マチコおばあちゃん(76)と小粒納豆

今日はこの前までお年玉をあげていたはずの孫娘がいつの間にか結婚式を挙げる歳まで成長していて、式も終わり一族揃っての挨拶や団欒を済ませた後、新婚さんとして福岡の新居へと引っ越して行くのを娘夫婦と見届けた日でした。


帰りの新幹線の車内で涙を流しながらビールをぐいぐいとあおる義理の息子を宥める娘の顔を見た時、私は初めて


“この子はもう、私の娘ではなく孫と旦那のおかあさんになったんだわ”と思ったものです。


そして1つ手前の駅で娘夫婦たちと別れ終点まで乗っていき、我が家へ帰りついたのが19時前。


お風呂を沸かしている間に夫はネクタイだけ緩めると孫娘が綺麗だった、とひたすらに褒めながら、懐かしさからか押し入れの中のアルバムを全部引っ張り出してきてビールを片手に、今度は娘との思い出を生まれた時から順に遡り始めたのです。


今となってはあの時は大変だった、なんて笑い話ですが、生まれる前に娘が私のお腹の中でうんちをしてしまって危ない状況になったこと。


お義父さんが煙草を吸いながら幼い娘を抱いていると髪にうっかり灰を落としてしまい、それに気づかず髪からぷすぷすと煙を上げ始めたのを見たお義母さんにものすごい剣幕で怒られてそのまま禁煙させられた、なんて話も。


そんな苦労話が多めの昔懐かしいエピソードを台所で2人話しているうちに、私も歳をとってからの慣れない遠出に疲れていたのか、なんだかもう家事をやる気がなくなってしまいまして。


今日はもう店屋物でいいよね、めでたい日なんだから。なんて言いながら、お寿司屋のチラシを引っ張り出して冷蔵庫のビールを取り出し、夫と肩を並べながら思い出話に華を咲かせ始めるのでした。


普段から夫婦の日常の会話はあっても昔の思い出話をする、なんていうのは娘が出ていってから久しくしていなかったような気がします。


娘が孫を連れてきた時だって、孫の話や自治体の誰々さんが亡くなったなんて話ばかりしていたもので。


今はもうスマートフォンの機能で十分足りてしまうからすっかり使わなくなったデジタルカメラをテレビに繋いで、まだ幼い孫を抱いた時のホームビデオなんかも見ながらお寿司を食べました。


夫の釣ったニジマスより高いお寿司より、ハンバーガーの方が喜んでたわね、なんて話しながら。


その後は2人ともほろ酔いの千鳥足で家の中を歩き回り、家の柱に身長測定で付けた傷や娘の部屋の勉強机に付けられた傷を撫でたりして、思い出にふけっていたのです。


夜もすっかり更けた頃、すっかり酔いの回ってしまった夫を寝室へ運びながらお風呂は明日の朝にしよう、なんて考えているときでした。


思い出が私と出会った頃の20歳の頃までところまで遡ってしまったのでしょうか?夫が私のスカートの中に手を突っ込んできたのです。


まさか、です。この歳になって夫がそんなことをするとも、私がされるとも全く思わなかったものですから、その時は正直とても驚きました。


戸惑ってしまった私は


「なにしとんね、酔いすぎよ。」


なんて言いながらおでこを叩いて振り払おうとしたのですが、ご機嫌そうに鼻歌なんか歌いながら脚に組み付いてきます。


そういえば娘が嫁いで行って、この家で2人暮らしがまた始まったあの日。


同じようにアルバムをめくっていた夫から久方ぶりに求められて、抱かれたことがあり、あの時もこんな調子だったことを思い出しました。


けれども、私も夫も今年でお互いもう76歳。


2人とも50代の頃からとっくに“機能”なんてしなくなっていますし、“男と女”なんて年齢でもないだろうに燃える夫をなんと宥めようか考えていたその時、夫は笑って抱きつきながら私を“マチちゃん”と呼んだのです。


それはまだ夫になる前、男女の仲ですらなかった頃に若い彼が照れくさそうに呼んでいた私につけたニックネームでした。


精悍な顔つきをして女性にもよくもてていたのに50年以上浮気ひとつせず、私や娘に厳しすぎもせず、かといって甘やかし過ぎもしなかった良き夫です。


そんな彼が不意に呼んだ、久しく聞いていなかった忘れかけていたはずの2人の記憶の中だけにある、懐かしくも若くて幼い響きの愛称を聞かされたその時、私は言いようもない優しい気持ちになってしまい、老いた身体を見られないように電気を消してから服を脱いで夫と布団へ潜りました。


