ダミニの秘密
トリシュナの声にも
「ご夫君を亡くされて以来、トリシュナ様はそれはひどく悲しんでいらっしゃいましたから」
「ようやくお傍にいらっしゃることができるのですね」
「お送りする支度を、私どもも心を込めて整えますわ」
口々に語る侍女たちもまた、曇りない笑みを浮かべている。目を潤ませる者もいるけれど、それは女主人の心中を
(……そうよ。確かに私たちもそうだった、けど……!)
トリシュナとその侍女たちの姿は、
すぐにアルジュンに会えると思えばこそ、彼の死に絶望しなくて済んだ。その想いは、理解できるけれど。
でも、墓室に閉じ込められて迎える緩慢な死は、決して美しいものでも甘いものでもなかった。むしろ、苦痛と恐怖に満ちていた。
狭く冷たい墓室の中、闇にじわじわと押し潰されるようにして息が詰まっていくあの感覚を、トリシュナたちは知らないのだ。
「あ、の──」
「どうしたの、アイシャ。今からすぐに授業を始めるということでもないのよ。今日のところは挨拶に参じただけで。ただ、お前には心づもりをして欲しかったから」
陽光の降り注ぐ王宮の中庭にいながら、アイシャはまだ墓室に閉じ込められている心地だった。息苦しさに舌がもつれる嫁を見て、トリシュナが怪訝そうに眉を寄せる。
(止めなくては。お義母様がそんなこと──でも、どうやって……!?)
殉死など苦しいだけ、愛する夫の腐り果てた遺体なんて見るものではない──などと言おうものなら、激しく叱責されるのは目に見えている。トリシュナだけでなく、侍女たちもアイシャを蔑み罵るかもしれない。
スーリヤ国の女にとって、夫に殉じるのは何よりの名誉であり喜びなのだから。
誰もが喜んで墓室に入るから、扉が閉ざされた後、その中で何が起きるかなど考えもしないし知る由もない。眠りに落ちる時のように、永遠に夫の傍にあるという夢に浸ることができると信じ込んでいる。
アイシャだってその幻想を疑っていなかったし、今も
「……アイシャ? しっかりなさい。お前にすべてを託さなければならないのだから」
「お、お義母様。私、わたし──」
トリシュナの眉間の皺が深まっていくのを前に、アイシャの焦りと混乱はますます深まった。
(いっそまた嫌われたら、殉死を諦めてくださるかしら……!?)
ぐるぐると渦巻く考えの中から、そんな埒もないことさえ浮かび上がってくる。
殉死の尊さも弁えていない娘だと思われたら、腰を据えて躾けなければ、と思ってもらえるかも。でも、それでは王妃としての信頼を失ってしまう。
(お義母様を死なせたくない。望んで、断念していただかなくては)
でも、どうやって? 生きながら死の国を見ているような、それだけの覚悟を固めた方を相手に、たかだか十八の小娘に何が言えるだろう。
義母を説得する魔法の言葉を思いつくことができないまま、喘いでいるだけのアイシャの耳を、滑らかな衣擦れの音が撫でた。
それは、膝でいざって進み出たダミニが奏でた音だ。先ほどは怒りと悪意を抑えるかのように震えていた唇が、今はにこやかに笑んでいる。
「アイシャ様は、王太后様のご覚悟に感激なさっているのですわ。殉死の栄誉に
ダミニがすらすらと述べたのは、もちろんアイシャの想いをまったく汲んでなどは、いない。良い助け舟であるのは、さすがに分かるけれど──
(ダミニ……どういうつもり!?)
単純に喜ぶことなんて、もちろんできなかった。
先ほどの一幕を、トリシュナもあるていどは見聞きしていたはずだ。疑わしげに細められた目が、探るようにダミニを貫く。
「本当にそんなことを思っているの? お前が?」
「はい! 恐れながら、私自身も感動に打ち震えております」
大げさな所作で胸に手を当ててひれ伏したダミニを見下ろして、アイシャは目を瞠った。同時に、なんとなく悟る。
(……お義母様に取り入ろうというのね。私を、踏み台にして……!)
スーリヤ国の高貴な女の心得というものを、主よりもよほどよく弁えているのだ、と。アイシャがまともな相槌を打つこともできないでいる隙を素早く突いて、貞節の美徳を備えていると誇示しようというのだ。
「夫の死から時が経つにつれて、悲しみから醒める女も中にはおりますのに。そうして、浅ましくも生きて楽しみを享受したいと願ってしまうこともありましょう。そのような行いは恥ずべきものであって、夫婦の愛は決して褪せることはないのだと──高貴な御身が範を示されるのは、たいへん尊いことだと存じます」
ダミニがすらすらと述べたことこそ、模範のような答えだった。ほんらいなら、アイシャが言わなければならないことだった。
だからだろうか、ダミニを見下ろすトリシュナの目が、ほんの少しだけ和らいだように見えた。それでも本当に少しだけ、王の妃であった寡婦の色のない唇は、欠片も笑んではいなかった。
「お前の口からそんなことを聞くとは思わなかった。ラームガルの
トリシュナの、口調こそは穏やかなものだったけれど、声には冷ややかな蔑みが潜んでいるのがはっきりと聞こえた。殉死しなかった女に向けられる嫌悪があまりに深く大きいから、その娘までにも向けられてしまっているようだった。
「まあ、お気の毒に……」
「でも、後からだってお供できたでしょう? そうなさらなかったのかしら」
「命を惜しんだのなら──」
「しっ、静かに」
不穏に騒めく侍女たちに混ざって、アイシャもそっと手で口元を覆った。
(ダミニの母君のこと……知らなかったわ……)
非難の溜息を隠すためではない。驚きはしたけれど、それだって親族の家中の思わぬ事情を初めて知ったからではない。醜聞になりかねないことなのだから、伏せておくのは当然のことだ。
(ダミニは、お母様と同じことを……!?)
夫を亡くしても殉死せずに済む方法を、ダミニは母君を見て学んだのかもしれない。
夫を愛していないなら、その死の時期を
その場の誰もが、きっと、聞いてはならない秘密を知ってしまった気分になっていただろう。でも、その秘密を暴かれたはずのダミニは、誰よりも落ち着いているようだった。トリシュナに対して深く頭を垂れる姿も優雅そのもので、まるで何ひとつ悪びれる必要などない、とでも言いたげで。
「父にも母にも顔向けできぬ、恥ずべき身の上です。でも──だからこそ、
ひれ伏した姿勢から見上げるダミニと、泰然と見下ろすトリシュナの間で視線の刃が切り結ばれたように思えた。けれどそれも一瞬のこと、トリシュナはアイシャのほうへ、ちらり、と視線を移した。彼女が何も知らなかったことを、顔色と表情から察したのだろう。
「この際だから、最初の教えを授けておきましょう。──侍女の掌握もお前の大事な務めのひとつ。良いわね?」
「は、はい」
今度こそはっきりと頷くことができた。アイシャの従順さに満足したのか、トリシュナは小さく頷くと立ち上がり、侍女たちを引き連れて去っていった。
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