6:焼き鳥(赤の国・第4の都市)

 飯福が久しぶりに納屋を開けると、なんともカビ臭い匂いがして、軽く咳き込む羽目になった。

 早速くじけそうになったが、いい加減に掃除しないとマズいと思い立ってしまったのだから仕方ない。「ううんううん」と喉の調子を整えながら、中の物を次々に庭に出していく。


 作業開始から、数分。カビの発生源を特定できた。あー、と納得したような声を出す飯福。

 炭だった。小さな段ボール素材の箱の中に、満タン近く入っていた炭。それがやられていたようだ。

 軍手越しに触るのも嫌だったが、仕方なく持ち上げ、ゴミ袋に放り込んだ。


「こういうのって、普通のゴミで出したらダメだよな」


 後で調べておかなくては。飯福は憂鬱な気持ちになる。

 次に出てきたのは大物。バーベキューコンロだった。こちらは錆などもなく、キレイなものである。


「あー。あったなあ、こんなん」


 記憶を辿る。


「確か、兄貴がバーベキューやる、とか言い出して。義姉さんと一緒に来て……妹も誘って」


 徐々に鮮明になっていく。と、そこで。


「あ」


 不意に思い出してしまった。当日、肉や野菜を買い出しに行った際、財布を家に置いて来てしまうという不手際をやらかし、兄に払っておいてもらったのだが……それっきりになっていた。


「しまったなあ」


 恐らく一万円前後だろうが、額の多寡より気持ち悪さ、罪悪感が問題である。

 今日は土曜日。兄もサービス業の仕事をしているため、恐らく出勤中だ。返しに行くなら、自由業の飯福が向こうの休みに合わせるのがスマートか。


「……しかし、バーベキューコンロか。一度使ったきりなのは勿体無いよな」


 飯福は独身。兄夫婦も暇ではない。妹は誘えなくはないが、二人でバーベキューは切ないし、意味が分からない。

 一瞬、異世界の知人たちの顔が浮かんだが、すぐにユルユル首を振った。彼らを誘うにしても、全員バラバラの国に住んでいるのだから、どう足掻いても大人数での開催は不可能だ。


「なんか……屋台で使えないかね」


 焼き肉が王道だろうが、牛肉を大量に出すと会計が高騰する。払える客をキチンとクローゼットが選んでくれれば良いが、最悪は踏み倒しか。かと言って、質の悪いクズ肉を仕入れて、というのも料理人のプライドが許さない。


「肉の質を落とすんじゃなくて、牛肉をやめれば……」


 そこまで言語化して、飯福の頭上に豆電球が灯る。


「そうか。安い肉。鶏肉を使って……焼き鳥だな」


 カチッと自分の中で嵌ったような感覚。恐らくだが、クローゼットの方も料理決定と見なしただろう。これから客の方の選定か。


「三人前くらいで考えてるから、よろしくな」


 家屋の方、居間のクローゼットに向けて言ってはみたが、果たしてどこまで反映されるのやら。

 軽く肩をすくめた後、飯福は車を取りに行く。ホームセンターで炭の買い直し。スーパーで鶏むね肉、ヤゲン軟骨、長ネギ。買う物を脳内でリストアップしながら、エンジンをかける。


「竹串も家にある分だけじゃ足りないかもな」


 のたのたと法定速度で走る中古車の運転席で、飯福は今日はどこの国の何番目の都市だろうかと、ボンヤリ考えた。


 ………………

 …………

 ……


 買い出しを終え家に戻ると、少し休憩した後、調理に取り掛かった。

 まず皮を処理したむね肉を4~5センチ角に切り揃え、串に突き刺す。縦に刺そうとすると、意外に肉が硬いので、まな板の上に押さえつけて、横面から刺すような(ビリヤードの玉を突くような)要領でこなす。これならグッと押し込んで串の先端が飛び出した時に指を刺してしまうこともない。

