第六十話 英雄の帰還
遠くのほうで叫び声が聞こえる。
何かを打ち合う音も。
まるで戦場の音だ。
……戦場?
「……はっ!? あ……っぐぅ…っ!」
自分が戦場の只中にいたことを思い出し、とっさに身体を起こした。
何度も場数を踏んだおかげか、こういう時、自然と体が動く。
身体中見回すと、命にかかわるような怪我はなさそうだった。
左腕が一部変色していて、激しい痛みを感じるが、動かないほどではない。
「……う…っ、みんなは……?」
上体だけ起き上がった視線の先。
倒れた無数の兵の先に、いまだ激しい戦闘が続いているのが見えた。
もう、あんなに押し込んだのか。
きっとこの左腕も、乱戦の最中、味方に踏まれでもしたのだろう。
それにしても、いったい何があったのか。
座り込んだまま、見回すとすぐに、地面に突き立った巨大な槍の柄が視界に入った。
「上位種の魔物の槍か。……あの時の音は、これだったのか?」
頭が徐々にはっきりしてきたことを確認し、ゆっくりと立ち上がる。
……まだ、すこしふらついた。
あたりはまさに戦場の跡といったところだ。
ところどころから、かすかに、うめき声や家族の名を呼ぶ声が聞こえる。
斬られ、刺され、倒れても、すぐに死ぬとは限らない。
安物の携帯魔法陣では間に合わないほどの傷に身体が動かなくなったまま、ただ徐々に死んでいく。
「………………」
なんて数なんだ。
これまでも、魔物との戦闘は何度も経験した。
先輩や同期の仲間が死ぬのも、嫌というほど見てきた。
なのに…………なんだ……これは…………。
あれほどまでに熱かった体が嘘のようで、ただ、震えだけが同じように残っていた。
寒い。
徐々に激しくなる震えと、いばらのツルに巻かれるような奇妙な嫌悪感を伴う圧迫感に、自分の体を抱えるように抱き、座り込んでしまった。
「何をやっている……ここに何をしに来たと思っているんだ……立て……」
怖い。
「ふ…ざけるな……怖いのはみんな同じだ……戦え……! みんなといっしょに戦え!!」
震える声に力を込めて、自分に言い聞かせた。
みんな戦っている。
遠く激しく打ち合う音の中から、指揮する声も聞こえる。
魔物の群れを突破して、勇者様たちの盾になると叫んでいる。
無茶なことをするなあ。
そう思うと、ほんのすこしだけ体が軽くなった気がした。
体の熱は戻らず、震えも収まらないが、剣を杖に、なんとか立ち上がろうとする。
こんなところで震えているために来たんじゃない。
俺の実力なら、恐怖の中でも一人前の働きができるはずだ。
早く支部長や、みんなのとこ…
「…か……ぁ…さ……ん…………」
突然上がった声のほうへと自然と顔が向いてた。
俺と同じくらいの若い兵だ。
肩からざっくりと割られ、血に染まった体とは対照的に血の気を失い透き通るほど白くなった顔に、飛び散った「赤」が映えていた。
あれでは助からない。
こいつも、俺と同じように無理を言ってついてきたんだろうか。
声になったのはさっきの言葉だけで、虚ろな目をしたそいつの口は、時折わずかに動くのみだった。
その時、視線を感じた。
……いや、本当はずっと前から……。
なのに、見ることができなかった。
見てはいけない。
俺の中の何かがそう叫び、ずっと気付かないふりをしていた。
見てはいけない。
早く、みんなのところへ……。
見てはいけない。
……脚が動かない。ずっと向けられていた視線に引きずられるように、目だけが意思に反して動いた。
最初から視界に入っていた巨大な槍の柄の先。
地面に突き立った穂先のほうへ視線を下げると、首から胸を大きく貫かれ、地面に縫い付けられた男が真っすぐ俺を見上げていた。
「…………せ……んぱ…い……」
大きく見開かれるでもなく、苦悶の表情を浮かべるでもなく、ただ、いつもの先輩の顔のまま倒れ、俺を見ている。
「……は…っ…………は…っ…………」
呼吸の仕方も忘れ、ただ先輩の目だけを見ていた。
徐々に視界に白いもやがかかる中、先輩の、光を失った瞳の闇だけがはっきりと浮かんでいる。
「……う……ぉ……あぉっ……!」
ひとしきり吐き散らした後、すっかり座り込んだ俺を先輩はずっと見ていた。
もう視線なんて合わないはずなのに、 ずっと。
「…………やめてください……先輩」
そんな目で見ないでください……。
「……先輩……」
…………やめてくれよ……っ!! ……やめて…………!
「……う…っ……いやだ……! ……うあぁぁぁっっ……!」
気が付くと俺は、這いつくばったまま転げまわるようにして、その場から逃げ出していた。
どこを通っているのかもわからない。
ただ延々と続く死体の上を、手を突きながらひたすらに乗り越えた。
何度も仲間の死体に手足をとられ、つまづき、進むごとに身体中に彼らの血を塗り広げながら。
ただ、すべてを見透かしたような先輩の瞳から逃げたかった。
ようやく俺の手が仲間の死体ではなく、地面をとらえるようになったころ、はるか背後から凄まじい爆発音が聞こえた。
「………………」
振り返った俺の頭に、徐々に正常な思考が戻る。
「……くっ! …………ううぅっ……!」
あのまま狂ってしまえばよかったのに。
ただの一度も剣を振るわなかった俺の全身には、ともに命をかけるはずだった仲間たちの血がべっとりとまとわりついていた。
脱ぎ捨ててしまおう、と何度も思った。
だが、彼らの呪いを受けることが、逃げた俺にできる唯一の罪滅ぼしだと思うと、どうしてもできなかった。
それすら言い訳にすぎないことは、わかっている。
……本当に、狂ってしまえばよかったのに……。
シャクドーを離れた俺は、途中の兵団支部でケンケンを借りコーロゼンへと戻った。
ケンケンを借りた兵団支部でも
支部長と俺の関係、そして俺がついていった経緯を知るコーロゼンの人々にその言葉を疑う者はいなかった。
負った怪我と、すでに乾き変色していた全身の血の跡も、信ぴょう性を高めたのかもしれない。
多くを「語らない」俺の姿は、死を覚悟した戦場から追い返され悲嘆にくれる悲劇的な男に見えたことだろう。
だが、一人でも生き残りが帰ってくれば、すべてが終わる。
俺は、仲間の死を願った。
同時に、いっそすべてが明るみになって、この苦しみから解放されたいとも思った。
結果、神の救いか、あるいは罰か。
コーロゼンから出た兵団員は支部長以下、俺を除いて還ってきた者は一人もいなかった。
――そして、俺は「英雄」になった。
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