第四章 急転直下

16 魔手の届く範囲であれば

 女性刑務所の運営体制が整うまでには三日ほどかかったけど、今は刑務所長のガラム婆さんが中心になって、ようやく仕事も回り始めていた。


「はぁ……この刑務所はこれから大変なことになるよ。あまり老人を酷使しないでほしいんだがね」

「うん、ごめん。ちょっとやり過ぎたかなとは思ったんだけどね……色々と面倒をかけて悪いけど、よろしく頼むよ。ここでの産物はアマリリス商会の方でまとめて買い取るからさ」


 麻布や羽毛なんかはどこかで製品に加工すれば良い値段で売れそうだし、蛇鶏の肉や卵は黒蝶館で出せば人気になるだろう。

 ミミのテレパシー越しにみんなに仕事をお願いしているけど、レシーナが既に港湾都市ポータムで事務所兼倉庫となる土地を確保してくれたから、輸送も問題なさそうだ。


 刑務所の収入源がしっかり確保できれば、運営もやりやすくなるだろうからね。これまで資金不足で出来なかった施策も実現できると思うよ。


「ガラム婆さんは陶芸もやるんだよね。粘土クレイスライムのいる作業所で粘土が大量に手に入るから、囚人たちに指導してみたら?」

「ふん。しばらくはそんな暇もないだろうが……だが、そうさね。余裕ができたらそれも悪くない。土操作魔法を使える子はちらほらいるからね。とはいえ、女の陶工なんてあんまり需要はないだろうが」


 んー、たしかに陶工をしてるのは男ばっかりの印象だよね。

 理由は分からないけど、この世界だと男女で仕事の役割分担がかなり違う。性別による職業選択の幅がかなり狭い印象があるんだ。だとすると。


「そうだなぁ。粘土を使ったアクセサリー……なんかは女性の仕事になりえるのかなぁ。あんまりそういうのは見かけないけど」

「は? そんなもの……ん? 作れる、か」

「うん。草花や生き物なんかの形を作って、釉薬ゆうやくで色をつけて焼き上げる。黒蝶館で着ているシルクのドレスなんかに、そういったボタンやブローチなんかがさり気なく付いていたら、なかなかオシャレになるんじゃないかと思うけど。宝石を使った装飾品とはまた違った落ち着いた雰囲気が出るんじゃないかなぁ」


 僕の言葉に、ガラム婆さんは顎に手を当ててしばらく固まると、ニヤリと口元を歪めた。うんうん、楽しそうでいいね。

 とりあえず自由に作ってもらえれば、それもアマリリス商会でまとめて買い取るし、その中で質の良いものを選り抜いて黒蝶館で活用していけばいいだろう。みんなが気に入るようなら、舞葉館のお客さん向けに売り物にしても良いだろうからね。


 そういった相談を色々として、僕は女性刑務所を離れることになった。あれこれと急に変わったからか、みんな最後まで困惑した様子だったけどね。でもこの数日でわりとフランクに話せるようになったし、去り際にはみんな笑顔で手を振ってくれたから、とりあえず良しとしておこう。


  ◆   ◆   ◆


 そんなわけで、西の女性刑務所を出て壁を増築しながら、戦乙女隊ヴァルキリーズが魔物を狩る様子を眺めつつ、島の南端に向かって回り込むように進んでいく。


「この先にあるのは……男性刑務所か。彼らもなかなか厳しい状況に置かれているみたいだから、なんとかしたいところだけど」


 道中、森の中のぽっかりと開いた地面に海水湖ができているのを見つけた。見た目はすごく綺麗だけど、海の瘴気はこういった場所から空気中にポコポコと拡散され、森に広がっていくらしい。辺境ってなかなか面白い環境だよね。


 出てくる魔物も少し強くなってきたので、戦乙女隊の訓練は激しさを増していた。鋭角鹿、首刈兎、岩猪なんかの四足獣型の魔物はなかなか殺意も高くて、見ている僕も冷や冷やしてしまう。

 しかしそんな森の中で、彼女たちはテントを張って野営訓練まで行っていた。最初の頃と比べるとかなり成長して頼もしくなってるよね。スキルの使い方もずいぶん上手くなり、分担して魔力探知を行うことで隙ができないようカバーし合っているから、チームとして安定感がある。


