思いついただけ。今日くらいはこんなのでも良かろう、と。

 いつの間にか、またウトウトとしてしまうのだった。






 鐘の音に、飯福はハッとした。カラーン、カラーンと乾いて、透き通るような音色。飯福は腕時計を見た。午後の五時。タイムアップだった。急いでハウスに戻り、マナタイトのシャワーを浴る。体を拭き、着替えを済ませ、忘れ物がないか(特にアルミホイルのようなオーバーテクノロジー物質は残さないよう入念に)チェックしていると、


「お~い! お客さ~ん!」


 外から呼ばれた。船頭が迎えに来たのだろう。


「ごめん! いま行くよ!」


 スイムバッグを持って、ハウスを出る。渡しのボートに乗り込むと、船頭は行きと同じく、マナタイトに祈りを捧げ、推進力を得てから漕ぎだした。

 テーマパークから帰る時に、満員電車に乗っている時の気分、とまでは言わないが。心理のベクトルとしてはそっち方面である。飯福は夕暮れ始めた空をボンヤリと眺めながら、明日からの仕事に思いを馳せる。

 と、


「お客さん。夕飯は決まってんのかい?」


 船頭が急に話しかけてきた。訝しみながらも、飯福は首を横に振る。


「だったら……今日、第七の都市でウェルタトプスが獲れたってんで、こっちにもお裾分けが来てんだよ。良かったら買ってみたらどうだい?」


「え? ウェ、ウェル……?」


「ウェルタトプスだ」


 こちらの世界の単語は(これも不思議な事この上ないが)飯福の世界にもある物質、概念などを表すものは、日本語(時に和製英語)で聞こえる。しかしこうして、こちらの世界にしかない物、かつ日本語に置換不能である場合、現地語そのままの単語で聞こえる。


「そっか、お客さん、外国の人だったな。まあ有体に言えば、鯨に亀の甲羅がついてるような生き物だ。美味いんだ、これが」


「へえ……!」


 美味いと聞けば、俄然、興味が湧く飯福。しかも全く未知の生物の肉となれば、今を逃せば食べれないかも知れない。

 こちらの世界の住人の舌は(ただ美味い物を多く知らないだけで)別段、悪いワケではないのだ。もし本当に味音痴なら、飯福が作る現代料理もウケないハズである。だから、彼らが美味いと言うのなら、トライする価値は大いにある。


「情報ありがとうな。ちなみに、相場はどれくらいだ?」


 この世界で既に、一、二回やられているのだ。いわゆるインバウンド価格というヤツを。なので飯福はこういう情報をくれた相手には、一緒に適正価格も聞いておくことにしている。


「そうだな。100クロムスで銀貨四枚ってところだな」


 1クロムスは、ほぼほぼ1グラムだ。つまり100グラム当たり4000円となる。中々に良いお値段だ。高級和牛サーロインステーキとタメを張るくらいの取引値か。恐らくだが、こういうリゾートを一人で利用できる財力も鑑みて、飯福に話を振ってきたのもあるのだろう。

 第15の都市がある島(これが一帯で一番大きな島)が見えてくる。ボートはゆっくり回り、桟橋に着いた。


「ありがとう。情報も感謝だ」


 言いながら、飯福は船頭に銀貨一枚を握らせる。チップ兼情報料だ。船頭は顔の前で手刀を切って、感謝を返した。こういう仕草は何となく日本と似てるなと、飯福は思った。


 割札を受付に返し、いちの場所を聞くと、反対側の海岸でやっているとのこと。島を横断する形になった。途中、クローゼットが繋がっている路地裏をもう一度、目で確認しておいて通り過ぎ……歩くこと20分。まあこの多島海たとうかいで一番大きい島とはいえ、歩けない広さでもない。


 いちに着くと、中々に賑わっていた。この島にこんなに人が居たのか、と失礼なことを考えつつ、飯福は人混みの間を縫うように市を回る。足の早そうな青魚はアジの仲間だろうか。イトヨリに似た白身魚もある。漁師がそのまま市の店員をやっているようで、筋骨隆々の男が声を張り上げ、鮮度と値段の安さを喧伝している。


「ん~」


 首を巡らせ、やがて奥まった場所を見つける。竹編の敷物の上、何かの肉塊のような物がデンと置かれている。飯福は175センチ程度の身長だが、この世界では大柄の部類。背の低い現地人の頭上を越して覗いていると、そこの店番の漁師と目が合った。


