2:カキフライ(青の国・第9の都市)

 異世界を放浪する屋台『一期一会』を経営する店主、飯福航いいふくわたるは、今朝は日本の商店街に買い物に来ていた。昭和情緒を未だに残す、古ぼけたアーケードアーチが架かる地元の商店街。飯福はここでは常連未満、顔見知り以上、くらいの微妙な立ち位置を確保している。簡単に言うと普段はチェーンのスーパーを使うが、時間がある時には珍しい物や新鮮な物がないかと足を運ぶ程度の客。


「カキが安いな。大粒だし……あっ。でもアサリも安い」


 魚屋で足を止めた飯福は、アゴに手を当てて逡巡。アサリの酒蒸しとカキを使った料理で悩み……カキかな、と結論が出る。だが今度はカキで何を作ろうかと悩み始める。カキ飯、カキフライ、バター炒め。蒸してポン酢というのもサッパリしていて良い。


「どうするね、お兄ちゃん」


「あー。取り敢えずカキを三パック貰えますか」


「はいよ」


 会計を済ませ、品物をエコバッグに詰めると、商店街を抜ける。


(う~ん、カキフライかなあ)


 まだ悩んでいた。なまじっか、何でも作れるからこその、多すぎる選択肢。ただまあ、帰り道で考えた末、カキフライで最終決定とした。

 今日は異世界へはランチを出す予定だ。メニューが決まると、飯福は急ぎ足で家路を辿った。


 家に戻ると、キッチンの冷蔵庫にカキを放り込み、居間へ。ちなみに彼の家は平屋造りの一軒家なので二階はない。

 居間のウォークインクローゼットを開けると、そこは光に包まれていた。どういう原理なのかは飯福にもサッパリ分からないが、ある日突然、クローゼットの中がこうなっていた。そして吸い込まれるまま、向こう側へ降り立つと、そこは異世界だったというトンデモ展開。

 もちろん、最初は驚天動地の事態に半狂乱となった。だが色々あって、二世界を繋げるクローゼット型に切り取られた謎空間(つまり目の前のコレ)が生きていることに気付き、そこへ飛び込むと日本に戻ることが出来た、という経緯。


 そうして、しばらく。安全に行き来できると分かると、今度は人間、欲が出てくるというもの。そこを有効活用しようなどと考え始める。日本人で行けるのは自分だけ、いわばブルーオーシャンなワケで。

 飯福には高卒から10年以上の飲食業界での実務経験があり、それを活かす方向で考えた。更に付け加えると、向こうで少し滞在した時に食べた料理が、言ってはなんだが恐ろしく低レベルだったため、「いける!」と踏んだというのもある。


「それがなあ……」


 意気揚々と組み立て屋台まで買って、向こうで出店してみたのだが。なんと彼の屋台には制限がかかっていた。

 

 1つ。一日に一度しか出店できない。

 2つ。一度の出店には基本的に一人ないし一グループしか入れない。

 3つ。その一人ないし一グループ以外は屋台自体が認識できない。

 4つ。出店する場所は選べず、提供する料理を決めた時点で、クローゼットが勝手に選ぶ。

 5つ。提供する(屋台が見える)客も同様で、決定権は飯福にない。

 6つ。異世界人は、クローゼットを通ることが出来ない(つまりこちらの世界には来られない)。

 7つ。二週間程度、屋台を出さないと強制的に吸い込まれる(つまりブルーオーシャン云々の前に、料理を出さない選択肢自体が飯福にはないと判明)。


 ザッと分かったのは、ここら辺。もう少し細かい法則もあるが、とにかくまあ、彼の異世界大繁盛記は絵に描いた餅のままで頓挫となった。一日の客が最大で数人では、いくら未開拓の市場でも、それはブルーオーシャンではなく水たまりである。