もういかほども残っていない私の胸を愛おしそうに触りながら眠りに落ちる夫をその日私は、裸のままで抱いて眠りました。


それは、夫婦のセックスとは程遠いもの。


夢の中の夫は今頃昭和のあの頃に戻っているのでしょうが、酔いの醒めてきた私は76歳より若返ることの叶わない年老いた妻のままでしたから、今夫にしてあげているこれは遠い記憶の中で揺蕩う若い頃の彼をそのまま眠らせてあげるための、“抱っこ”という方が正しいかもしれません。


きっと娘が嫁に出ていったあの日も、私が抱かれたとばかり思っていましたが、本当は私に抱かれて眠りたかったのかもしれない。


初めて繋がった時のような、自分を燃やして、相手に焦がれるような情事ではないかもしれませんが、夫婦の営みとしてはこれもまたひとつの形なのではないでしょうか?


男は自分の母親のような女が理想であり、嫁に欲しがると聞きます。


そして子は、母に抱かれたがるものです。


それならば、愛する夫がほんの一時子どもに返ってしまった時。


その時は“おかあさん”になって代わりに抱いてやり、一緒に眠ってやれるのが良き妻というものなのではないでしょうか。


寝息が深くなるにつれてぬくまっていく夫を抱きながら私は、さきほど新幹線の中で母の顔をしていた娘へ思いを馳せます。


娘も今頃は、新幹線の中で泣いていた義理の息子の

“おかあさん”になって、抱いてあげているのかもしれません。


抱かれる幸せ、抱く幸せ、抱いてやる幸せ。


それを余すことなく知っている私は果報者だとそう思いながら、とろとろと眠りについたのです。



その日私は、在りし日の母に抱かれる夢を見ました。



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目が覚めると朝の4時前といったところで、少し早起きしてしまいました。


窓の外はまだ暗かったものの、小さく聞こえてくるスズメのふくぴちゅと鳴く声が夜の終わりが近いことを告げています。


夫は昨日の疲れとお酒がまだ残っているのか、いびきをかくこともなく私に背を向けてぐっすりと眠っており、私が身じろぎしただけでは起きませんでした。


昨晩からほんの少しだけ持ち越していた、夫に対する愛しさを込めて手を後ろから繋いでやると、無意識でも握り返してきます。


私と手を繋いで、娘の手を握って、お義母さんの手を看取りながら掴んで、急に男を連れて里帰りしてきて “子どもができた”と言った娘の頬を張り、義理の息子を殴り飛ばして、孫を抱いた夫の手は記憶よりもずっと細くなっていましたが、体温だけは昔から変わらないのでした。


その時初めて自分がどんな格好をしていたか意識して赤面し、いそいそと布団を出ます。


脱ぎ散らかしてそのままにしていた服を小脇に抱えながらタンスへ向かい姿見を見ると、やはりアルバムの中の写真と比べれば76歳の私の身体はありとあらゆる肉が落ちて全体的に垂れ下がっていました。


それは“女”と呼ぶには到底憚られるもので、下へ、下へと身体が土に還るための準備をしているのかもしれない、なんてことを考えます。


タンスに忍ばせた牛乳石鹸の香りがするワンピースに袖を通しながら、まだ娘が産まれていなかった頃に夫に抱かれた翌朝もこんな薄暗い部屋で、冷えた畳が放つ不思議な匂いを嗅いでいたことを思い出して、恐らく生きているうちにもうこの香りを嗅ぐことはないのだろうという、懐かしさとその真反対にあるこれからのことを忙しく2つ考えながら、最後に割烹着へ袖を通しました。


さて、これから朝ご飯の支度です。


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「あら、納豆がない。」


ガスと鍋の煤、そして鰹だしの香りが漂う台所で独りごちます。


冷蔵庫の中のどこにもパックの納豆が見当たらず、朝から困ってしまいました。


あまりレパートリーが多くはない私の料理ですが、それに対して夫が長い夫婦生活の中で文句を言ったことは1度もありません。


しかし、夫は朝に納豆を食べるという物心ついた時からある習慣だけはどうしても譲れないようで、夫婦生活の中で判明した3つしかない夫へのNG行為リストの中の2つは、


・納豆は絶対に切らさない。

・挽き割りのものは買わない。


と納豆で埋まっており、パン食の日にでさえ箸を使って納豆を食べる程でした。


(ちなみに3つ目のNGは“『建もの探訪』の録画を勝手に消さない“です。)


