04 僕の空耳だと思うんだよね
蒸留装置は八並列で動いているんだけど、僕はその内の一つを借りて実験を行うことにした。
装置の地下部分。僕が手を入れようとしているのは、先程まで市民たちが薪を投入していた炉の部分である。今は海水の流入を遮断して空っぽになっているけど、この部分をもう少しなんとかできないかと思っているんだよ。
なので、まず最初に取り出すのは。
「てってれー、クラフト図面台」
何を作るにしても、まずはレシピカートリッジを作成する必要があるからね。
そうして図面台の上でカリカリと術式回路を描いていると、背後にいたポルシェが僕の手元を覗き込むように見てくる。
「先ほどの治療の時には聞けなかったが……それは錬金術式回路だよね。どうして錬金台に直接描かず、図面として起こしているんだい?」
「うん。実はこうすることで、レシピカートリッジというものを作成するんだよ」
そうして、書き上がった術式回路を空のレシピカートリッジに記録していく。たしかに最初に作成する時の手間はかかるけど、後々のことを考えるとかなり楽だと思うんだよね。
「てってれー、大型クラフトテーブルとクラフト錬金炉」
取り出したのは、一辺五メートルある大型のクラフトテーブル。それに接続する形でクラフト錬金炉を設置する。こうすれば、炉で熱したものを素材にして大型のものもクラフトできるというわけである。
「で、さっき作ったレシピカートリッジをセットして、材料となる岩石を炉に投入する。で、装置を稼動させるための魔力を流すと」
「ふむ」
「すこし待っているだけで……水晶製の大型水槽が完成するってわけだね」
「なんで?」
なんでって、見てた通りだけど。
魔力で原材料を熱する錬金炉と、必要素材を抽出して再構成する錬金術式回路を組み合わせたんだから、そりゃあ設計した通りのものが出来上がるでしょ。
円形の水槽を亜空間にひょいとしまった僕は、蒸留装置下部の加熱部分と置き換える。魔銅の筒との接続部分を熱に強い樹脂で埋めれば、ひとまず試作版の装置は完成だろうか。
試しに海水の流入と排出を繰り返してみたが、水の漏出などの問題もなさそうだ。今はこれで十分だろう。
「……クロウ。私には分からないんだが、これは前と比べて何かが変わったのかな」
「うん、水槽の中に透明の仕切りがあるでしょ。あれが重要なポイントなんだよ」
水晶製の水槽の中は二つのエリアに分けられている。さて、上手くいくかなぁ。
僕は水槽の中を海水で満たしてから、そこに……船に乗っている時に
この魔魚は、海水を熱湯に変えてしまうという性質を持っていることでよく知られている。が、今はただ、悠々と水槽を泳いでいるのみだ。
「クロウ。熱水魚を使って蒸留をするというのは私も一度は考えたが……でも、こいつらは常に水を熱しているわけじゃなくて、酷く気まぐれなんだ」
「気まぐれ? そうかな……まぁ、試してみよう」
「試すって何を――」
論より証拠。
二つに仕切られた水槽、僕が五匹のオスを解き放ったのは大きな方のエリアだったので、今度は小さい方に一匹のメスを放出する。
すると、その効果は劇的だった。
オスたちはメスを見るや、身体をカッと赤く染めて海水をグツグツと熱湯に変えていき、水槽からは瞬く間に蒸気が立ち上っていく。
「こ、これは一体」
「古い書籍にも記載があったし、実際に船の中で生態を観察してたんだけどね……熱水魚が海水を熱湯に変えるのは求愛行動なんだ。オスはメスを目の前にいると、自分がいかに熱いオスなのかアピールするっていう生態がある。本能みたいなもんだね」
「そ、そうだったのか……ところで、オスとメスを仕切っているのは」
「それは、恋が成就すると熱するのをやめちゃうからだよ。あとは、メス一匹にオス五匹くらいの逆ハーレム状態にしておけば、競い合うようにしてずっと発熱してるから……あとは海水の流入量、排出量をうまく調整してあげるだけで、延々と蒸留ができるはずだよ。熱水魚の生存には瘴気があればいいし」
どうやら熱水魚のオスとメスは普段は生息している水深が異なり、繁殖時期になると移動して、メスは巡り合った一番熱いオスとの間に子を残すんだってさ。面白い魔魚だよね。