「ふう」


 クローゼットを開けて向こう側を覗き見する。彼がカキフライと決めた時点で、行き先も確定した、という時系列だ。


「青の国かな、これは。素潜りの兄ちゃんが見えるから……漁村だな、たぶん」


 屋台を始めて二ヶ月近く。だいぶ向こうの地理や産業・文化・信教も頭に入ってきた。こうして予習すると、結構な情報が分かる。


 飯福はキッチンに戻り、カキのパックを開けた。中身を軽く水で洗い、ボウルに放り込む。塩と片栗粉を入れ、撫でるように混ぜる。水を投入、また優しく混ぜる。ボウルの中の水を捨て、水道水でカキの表面を洗う。キッチンペーパーの上に乗せて水切りしている間に、別のボウルを用意。氷を幾つか入れ、冷水を作っておく。セットしておいた湯沸かしポットが沸騰を告げた。中身を鍋に移し替え、そこへ片栗粉を軽くまぶしたカキを投入。10秒程度、湯通しして網杓子で掬いあげた。そして冷水のボウルへ。頃合いで再びキッチンペーパーの上に移す。

 これで下処理は完了。カキの身が縮まないように加える一手間である。


 塩、コショウを振り。冷蔵庫から取り出した卵を片手で割ってボウルの中へ放り込むと、カチャカチャと菜箸で掻き混ぜる。ステンレスの角バットの上にパン粉を適量、袋から出した。あとは卵、パン粉の順にカキをくぐらせれば下拵え完了だが……


「あとは油の用意をして。ああ、そろそろ屋台も出さないとな」


 時計を見ると、午前の11時20分。都合の良いことに、こちらの時間と向こうの時間は時差なしで連動している。


「昨日はお客さんが早く仕事をあがったのか、設営が終わる前に来店したからな」


 向こうは不可思議な光景に、それどころじゃなかっただろうが、飯福としては中々に決まりが悪いのだ。ヒーローが変身中の光の中を覗き見されたような。

 

「今日はカキフライだから……洋風屋台にするか。いやでもカキフライは和食屋でも出るからな。正式なカテゴリーは……どっちなんだろう」


 実地は出来ても、そういうウンチクには明るくない飯福。迷った末に、やはり洋風屋台を作ることにした。


(なんか今日は迷ってばかりだな)


 彼自身は特に優柔不断な性格のつもりもないが、星の巡りか、今日の飯福は確かにそんな感じであった。



 ◇◆◇◆



 生まれ持った『泳達えいたつ』のギフトを駆使し、海士あまとして生計を立てる少年、シェルス・ドーノは、迷っていた。生来、優柔不断な性格ではあるが、今度のこればかりは如何に決断力に優れた人であっても、大いに悩むだろう。そんな謎の自信が胸にあるのだが、完全に不毛であった。

 なんにせよ、彼は今まさに迷いの淵に立ち、あっちへ足を出し、こっちへ手を伸ばし、そっちを覗いて首を捻る。そんな事をずっとやっているような状態なのだ。


 ――新種の貝を発見した。


 言葉にすれば、たったそれだけなのだが。その真っ青な貝殻の中には、同じように青く輝く貝珠があったのだから、さあ大変。こんな貝も、こんな貝珠も、彼は八歳の頃から八年も海士をやっているが、初めて見た。


 つまり、新種の貝とそして新種の宝石を見つけた、ということだ。16の若輩とはいえ、新種の宝石の存在が明るみになれば、近隣、いや国中で争奪戦が起こるだろうことくらいは想像できる。彼の漁場も多くのハンターでごった返すだろう。いや、それだけで済めばまだ良い。本当に最悪のケースは、第一発見者のシェルスの身に危険が降りかかること。彼には幼い弟妹三人と、病気がちな母がいる。そして彼は、これだけの家族を養う大黒柱なのだ。その身に何かあっては一家の終わり、そう思えばこそ、新種の宝石などという爆弾は殊更扱いに窮した。

 

 いっそ、見なかったことにする。それも手だろう。

 だが同時に、上手く立ち回れば家族に楽をさせてやれるかも知れない。そういう淡い期待も胸の内にこびりついたように離れない。億万長者のチャンスが、海底に、彼の庭に転がっているのだ。考えるなというのは無理な話だろう。