結婚式出席で娘の家に泊まりに行くから数日家を開けるし、冷蔵庫のものは増やさず残さないようにしてたからうっかり買うのを忘れてたんだわ。


今日までは夫もシルバー人材派遣はお休みのはずだけど、休日であっても毎日きっかりラジオ体操の時間の5時半には起き出してくるし…


どうしたものかと考えている時にがこん、と新聞配達の人がポストに朝刊を突っ込んでいく音が聞こえて窓を覗くと空がうっすらと白み始めているのが見え、鳥に混じりみみみ…じいじいとセミも鳴き出していました。


開け放った網戸から風と共に部屋に流れ込んでくる夏の香りを嗅いだその時。


夏休みに我が家へ泊まりに来ていた幼い頃の孫娘に公民館のラジオ体操のご褒美として毎日ポカリスエットを買ってあげていたのを思い出し、ついでにセブンイレブンのあのCMも思い出してそうだ、コンビニへ買いに行こうと考えたのでした。


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ワンピースに割烹着に薄手のカーディガン、反射テープの付いたタスキ、というのはなんともちぐはぐとした格好ですが、外は少し肌寒いですしなにより安全には替えられません。


『納豆を買ってきます』と夫へ向けた書き置きを残して財布と懐中電灯だけ持って家を出ると、夏とはいえ4時はまだ夜の範疇なので先が見通せるほど明るくはありませんでした。


道を照らしながら大通り沿いにある1番近くのコンビニへ向けて歩いていきます。


こんな時間に外へ出かけるのは初めてでした。


見覚えのない夜と朝の隙間にある暗闇の中で唯一知っているもの…土と草花の香りをたっぷりと吸った朝露が含まれた空気。


夏の匂いです。


呼吸する度に冷たい緑の香りが鼻腔を通り抜けていって、思い出すのは朝露で濡れた草むらばかりを好んで歩くものだから、ラジオ体操の帰りには毎日靴下をぐっしょりと濡らして帰ってくる小さかった頃の娘の姿。


それと、一緒に公民館のラジオ体操へ行った時に道中その話をしてやると、


「お薬とかまいてあるって言ってたから、はらっぱとか入っちゃだめなんだよ。」


と言って、娘が子供だった頃との時代の違いを幼いながらに教えてくれた孫娘の姿でした。


昭和でも、令和でも4時で暗くても、この夏の香りは変わらないのにねぇ。


…歳をとったんだわ。


ぼんやり考えながら歩いている内に虫の音が少しづつ消えていくにつれ、今度は大型トラックの音が目立ち始めており大通りとコンビニが近づいて来ていることに気づいたのでした。


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私の住んでいるところのような田舎町でも最近はコンビニ弁当やコンビニ惣菜に頼りっきりになる老人が増えているからでしょうか?


コンビニへ入った時1人だけ立っていた若い男の店員はさして珍しくもない、といった面持ちで私を一瞥した後、


「しゃっせ」


と杜撰な挨拶を寄越してきたので、少々むっとしてしまいました。


そりゃあ、たった1人で夜勤をしていたのなら疲れているのかもしれないけれど、とはいえ朝の挨拶なのだからもう少し気持ちのいいものにならないものかしら。


店員の男性は不衛生に髪を横も後ろも長く伸ばしていて、僅かに姿を見せる耳にはピアスが空いているように見えます。


メイクこそしていませんが、当時学生だった娘が熱をあげていたパンキッシュなアーティストのような姿でした。


昔だったら学校どころかパートの人間でも、そんな格好をしていたら頭を叩かれて叱られるくらいはしただろうに。


…見た感じ若いようだし、孫の連れてきた旦那とあまり歳も変わらなさそうだけど、こういう格好をした夜勤のバイトの子と夫に似た精悍な顔をしたリース会社の正社員のお婿さんだとどうしても比べちゃうわね。


私と夫は恋愛結婚だったけれども、今は昔と違ってお見合いなんてほとんどないだろうし、出会った時の印象の大事さっていうのはもっと重いはずなのに…でもああいう軽薄そうな人間が好きって女の子も今どきはいるのかしら?


これって“進んでる”って本当に言うのかしらね?


