4:★ホットドッグ(白の国・聖都セレスティバーグ)

 異世界で稼がせてもらっている。飯福航いいふくわたるは、そのような主旨の発言を何度かしているが。第三者が彼のこの数日を見ていたとしたら「ほぼ適正価格の飯代を、しかも毎日一人からしか回収できていないのに、どこがだ?」と疑問に思うかも知れない。

 だが本日はその答え合わせが出来るだろう。飯福が休日を利用してやってきた、この白の国・聖都セレスティバーグにて。


 ………………

 …………

 ……


「はあ」


 普段の『一期一会』のロゴ入りシャツの上にエプロンという格好ではなく、この街のスタンダードな装い(白いマントに白い綿パンツ)を身にまとっているのだが。どこか異物感が拭えないのか、道行く飯福の正体を見破る者がチラホラいる。その度に、


「あそこにおわすのは、マレビト様じゃないか?」


「あ、そうかも知れないね。拝んでおこう」


 というようなやり取りが、本人の耳にも入る。フードを被り、髪も隠してしまっているというのに。飯福は再度、溜息をついた。


 マレビト。

 異世界からの来訪者を、この聖都では非常に神聖なものとして扱う。マレビトは六色神教ろくしょくしんきょうの主神・白の神セレスにいざなわれ、この世界にやって来るとされており、その際にセレスの御身に抱かれるというのだ。そうしてやって来たマレビトはしばらくの間、セレスの神気をまとっていると信じられており、最初に飯福がこの世界、この都市にやってきた時には混乱の極致の中、人々に触られまくるという謎現象が重なり、半狂乱となったものである。


 そう、この聖都は飯福が初めて例のクローゼットに吸い込まれ、降り立った地なのだ。ある意味では不運で、ある意味では幸運だった。意味不明のまま胴上げまでされ、恐怖にガチ泣きしてしまった苦い思い出もあるが、神気を分けてもらったということで、人々から莫大な寄付を受けたのである。他の国・街でもマレビトは歓迎はされるだろうが、ここまで狂信的に崇拝され、寄付まで受けるのは、この聖都だけである。


 ともあれ、それでかなりの財産を手に入れた。こちらのカネは、ただちに日本円に替えられるワケではないので、二手間ほどかける必要はあるが、そう難しいものでもない。そして今日、ここを訪れたのは、その内の一手間目をこなすためである。


 白い化粧レンガの道の両側を、これまた白い石造りの建物が所狭しと続く街並み。京都のような碁盤目状に作られているため、本来なら迷いにくいハズだが。やはり一面が新雪を被ったように真っ白なため、目印になりえる建造物等に乏しいのが痛い。


 飯福はそれでも一軒だけ場所を完全に把握している家屋、そこを訪ねた。木戸(これも白く塗装されている徹底ぶり)を拳の背でコンコンと叩くと、すぐに中から「は~い」と元気な声が返ってきた。

 バタバタと屋内を走る音がして、間もなく戸が開いた。中から現れたのは中性的な顔立ちの少年。赤い髪の上から白い頭巾をつけている。シャツとズボンも白色だ。


「あ、マレビト様!」


「やあ、久しぶり。ヨミテ」


 胸の中に飛び込んでくる少年を、飯福は優しく抱きとめた。女の子のように柔らかい髪を優しく梳くように撫でつける。


「今日は……宝石ですか?」


「うん。ある程度、売上金が貯まったからね。それと勿論、ヨミテにホットドッグも」


 そう言うと、飯福は手提げカバンの中から紙箱を取り出す。なるべく温度が逃げないようにする容器だ。


「わあ! ありがとうございます! ささ、中に入って下さい!」


 ヨミテは待ちきれないという表情で飯福の手を引っ張り、自宅の中へといざなう。飯福も優しい笑みを浮かべながら、ついて入った。室内には赤い布の敷物、木製(無着色)の椅子・テーブルと、白以外の色があり、飯福は少し落ち着く。

 聖都に住む人間は白を非常に重んじる。彼らが何より大切にする戒律、そこに規定があるからだ。家屋、そして聖徒の服装は八割以上白で占めるべし。また食事に関しても、週に五日は白い飲食物を口にするべし。といった具合だ。