「ルス……シェルス……シェルス!!」


「うわあ!?」


 自分を呼ぶ大きな声に、シェルスは飛び上がった。いつの間にか、すぐ傍に人が立っていた。褐色に焼けた筋骨隆々の体。年の頃はシェルスの亡父と同じくらいか。


「マロ―さん」


「なにボーッとしてんだ。昼だぞ」


「え? あ、ああ、うん」


 海士は好きに休憩を取って良い。というより、それぞれの潜る時間と肺の調子があるので、疲れたと思えば個人の裁量で休むのが合理的だ。それは子供であっても変わらない。ただ昼飯だけは全員でとる。誰か事故を起こした時、迅速に対応できるよう、作業中は相互に見守っているがゆえに、海を離れる昼休憩だけは全員が足並みを揃えて取るのが鉄則であり、培われてきた知恵でもある。


「……何かあったのか?」


「あ、ううん。少し疲れただけだよ。飯、行ってくるね」


 マローはシェルスに海士の教育をしてくれた相手で、今も良好な関係を築いている。

 だが、新種のことは話せずにいた。昨日の午前中に見つけ、丸一日経つが、未だ報告できずにいる。マローのことを信用できない、と思っているワケではないが……話せば巻き込んでしまう。そう考えれば、また迷い、二の足を踏んでしまうのだ。


「……」


 なおも怪訝な顔をするマローから逃げるように駆け、シェルスは砂浜を抜けた。






 青の国・第9の都市なんて言えば聞こえは良いが、実際はのどかな港町である。貝や海藻の漁獲量があるために9番目に滑り込んでいるが、都会というには程遠い。飯屋も当然少なく、シェルスも既に全軒制覇済みであった。経済状況的に、そこまでの贅沢は出来ないが、まあ大衆食堂くらいなら利用できるのだ。母も「働いてくれてる子の特権」と許してくれている。


(……今日はどこに行こうかな。銅貨五枚くらいかな、予算は。あ、いや。やっぱり三枚が理想かな。でもそうなるとな、選択肢も減るしな。どうしようかな)


 例によって例の如くシェルスが優柔不断を発揮していると。


「ん?」


 なにか横顔に光を感じて、シェルスは足を止める。鏡か窓の反射だろうか。首をそちらに巡らせると。


「……」


 建物と建物の間。路地とも呼べない窪みのような場所にそれはあった。


「白と黒の……屋台?」


 白い木製の台座の両外側に黒色の板が貼り付けられ、上に伸びたそのテッペン同士を渡すように、黒い板が乗っている。陸屋根のような形だ。


「あれは……看板かな?」


 画架のような形状で、脚のついた台座の上に小さな板が乗っている。黒とも深緑ともつかない色合いのそれに、謎の文字が書かれている。元々、シェルスは識字教育を受けていないので、何語であっても読めないのだが、パッと見では青の国の言語体系からは外れているように感じられた。


「いらっしゃい」


 突然の声に、シェルスは反射で跳び上がった。

 見れば、看板に気を取られているうちに、屋台の向こう側に人が来ていたようだ。


(でも足音すらしなかったけど……)


 本当に何もない空間から突然現れたかのような。そこまで考えて、シェルスはバカバカしくなって頭を振った。


「ここは……屋台なの?」


「そうだよ。異世界から来た屋台・ボヤージュ」


 半信半疑だったが、本当に屋台だったらしい。異世界という単語は(気になるが)今は脇に置いて、


「……昨日まで無かったよね?」


「今日だけの営業なんだ。根無し草の屋台だからな。明日は別の国の別の街さ」


 その言葉に、シェルスはワクワクした。つまり今日限定の食事が出来る。その高揚感。そして裏を返せば、今日を逃せばこの屋台での飯は永遠に食べられないということで。その限定感に焦燥を煽られる。


