15 ぶっ殺してやろうか、と思ってた

――ぶっ殺してやろうか、と思ってた。


 自分は昔から、恋する乙女の気持ちなんて全く理解できなかった。女らしく振る舞うのも癪だったから、母親の反対を押し切って髪を短く切り、一人称も「私」ではなく「自分」と呼称することにして、戦いの場に身を置く覚悟を決めていた。

 才能を見込んで拾った元孤児の子たちからは「ベッキーさんが嫁に行くときは、私たちもみんな一緒に行きます」だなんて慕ってもらっていたけど……嫁に行く自分の姿なんて、少しも想像できなかった。


 しかし父親は、そんな自分の覚悟を鼻で笑った。


「ふん。どんなに鍛えたところで、お前は女なんだ。いいか。前に立って傷つくのは男の役目、それを陰から支えるのが女の役目だ。分を弁えろ」


 どんなに鍛えても、訓練で並み居る男どもを何人殴り倒したって、父親は自分を実戦の場には出してくれなかった。信じてついてきてくれたターニャたちにも、何と詫びればいいのか分からない。


 ある人は、父親のそれを「愛」だと言った。

 ある人は、父親のそれを「常識」だと言った。


 自分の中の半分はずっと意地を張っていて、もう半分は諦めていた。

 東に求婚者がいれば行って殴り倒し、西に婚約者ができれば奴の屋敷ごとぶっ壊して破談にしてやった。けれど……いつかは観念する時が来る。無力な自分にできるのは、父親が自分の未来を勝手に決めることにひたすら反発し、ただ暴れまわることだけだったから。


「喜べ。お前の婚約者はサイネリア組の次期若頭に決まった。さすがのお前も、組の本部に殴り込みには行けまい。まぁ、お前の序列は第十二夫人になるそうだが、嫁ぎ遅れるよりはマシだろう」


――よし、ぶっ殺してやろう。


 どんなに強かろうと偉かろうと、一つ年下のエロガキの嫁になんて絶対に収まってやるもんか。自分の減速魔法なら、接近戦に持ち込みさえすればタコ殴りにしてやれる。結婚だなんて戯言、あっちから断らせてやる。


 そう思っていた頃に、事件は起きた。

 帝国南部のリアトリス組が急に攻めてきて、トライデント支部長をしている叔父の首が目の前であっさりと刎ねられたのだ。そして……自分は「女だから」とこれまで戦わせてもらえなかったのに、今度は「女だから」と敵に生かされた。酷い屈辱だった。


「お前らは幹部への手土産だそうだが……くくく、ちいっと味見するくれえは良いだろう。なあ?」


 リアトリス組の奴らは、盛りのついたネズミのように下品なニヤケ顔をして、捕らえた女たちの体を触り始めた。魔力で威嚇してどうにかやめさせたけど……そもそも魔力の強さだけで容易に覆せるような人数差ではない。いつまで抵抗し続けられるか。

 しっかり者のターニャとソーニャは皆を励まし、ガイラは静かに皆を守る位置を取る。マドカはこれまで周囲に嫌われることを極端に恐れていたのに、自ら挑発魔法を使って男たちの注意を自分に向けた。他のみんなもそれぞれの魔法で……プリーヌが小さな爆発を起こし、ナシャが石を、ヌゥムが泥を、エリサはツル草を使って男どもを妨害する。


 しかし男たちもそういった抵抗には慣れたもので、むしろいつまで抵抗が続くかで賭け事をはじめる始末だった。そして大半の男は「今日中には魔力切れで何もできなくなる」と予想していて……しかもそれは、そう大きく外れてもいなかったのだ。


 貞操を奪われるという危機は、想像していたよりずっと、体の奥底から震えが来るようなものだった。


 そうして窓から差し込む日が傾いてきた頃、事態は大きく動いた。何やら伝令が来たと思うと、これまでニヤケ面を晒していた男どもが急に真顔になり、にわかに慌ただしくなったのだ。


『えー、僕はサイネリア組次期若頭、並びにダンデライオン家名誉騎士、およびアマリリス商会の代表……クロウ・ダンデル・アマリリス・ポステ・サイネリアだ。討ち入りだぞぉ、討ち入り』


 拡声魔道具によって鳴り響くのは、まったく緊張感のない声色だったが……それとは裏腹に、鋭く刺すような強烈な魔力が自分たちのもとにまで届いた。そしてリアトリス組の男たちは最低限の監視を残し、大慌てで部屋を出ていったのだ。


 外から聞こえてくる戦闘音。

 自分はどうにか逃げる隙はないかと、監視の男に目を向けたのだが……その時には既に、男の首は刎ね飛ばされていた。


「おい、キコ。あーしらは今回隠密行動だろ」

「……あ」

「ったく。目撃者はあーしが寝かしつけてやるから、キコは証拠を隠滅しとけよ」


 かつて自分が面倒を見ていたペンネ。

 以前は強がるだけだった桃色ツインテールの少女は、今や以前とは比べ物にならないほどの強靭な魔力を纏い、その場にいた男たちを次々と昏倒させていった。その姿が衝撃的過ぎて、まるで思考が追いつかない。


「これでよし……久しぶりだな、ベッキー。前まではずっと、あーしはお前に助けられてばっかだったけどよ。へへ。今回は立場逆転ってとこだな」


 そんな風にして、自分は危機を救われた。


 キコ姉さんの影に入らせてもらい、ペンネの発案で錬金薬の保管庫を空にしてから、前庭で戦い続けるクロウさんのもとへと向かう。

 彼はその身に鋭い魔力を纏いながら、敵陣の中であらゆる攻撃をいなし、怪我人を転がす。それは、話に聞いて想像していた強さを遥かに超えていた。


「あれが……次期若頭の本気」

「は? あれがクロウの本気なわけねえだろ。魔力だってちょっとしか放出してないし、めちゃくちゃ手加減してるよ。つーか、クロウが本気を出したらこの事務所なんて一瞬で更地になるかんな。舐めんなよ」