「さあ、どうぞワタルさん」


 ヨミテは飯福と二人きりの時は、親しみを込めて下の名前で呼ぶ。人の耳目がある場では、先ほどのようにマレビト様と呼ぶが。

 椅子を引いてくれたヨミテに軽く手を挙げて礼をし、飯福は着席した。テーブルの上の布は白。花瓶も白で、花も白。八割は確保しないといけないので、仕方がない。


「今、ミルクを入れますね」


 白い陶器のカップに白いヤギの乳を入れ、ヨミテはテーブルの上に置いた。こちらも週間ノルマがあるので、仕方ない。


「じゃあ、こっちはホットドッグを」


 飯福はカバンからそっと紙箱を三つ取り出す。ヨミテに二つ、自分の分が一つ。今日はプライベートなので、ヨミテは客ではないし、飯福も屋台店主ではない。ただ友人と食事をするだけである。


「わあ、良い匂い」


 紙箱の蓋を開けると、途端にパンとウィンナー、そこに掛かったケチャップとマスタードの香り。その四重奏に、ヨミテは僅かに唾を飲んだ。本当に好きだな、と飯福に笑われ、少しだけ頬を赤らめる。


 準備が済み、二人向かい合わせに座って、ホットドッグにかぶりつく。


「ああ……この味」


 箱の中で少しだけ蒸らされたように、しんなりとしたパンはどこまでも柔らかく。その柔らかいパンの中央に挟まるウィンナーは逆に噛んだ瞬間「パキッ」と音を立てる歯応え。ただ皮が張っているだけで、それを破れば、中からジュワッと肉汁が溢れ、口内を満たす。更にウィンナーの上に乗っている甘みと酸味のケチャップ、辛味と粒々食感のマスタード。それら味と食感の多段攻撃を受け、ヨミテは至福の表情を浮かべた。


「何度味わっても、最高です」


「本当は湿る前のフワフワ焼きたてパンで作った物を食べさせてやれりゃあ良いんだが」


「ううん、僕はこれ好きですよ。そもそもこっちでは、こんなに柔らかいパンは存在しないから、それだけでもう最高なのに。このウィンナーの皮の硬さと合わさると絶妙で」


 言葉が偽りではないと示すように、また一口、大きくかぶりつく。たちまち口の中に広がる多様な味と食感に、再び恍惚とした笑みを浮かべるヨミテ。

 結局、瞬く間にホットドッグ二つを平らげ、控えめにお腹をさすって食休み。


「しかし不思議ですよね。ワタルさんのギフトは」


「そうだなあ」


 休日と宣言すれば、この世界の好きな場所にクローゼットの出口を設定できる。そして、食事提供ノルマも無くなるので、次の営業日にまた料理を考えた時にリシャッフルされるまで、そこと繋がりっぱなしだ。ただし設定できるのは一休日に一箇所だけのようで、一度戻ってまた別の国の別の街というのは同休日内では出来ないのだ。


「まだ試しきれてないことも沢山あるんだろうな」


 変に試すと、いきなりリンクが切れたりしそうで、飯福も大胆になりきれないのだが。きっと知らない機能、制約もまだまだあるのだろう、と。


「……取り敢えず、腹ごしらえも終わったし、行こうか。案内して欲しい」


「はい。お安い御用です」


 ホットドッグのお代に、目印のない街を案内して目的地に導いてもらう。それが飯福がここへ来た時の暗黙の契約であった。普段は、他国の観光客相手にガイドをやっているヨミテ、いわば本業の延長に近かった。


 家を出て、二人連れ立って道を歩く。キレイに直線になった道の両脇は住宅が立ち並ぶ。通行人たちは、ヨミテを見て、その後ろのやや大柄な男(飯福は身長175センチだが、この世界では十分に体格の良い部類だ)を見て、軽く頭を下げて通り過ぎていく。ここら辺の対応は人それぞれだが……先のように拝まれるより、これくらい淡白な方がやりやすいな、と飯福は思う。

 現在の彼は、マレビトではあるが、もう神気はないという状態、らしい。神気は通常、転移・転生の後、一週間ほどで消えると信じられている。ゆえにそれまでの間、代わる代わる触られまくったのだが。その時の記憶を思い返してか、飯福が苦笑する。


「最初は本当に驚かれていましたね」


「ああ。神隠しにあったと思ったら、いきなり知らない人たちに触られまくって、挙句は胴上げだからな」


「ははは。アレは空に残っている神気を更にまとわせようという狙いもあるんですよ」


「そうまでして搔き集めて、一人でも多く相伴に与ろうってことか」


 そこまで神気というものが有難いのだろうか。飯福には理解できない信仰だが、頭ごなしに否定もしたくない。事実、彼の家のクローゼットがおかしな事になっているのだって、科学的に説明などつかないのだから。本当に神の下賜ギフトと言われても否定する材料はないのだ。