「ぼ、僕でも入れるかな?」


「もちろん」


「やった! あ、でも……ここって、値段はどれくらいするの?」


 予算は銅貨五枚が限界だ。出来れば三枚に抑えたいが。

 店主はチラリと少年の身なりに目をやった。上半身裸に、下はボロ布のような肌着。髪も磯の香り漂う無造作ヘアーだ。


「今日は食材を安く買えたからね。銅貨八枚のところを、子供料金で四枚ってところだな」


「ホント!?」


 見事に少年の懐の限界と理想の狭間であるが、払える額だった。ちなみにシェルスは、普段は子供と言われれば反発する性質たちだが、今回は不問とするようだ。


「ところで、ここは何の屋台なの? そこの変な看板に書いてあるの?」


「ああ、黒板だな。書いてあるのは店の名前、まあ洋風の時は俺の下の名前をモジってるんだが……どうでもいいかそれは。そいで店名の下に本日のメニューが書いてある」


「なるほど、なるほど」


 聞き流していた。


「……今日のメニューはカキフライだ」


「カキ、かあ」


 少年はメニューを聞いて、露骨に表情を曇らせた。フライというのはよく分からないが、カキと聞いた時点で、いつの日か時の記憶が蘇るのだ。


除毒じょどくのギフト持ちの人に毒を取ってもらったりした?」


「……ああ、なるほど。それを心配してたのか。大丈夫だよ、俺の世界、俺のいる国では誰もが毒のないカキを食べられる」


「そ、そんな夢のような話が?」


 半信半疑といった感じ。漁に携わる者として、簡単に「そうなんだ!」とは言い難い内容だ。


「ふうむ。信じられないか。なら俺が先に食ってみせようか」


「……うーん。それなら、まあ」


 少年の返答に、店主は一つ頷いてみせると、踵を返して何もない空間へ進む。進む先がチカッと光ったかと思うと、次の瞬間には光の窓が現れていた。


「ええ!? な、なにそれ!?」


「俺の……ギフトみたいなものだな」


「すごい! こんなの初めて見た!」


 俄然、目を輝かせるシェルス。そしてこんなにすごいギフトを持っているのだから、本当にカキの毒を取り除けるのかも知れないとも思い始めていた。

 店主が光の窓に消えると、すぐに戻ってきて水の入ったグラスを提供台に置いた。サービスらしい。そして再び背を向けると、光の中に入っていく。自在に出入りできるようだ。


「……そういえば聞き流しちゃってたけど、異世界とか、俺のいた世界、国とか。言ってたよね」


 思えば髪色や瞳の色もかなり珍しかった。


「……ちょ、ちょっとだけ」


 屋台の向こう側に回り、光の中を覗き込む。徐々に光は収まってきているようで、割と鮮明な映像が見えた。手前の部屋(見たこともない緑の草を編んだマットのようなものが何枚も敷かれている)は無人で、更に奥の部屋に人がいた。先程の店主だ。見たこともないほど大きい縦長の箱や、大鍋。大鍋の下には揺らぎもせず燃え続ける青い炎が灯っている。

 

 そして店主の男は白い不思議な塊を、長い二本の棒で摘まむように持っていた。器用だな、とシェルスはボンヤリ思った。その白い塊を一つ、二つ、三つと立て続けに鍋の中に放り込む店主。待つこと少し、今度は二本の棒で鍋から塊を摘まみ上げてくる。白かったそれはキツネ色に変わっていた。


「……っ!」


 魔法だ。間違いなく魔法だ。シェルスは内心で興奮していた。あんなに白い物が、キツネ色に変わるなんて。相変わらず青い炎は消える気配すらないし。かと思えば、店主がツマミのような物を捻ると、いとも簡単に、一瞬で消えてしまった。そんな。あんなに燃え盛っていたものが、どうして一瞬で消えるのだ、とシェルスは混乱の極致だった。


 と。店主が振り返りそうな気配を感じて、シェルスは慌てて屋台の外に出る。何食わぬ顔で、客側の椅子に座る。これもフワフワの布が敷かれていて、大層座り心地がいい。更に二分ほど待つと、店主が光の空間を通過して戻ってきた。手にはトレーを持っている。その上に乗っているのは……


(さっきのキツネ色のヤツ)


