3:卵とじうどん(黄の国・第8の都市)

「ごめんくださ~い」


 年季の入った引き戸を開けて店内へ足を踏み入れたアラサーの男。

 異世界屋台『一期一会』(時に『ボヤージュ』)の店主、飯福航いいふくわたるが本日訪れたのは、商店街の端にある名店『一哲うどん』だった。


「は~い」


 中から現れたのは、皺の多い顔を更にクシャクシャにして笑みを浮かべる好々爺こうこうや豊原一哲とよはらいってつだった。一哲氏は飯福の顔を確かめると、「久しぶりだね」と挨拶する。


「どうも。少し空いてしまいましたね」


 前回訪れたのは、異世界屋台を始める前、三~四ヶ月くらい前だろうか。


「今日も麺だったね? 5玉」


「はい。お願いします」


 事前に電話をして、欲しい玉数も伝えてある。カクシャクとした老人は、厨房にいる夫人にアイコンタクト。彼女は既に冷蔵庫からポリ袋を取り出すところだった。あの袋の中に、注文の自家製麺5玉分が入っているのだろう。『一哲うどん』を長寿店たらしめる命綱。それらは店でも直売しており、つゆも添付してくれるので客としては至れり尽くせり。


「はいよ。飯福さん、お久しぶり」


 こちらへ来た夫人とも挨拶を交わす。ビン底メガネの奥で、目が糸のように細くなる。


「今日はお休み?」


 う、と返事に詰まる飯福。無職ではないのだが、人には絶対明かせない仕事をしている身としては、この手の質問は辛い。


「実は前職は辞めまして」


「あら? そうなの。お料理の道も?」


「いえ。料理は続けてまして……」


 なんとも言いにくそうな飯福の様子に、夫人も一哲氏も追及をやめた。人には、人生には、色々ある。代わりに、


「そうだ。今度ね、六車むぐるまさんの所でキッズ食堂をやるんですって。試験的にだけど、いけそうなら永続的にって話もあって」


 そんな世間話のような、お誘いのような話を振る。調理担当としての参加でも、ということだろう。もちろん、記憶に留めておいてね、くらいのニュアンスだが。


「なるほど。ありがとうございます。時間が合えば行ってみようかな」


 詳しい日時を聞いて、飯福はうどん屋を後にした。


 家に帰ると、早速、湯を沸かし始める。鼻歌など歌いながら、かまぼこを切る。出る前に湯で戻しておいたワカメもまな板に乗せると、ザクザクと不揃いに切った。見栄えも大して気にしていない。そう、このうどんは彼の昼食である。買ってきた麺を脳死で茹で、つゆも添付の物を使用し、具材はテキトーに切って、市販のカットねぎを散らすだけのズボラ飯。

 料理人あるある、かは知らないが、やる気ゼロの日の飯福の自分用飯は大体こんなものである。


「まあそれでも、麺が絶品だから美味いんだけどな」


 コシとモチモチ感の同居。レベルの高い合格点を超える麺、オールウェイズ出してくれるのだ。


「はあ。屋台もこんくらい手抜いてやろうかな」


 やりもしないくせに言ってしまうのは、サラリーマンが「今日もう会社休んで海でも行こうかな」などと言って仕事のストレスから一時逃避するのに近い感覚だろう。なにせ本日は今週の仕事を始めて三日目。つまりサラリーマンの水曜日。ちょうど大人のイヤイヤ期にあたる。毎週くる分、子供より性質たちが悪いが。


 湯が沸騰するのを待つ間、スマホでも弄るかと居間に目をやった時だった。

 パアーッとクローゼットが光っていた。本日の屋台で出す料理が、飯福の中で決まると、場所と人の選定が始まり、それが終わるとこうして光って告げてくるのだが……


「ま、待って! ちょっと言ってみただけじゃねえか! 真に受けるなよ、そんな!」


 飯福は慌てて釈明するが、クローゼットは聞いているのかいないのか。そもそも原理からして不明な現象に交渉など意味があるのかすら分からない。


「……」


 基本的に一度決まると、その場所でその料理を提供しない限りは、リシャッフルはされない。途中で日本側に戻ることは可能だが、提供をしない限り、次に入っても全く同じ場所に繋がる。