「けどまあ、こっちでの世話役が結局、キミになったのは助かった。本当に助かった」


 六色神教ろくしょくしんきょうの総本山に、マレビト様とくれば普通は教団預かりとなりそうなものだが、お偉いさん方は飯福から神気を分けてもらうと、その後は自由に選ばせてくれたのだった。後から聞いた話では、なんでも教団上層部は権力闘争の火種になりそうだと危惧していたところに、飯福が無派閥の民間人を指名したので内心安堵したそうな。


「まあ僕の方は本当にビックリしましたけどね。最低でも大聖徒を選ばれると思ってましたから」


 聖徒というのが、このセレスティバーグの住人。教団の教えに粛々と従う、他の街でいうところの一般市民。大聖徒は教団に所属する者たちの総称。聖徒に比べて更に厳しい戒律を日々遵守しながら生活しているため、尊崇を集めている。


「権力を持ちたいなら、その一択だったんだろうけどね。生憎、そういうのは苦手だから」


 むしろそういう宗教・政治的なバイアスのない相手に、生のこの都市を教えてもらい、なんとか帰る方法をと、それ以外は何も考えていなかった。そしてそうなると、一番最初に飯福のためを思って、色々と心を砕いてくれた相手、ヨミテを選ぶのは必定だった。


「……ただそのせいで、キミには厄介をかけたね」


 言わずもがな、マレビトの世話を仰せつかることは、この聖都ではとても名誉なことである。だがその分、シンデレラボーイへの嫉妬も少なくなかった。流石に直接的な危害を加えられることなどは無かったが、陰口は随分と叩かれたようである。


「いえいえ。美味しい料理も頂けましたから」


「いや、そんなことくらいじゃ……」


 彼の家に世話になる間、飯福は料理を担当していた。せめてもの恩返しのつもりだったが。現実としては、調味料も、調理用のインフラも、何もかも足りず、思ったものを全く作ることが出来ない悔しさから、ヨミテが居ないところで本気で凹んでしまうこともあった。日本の調理環境がどれだけ恵まれていたのか、失って初めて骨身に沁みたものだった。


 ヨミテはのんびりと歩きながら、三番目の角を右に折れる。飯福も黙って続いた。

 曲がった先の通りでは、ちょうどいちが開かれていた。今日は装飾品のようだ。贅沢はあまり歓迎されない聖都だが、


「木曜日だもんな」


「はい」


 毎週、木曜日と火曜日は身なりを整えて良い日だ。散髪なども、基本的にこの二日の間に済ませるため、理髪師はその時だけ大忙しで、残りの日は別の仕事をしていたりする。とはいえ、週のうち完全休養日が二日、お祈りの日が二日あるので、残り一日、物資の運搬などの肉体作業をするだけだが。


「相変わらず週休四日かあ。憧れるわ」


 などと言いつつ、飯福も今の屋台業は実働五時間もなさそうなので、他の日本人には羨まれる立場だが。


「それ、他の人に言ったらダメですよ?」


「分かってるよ。お祈りが仕事、なんだよな」


 週二日のお祈り、そして日々、戒律を守って暮らすことで、他の国の分まで六色神の加護を世界にもたらしている。そういう定説があり、そのため他国から寄付金が集まるので、実質的な生産活動が週三回程度でも国が回っている、というカラクリ。


 ヨミテはいちをぐるりと見渡し、


「あ、あの髪飾り、可愛い」


 とても女子力の高いことを言い出す。尻の辺りで後ろ手を組み、小さな歩幅で歩く様も、飯福に錯覚を起こさせる。今年18歳になるそうだが、150センチ程度の身長しかないのも手伝うのだろうか。

 飯福はかぶりを振って、諸々をリセットする。


 市を過ぎると、やや閑静なエリア。もう少し行くと大聖徒たちが住む場所に辿り着く。彼らは権力階級のようなものと聞いて、さぞ豪奢ごうしゃな街並みに住んでいるのだろうと、当時の飯福は予想したものだが……実態は逆である。カネをよく稼ぐ聖徒の方がよほど良い門構えで、大聖徒たちは角の欠けたボロボロのレンガを積んだ家に住んでいる。暮らし自体も中々ハードなもので。週のうち、摂っていい塩の量、砂糖の量まで決まっているらしく、大抵は何の味もしない白一色の食事を摂っているとのこと。

 