 それが五つ乗った皿の脇には、小さな粒々が埋もれた白いソース。緑の葉を刻んだもの。もう一つの皿にはライスが乗っている。


「なんだろう、この匂い」


 香ばしい。パンが焼けた時のような匂い。


「はい、おまちどう」


 トレーが台の上に置かれる。


「見たこともない料理だ。本当にカキなの? これは」


 彼が知っているそれとはかけ離れた姿をしているが、


「もちろん。そのキツネ色の中身がカキだよ」


 店主は間違いないと大きく頷く。


「……こっちの白いソースは?」


「タルタルソース。ゆで卵を砕いたものと、みじん切りにしたタマネギをマヨネーズなどで和えたもの……まあ美味いソースだ」


 店主は何か色んな説明を諦めた風に見える。


「ふうん?」


 シェルスも深くは追及せず、それよりも先程の魔法で作られたキツネ色のカキフライとやらが気になって仕方ない様子。フォークに手を伸ばし(これも非常に質の良い金属で作られているらしい)、握り込むように掴むと、五つある内の一つに突き刺した。


「ん? 俺の毒見を待たないのか?」


「うん、いいや」


 どういった心変わりだろうと店主は訝んでいるようだが、シェルスとしてもまさか魔法を使っているところを覗き見たなどとは言えない。まあそのおかげで、カキの毒を取るくらい朝飯前だろうという信頼を置けたのだが。


「そうか? それじゃあ、どうぞ。カキフライはそのタルタルソースをつけて食うと美味い」


 店主の言葉に素直に従って、少年はフォークに刺さったままのカキフライを皿の端に盛られたソースに押しつける。そして恐る恐る口へと運び……


 ――サクッ


 衣を噛んだ。


 途端、シェルスの口の中にジュワッとカキのエキスが広がる。甘いような苦いような、形容しがたい芳醇な旨味に、サクサクの衣が絡みつく。そしてこの白いソース。酸味と甘みの中に、シャキシャキのタマネギなる野菜が独特の食感をもたらしており、歯で小さく噛めば素材本来の甘苦い味も染み出てくる。

 混然一体。右の奥歯でカキを噛めばプリプリの食感。そこから溢れ出たカキエキスはサクサクの衣を浸し、パンをスープに漬けたかのよう。舌の左側はタルタルソースの複雑な味わいを堪能するのに忙しく、歯列がタマネギを噛む度、また味が深くなる。


(美味しすぎる! なんだこれ!? カキ自体が複雑な味をしてるのに……更にこんなに変わった味や食感をぶつけて、壊れてないないどころか、お互いを高め合ってる!)


 これだけの組み合わせを見つけるのに、どれだけの試行錯誤がなされたのだろう。大袈裟かも知れないが、シェルスにはもはや神の御業としか思えない。


 気付けば勝手にライスへとフォークを伸ばしていた。一口掬って食べる。粒立ちの良い米はやや硬いが、噛めば甘みが口いっぱいに広がる。これもシェルスが食べた事のあるライスとは雲泥の差だ。

 口の中は大洪水だった。先程まででもバリエーション豊かな味と食感に翻弄されっぱなしだったのに、ここに良質なライスまで加われば、もう言葉を失ってしまう。


 無言で、ただただ無言で、カキフライとライスの往復。瞬く間にカキフライは最後の一個となってしまう。


「ああ……」


 心底、残念そうな声。それでも手は止まらず。フォークでカキフライを刺す。タルタルソースをたっぷりとつけ、口に含むと、半分に噛みきって残りを皿に戻した。そのまフォークはライスの皿へ伸び、残り一口分となっていたライスを掬い上げる。


「あむっ」


 ライスとのコンビネーションは、これで最後だ。シェルスは牛のように、ゆっくり歯を噛み合わせ、溢れ出るカキエキスの旨味と米の甘みを舌の上で転がした。惜しみながら嚥下えんげすると、