そうしていると、想像していたより早く海水が減ってきたので、古い海水を排出しながら追加の海水を流し入れる。
熱水魚が水を暖めるのは海水に含まれる瘴気を用いた呪術なので、常に新鮮な海水を提供して瘴気を補給してあげることが重要だ。ようは瘴気が燃料みたいなもんだからね。
ただ、あまり高頻度に海水を入れ替えると、今度は海水が十分に温まらず蒸気にならないので、どういう頻度で海水を入れ替えるかは今後調整しながら最適を見計らう必要があるだろう。
「……うん、とりあえず実験は成功かな」
「おや、これで完成ではないのかい?」
「まだまだだよ。長期間運用しようと思ったら、考えなきゃいけないことは多いからね……海水を煮詰める都合上、塩の結晶が堆積していくのをどう処理すべきか。熱するのを一時的に止めたり、熱水魚を入れ替えるための仕組みや作業手順はどうするか」
そうして、発生しうる様々な事象についてポルシェと話し始めれば、問題点も解決案も山のように出てくる。
それらを一つずつ吟味していくと……話に夢中になっているうちに、外はすっかり夜が明けていた。遅れて、久々に徹夜をしてしまったのだと気がつく。
「ついつい話し込んじゃったね」
「ふふ……誰かとこんなに錬金術談義をするのは初めてだよ。時間を忘れてしまった」
ポルシェはプッと吹き出すように笑い始めた。
「いやぁ……まさかあのクロウ・ポステ・サイネリアと一夜を共に過ごしてしまうとはな」
「意味深な発言はやめてほしいなぁ」
「ふふ。これまでは君の姿絵からどんな人なのかを妄想するだけだったからね……でも妄想は妄想に過ぎないのだと理解した。実物はとてもじゃないが、私の想像していたキラキラ王子様ではなかったよ」
いや、キラキラ王子様なわけないじゃんね。
ヤクザの次期若頭で、パン屋の倅だよ?
「まいったね……君は私の想像など遥かに超えるほど理不尽で、身も蓋もなくて、あっという間に全てを解決してしまう奴だった。とんでもないな。まったく、ズルい男だよ」
それは一体どういう評価なんだろう。
とりあえず、僕はいくつかのクラフト装置を亜空間から取り出す。これだけあれば足りるかな。
「クラフトテーブル、クラフト錬金炉、クラフト図面台……あとは基本的なレシピをいくつか」
「それは……一体」
「本当はこの蒸留装置の完成まで付き合いたいところなんだけど……僕には急いでやらなきゃいけないことがある。だから、代わりにと言ってはなんだけど、これはポルシェにあげるよ」
この基本セットがあれば、ポルシェの装置作りもだいぶ捗ることだろう。僕がそう言うと、ポルシェはぽかーんと口を開いて、その後あわあわと挙動不審になった。
「い、良いのかい? そんな貴重な」
「貴重でも何でもないけどね。もう想像がついてると思うけど、僕はこれらのクラフト装置を作るためのレシピカートリッジも既に用意している。君にあげるのは予備として作ってある装置だし、次の予備はまたすぐ作れるわけで、僕の懐はまったく傷まないってわけだ。自由に使っていいよ」
あとはポルシェがどんなレシピを作ってこれを活用していくか、というだけの話だからね。
「ありがとう……師匠。私は君の弟子として、恥ずかしくない錬金術師になる。君の信頼に応え、まずはこの蒸留装置をきっちり完成させてみせるよ」
「頑張ってね。でも師匠なんてガラじゃないから、接し方はこれまで通りでよろしく」
「わかったよ……
ん? んんん? 今なんか、ニュアンスがちょっとおかしかった気がするけど……気のせいだよね。
心の中のレシーナが「貴族の女に手を出したら刺す」と言ってるし、最近嫁を名乗る子が八人も増えたばかりだし。僕の空耳だと思うんだよね、きっと。そうに違いない。
さてと。緊急の案件だった領主一家の解毒も済んで、蒸留装置も改善の目処が立った。あとは東の村落に行って、事件の真相を確かめ、対処するだけだ。頑張るぞ。
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