「ふと思ったんだけど、その日の客に決まった人間が、屋台に辿り着く前に病気や事故で死んだ場合とか……そういう場合はリシャッフルされる、よな?」


 その懸念に今まで行きあたっていなかったのが不思議なくらいだが。一度気付くと、とても捨て置けない懸案事項だった。


「まあ……もう言い出したらキリがないけどな」


 そもそも向こうに行ってる間に突然、このクローゼットとのパスが途絶えたりしたら、完全に残留おじである。リスクは常にあるのだろう。

 とはいえ、二週間ほど放置するとまた強制的に吸い込まれるので、やらない選択肢はないワケで。まあそれを置いても、向こうの世界には旨味もあるが。


「……取り敢えず、覗いてみるか」


 せめて繋がった先の国と都市くらい予習しておいた方が良いか、と。飯福は輝くクローゼットの中を覗き込むのだった。



 ◇◆◇◆



 モストリーは、バッサバッサと翼をはためかせ、前を飛ぶ先輩に追いつかないよう、しかし離れすぎないよう、細心の注意を払いながら距離を保っていた。先輩の飛ぶ速度が少しでも下がると、すわバードストライクかと心臓が跳ねる。


(……早く、早く着いてくれ)


 祈るような気持ちで翼を動かし続けるモストリーの耳に今度は、


「きゃっ!」


 と、女性の甲高い声が聞こえた。客船の方のスピードを上げ過ぎたか、あるいは揺らしてしまったか。モストリーは血相を変えて振り返る。怪我でもしていたら……と思ったのだが、どうも若い男性が連れ合いの女性の尻をイタズラで触っただけのようだった。


(公共の乗り物で乳繰り合うのはご遠慮願いたい……!)


 紛らわしい。だが自身の失着ではないと知り、ホッとした。


 モストリーが今、腰に結んだロープで慎重にいているのは、空を行く気球船。本来は風任せのそれを、黄のマナタイトを使って追い風を起こし、鳥人族ちょうじんぞくが牽くことで指向性を持たせる。その気球船に人や貨物を乗せれば、それで即ち商売という寸法。

 そしてモストリーはその仕事を始めて二カ月。気球御者ききゅうぎょしゃの新人という立場だった。


「止まれ!」


 先輩の怒声に前を向き直ると、彼は今度こそバードストライクを水際で防いでいた。鳥人と鳥、知能指数が違うため、会話は成り立たない。だが鳥は鳥人を上位種と本能で認識しているせいか、あまり不用意に近づくことはない。なので、ここまで近づいてくる前に大抵は向こうが気付いて避けていくのだが。まあ所詮は禽獣。ボケッとした個体も少なくないのだ。


 気球に穴を開けられては、優雅な旅が一転、墜落の危機となる。それはもう、血眼になって衝突軌道上の連中をどかすというワケだ。時には身を挺して気球を守った結果、鳥のクチバシが突き刺さり大怪我をする者もある。そう、モストリーが新人だからキツイ役をやらされているという事実はなく、むしろ危険度で言えば先輩たちの方が遥かに高い。ゆえに(牽引係を侮るワケではないが)こちらはキッチリこなさないといけないという重圧こそが、彼の胃をキリキリさせている最たる要因だった。


 加えて……隣の御者はモストリーの教官。仕事をこなしながらも、モストリーの習熟度も見ている。寡黙な男なので、自分の一挙手一投足が加点になっているのか、減点になっているのか全く検討もつかない。これもまた、新人御者の胃には、ボディーブローのようにジワジワ効いているのだ。


「……間もなく終点、黄の国・首都に到着!!」


 気球の後ろにも御者が二人いるのだが、その内の一人が案内役。彼の大音声が報せた内容は、乗客にホッとした弛緩を与えるが、モストリーにも同様だった。もちろん彼の場合は着陸まで気を抜けないが、それでもやはり終わりが見えれば、どうしても安堵は抑えきれない。