 ついでザク切りした長ネギを刺し、また肉へ。ねぎま串も、こうしてイチから手作りする機会もあまりないもので。飯福は新鮮な気持ちで量産を続けていった。


 ねぎまが終わると、ももオンリーにも着手し、手際よく作っていく。ヤゲン軟骨だけは中々串が刺さらず大変だったが、概ね順調にタスクを消化した。


 次いでタレを作る。醤油を大さじ3、砂糖、みりん、料理酒を各大さじ1。ボウルの中で、砂糖の粒感がなくなるまで、よく混ぜる。それらを煮詰め、軽く味を見る。


「うん。基本はこれでオッケーだな」


 あとはニンニクか生姜をアクセントに入れたいが……ここら辺は飯福の好みということになりそうだ。

 結局、両方すりおろして試しに入れてみたが、ニンニクの方が彼の舌に合ったので、そちらを採用した。たっぷりと作り、準備を終える。


「そいじゃあ、開店だな。今日はどこだろう」


 敢えて今まで本日のロケーションを確認していなかったが、ここで居間へ行き、クローゼットの向こうを覗いた。赤土の道に、レンガや石造りの家々。全体的にやや筋肉質な街の人々。


「あ~。赤の国か」


 飯福は若干、苦手意識がある。以前、第2の都市で嫌な思いをした記憶が蘇ってくる。まあどこの国も都市ごとに特色も違うので、気にする必要はない、と頭を切り替えた飯福。これが一ヶ所で店を構えない放浪屋台の良い点である。嫌な思いをした都市と、次にいつ当たるか、いや、そもそも当たらない可能性もある。


「店舗勤めだとクソ客のリピーターとかいう、最悪のコンボもあるからな」


 もっと嫌な思い出を掘り起こしかけて、飯福は慌ててかぶりを振った。とにかく、そろそろ開店準備を始めた方が良い時間だ。居間の端に置いてある組み立て屋台を、少しずつ向こう側へと運搬していくのだった。

 


 ◇◆◇◆



 ツルハシを持つ手に、そろそろ感覚が無くなってくるという頃合い。班長の号令で、本日の作業は終了となる。相変わらず、いい見極めだった。


「はあ、終わっただ~!」


「オラ、もう腹が減って死んじまいそうだよ」


 兄弟で鉱夫をやっているトスとピス(どちらも同じ班の一員だ)が鉄のメットを脱ぐと、口々に解放の喜びを叫んだ。赤のマナタイト鉱山の中の坑道、カンテラの光に照らされ、テカテカの顔が輝いていた。


「飯、行くぞ~」


 班長のポーティーもメットを脱いで、ツルハシと一緒にトロッコの中に放り込む。収穫物を載せたトロッコが一台、作業員の持ち物を載せるトロッコが一台。前者を二人で、後者を一人で押して帰るのが最後の仕事となる。


「ニスヴァ様の~」

「思し召し!」


 拳を握って出したトス。人差し指と中指を突き立てて出したピス。拳を握って出したポーティー。二本指のピスの一人負けである。

 ちなみにニスヴァ様というのは、赤の神のことで、主神セレスの弟とされている。


「ああ。こんなに腹が減ってるのに、ついてなさすぎだべ」


 ピスが嘆くかたわらで、


「ニスヴァ様の~」

「思し召し!」


 掛け声と共に出された手は……トスが先程の二本指。ポーティーが五本の指を開いたまま。トスの勝利となった。


「やった~! 助かったど」


 トスが比較的軽い、荷物を載せた方のトロッコの持ち手を握る。残りの二人は重たいマナタイトを搭載したトロッコの方へ。


「くううう。重すぎだべ!」


「しゃーねえ。そんだけ採ったってことだ。今日はたらふく食おうぜ」


 班長のポーティーが励ましながら進む。前を行くトスの軽やかな足取りに、恨みがましい視線を送りながらも、二人はひたすらトロッコを押した。


 それから30分ほど。ようやく地上へと戻った。はあはあ、と荒い息を吐くピスとポーティー。鉱山の入り口脇に建てられた社屋に入る。事務方に収穫物を渡し、代わりに日当と歩合を貰う。借金の返済に充てられる分を天引きされて支給されたのは金貨一枚に銀貨二枚だった。ポーティーだけは班長手当で+銀貨二枚があったが。