「ああ……」


 いよいよ最後の半口となったカキフライを見て、更に残念そうな声を出した。

 店主が苦笑しながら見守る中、シェルスは半個のそれで、残りのタルタルソース全てを擦りつけるように掬って、一呼吸。そして大きく口を開け、頬張った。


 ………………

 …………

 ……


 大満足の食事を終えたシェルスだったが、午後の始業までまだ幾ばくかの時間が残されていた。


「ねえ。店主さんは本当に異世界の人なの?」


「そうだよ。地球っていう星にある日本っていう国から来てるんだ」


 チキュウ。ニホン。シェルスにはさっぱりな単語だが、逆にそんな耳馴染みのない言葉が即席で出てくるとも思えず、彼の話に信憑性を感じていた。


「……ふうん。じゃあさ」


 思いきって訊ねてみたいことがあった。


「どうしてここに来ようと思ったの? カキの毒を除いたものを誰でも簡単に手に入れられるほど豊かな国なんでしょう? わざわざこっちに来る必要なんて無いんじゃないの?」


 恐らく通常とはかけ離れたをしているだろう店主の男。しきれないシェルスに、何か示唆を与えてくれるんじゃないかと、そう期待してやまない。あの青い炎の魔法のように、自分には思いもつかない可能性を見せてくれるのでは、と。

 だが。


「まあ、色々あってな」


 店主の男は質問の真意が分からず、当たり障りのない答えを返した。目に見えて落胆するシェルス。その様子を見て、店主は「ふうむ」と唸った。


「なにか悩み事でもあるのか?」


「それは……」


 シェルスは一瞬迷ったが、結局話してみることにした。思えば不思議な心の動きである。近しい師とも呼べるマローに対しては、はぐらかしたというのに。

 明日には別の街で別の人相手に商売をしている、一度しか会わない相手、というのも手伝ったのかも知れない。

 

 気付けば核心はボカしながらも、結構な所まで話していた。

 今現在、もしかしたら大成功のチャンスを掴んでいるかも知れないこと。だけど軽々に踏み出せばリスクがありそうなこと。家族のこと。マローにも言えなかったこと。迷い続けていること。生来からの優柔不断な性格のことまで。


 全て聞き終えた店主は軽く瞑目して、口を開いた。


「……俺が初めてこっちに来れるようになったのは、ちょうど向こうで仕事を辞めてすぐのことだったんだ」


 先の質問にマトモに答えてくれるらしい。ありがたい、とシェルスは居住まいを正した。


「過労でぶっ倒れてな。副店長なんて聞こえは良いが、その実、奴隷頭補佐どれいがしらほさみたいなモンだな。まあ飲食なんて、どこも似たり寄ったりだろうが」


 店主は自虐的に笑う。


「んで、このままじゃ死ぬなと悟って辞めた。辞める決断は難しくなかった。なんせ命と天秤だからな。けど、次の決断に困った。オマエさんと同じだ。迷った。それで結局、自分で店を開いてみることに決めた。俺には料理しかないからな、どこまでいっても」


 店主の方も恐らく、一度しか会わない子供というのも大きいのだろう。話しだすと舌は滑らかに動いていた。


「居抜きのテナントを探して、初期費用の安そうな所をいくつか見繕って、ここかなあと漠然と決まりかけていた時に……クローゼットに吸い込まれた」


「え?」


「ああ、あの光の長方形のことだ。ウチの部屋側から見ると、クローゼット、まあ押し入れみたいなモンだな。そこと繋がってんだ。しかもアレ、後から検証して分かったんだが、二週間くらい屋台やんねえで放置すると、また強制的に吸い込まれる」