「この先でしたよね」


 飯福のクローゼットが繋がった辺りだ。

 あの時は転移後すぐに、大聖徒の一人に見つかり、あれよあれよとたかられ、そこから先は飯福の回顧の通り。ボディータッチと胴上げの乱舞である。突然の胴上げに酷く怯える飯福。逃げ出し、路地の奥に立てこもると、拾った木の棒を振り回して誰も寄せつけない始末。途方に暮れる大聖徒たち。そこで白羽の矢が立ったのがヨミテだった。他文化の観光客を相手にガイドをしている経験を買われ、状況説明などを任されたのだ。


 そこから彼は根気よく、飯福が置かれている現状、マレビトの概念、身体的接触は神気をもらうためである事などを説明した。大聖徒たちは、ひたすら自分たちの教義を押し付けるだけで、相手が六色神教すら知らない可能性などハナから考えてもいなかったのだ。この素晴らしい教えを知らない人間など居るハズがないという視野狭窄。飯福が後に世話役を選ばされた時、ヨミテを指名したのは至極当然と言えよう。


「あの時はなあ……食い殺されるんじゃないかと、マジで思ったよ。なんか耳噛んでくるヤツとかいたし」


 男・飯福航(29歳)ガチ泣きだった。食人文化がある未開の民族の可能性をかなり疑っていた。というより、今となっては、よくショック死しなかったと過去の自分を褒めてやりたい気分でもある。


「その後、僕の家に一週間くらい滞在されたんですよね」


 ちょうど神気が切れるとされる日まで。なにせ昼間はひっきりなしに人が訪ねてきたのだ。神気が切れる前に、マレビトに一度でも触れておこうという魂胆で、聖都中の人が来たのではとすら飯福は思っている。

 そんなワケだから、ロクにどこへも出かけられず、帰還の手がかりも掴めないまま時間だけが過ぎたのだった。ただ悪いことばかりでもなく、


「あの一週間で20年分くらい稼いだよなあ」


 金貨1万枚。日本円だと5000万円相当である。それだけの寄付があったからこそ、我慢できたとも言える。アイドルの握手会もカネの生る木だろうが、彼・彼女らの気分を、まさか異世界で味わうことになるとは飯福も思いもよらなかった。しかも事務所などがハネないので、こちらの方が遥かに個人の利益率は高い。


 迷惑料と感謝料で、飯福はヨミテにもいくらか包もうと思ったのだが、固辞されてしまっていた。マレビト様から金員を受け取るなど出来るハズがないと言われ、なるほどそういうものかと納得した。ただでさえ相当やっかまれているのに、そこまで負わせるのは、逆にありがた迷惑か、と。


 通りを抜け、北へ直進。大聖堂が見えてくる。これまた白一色のおごそかな造り。丸い柱が何本も並び、まるで結界のように堂を囲っている。だがそこには行かず、その手前で右に折れた。しばらく道なりに進むと、一軒の商店に辿り着く。白い化粧レンガの外壁に、しかし僅かに金粉を散らしている。下品と言われないギリギリのラインを攻めている、とは飯福の内心の評。


「いらっしゃいませ。おや、マレビト様ではないですか。ヨミテも」


 店内に入ると、中年の男に出迎えられる。白いマントこそ羽織っているが、腹がデンと突き出している、まあ端的に言って肥満体。宝石商人のルサンドという男だ。


「本日もお買い上げで?」


「ああ。ダイヤモンドを。予算は金貨100枚ほどで」


 約50万円だ。50万円で買えるダイヤモンドなど、たかが知れているだろうと飯福も思っていたのだが……これが中々どうして、日本に持ち帰るとならして倍ほどの値がつくのだ。どうも赤の国(比較的貧しい国だ)で採れるそれらを、寄付金代わりの物納で許している代わりに、値段も若干控えめの設定をしているらしい。加えて白の国でも一部で採れるため、更に廉価となる。

 しかもしかも。クラリティというダイヤモンドの等級を表す指標があるのだが、それもこの世界では知られているハズもなく。時々、倍とは言わず、当たり馬券のような増え方をする時もある。ただその際には日本の店員に「どこで手に入れられましたか?」と必ず聞かれるので、あまり同じ店では売却できないのが玉に瑕だが。


 これが飯福が「異世界に稼がせてもらっている」という根拠だった。握手会の貯金と日々のショボい売り上げを合わせて、こうして折を見て宝石を買う。一気に5000万円分購入して換金する勇気が小市民の飯福にあるハズもなく、こういうやり方を取っていた。