 ガックリと肩を落とし、社屋を後にする三人。毎度毎度、この瞬間は嫌でも自分たちが借金持ちだと自覚させられるので、こうなる。


「はあ~。どっかに安くて美味い飯と、安くて美味い酒を出してくれる店はないもんだべな?」


「そんな美味い話があるワケねえべ」


 兄弟が愚痴りながら、山道を下る。その後ろをポーティーも続き、しばらく歩くと、ふもとの街に出た。もう大抵の店は回り尽くしたが、どこも美味い飯も、良い酒も望めないのは知っている。どころか下手をすると、疲労困憊ひろうこんぱいで判断力の落ちている鉱員たちを狙って、安酒で酔わせて少し高めの勘定を吹っ掛ける。そんな店まであるのだから、オチオチ安心して呑めもしない。


「はあ~。まったく。ちょっとくらい良い事があっても……」


「ん?」


「え?」


 三人、立ち止まって鼻を鳴らす。不思議な香りがしている。野焼きのようで、それでいて肉の焼ける匂い、そして甘辛い何かも混ざっているような。スンスンと鼻が何度も音を立て、グルルルと腹の虫も共鳴する。全員の直感が告げている。これは美味い食い物だ、と。


「ど、どっからだべ?」


「あ! あそこだ! や、屋台か? あれは」


 木で組まれた屋台。屋根の所からは赤い布が垂れ下がり、何か文字が書かれているが……三人の中で唯一、識字教育を受けているポーティーでも読めないようで、首を捻っている。

 と、そこで。カウンターの奥側で人が立ちあがった。店主だろうか、珍しい黒髪の青年だった。先程までしゃがみ込んで何か作業をしていたようだが、どうもそこら辺から、この香ばしい匂いが漂っているらしい。

 駆け寄った三人。


「「こ、ここは屋台だか?」」


 仲良し兄弟がハモリながら訊ねると、店主は苦笑気味に頷いた。


「異世界屋台・一期一会だ」


「い、異世界!? したらば、アンタ、マレビト様だか?」


「いや。まあ何度も来てるから、そんな有難い者ではないよ。今はただのしがない屋台の店主だ」


 三人は顔を見合わせる。まあ特段、彼らも信仰が篤いワケでもなし、店主本人も気にしないで良いという雰囲気なのだから、ここは自然体でいかせてもらおう、と。言葉は交わさずとも、六年来の付き合い、目顔だけで意見をまとめあげた。


「な、なんの屋台だか?」


「美味そうな匂いがずっとしてる。嗅いだこともない匂いだ」


「ああ。焼き鳥って言うんだ。ビールも出せるぞ」


 店主の言う単語には、三人とも覚えがない。やきとり、びーる、と幼児のように繰り返している。


「まあ見てもらった方が早いな。座りなよ」


 椅子は三つ用意されているようで、正におあつらえ向きだった。三人はもう一度顔を見合わせ、頷いた。何かは知らないが、匂いだけで期待できる。この世界には無い料理なら、なおさら物は試し、食ってみよう、と。

 そして三人が着席すると、店主は先程と同じく中腰に屈んだ。小さな箒のような、しかし毛が不思議な材質で出来た物を手に取り、銀の器の中に溜まった黒い液体に浸す。


「な、なんだべか? それ」


「シリコンのハケ……こいつでタレを鶏肉に塗るのさ。二度塗りってヤツだな」


「よ、よく分からねえが、メチャクチャ美味そうな匂いがするな」


 座ったばかりだというのに、三人はまた立ち上がってカウンターの向こう側を覗き込む。鉄の網の上、木の串に刺さった鶏肉の塊たちに、店主が先程のハケとやらでタレを塗っているのが見えた。串の持ち手を指先で摘まむと、クルリと反対側に回し、そちらにもベッタリと塗りつけていく。ジュウと小気味よい音と、甘辛い匂い。