 迷いと決断の話から、トンデモ話に変わっていた。


「な、なんでそんなことに?」


「知らないな。俺が教えて欲しいくらいだ」


 ハハと一つ鷹揚に笑って、


「つまり俺は迷わず決めて、迷って決めて。決めたことが丸ごと、不可思議で抗えない大きな力に流され、吞み込まれた。んで今ここにいる」


 乱暴にまとめた。


「まあ稼がせてもらったし、悪いことばかりじゃないけどな……」


「なんか店主さんも苦労してるんだね」


「生きてればな。どうだ? なんも参考にはならなかっただろう」


「うーん」


 そういうケースもあるのかと興味深かったが、自分の進むべき道への標にはなりそうもないのは事実だった。


「俺のこと、魔法使いか何かだと思ったか?」


「あ、いや」


 図星を突かれ、シェルスはドキッとする。


「残念だが、大きな波に翻弄されるだけの、しがないただの料理人だ。どうにかこうにか航路を進んでるだけ」


「……」


 シェルスは思う。結局、自分の道は自分で決めなくてはならないのだ、と。この店主に限らず、他の人の道は、どこまでいっても他の人のもの。みんな独自の道を歩んでいる。マローもそうだし、母も、他の海士たちも。参考にしよう、あわよくば真似をしようというのが、そもそも間違いだったのか。

 それでも。そのことに気付かせてくれた事には感謝だ。人に話したことで少し気持ちも楽になった。


「店主さん、ありがとう。カキフライ、この世の物とは思えないくらい美味しかった」


 素直な気持ちを吐き出しながら、シェルスは台の上に銅貨を置いて立ち上がった。


「無理しなくて良いぞ?」


「無理なんかじゃないさ。感謝の気持ちだよ」


 軽く手を挙げて挨拶とし、シェルスは屋台を後にした。






 午後の漁の終わり際、長老(最も歴が長いのでそう呼ばれていてる)が鼻を鳴らした。磯と、風の香りを嗅いで、


「今晩あたり、荒れそうだ」


 そんなことを言った。シェルスは自宅家屋に思いを馳せる。年季の入った木造建築。風も出るのなら、雨戸の備えもしたい。そんな彼の家屋事情を慮ったか、マローが早上がりを許してくれた。

 シェルスは漁獲品の売買も任せ、一路自宅へ。


 備えをして、家族全員が防風林のある西側の部屋に集まった。小さな弟妹たちがウキウキした様子で室内を跳ね回っている。シェルスにも覚えがある。家族全員の秘密基地のようで、無駄に高揚するのだ。

 まあ彼の歳になってしまうと、ただひたすら家は大丈夫だろうかという不安だけがあるが。


 夜が更けるにつれ、ワンパクたちも遊び疲れ、やがてウトウトと船を漕ぎ始めたのを合図に。


「もう寝ようか」


 母の号令。全員で雑魚寝のようになって板間に寝転がった。暗闇の中、海からの風がガタガタと雨戸を揺らす。誰かの腹が「くうう」と鳴った。食べ盛りの弟だろうか。シェルスは昼間、自分だけ美味い物をたらふく食べたことを思い出し、僅かな罪悪感を覚えた。


(みんなにも食べさせてあげられたらな)


 ただ現実的には不可能だ。カネがないし、あの店にはきっともう会えない。店主自身が言っていたから、というだけでなく、シェルスの勘のような物もそう告げている。ふと、あの店はもしかすると迷える自分が生み出した白昼夢だったのでは、なんて妄想までしてしまう。だがそれも、疲れと眠気に押し流されていく。


(眠たい……)


 落ちかけた意識の中、シェルスは青い炎を幻視する。あの青い貝の貝珠のような。わたる。ボヤージュ。食事中の雑談で、航海の語意だと教えてくれた。大きな波に翻弄されるだけ……あんなに凄い、本当はまだ魔法使いなのではないかと半分疑っているような人でも。


(……またカキフライ食べたいな)


 シェルスはゆっくりと意識を手放した。


 ………………

 …………

 ……


 翌朝。家屋の点検をし、どこもやられていないことを確認したシェルス。朝の点呼に間に合うように慌てて出勤した。長老も、もう大丈夫だろうと言うので、今日も滞りなく海士業を開始する。

 縄張りというほど大仰でもないし、そもそも別に争い合っているワケでもないのだが、海士同士、なんとなくその人のエリアみたいなものが存在する。アイツはいつも大体あそこら辺で獲っている、という認識があると、水難があった時、何かと役立つ。そういう観点からも暗に推奨されている、とマローに聞かされたことがある。