「はい、毎度ありがとうございます」


 清貧を旨とする白の国において、火曜と木曜日だけ営業できる店だ。主な客は観光で訪れた海外の人間。だがそこにマレビトが現れ、こうして定期的にカネを落としてくれる。店主としては教義を脇においても、マレビト様様だろう。


 買い物を済ませて店を出ると、来た道とは反対周りに戻っていく。ヨーグルトを出している屋台があった。硬く黒いパンに塗りつけて供するようだが、それを見てヨミテは渋面を作る。先程の飯福のパンを食べた後では、とてもではないが食指は伸びないようだ。


「あ~あ、明日からまた硬いパンか」


「……」


「僕もマレビト様の世界に行けたらなあ」


 実は、最初にクローゼットを通ろうとした異世界人はヨミテである。

 一週間が過ぎ、神気がなくなったとされたその日、パタリと握手会の客足が途絶え、飯福は日本への帰り道を探し回った。やはり最初にこちらの世界へ出てきた付近が怪しかろうと、2~30分歩き回っているうちに、スポッと虚空に踏み込めてしまったのだ。すると突然、長方形の形に虚空が光り、気が付いた時には飯福は自宅の居間にいたのだった。それはもう狂喜乱舞の様相だったが、すぐに背後からゴチンと音がして振り返った。ついて来ようとしたヨミテが何故か光の長方形に弾かれてしまった音だった。心配して咄嗟に向こう側へ戻る(まだ自由に行き来できると確証はなかった段階だったので軽率な行動だったが)と、ヨミテが尻餅をついていた。その後、何度、誰で試してみても、通れるのは飯福だけ。そこから、異世界人はクローゼットを通って日本には来られないという結論を出したのだった。


 そこで残念ながらヨミテとはお別れだと、二人ガッチリ握手を交わし、サヨナラの挨拶としたのだが……待てど暮らせど、クローゼットが聖都と繋がったまま、いっかな動かなかったのだ。これは何か異世界とのパスを切る条件があるのではと、飯福は考え。そしてキッチンに置きっぱなしで一週間経ったパン(カビが生えていたので廃棄した)を見て、勘が働いた。


 クローゼットに吸い込まれる前に、ホットドッグを作ろうとしていたのを思い出したのだ。ユルチューブでホットドッグのキッチンカーの動画を見て影響されたのだ。自分もああいう屋台を出せたらなあと、それくらいの軽い気持ち兼自分の朝食用だった。

 飯福はホットドッグを作り直し、ヨミテに食べさせてみた。大層気に入り、大喜びだった。そしてそれで、なんとなくパスが切れた感覚があり、慌ててもう一度挨拶をし、自室へと戻った。世話になったのに、最後がああいう別れ方になったのは気がかりではあったが、飯福はその日はすぐ泥のように眠ってしまった。


 その後、様々な試行錯誤の末、休日に行き先の自由選択が可能なことが判明。そして聖都・セレスティバーグを改めて訪れ、ヨミテと再会を果たしたのだった。

 それ以来、ホットドッグは彼らの友情の証にして、飯福にとっては異世界で初めて提供した記念の料理となったのだ。


「……家まで戻ってきちゃいました」


「うん。今日はありがとう……また来るよ」


「きっとですよ」


 10以上歳の離れた弟のようにも感じるが、大恩ある相手でもあり……飯福としても不思議な関係だが。少なくとも「一期一会」ではない縁を持っているのは異世界では彼と他数名だけである。


「そうだ。お土産」


「え?」


 飯福は手提げカバンをガサゴソと漁り、紙箱を取り出した。先ほど食べたホットドッグが入っていた箱と同じ物。ヨミテはパアッと笑顔の花咲かせ、しかしすぐに笑みを引っ込め、代わりにプクッと頬を膨らませてみせる。忙しいことである。


「隠してたんですね?」


「はは。一度に出すと全部一気に食べちゃうだろう? これは三時のオヤツにすると良い」


「もう! でも……ありがとうございます。やったー!」


 両手で受け取ると、その場でクルクル回る。幼児のような仕草に、飯福は苦笑した。

 今度こそ手を振り合って、二人は別れる。去り際、光の中へ消えるその瞬間まで手を振り続けてくれる友人に飯福も手を振り返して、そうして日本へと戻った。


「……俺も、もう一個作って食べるか」


 時計を見る。午後2時45分。急げば三時に間に合いそうだ。違う空の下、違う地平の上。それでも同じ物を同じ時間に食べられるのなら。

 飯福は早速、鍋に水を張ってコンロにかけ、ボイルウィンナーを作り始めるのだった。

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