「ま、まだだか?」


「これじゃ生殺しだべ」


 店主は急かされても、手を速めることはしない。ゆっくりと丹念に焼き上げる。三本分、キレイな焼き目がついたところで、パッと網から上げ、皿の上に乗せた。


「お待ちどう」


 三人の前に出す。途端にマナタイトの塊でも見つけたような勢いで顔を近づける鉱夫たち。店主は微笑し、


「……そうだな。最初の一本はお試しでタダにしよう。お通しみたいなモンだな」


「た、タダで食って良いのか? 俺たちがその一本だけ食って帰ったら、アンタ丸損じゃないのか?」


「まあそうだが……アンタらは必ず追加注文するさ」


「す、すごい自信だべ」


「そこまで言うなら、とんでもなくうめえに違いないだよ」


 三人は唾を飲み、ゆっくりと串に手を伸ばした。そして全員が摘まみ上げ、


「まずオラがいくだよ」


「なんの。兄に譲るのが弟だべ」


 兄弟が睨み合う。一触即発か、というところで。


「なに言ってんだ。班長の俺が優先だろうが」


 ポーティーも参戦。少し手がプルプルしているのは、未知の味への好奇心と不安がせめぎ合っているのかも知れない。これで、三つ巴の戦いが今まさに……


「「どうぞ、どうぞ」」


 始まらなかった。兄弟がすんなり引いて、毒見役を班長に押し付ける。


「ええ!?」


 急にハシゴを外されたポーティーは、オロオロと店主を見た。大きく頷かれる。大丈夫だから、食ってみろという顔。逃げ場はなし。ここで日和れば班長としての威厳が失墜する。


「ええい、ままよ」


 ポーティーが目をつぶり、一気に肉を二つ頬張った。

 途端、柔らかい肉の食感と、トロトロのタレが舌を包み込む。脂身の少ない肉だが、噛めばほぐれていくようだった。少しだけ残った皮がプリッと歯を押し返す弾力もクセになりそうである。そして鼻を抜けていく燻製のような香り。


「ん~~!!」


「どうしただ!?」


「美味いだか!? マズいだか!?」


 訊ねながらも、ポーティーの髭面が至福に緩んでいくのを見て、兄弟も答えを察した。果たして、


「美味い! 美味すぎるぞー!!」


 落盤を知らせる時のような大声で感想を言い放つ。

 そのまま、串にかぶりつくと、次の肉を歯で挟んで豪快に引き抜いて咀嚼する。


「うんまい! こんなに美味い肉は初めて食った」

 

 言いながらも三つ目へ。


「惜しむらくは、小さすぎてすぐに無くなってしまうことだな。だが、うん、美味い」


 モゴモゴと口を動かしながらも器用に喋っている。


「お、オラも!」


「オラも!」


 兄弟も同時に一口。途端に目を見開いた。


「う、美味い! なんだべ、これ!?」


「こったら飯があるだべか!?」


 瞬きを忘れ、信じられないという目で、串に刺さった残りの肉を見つめる。


「どうやって、ただの鶏肉にこんな香りをつけてるんだ……?」


 先んじて完食したポーティーの疑問はそこだった。


「炭だよ。旨味成分やミネラルが、煙に乗って肉に付着してるんだ」


「馬? みね?」


「遠赤外線効果によって、外はカリカリ、中は瑞々しいまま焼き上げる。日本の伝統技術、太古からの知恵の結晶だな」


「よ、よく分からないだども……言う通り、外側は噛めばパリッとしとって、内側は噛めばジュワジュワって美味い汁が出てくるだ」


 香りつけだけでなく、焼き上がりにまで影響を与える、更にそれを(謎の言葉ばかりだが)キチンと計算して行っているというのだから、三人は感心しきりだった。彼らの知る料理とはもっと豪快で、テキトーな物ばかりである。