「気を抜くなよ。下りる時が二番目に接触が多い」


 教官の男に釘を刺される。事実、前後左右を固める気球衛者ききゅうえいしゃとの接触事故が二番目に多いのが離着陸時である。一番は言わずもがな、衛者が鳥に対処する際に急制動がかかった時。つまり衛者の中でも気球の進行方向を守る者が最も危険ということになる。


 どうにか無事に気球を下ろした時には、モストリーのシャツは冷や汗でグショグショだった。はあ、と大きく息を吐き、詰所へ入る。半人半獣の鳥人たちは、顔は人間のものだが。肩から巨大な翼、胴体には鳥の体毛、そして爪先もまた鳥と同様、三前趾足さんぜんしそく、細く頼りない指(?)が四つ股に分かれた形をしている。

 モストリーは肩を(人間型の)手で揉んで、翼を畳んで小さくする。詰所は狭いので、特注の椅子に腰掛けながら、出来るだけ通行の邪魔にならないよう、体自体も縮めている。誰もそこまで強要していないのだが、気を回しすぎる彼の性格がゆえであった。特に自分はまだまだ隊の足手まとい、という認識を持っているせいで、文字通り肩身の狭い思いをしているのだった。


「よーし、次の便だな。行くぞ」


 一番のベテランの男(先程モストリーの前を飛んでいた衛者だ)が、すっくと立ち上がる。一番仕事が出来て、一番この仕事を愛している男で、本当は休憩すらまどろっこしいと思っている性質たちで。モストリーは仮に何十年勤めても彼のようにはなれないだろうな、と思うのだった。






 夕方四時半。フラフラになって退勤、文字通りの千鳥足で家路を辿るのが、モストリーの毎日のルーティンである。暗くなると気球は危ないため、退勤時間は早い。実働は六時間半。だがそれでも、この有様である。

 アパートメントの部屋に戻ると、ギュルルルと腹が鳴った。緊張から解き放たれた瞬間、体が脱糞を促すのだ。本当は毎朝、出勤する前に出しておきたいのだが、「出さなきゃ」と思えば思うほど、腸の中に引っ込むかのようで。


「はあ~」


 気が弱い、気を回しすぎる、こういう自身の性格が心底イヤになるモストリー。

 出すものを出すと、次いで訪れたのは抗いがたい眠気。硬いベッドの上に身を投げ出すと、泥のように眠った。


 ………………   

 ………… 

 …… 


 はたと、目が覚めた。体を起こし、目を擦っていると、グルルルと腹が鳴る。先程の腸の蠕動運動ぜんどううんどうとは違って、今度は正真正銘、腹の虫だった。

 ちょうど、街に響く鐘の音が聞こえる。七回。午後七時だ。窓の外もすっかり暗くなっていた。


「はあ、仕方ないな。なにか食べに行くか」


 明日は休み。一般的な労働者ならパーッと酒を飲んで疲れを癒すのだろうが、生憎モストリーはそんな気分にはなれない。腹は減っているが、ストレスに蝕まれた胃は荒れている、という状態。果たしてこんな二律背反な体を満足させる食事はあるのだろうか。


(まあ……あるワケないよね)


 黄の国は食のレパートリーが極貧。国土の半分近くを砂漠が占めるため、野菜、豆、肉などは貴重で。そこそこ育つ香辛料、それらを活かした昆虫食がメインである。油で素揚げにした虫に、エグみ臭みを消すために香辛料を大盛にする。大体の黄の国料理に共通する調理法だが、これが今のモストリーの傷んだ胃に優しくないことは明白。加えて言うなら、彼はそもそも昆虫食自体、全く好きではない。


 とはいえ、他にほぼ選択肢はないのだから、その中から見繕わなくてはならない。せめてワタを取り除いてくれている料理屋はないものか。ああ、故郷のスープが飲みたい。そんな願っても叶わないことを考えながら、モストリーは飲食店街をフラフラする。


「っくし!」


 寒い。砂漠に程近い、黄の第8都市。夜は一等冷えこむ。翼を縮こめ、早足で路地を抜けようとした、その時。


(……いま何かキラッと光ったような?)