コンビニ内で流れるラジオはなんだかキンキンとした若い女性の人が広告を読み上げていて、それもなんだか肌に合わないな、と思います。



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小粒納豆138円…コンビニ価格と言うのか、普通の小粒納豆にしか見えないのにやっぱりスーパーの納豆に比べれば割高だと思いました。


とはいえ、朝から夫を不機嫌にさせるのと天秤にかければ40円程度の差額は安いものだ、と考えながら1つだけカゴに入れておきます。



コンビニで朝ご飯を買うなんてこれまで考えたこともなかったけれど、こうして見ると脂っこい食べ物ばかりでなく、らっきょう、漬け物類にひじきの煮物や肉じゃが、焼き魚といった具合で朝食に充分出してよさそうな惣菜って結構あるのねぇ。


レンジでチンするパックのご飯も最近は美味しくなったと聞いたし…これこそ進んでるってものだわ。


コンビニなんて、それこそ孫娘に飲み物やお菓子を買ったり、車で遠出する時なんかにおにぎりやパンを買ったりするくらいだったけれど、案外生活のもっと身近な部分まで寄り添ってきてくれているのかもしれない、なんて考えます。


買うわけじゃないけれど、自分のような老人でも美味しく食べられそうなものがたくさんあって、今朝方に鏡を見ながらあとは死ぬだけ、なんて考えていた自分がまだ世間からは忘れられていないような気がして、なんだかちょっぴりいいものが見れたと思いました。




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雑誌コーナーを眺めていたところ懸賞付きのナンプレやクロスワードパズルの本があったりして、ボケ防止に買ってみようかしらなんて思っていると、目の端に大きな機械が映ります。


「カラーコピー…写真…プリント。」


それは、私が学校事務員として働いていた頃に見かけたコピー機よりも更に大きくなって色んな機能を備えた、最新式のプリンターでした。


今はもう、写真のプリントなんていうのは写真館へフィルムを持って行って現像を待たなくてもすぐにできるってことなのかしら?


よく分からないまま液晶画面を触ってみるとふぉん、という音が鳴りアナウンスが流れて、小さな画面の中にたくさんの表示が。


…カラー白黒コピー、写真プリント、データ受信、スマホ?今はいないのだけど…画面、画面はどうやって切るの?


…L字とか、スマホデータ?もどるのは?


とてもじゃないけれど処理しきれない量の情報を急に視界に入れてしまったものだから私はどうにもくらくらっとしてしまい、キャンセルを押しても先程のメニュー画面に戻るだけで画面は消えません。


…ほっとけば消える…かしら?


「使い方、分かりますか?」


「わっ。」


もしかして料金分使わないと終わらないのか、なんて考えながらおろおろしている私の横にはいつの間に近づいてきたのでしょうか。


レジにいたはずの店員さんが私のすぐ側に立っていて、急に声をかけられたものだから驚いて声を上げてしまいました。


目の前にある胸ポケットに付けられた名札には太字で“八木やぎ”と書かれており、八木さんは驚きで二の句を告げない私にカラーコピー機を指さしながら質問を変えます。


「よければ教えましょうか?」


私を年寄りと気遣ってのことでしょうか?最初の印象とは裏腹に、彼は膝を曲げながら私と目線を合わせてさっきの適当な挨拶が嘘のようにゆっくりと、それでいてはっきりとした声で問いかけられて私は咄嗟によろしくお願いします、なんて言ってしまったのです。


それから彼は、スマホに入れるアプリが必要だとか、WiFiを接続する、だとかのことをゆっくりレクチャーしてくれました。


もちろん、1度聞いただけではちんぷんかんぷんだったので、ものは試しにまず実践と写真を1枚、昨日撮った孫娘とのツーショットをプリントしてみることにして、40秒後にはできたてで温かい手触りをした1枚の写真が私の手に握られたのです。


最近の技術はすごいと素直に感心する私に店員さんはよかったですね、と小さい祝福を残してレジへ戻っていきました。


…案外親切なところもあったりするのねぇ。


最近の人は、なんて眼鏡で無意識に見ていたけれども心の中に優しさや親切心を持っているというのは誰しも昔から変わらないのかもしれません。


こういうのって性善説と言うのでしょうか?