「どうだい? もう一本頼む気になったかい?」


 店主が自信ありげにニヤリと笑いながら訊ねる。


「一本と言わず、何本でも!」


「んだんだ!」


「あ! でもこったら美味いモン、オラたちの給料で食えるだか?」


 ピスの言葉に他の二人もシュンとしてしまう。確かに、そこを失念していた。せめて借金返済分がなく、完全な日当を得られていたなら、と思わずにはいられない。だが、


「ん? 一本、銅貨一枚だぞ? 払えないか?」


 店主が事も無げに言う。


「やっすー!?」


「銅貨? 銀貨でなく、銅貨一枚だか!?」


「いや銀貨一枚でも安いだよ! でもそれが銅貨!? 銅貨!?」


 驚きと混乱の中年労働者三名。やせぎすの兄トスと、ふとっちょの弟ピス、髭面の班長ポーティー、その全員の顔を順に見て、店主は笑った。


「正真正銘、銅貨一枚。信じられないなら料理の都度、会計してもいいぞ?」


「それは助かるだよ」


 酔っ払った後に、こっそりぼったくられるのを警戒しなくて済む。


「酒は……? 酒はいくらだ?」


「ジョッキ……大グラスにたっぷり注いで、銅貨六枚でどうだろう?」


「びーるって言ったべ? それもこの焼き鳥と同じくらい美味いだか?」


「まあ系統が違うからな。持って来てみるよ」


 そう言うと、店主は三人にクルリと背を向ける。訝しげにする彼らを残し、虚空へと踏み出した。と、次の瞬間。


「「「な!?」」」


 三人の目の前で店主は光の長方形の中へ消えた。しかし、驚きに固まっているうちに、すぐにまた戻ってくる。こんなギフトは見たことがない、と三人とも畏怖のような感情を抱く……前に、店主が持っている金色の液体がなみなみと入ったグラスに目が釘付けとなる。


「なんか、アレも美味そうだな」


「んだ」


「焼き鳥の美味さぁ、考えると、間違いねえべや」


 三人とも同時に喉を鳴らす。


「まずオラが買うど!」


「なんの! オラだ!」


「ここは俺だろう。班長を立てろ」


「「どうぞ、どうぞ」」


「え!?」


 再度の流れに、店主も歯を見せて笑っている。


「……ちなみにこれは何の酒なんだ?」


「大麦だな」


「ああ、大麦か。それなら俺たちの国にもあるけど……」


「うう。苦味が強いし、薬草臭くてオラは苦手だあよ」


「オラもだ」

 

 今度こそ、班長を毒見係に押し込めたのは正解だったか、と兄弟が胸を撫でおろす。だが、店主は不敵に笑って、


「まあ飲んでみろって。他の客たちも、最初はみんな渋い顔するけど、一口飲んだらガラッと変わるんだ」


 と太鼓判を押すものだから、ポーティーはえいやとグラスの取っ手を掴み、グイと呷った。ゴクッと喉が鳴る。そしてすぐさま、焼き鳥の時と同じく、大きく目を見開いた。

 赤い髭の先っぽに白い髭をつけた顔で、自分の手の中のグラスを二度、三度と見下ろす。


「……ひゃあ、たまげたなあ。冷たい大麦酒がこんなに美味いとは……喉を通る時、悪いモンも洗われるみたいだよ。雑味もないし、苦味もぬるい大麦酒より全然気にならない」


「薬草やハチミツなんかは入ってないからな。麦本来の旨味が凝縮されてる……っと、ちょうどヤゲン軟骨の串が焼けた。食うかい?」


「ええい、全部、なんでも食うぞ、俺は!」


 班長がやけっぱちに叫ぶと、様子を見ていた兄弟もビールを注文。三人とも、巾着を丸ごと卓の上にドンと置いたのだった。



 ◇◆◇◆



 それから一時間以上も、鉱夫たちは飲み食いしていただろうか。すっかり出来上がった三人は、飯福も巻き込み、延々と管を巻いていた。


「それでよう。白の国のガラス工房に、一等やり手の女工房長がいるらしくな」


「んだんだ。あっこだけ納期が厳しすぎるだよ」


「婚期は逃してるって噂だどもな」


「「「がっはっはっはっは」」」


 何故か微妙に相手を知っているような気がする飯福は苦笑いで済ませておく。

 こんな調子でむくつけき男たちの、愚痴のような笑い話のようなものを聞きながら、密かに飯福は満足感を覚えている。別に洋風屋台も、あれはあれでキチンと誇りと責任を持って運営しているが、やはり彼の考える屋台といえば、こういった風情だ。店主のオヤジが簡単な料理と酒を出し、数人連れ立った労働者が、互いに下らない話をして、生活の憂さを晴らす。なにげに、ここまで屋台らしい屋台は初めてかも知れない、と。


(たまにはこういうのも良いだろう)


 微笑する飯福。


「三人は、どうして鉱夫になろうと思ったんだ?」


「ああ、俺は10年前、アンタと同じく食事処をやってたんだが、潰れちゃってよ」


「へえ」


 確かに班長は、(美味い美味いと繰り返す兄弟に比べ)料理や酒そのものにも興味を持っている風だった。前職の名残ということらしい。


「んで、親戚の伝手で穴掘りを始めたんだよな。店の借金も返しながらだから、中々に大変だ」


 飯福も身につまされる話だ。彼も10年ほど飲食の世界にいた人間。独立→失敗→借金返済というコンボを食らっている元同僚なども結構な数、見てきている。世界は違えど、そのサイクルに嵌ってしまった先達ということらしい。しかも10年前ということは、飯福が食の道に進み始めた時に、入れ替わるように去っていたということになる。