 鏡の反射のように長い光が、横顔に当たったような気がしたのだ。キョロキョロと路地を見渡し、モストリーは珍しい形の屋台を見つけた。料理の提供台の上に四本の柱が立ち、その上に三角屋根。屋根からは四枚の布きれが垂れ下がっている。その布には解読不能の文字が書いてあった。


「え?」


 そして屋台の向こう側、黒髪の男がいた。低くも高くもない鼻に、切れ長のキツネ目。その瞳も、よく見れば黒色をしている。ここら辺では見かけない身体的特徴。一発で余所者と分かる男だった。

 目が、合ってしまった。マズい、と。咄嗟に顔を俯け、足早に通り過ぎようとして……


(なんだろう、この匂い)


 目が痛くなるような香辛料の匂いとは雲泥の差。どこか控え目に、ふんわりと漂うような芳香。スンスンと鼻を鳴らしてモストリーは立ち止まる。そして屋台を振り返る。匂いの元はそこだった。


「あ……あの」


 おっかなびっくり声を掛けてみるモストリー。店主らしき黒髪の男は、何とも複雑な表情で鳥人の青年を見つめ返す。


「えっと、ここって屋台、なのかな?」


「まあ。そう、だな」


「ごめん。開店前とかだったかな?」


「いや、やってるよ」


「えっと、何の屋台か聞いても良いかい?」


「今日は……あー、うどんだ」


「うどん?」


「あ、ああ」


「どんな料理だろう?」


「料理っていうか、まあ。料理には違いないんだが……」


 何か終始、奥歯に物が挟まったような返答だ。モストリーが訝しげに首を捻る。


「まあ出すしかないんだよな。しょうがねえ」


 店主の中で何か折り合いがついたのだろうか。


「折角だから食べて行きなよ。うどん」


「い、良いのかい? なんか乗り気じゃなかった感じに見えたけど」


「……いや、大丈夫だ。水を持ってくるよ。座って待っててくれ」


 店主はそれだけ言って、後ろに下がる。すると信じられない光景が眼前に広がった。モストリーは唖然とした表情で、光の長方形の中に人が消える瞬間を目撃していた。



 ◇◆◇◆



 飯福としては、未だに少し複雑な心境だった。無論、一哲氏のうどんにケチをつける気はない。ただ、元は自分用の手抜き飯のためと認識した物を、客用に出すという、そこに抵抗を覚えているのだ。

 単なる気持ちの問題だとは彼も自覚している。普段出している料理とて、醬油や酢を自分で配合しているワケではないのだから、そういう意味では全くの独力で作っているとは言えない。それに、もし最初から屋台でうどんを出すつもりだったとして、手打ちしたかと言われるとノーだ。


「……」


 いずれにせよ提供して客に食べてもらわなければ、部屋のクローゼットは一生、この黄の第8都市の寂れた路地に繋がったまま。再三になるが、一度クローゼットが決めた以上は、飯福に拒否権は無いのである。


(……せめて。せめて何かトッピングをしたい)


 そう思って、この時間まで足掻き、考えつく限りの用意をした。海老、イカ、アナゴの三種天ぷら。山菜。とろろ。卵。ワカメ。キクラゲ。しいたけの煮しめ。どれも黄の国では採れない物ばかりだが……いくつか結局は既製品を買っているので、出来れば天ぷらを乗せたい。そういう方向に誘導したい。飯福はそんなことを考えている。


 水の入ったグラスと、トレーに乗せたトッピング類を持って、屋台の方へ戻る。

 待っていた客は、飯福を見ると、


「も、もしかして、あの光の先は異世界で……アナタはマレビト様……なのではないですか?」


 畏まった様子で訊ねてくる。こちらの世界の人間は通常、初対面同士でもあまり敬語は使わないのだが。相手が宗教的に高位(白の国の大聖徒など)の場合などは例外である。ただ飯福としては居心地の良いものではなく。


「いや、そんな大層なモンじゃない。神気もないし、今やただの料理人だ」


「そう、なんですか?」


「敬語もよしてくれ。それより……ほら、うどんに乗せるトッピング……おかずみたいな物の候補を持ってきた。選んでくれ」


 飯福はさっさとマレビト関連の話を終わらせる。トレーを台の上に置いて、客の鳥人の前に晒す。天ぷらがデンと前面に陳列され、次いでシイタケの煮しめ、それらで隠すように出来あいの品々の順だ。