 ここの森で採取できる魔草や魔茸などには錬金薬に使えるものも多く、囚人たちの刑務作業は辺境領にとって大切な収入源となっている。錬金薬素材の流通量という面から見ても、採取作業は非常に大切だ。

 男性刑務所はどうしようかな。囚人の死者数を抑えたいとは思うけど、森での刑務作業を禁止すれば素材が枯渇する。栽培所を整える、というだけでは、この大自然に存在する恵みを全てカバーしきることなど到底できないのだ。


 まぁ僕の場合は、亜空間庭園で手当たり次第に栽培しているんだけど……それはあくまで個人の話だからね。


「男性囚人の冒険者技能を育てる……そういう意味では、ここはたしかに良い環境なんだよね。瘴気は濃すぎず薄すぎず、敵は強すぎず弱すぎず。採取できる素材の種類は豊富で、地形の変化もある。探索の練習をするのにもってこいの環境だ……それ自体は悪くない」


 ただ、やはり今後の神殿の動きを考えると、男性刑務所の防衛はよく考える必要がある。

 囚人たちは魔力制限の首輪を付けているから、不用意に森へ出かければ、奴らに誘拐される危険だってあるわけで。それにどう対処するのかは、なかなか明確な応えが見つからない。


 そんな風に建築を進めている時だった。

 一羽の魔鳥が、僕のところに飛んでくる。


「あれは……ポルシェの魔鳥かな」


 そうして魔鳥を迎え入れた僕は、足にくくり付けられた筒から手紙を取り出す。なるほど……これは緊急だね。


「ベッキー、みんなを集めてくれるかな」

「クロウさん、どうしたっすか」

「……戦争が起きたみたいだ。軍艦が現れて、軍勢がピスカチオ市に押し寄せているらしい。どうも精霊神殿の神官が中心になって動いているみたいだ。領主一家の体調もまだ不安だし、これから急いで向かおうと思う。一旦亜空間に入ってほしい」


 悪いね、楽しく訓練していたところ。

 でも、こんな急展開は全く予想できなかったよ。


「いや、予想できなかったというより……現実的じゃないと思って、思考を放棄していただけか」


 思えば予兆はあったはずだ。

 領主長男が東の集落を作っていたのはなぜか。家族に毒を盛ってまで辺境伯家を機能不全に陥らせたのはなぜか。ピスカチオ市を疲弊させるような施策をしていたのはなぜか……これが全て、精霊神殿がこの島に活動拠点を作るための布石だとするならば。この侵攻は予想できたのかもしれない。まぁ、今どうこう言っても仕方ない、反省は後回しだ。


 戦乙女隊のみんなが亜空間に入ると、僕は建築途中の壁に手を添えた。

 南西部にあるこの場所から北のピスカチオ市までは、かなりの距離がある。魔手を伸ばして亜空間移動テレポートを繰り返しても、通常ならばかなりの移動時間を要するだろう……と思って、僕は有事に備えて対策をしておいたのだ。


「魔手の届く範囲であれば、僕は亜空間の出入り口を開くことができる。そして――」


 この壁には、魔手を延長するための中継術式回路を組み込んであるから、理論上は壁沿いのどの場所にでも一瞬で移動できるはずだ。

 ここまでの長距離移動を試すのは初めてだけど、果たして上手くいくかどうか。


 僕の魔手は中継回路の補助を受け、糸状になって壁を伝ってどんどん伸びていき、ずっと遠く……北のピスカチオ市まで到達していた。

 僕がよく使う亜空間移動の原理は簡単だ。伸ばした魔手に沿うよう亜空間を作り、その中に入る。そして自分が姿を現したい場所を出口に設定した状態で亜空間を解除すると、押し出されるようにして、弾き出される――というわけだ。


 まぁ、今回やってみて思ったけど、このやり方だとあまり長い距離は移動できない。魔糸が耐えられるかちょっと不安だからね。あくまで緊急用かな。


「うん。距離は関係なくいけるみたいだね」


 そうして一瞬でピスカチオ市に戻ってきた僕は、まず空の赤さに驚いた。

 急いで市内に向かうと……そこではあちこちから火の手が上がり、逃げる人々を兵士が蹂躙している場面に遭遇した。


 ピスカチオ市は、存亡の危機に晒されていた。

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