 シェルスは自分のエリアの北側へと手足を掻いて潜っていく。岩礁に挟まれたその辺りは貝の宝庫だった。可食の物を選り分け、次々と岩から剥いでいく。

 一旦浮上し、プカプカと波間を漂う磯桶に収穫物を放り込んだ。そして目を軽く拭った後、もう一度潜っていく。


(……ちょっと様子を見てみようかな)


 またこの目で見れば、心の中で身の振り方が案外フッと決まるかも知れない。そんな甘い願望もありつつ。シェルスは、とある岩礁の裏側に回る。

 青い貝殻。そしてその中にある青い貝珠。時折空気を求めて貝がパカリと開く、その際に見つけた、宝物にして悩みの種。今それを見たら、どういう気持ちが湧き上がるのか。そんなことを考えながら……考えながら……


(あ、あれ!? え? な、ない!?)


 青い貝は一昨日、昨日と見た位置に無かった。なら移動したのかとシェルスは捜索を続ける。他の岩礁も確認して回るが……


(どこにもない……いなくなってる)


 結局、もう二度、三度、四度……息継ぎに戻って潜り直しをしても、目的の物を見つけることは出来なかった。


「ぷはあ。はあ、はあ、はあ」


 最後にもう一度。そう思ってまた息を吸い込んだところで、


「おーい! 飯だー!」


 マローの声に遮られた。そんな、とシェルスは絶望的な気持ちになる。あの青い貝を追い求めて午前中をほぼ丸々潰してしまったようだ。

 陸に上がり、トボトボと歩く。そこに長老とマローが追いついてきた。


「なんかあったのか? 今日は酷いぞ」


「何も獲らずに潜ったり上がったり」


 二人のベテランに詰め寄られ、シェルスは俯いた。考えるのは、あの青い貝のこと。きっと昨夜の時化しけで流されたのだ。それを探していて、無駄な時間を費やした。そんなこと言えるハズ……いや、逆に今ならもう言えるのではないか。シェルスはふと、そう気付いた。


「……実は」


 堰を切ったように言葉が溢れた。自分でも何故だか分からないが、シェルスは泣きそうになっていた。洗いざらい話した。自分一人で独占しようと考えたこともあったと。罪を懺悔するように。

 

 彼の話を聞き終わった年長者の二人は、互いに顔を見合わせ……果たして……


「「ぶふっ」」


 同時に噴き出した。


「「ははは、ははははは!」」


 そして同時に爆笑。


「え? え?」


 シェルスは意味が分からない。


「なんで? なんで笑うのさ!?」


「だって、オマエ。あは、あははは」


「なあ。それはアウロロ貝が、ふふ、青のマナタイトの欠片を食べたモンだよ。ふはっ、それを……新種、ぶふっ」


 また噴き出してしまった長老につられ、マローも再び笑いこける。

 結局、二分以上経ってようやく落ち着いた二人から聞き出せたのは。

 いわく、既にマナタイトを食べさせて貝珠に色を着ける養殖産業は都会の方で始まっているとのこと。天然だと珍しいは珍しいが、争奪戦が起こるような値は到底つきようもないということ。


「そ、そんな……」


 ガックリと肩を落としたシェルスの様子がツボに入ったのか、二人は再びゲラゲラと笑い始める。途端に真っ赤になっていく少年。しかしその内心では、どこか安堵があった。奇しくも、あの店主と同じ。大きな波を起こす側には自分は決してなれないのだろう、と。これからも人並で生きていける。見ようによってはつまらない話なのに、やはりホッとしてしまうのだ。

 黙り込んでしまったシェルスに、大人二人はやりすぎたかと少し慌てて。


「ほら、元気出せって。なんか奢ってやるからよ」


「そうだな。俺からも。なにが食いたい?」


 肩を組んでくる二人に、シェルスは憮然としている。

 しかし次の瞬間、何かを思いついたのか、フフッと悪戯っぽく笑って、


「じゃあさ……カキフライ。カキフライが食べたい」


 もうきっと手の届かない場所までわたってしまった、異世界の料理、その名前を口にする。怪訝な顔の大人二人を置き去りに。

 シェルスは羽のように両手を広げ、どこまでも遠く、青い空を仰ぎ見るのだった。

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