「この黄色い食べ物たちは……あっ。甲殻か……」


 海老天の尻尾を見て、露骨に落胆する客。その隣のアナゴ天を見て、


「なんかこの形……」


 そう言ったきり黙り込んでしまった。何か、あまり琴線に触れないどころか、嫌がっている素振りに見受けられた。マズい、と焦った飯福は、これは海老とアナゴ、黄の国では貴重な海産物で、身が締まっていて美味い、などと懸命にアピールするが……客人は難色を示したままだった。ただ飯福のゴリ推しを感じ取って、


「じゃ、じゃあ物は試しだし……」


 断り切れないといった感じで決めかけた、その時。シイタケの裏に隠れた白く丸い物を客の目が捉えた。


「あ! た、卵じゃないの? あれ」


「え? あ、ああ。鶏卵だよ」


 共食いみたいなものだから、まさか選ばないだろうと思いながらも一応、数合わせのつもりで持ってきたのだが……


(メッチャ見てるな)


 キラキラとした少年ような瞳で。


「懐かしいなあ。僕、緑の国の出身でさ。あっちは食用に適した卵を産む鳥が沢山いたんだよね」


「あ、ああ。知ってるよ。行ったことがあるから」


 肥沃な土地に、多種多様な植物。動物も沢山いて、木の実も素晴らしい。食材の宝庫、ややもすると日本で探すより良い物が手に入ったりする。


「本当かい? 僕は第36の都市、っていうか村の出身なんだ」


「ああ、俺が直近で行ったのは第3だな。世界最大の小麦生産地」


「おお! 第3かあ! 良いなあ」


 嬉しそうな客人は、飯福と話しながらも、チラチラと卵を見ている。


「……」


 心の中で溜息をついた飯福。客が望まない物を無理に推して頼ませるのは、自分用の飯を出すより、更にポリシー違反だ。仕方ない、と諦めた。


「この卵を使って、そうだな、卵とじうどんなんてどうだろう?」


「卵とじうどん……全くどういう物かは分からないけど、虫は入ってないよね?」


「入ってないよ。アンタ……虫嫌いなのか」


「うん。そんな食文化は故郷には無かったから」


 緑の国は36番目の辺境ですら昆虫食をしなくても十分に食糧自給している、ということ。


「それじゃあ、黄の国は辛いだろう」


「うん。仕事も上手くいかないし、食も合わない。本音を言えば帰りたいよ」


 弱々しい笑みで愚痴をこぼす青年。


「でもおカネが要るんだ。妹が難しい病気で、都会で手術ってヤツを受けさせてあげたい」


「ああ、なるほどな。ってなると、アンタ、気球衛者ききゅうえいしゃでもやってんのか?」


 出稼ぎの鳥人たちにとって、最も給料が良いのは気球船関連職である。


「いや。御者見習いってところ。今はまだまだ衛者なんてやらせてもらえないし、僕自身、出来るとも思えない。今はっていうか、一生あんな難しくて責任ある仕事なんて出来ないんじゃないかなって」


 自嘲気味に笑い、胃の辺りをさする鳥人の青年。ストレス性の胃炎にでもなりかかっているのだろうか。


「あ、ゴメンよ。こんなつまらない話聞かせて」


「いや、いいよ。店主のオヤジに愚痴吐いて酔いどれるのも屋台の醍醐味だ」


 飯福はそう言ってやるが、客人は少しホッとしたような表情を浮かべただけで、酒への期待に目を輝かせる風でもなかった。下戸なのか、想像以上に胃が重いのか。


「……卵とじうどん、少し待っててくれ」


 飯福は、そう言い残して再びクローゼットの中へ。

 キッチンへ入ると、湯沸かしポットのスイッチを入れる。そしてコンロの上に鍋をかけ、中に一哲氏自慢のつゆ、適量の水を足し、煮立て始める。ボウルを取り出し、少量の水と片栗粉を入れ、溶かした。