「え……どうして。なんで手加減なんて」


 自分はうまく頭が回らず、ペンネにそんな間抜けな質問を投げかけてしまう。クロウさんが手加減している理由なんて一つしかないのに。


「はぁ、決まってんだろ。ベッキーたちを救うためだっつーの。あーしらが皆を無事に助けられるように、クロウは一人で暴れまわって、リアトリス組の奴らを引き付けてくれてんだ。後で感謝してやれよ」


 そんな説明を聞きながら、クロウさんの戦う姿を見ていると……なんだか胸の奥が、キュッと締め付けられるような、不思議な気持ちになった。

 昔から、恋する乙女の気持ちなんて全く分からなかった。でも今だけは「あの時、母親の言うことを聞いて髪を伸ばしておくんだった」なんて似合わない後悔をして、気がつけば無意識にもみあげを弄ってしまっていた。


 ぶっ殺してやろうか、なんて物騒な考えは、もうその時点で頭の中から綺麗さっぱり消え失せてしまっていた。


 そして、革製品工場に帰ったクロウさんの動きは迅速だった。何手先まで読んでいるのか、テキパキと指示を出す。「ダルマーたちには手分けして、このトライデント市全域に散ってもらうよ」「保護した女性のうち一般家庭から攫われた者を無事に家にお返しすること」「必要な金貨は、ここからいくらでも持っていっていい」「ウラジーミル子爵の居城に忍び込んでほしい」「精霊神殿に向かってくれ」「この拠点の防衛を任せたい」などと、豪快に金貨を放出しながらポンポンと指示が飛ぶのだ。


 自分は呆気に取られたまま……胸の奥底からメラメラと燃え上がる激情に飲み込まれた。その勢いのまま自ら嫁を名乗り、クロウさんに仕事を割り振ってくれとお願いしたのだが。


「――しばらくは絶対に働いちゃダメだよ」


 あ、好き。

 自分はあっさりと、これが恋だと自覚した。


  ◆   ◆   ◆


 あれから色々あったけど、今はインスラ辺境島領にまで来て、念願の実戦経験を積ませてもらっていた。配下たちも皆、それぞれの戦い方を見つけていき、この短期間のうちにずっと強くなった。


「……ターニャ、ソーニャ」

「はい。ベッキーさん、どうしましたか?」

「……?」


 クロウさんは、想像よりずっとすごかった。

 この領地の問題を一つずつ着実に解決し、自分たちの戦闘能力を鍛えながら、とんでもなくデカい壁を延々と作っていって……どういうわけか今は、女性刑務所をリゾート施設のように豪華にして、皆を困惑させている。一体どういうことなの。


蛇鶏コカトリスの扱いがめちゃくちゃ軽い」

「まぁ……クロウさんですから」

「……常人の物差しでは測れません」


 この刑務所は今後、滅多に手に入らないはずの高級食材が食べ放題になるわけで……本当にどういうことなのか。目の前で見ていても意味が分からない。

 気がつけば、自分の周りには八名の配下が集まってきて、それぞれ思い思いの表情でクロウさんの姿を眺めている。ふふ。こんな状況、少し前までは想像もできなかったな。


「そういえば……自分はもうクロウさんの嫁になる覚悟を決めたけど。別にみんなまで付き合う必要はないんだよ? 今の実力なら、みんなはどこに行ったってやっていけそうだし」


 自分がそう言うと、まず反応したのはターニャとソーニャだった。


「まさか、クロウさんに恋したのがご自身だけだと思っているんですか? というか、あんなの惚れない方が難しいですよ」

「……ですよ。あれはズルいです」


 まぁ、それは分かる。惚れるよね。

 次に口を開いたのは、ガイラ、マドカ、プリーヌ。


「……本当は独り占めしたい」

「全力の挑発がまったく効かないんですよ。あんなに安心できる人、他にいないです」

「死ぬ時は一緒に爆発したい」


 そうだよね。爆発はどうかと思うけど。

 ナシャ、ヌゥム、エリサは。


「あたしのこと、役立たずじゃないって」

「ククク、すごく愉快な人」

「わ、わわわ私も……その」


 あー……分かった。みんな同じなんだね。

 自分たちは第十二夫人から第二十夫人までの椅子をごっそり確保することになったけど……思えば、ラッキーだったのかもしれない。クロウさんは今後もどんどん嫁を増やしていくだろうから、最終的な序列で言えば、おそらく自分たちはかなり上の方に位置することになるはずだ。


 そう考えていると、ターニャはすっと手を挙げる。


「ベッキーさん。もっと存在感を出すべきです」

「……存在感?」

「はい。妻の序列を崩そうとすれば、レシーナさんに殺されてしまうのは目に見えていますが、存在感をアピールするのを止められる理屈はありません。私たちは一丸となって、人数で押していきましょう。ベッキーさんが誰よりも愛される嫁になるよう、戦乙女隊ヴァルキリーズみんなで後押しする。これが私たちなりのベッキーさんへの仁義です」


 そうして、みんなは揃って片膝をつく。

 ありがとう。でも、クロウさんに愛される嫁になるのは、自分だけじゃない。みんな一緒にね。


 まさか自分の人生がこんな風になるとは思ってもみなかったけど。

 理由もなくこみ上げてくる笑いを、ついクツクツと漏らしてしまいながら、自分はただ真っ直ぐに、クロウさんを見つめていた。

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