「さあ! ウェルタトプスの肉が入ってるよ! 滅多にお目に掛かれない高級品だよ!」


 飯福が観光客と一目で見抜いたのだろう。限定感を出して購買意欲を煽っている。苦笑を浮かべ、近づいていくと、男はこれ見よがしに肉塊を叩いた。衛生面を考えると、あまりベタベタ触らないで欲しい、という飯福の想いは虚しく。この世界の人間は、日本人より遥かにそこら辺の意識は低い。


(まあ、どうせ火を通すから良いけどさ)


 実際は人の掌より、寄生虫の方が怖い。一瞬、やはり買うのを止めようかと躊躇ったが、


「珍しい髪色のお兄さん! 安くしとくよ! どうだい?」


 先手を打たれてしまった。肩をすくめて、肉を見やる。真っ赤だが、マグロとは少し違う。鯨肉と牛肉の中間のような印象を受けた。


「見たことない肉だ」


「そうだろう、そうだろう! 珍味中の珍味だぜ!」


「腹下したりしない?」


「バカ野郎! 俺たち漁師も全員食ってるけど、何ともねえっつーの!」


 少し癇に障ったのか、語気を荒げる漁師。

 ふむ、とアゴに手を当て、飯福は辺りを見回す。誰も並んではいないようだが、地元の人の視線も忌避感などではなく、むしろ羨むような雰囲気だ。中々手が出せないご馳走、といったところか。


(大丈夫そうだな)


 味を知っている者は羨んでいるということは、食べても健康被害がなかった人が(漁師たち以外にも)それだけ居るという証拠。


「200クロムスほど欲しい」


「お! お目が高いね!」


 少しムッとしていた漁師も、買ってくれるとなれば話は別。機嫌を直し、値段交渉に入る。


「金貨三枚でどうだい?」


「高いな。金貨一枚と銀貨三枚程度が相場と聞いているが」


 男は渋面を作る。何も知らない観光客と侮っていたのだろう。全く油断も隙も無い、と飯福は鼻を鳴らす。


「流石に金貨三枚は出せないけど、そうだな。金貨一枚、銀貨四枚でどうだろう?」


「お。本当かい?」


「条件があってな……ちょっとコイツの生前の絵を描いてみてくれないか?」


「絵か……あまり期待してくれるなよ」


 男は近くの小枝を拾い、砂の上に絵を描いていく。大きな魚と、その背に亀の甲羅。なるほど、船頭の言っていた通り、亀と鯨のハーフのようだ。生態などが気になるが、興味の域は出ない。飯福は生物学者ではなく、しがない料理人であるからして。


「オッケー、ありがとう」


 飯福は巾着から金貨一枚と銀貨四枚を取り出し、男に渡す。


「あいよ、確かに! 切るから、ちょいと待ってな」


 座っている尻の後ろから、銀光りする刃物を持ち出した。それで肉のブロックを目分量で切り落とす男。更に座ったまま、横に体を伸ばし、秤と重石を手繰り寄せる。重石を乗せていた木の皮には、『100』と書かれている。秤の一方の皿に乗せると、当然グンと傾く。そして反対側の皿に切り落とした肉片を乗せる。ほぼほぼ水平に戻った。


(職人技だな)


 感心する飯福を他所に、男は皿から肉をどかし、脇に置いた。そして先の物と同じくらいの大きさをブロックから切り出し、再び秤にかける。今度もほぼ水平。


「よし、こんなもんだな。持って帰れるかい?」


「ああ……そうだなあ」


 スイムバッグの中身を探り、濡れた水着を入れておいたビニール袋を取り出そうとして……やめる。オーバーテクノロジーの産物だ。何だそれは、と聞かれれば答えに窮する。まあスイムバッグ自体、間近で凝視されれば、この世界に存在しない材質なのがバレそうだが。


「取り敢えず、そのまま貰おう」


 飯福はスイムバッグの中でガサゴソとやって、水着を追い出し、空になったビニール袋に肉を放り込む。血生臭さと、魚臭さが入り混じった匂い。ビニールで包んでも、タオル類に匂い移りしそうだ。

 最後に漁師に肉の特質だけ聞いておく。肉は甲羅の下の部分、少し硬い肉と、溶けるような柔らかさの肉が混在している部位らしい。そこまで聞き終えると、スイムバッグに注目される前に、そそくさと立ち去ることにした。


 ………………

 …………

 ……


 帰宅。高級食材を向こうで持ち歩くのは、飯福としても少し神経を使ったが、幸い犯罪に巻き込まれる事はなかった。

 台所に立ち、ビニールから肉を取り出して、まな板の上に乗せる。スイムバッグ内はやはり血の匂いがするが、ビニールを貫通してビチャビチャとまではいっていない。ある程度、下処理はしてくれているようだった。