「あとは長ネギくらいかな」


 消化を考えると、切った後、少しレンジで加熱してしならせる方が良いだろう。


「…………やっぱ超簡単だよなあ」


 再び面倒くさい料理人の葛藤が鎌首をもたげるが、飯福は軽くかぶりを振って、追い払った。

 ポットの中で湯が沸いた。鍋に移し替え、その中にうどんを投入する。つゆの方が軽く煮立ったので、水溶き片栗粉を入れ更に弱火で煮る。長ネギをレンジへ。客人ご所望の卵を割り、椀に落とす。菜箸でカッカッカと音を立てながら混ぜた。


 うどんを箸で軽く掬って状態を見る。アルデンテより少し柔らかく。胃のことを考えての配慮だ。麺鉢に移すと、その上につゆをかけていく。溶き卵を回し入れ、余熱でとろとろ半熟に。最後に長ネギを置いて完成。

 レンゲと箸を用意し、


(あ。緑の国は確か箸は使わないんだっけか。ああ、いや、黄の国が使うか。虫は箸で摘まむからな)


 そもそも箸が使えない者が、今晩のうどんの客には選ばれないだろう。色んな文化を毎日わたるせいで、ちょくちょく混乱するが、クローゼットが選ぶ客は原則、その料理を難なく食べられる文化圏の者だ。


「よしっ」


 最後に全体の見栄えをもう一度確認し、器をトレーに乗せた。クローゼットを抜け、世界を渡り、客の下へ料理を届ける。


「はい、卵とじうどん、お待ちどう」


 提供台に置くと、鳥人は目を見開いた。


「す、すごい。見たことない料理だ。上にかかってる卵はスープの余熱でトロトロにしたんだよね? 青い野菜は……ネギか」


「ああ」


「シャキシャキして美味しいんだよね」


「いや。少しシナッとさせてるよ。アンタ、胃が悪そうだから」


「う。気付いてたのかい?」


「まあ顔色も優れないし、仕事のストレスも多いらしいし、胃の辺り何度もさすってるし」


 たはは、と客人は笑い、


「この白くて長いのが……うどんなのかい?」


 箸で摘まんでみせる。


「そうだ。消化に良いから、胃が荒れてる時や病気の時なんかにも好んで食べられているな」


「そうなのか。それは助かるよ。正直、激辛の昆虫料理は今の体の調子では厳しかったんだ」


 客の青年は摘まんでいた一本を離し、今度はガバッと数束掴み直して、口に運ぶ。二度、三度、咀嚼し。


「ん、んまい!!」


 目をキラキラとさせる。屋台に来てからこっち、最も良い表情だった。嚥下すると、


「なんだろう。初めて食べる味だし、信じられないくらい美味しいんだけど、どこか懐かしい感じがする」


 それはもしかしたら、小麦粉で出来ているからかも知れない。彼の故郷、緑の国は先も飯福が言ったように、小麦の生産量が世界一位の国だ。


「このスープも辛いけど鼻を刺すような酷いヤツじゃない。それにほんのり甘さもある。あとなんか微かに磯の香りまでするような」


「昆布出汁だな」


「コンブ……? 聞いたことないけど、とにかく、色んな味を混ぜて作ってあるんだね」


 青年は今度は卵とあんをレンゲで掬って口に運ぶ。


「うん! うん!」


 力強く頷いた。


「なんだろう、トロッとした物に包まれてる。けどそのトロトロと卵の柔らかさが凄く合っていて……」


 言いながら、今度は麺とつゆもレンゲに乗せ、大きく口を開け頬張った。


「ああ……なにか、僕まで包まれるような」


 もう一口。


「あったかい。美味しい」


 母の腕に包まれた幼児のように、安らかな表情だった。


「不思議な感覚だよ。飛び上がるほど美味しいし、未知の味に興奮もしてるハズなのに……本当にホッとするんだ」


「そいつは良かった」


 飯福もまた、ちっぽけな自分のこだわりが氷解するような心地だった。食事が人を笑顔にする。幸せにする。それを近くで見たくて、自分がそれをもたらしたくて、この道を志したのだから。その第一義を果たせているのなら、何をか言わんや、である。