 ……かくいう飯福本人とて、幸い借金は無いが、この屋台がいつまで出来るものか、全く不透明である。


「オラたちは戦争で元居た家が無くなっただよ」


「んだ。黒の国の兵隊から家族ごと逃げてきただが、戦争が終わって戻ってみたら家も何も焼け落ちてただよ」


 兄弟は更にヘビーだった。


「ああ……そうか。黒の国と。七年前だよな」


 この世界の直近の戦争だ。ほぼ黒の国側の完勝に近い形で和平が結ばれたという。

 その戦中、上陸してきた黒の国の兵との戦地となった赤の国・北西部の都市群は焼け野原と化したと、かつてヨミテに聞いたことがある。


「兄貴にもカネさ借りたまま」


「返す前に戦死しちまっただよ」


「「オラたちと違って、勇敢な戦士だっただあよ」」


 半ベソをかきながら、軟骨串をガジガジとやり、ビールをグッと呷った兄弟。


(人に歴史ありだな)


 失礼を承知で言うなら、飯福にはこの三人はごくごくシンプルに生きているように見えていた。江戸っ子ではないが、宵越しのカネは持たないとでも言うように。美味いものを美味そうに食べ、呑み、ゲラゲラとふざけ合って笑い、少し冗談が過ぎれば、言われた方は怒ったり、言った方は謝ったり。悪い意味では決してなく、人間はこれくらいシンプルで良いのだと思わされるような。

 だが、そう見えてもやはり人が生きていれば、どうやったって傷はついていく。川に流される石を思う。コロコロと成す術なく大きな流れに身を任せ、時に他の石とぶつかり、傷をつけ合い、次第に角が取れて丸くなる。


「兄さんは借金とかなさそうだべな?」


 不意にトスが飯福に話を振った。ああ、いや、と口ごもる彼の脳裏を、今朝方に思い出した、兄に借りっぱなしの一万円のことがよぎっていた。だが正直に答えるには、あまりにあんまりな話だ。国のために戦って散った兄と、その兄に借りたカネを返せない事をシコリのように抱えている二人の前でヘラヘラ話せるほど飯福は無神経ではなかった。ただ、さりとて嘘をつくのも忍びなく。


「少しだけ。知人に。金貨二枚ほど」


 それを聞いた途端、三人はゲラゲラと笑い出した。


「金貨二枚なんて、借金の内にも入らねえよ!」


「わっはっは。酒でも奢ってやれば良いだよ!」


「んだ。それくらいの額だったら、美味いモン食って、美味い酒を一緒に呑んだらチャラだべ!」


「そう……かもな」


 元々、バーベキューで作った借りだ。返す時も、そんな風が良いのかも知れない。


「ようし! んじゃあ俺たちの今日の稼ぎ、全部落としてやるか!」


「んだんだ! ねぎまとビール追加だあよ!」


「オラは軟骨! このコリコリが堪らんべさ!」


「お、おいおい! 別にカネに困って返せてないワケじゃないから! アンタらこそ、カネは大事にしろよ!」


「「「わははははは」」」


 笑顔が弾ける。髭のポーティーも。やせぎすのトスも。太っちょのピスも。そして店主の飯福も。国どころか世界を超えて、シンプルに。共に美味い物を食べて、美味い酒を飲めば、こうして笑い合えるのだ。


(兄貴たちとも……そうだな、今度はカニでもドカッと買って俺の奢りで鍋をやろうって、誘ってみるかな)


 辛い渡世。せめて共に転がる兄弟石くらいは、気にかけたいものである。いつか別れる事になっても、その時に後悔はしないように。


「あ!? 銅貨一枚足りないだよ! 兄さ、貸してけろ!」


「だからもうやめとけって言ったべさ!」


「がははは。明日、もっと採りゃあ良い!」


 最後まで騒がしいまま店を去っていく鉱夫の三人。その背を見送った飯福も、余韻のような笑みを浮かべながら、網を片付け始めるのだった。

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