「……」


 顔を近づけ、匂いを嗅いでみる。


「これくらいなら塩で大丈夫そうかな。それにしても魚臭さもあるのは……こっちの鯨とは厳密には違うのかもな」


 飯福はボウルの中に塩水を作り、肉を放り込む。表面を撫で擦り、匂いの成分を落とす。そこから五分ほど放置。その間にレシピを考える。素材の味を感じるためにシンプルなステーキ。匂いや硬さが気になるなら、どて煮にしてしまうのもアリだろうか。

 ……悩んだ末、飯福は結局、ステーキを選択する。


 塩水から取り出し、水洗いすると、キッチンペーパーに包み、水気を取る。肉を叩く工程はやめておく。塩コショウだけ振りかけ、下味をつける。魚のような牛肉のような、半端な扱いになってしまうが。実際に食してみないと、肉の質が正確には分からないのだから仕方ない。

 

 フライパンに油をひいて、いよいよ肉を投入。ジューと良い音を立てる。肉の切断面からトロッと肉汁が溢れてくる。今のところ、牛肉と大差ないように思われるが。

 引っくり返してみて、もう片面を焼くと、軽く反り返ってしまう。脂身かと思っていたが、どうもホルモンに近い肉質のようだ。どういう体の構造なのか。甲羅の下の部位だと、漁師の男は言っていたが。


 菜箸で押さえつけるようにして、十分に火を通す。焼き目がつくが、中は怪しい。飯福はここで少しだけ火を止め、その硬めの面に切り込みを入れる。ワイルドな男飯という風情である。


「あつつ、あつ」


 この業界歴の長い飯福の指の皮は分厚く、熱には強いが、流石に熱い模様。だがそれでも、サクサクと簡単に網目のような切り込みを入れていく。


「……花咲き、ほどキレイにはいかないが」


 包丁を入れ終わると、再び火をかけ、約三分。

 いよいよ焼き上がり。火を止め、皿に移す。そこにバターを落とすと、雪のように溶けていく。フライドガーリックも散らし、完成。


「謎の生物のステーキ、か」


 言葉にすると中々アレだが、飯福に抵抗はなかった。実際、この飯福がいる地球でも、もっと凄まじい物を食べている地域・民族は存在する。伝聞でしか知らないそれらに比べれば、異世界産とはいえ、マトモにステーキに出来ている分、こちらの方が断然、食欲をそそられる。


「ていうか、これ多分、メッチャうめえぞ」


 冷蔵庫からチューハイを取り出してきて、居間へ料理ごと運ぶ。ちゃぶ台の前に着席して、いざ、実食。やはり硬い部分はナイフの通りが悪いが、何とか一口大に切って口に運ぶ。


「……!?」


 飯福の目が見開かれる。


(牛肉の霜降り部分と、ミノみたいな部分が、裏表で味わえる感じ……だな)


 ミノのように弾力と歯応えがある部分を噛んでいる、その同じ口中で、サシの脂身が赤身と絡みながら溶けていく。


(味わったことのない食感だな)


 ニンニクのパンチと、まろやかなバターの風味、塩コショウの下味も効いている。文句なく美味い、それが飯福の第一感だった。

 霜降り部分が先に噛み終えてしまって、ミノ風の部分が残らないよう、そちらを重点的に噛んでいると、更に口中で味が攪拌かくはんされるようで。飯福は咀嚼しながらウンウンと何度も唸る。

 ゴクンと嚥下。余韻ごとチューハイで胃に流し込む。


「くあぁぁぁ」


 五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るとは、このことか。飯福は目を細め、口を半開きにして、腹の底からデトックスするように汚い声をあげる。


「最高の休日になったなあ……」


 昼前まで寝て、起きたら南国の隠れ家ビーチで熱帯魚と戯れ、昼になったらズボラ飯を食って、午睡。起きるともう一泳ぎして、景色を楽しんで、砂のベッドでうたた寝。家に帰り、夜には激烈に美味い肉(しかも地球上でそれを食べられるのは自分だけ)で一人酒。

 心も体も完全にリフレッシュできた、これ以上ない日曜日だった。


 途中から白米とのコンビネーションも楽しみながら、完食。

 ちゃぶ台の下に足を入れ、大の字に倒れ込む。畳の匂いと冷たさが、酒で火照った体を受けとめる。

 ああ、と呟いて。


「明日は何を作ろうかな」


 飯福の屋台は、また明日から異世界を放浪する。一期一会を求め、根無しの船のように、国々を航りながら。

 そのための英気を、十分に養えた一日だった。

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