そういえば夫と出会ったきっかけも、この町で一人暮らしを始めたての時に傘立てにいいだろう、と蚤の市で後先考えず買ってしまったかめを自転車の荷台に積んで押している時に替わりましょうか?なんて声をかけられたのが始まりだったことを思い出しました。



「752円です。袋、要りますか?」


「いえ大丈夫です。」


八木さんは先程のことなどもう覚えていないかのように淡々とレジ打ちを進め、私にレシートを渡します。


先程、彼と僅かなりとも心が繋がったとは思ったのですが、それは人が人に無償で捧げる親切心、と言うよりはやはり店員が業務の範疇で行う奉仕精神が近かったようで、このまま私が店を出ればそれで終わるというだけの関係性でした。


けれども無意識に最近の人というレッテルを貼って彼を必要以上に悪く見てしまった自責の念もあり、助けてくれた彼に何かしらの言葉を送りたかったのです。


「あなた、好きな人とか恋人はいらっしゃる?」


「…ぅえ?……ええ、はぁ、まぁ…。」


「若い時の姿が写った写真はね、ちゃんと残しておくの。そうすれば、結婚した時にきっとうまくいくわよ。」


ぽかんとした顔を浮かべる八木さんへ親切にしてくれてありがとう、とお礼を述べてから店を出ると、もう辺りは明るくなり始めていました。


さぁ、帰って朝ご飯の支度をしましょう。




(それからというもの、このコンビニの前を通る度に彼に伝えるのはお礼だけでよかったものをお節介なことだったり、私の家庭がうまくいっているという自慢をしただけだったことを思い出してしまい、自分もまだまだ若く子供っぽいと赤面するようになってしまうのですが、それはまた別の話です。)




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家に帰りつくと、奥の部屋からどさどさという音が聞こえてきたので何事かと思ったのですが音が鳴っていたのは寝室で、普段なら私が布団を2人分畳むのですがその日は何故か夫が布団を畳んでいたため、‘’ただいま‘’の前にまずどうしたの、という声が自然と出ました。


訊ねられた夫がいやぁ…なんて言いながらバツが悪そうに下を向いたので、私はその時になってコンビニの件で忘れかけていた昨日のできごとを思い出したのです。


夫も私に昨晩何をしたかの記憶がはっきり残っていたようでシーツの端をつまんで俯きながら、時折私の顔を“怒ってるかな?”なんて目で不安げに私を見ます。


そんな夫の姿は、まるでおねしょの証拠を消そうとしてバレた時の子どものようでなんだか笑ってしまいました。


本当はごめんと謝りたいのでしょうが家長や男の威厳を守りたいからか、“いや、うん…”と濁し続けるのでとりあえず夫を手伝ってあげることにしたのです。


本当のことを言えば後は全部やっておくからテレビでも見てなさい、なんてリビングに追いやり私1人でやった方が早いし綺麗に済ませられるのですが、あえて2人で一緒にやる、というのが照れくさくてなかなか言い出せない夫に対して暗に告げる“赦し”になると思ったのです。


昨晩夫を抱いて眠ったのが情事であるのなら、2人で行う後始末はさながら、行為の締めくくりに2人でひとつの枕を使って囁き会う睦言でした。


何を言わずとも、です。


つまり、これで締めくくったのでもう終わり。


朝ご飯の支度の続きをするからラジオ体操でもしててくださいな、と言いながら夫と2人寝室を後にしました。


それからはいつも通りの時間に一汁三菜プラス納豆といういつもの朝食。


納豆をよく練りながら膳が揃うのを待つ夫の姿をスマートフォンで写真に収めると、きょとんとした顔でどうしたの、と聞いてきたので鯵の開きをつつきながら先程のコンビニでの出来事を話しました。


「写真の印刷なんて最近やらなくなっていたけれど、これだけ簡単に作れるならもう1冊、今の私達のアルバムも作れるんじゃないかな、って思ったのね。」


この前ほど遠くじゃなくていいけど、思い出作りに近辺をお出かけするのなんていいんじゃない、と私が言うと


「この歳になってお出かけかい?」


昨日の遠出の疲れも抜けないし、半分もページが埋まらないと思うよと言って夫は渋ったので、


「昨日遠出のあとにお酒飲んで”あれだけ“元気だったなら当分死にゃせんわよ。」


と言って私が笑うと、夫もまた照れくさそうに笑いました。


値が張る分高いのか、それとも歩いてお腹が減っていたのか、それともほかの理由か、その日初めて買ったコンビニの小粒納豆は、普段食べているものより味が良かったような気がします。



























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