「……」


 それから青年は、ほとんど無言で麺を平らげた。つゆまで飲み干すと、ふうと大きく息を吐いた。


「美味しかった。卵も麺も、スープも。こんなに食欲が満たされたと感じるのは、随分と久しぶりな気がする」


 しみじみと言って、腹をゆっくりさする。胃の辺りには掌を当てることもなく。


「……ねえ、店主さん。いつもここでやってるのかい? そうなら、これから足繁く通いたいよ」


「ああ、いや。この屋台は旅をするんだ。明日はきっと全く別の国の別の都市だよ」


「そ、そうなのかい……それは、残念だな」


 青年の顔があからさまに曇る。無理もない。また明日からスパイスたっぷり昆虫食に逆戻りとなることが確定したのだから。

 そんな様子を見かねて、飯福は少し考える。そして。


「ちょい待ってな。残りのうどんを持ってくる」


「え? え?」


「一日くらいは常温でも腐らないと思う。明日、昼夜と食べなよ」


「え? それって。この料理をくれるってこと?」


「ああ」


 空になった器の乗ったトレーに、グラスも乗っけて、飯福はそれを下げる。そしてもう一度「少し待っておけ」と言い残し、光の中へ消えた。


「まあ明後日からまた昆虫食だろうから、焼け石に水かも知れんが」


 それでも。薬膳料理ではないが、二日、胃を休めさせてやるだけでも違うだろう、と。そう思うことにして、飯福は『一哲うどん』特製の麺つゆを空のビンに移し替える。冷蔵庫から、うどんも取り出し、ビニールを剥いだ。陶製の皿に乗せ、上から紙の蓋を被せて準備完了。ビンも皿もまとめて麻袋に入れて持ち上げる。


(ガラスビンも、陶器も既にあっちの世界にはあるからな。大丈夫だろう)


 飯福は向こうの世界の技術や文化に対してなるべく干渉したくないし、そんな権利もないと考えている。どこまでいっても自分はしがない料理人である、と。


 異世界側に戻って麻袋を渡すと、青年にいたく感謝される。が、質の良いガラスや陶器を見て、彼は血相を変えた。食事代に合わせてお土産+この容れ物……恐ろしい値段になるのでは、と。青ざめる客に、飯福は小さく笑って、会計を告げる。


「まあ〆て銀貨1枚、銅貨7枚ってところか」


 1700円である。


「え!? そ、そんなに安くて良いの?」


 青年は驚くが、飯福としても、『一哲うどん』の麺とつゆを横流ししている状態で、ボッタクリなど働けるハズもない。


「まあ妹さんのことや、アンタの仕事への応援と思ってくれ」


「店主さん……!」


 グッと唇を噛んだ青年。ふと触れた人の優しさに感極まったのだろうか。


「今日、ここを通って本当に良かった。こんなに優しい料理を出す、優しいお店に出会えるなんて……なんだか明後日からまた頑張ろうって気持ちになれたよ」


 懐から巾着を取り出し、勘定を置く。麻袋を抱え、


「ありがとう。美味しかった。ありがとう」


 飯福と握手をして、頭を垂れるように何度も礼を言って、屋台を後にしていった。

 大袈裟な、と思いながらも、飯福は決して悪くない気持ちで、その背を見送る。


 屋台を片付け、クローゼットの向こうに押しやると、飯福も帰還する。砂がついた提供台などを丹念に拭き、所定の位置に片付けていると、飯福の腹も「くうう」と不満を訴えた。


「そうだなあ、何しようかなっと。あっ!?」


 キッチンに戻ると、使われなかったトッピングたち。すっかり忘れていた。


「あー。天丼にするか。ワカメやキクラゲは味噌汁だな」


 期せずして、客に出したうどんの何倍も手間がかかった夕飯になりそうだ。ただ今夜の客には、どんなに手の込んだ料理より、素朴で安価で単純な、あの料理こそが最上だったのだ。逆に飯福が今から食べるのは、どんなに手をかけようが、客に選ばれなかった賄い料理でしかない。

 こんな逆転現象も……まあたまには悪くない。そんなことを思いながら、飯福はコンロに鍋をかけるのだった。

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