17 涙と鼻水を拭いて

 リリアの部屋を出て自室に帰った僕は、さっそく亜空間庭園ガーデンへのゲートを開く。


 さてと。これから話をするのは、元若頭候補の中で最も僕に敵意を向けている男だ。

 黒髪の中に赤いメッシュの入った短髪。魔物使役師がよく身につける革鎧と毛皮の外套に身を包んだ、オーキッド・ドクトール、二十歳。


 なんでも彼は、僕の作成した魔物の罠施設が気に食わないということで、もはや殺気と呼んでよいほどの強烈な害意を向けてきている。

 ただ、魔物使役師の中では飛び抜けて実力があり、配下からの人望も厚いみたいだから、今後のことを考えると仲良くしておきたいんだ。ほら、魔鳥の調教とかで絶対にお世話になるわけだし。


 さて、どうしたもんかなぁと悩みながら亜空間に入ると、そこでは――オーキッドが片膝をついて頭を垂れていた。んん?


「お疲れ様、オーキッド。遅くなって悪いね」

「クロウ。待っていたぞ……この亜空間庭園は素晴らしいな。一般の動植物から、辺境にいるような魔物、魔樹、魔草、魔茸まで……隔離された亜空間内で、それぞれの生き物が生態に合わせて快適に過ごせるよう随所に工夫が施されている。ここで生まれて死んでいく魔物たちは幸せだろう……そして、その死骸は無駄にされることなく、敬意をもって最高級の素材として扱われている。これは究極の愛だ。それを悪辣な罠と呼称するとは……俺が間違っていた。許せ」


 え、めっちゃ早口で語るじゃん。


 この感じだと、僕の魔物たちに対する扱いはオーキッドの基準ではオッケーだったのかな。それなら良かったけど。

 基本的に魔物って、狭くて暗くて瘴気に満ちた場所が大好きみたいだからさぁ。僕の亜空間魔法で常時生み出される瘴気の活用先としては、わりと妥当なところだと思うんだよね。


「オーキッドに認めてもらえたなら良かったけど、まだまだ改善点もあると思うんだよ。例えば、小鬼ゴブリンたちの食料は果物だけでいいのかとか」

「あぁ……それで言うと、ネム草という睡眠薬にも使われる魔草があると、小鬼たちは喜ぶだろうな。あの子らはネムの葉を巻いて火を点け、煙草のように口に咥えて酩酊するのを楽しむ習性があるんだ。嗜好品のようなものだと思っていい」

「へぇ、それは知らなかったなぁ」


 さっそく、別の空間にあるネム草の群生地に魔手を伸ばし、小鬼たちのところに植えてみる。

 しばらく待っていると、彼らはオーキッドの言っていた通りの行動をし始めたんだけど……ん? 今、指先で着火したよね。


「魔物は魔力を扱わないと思ってたんだけど……あの着火はすごく魔法っぽいよね。何あれ」

「あぁ、呪術と呼ばれるものだな。魔物たちは瘴気を使って呪術を行使する。とはいえ、小鬼の火付けのように日常の中で使われるのがメインだから、あまり一般に知られてはいないが」


 へぇ……たしかに文献の中で呪術って単語は見かけたことがあったけど、てっきり魔術の古い呼び方なのかとばかり考えていたよ。なるほど、瘴気を使った術のことだったのか。知らなかったなぁ。


「俺も伝聞だが、戦闘中に呪術を使うのは、知能の高い魔族や、竜種などの強力な魔物だけらしい。それ以外の一般の魔物は、本能的に呪術を行使しているだけだから……まぁ、一般の動植物の種族魔法と似たようなものと考えて良い。基本的には生活用だから、厄介な呪術というのはそう多くない」


 なるほど、勉強になるよ。

 今の会話だけでも実感したけど、僕にはまだまだ知らないことがたくさんある。だからこそ、魔物については今よりもいろんな知識を集めたいと思ってるんだ。


「オーキッド。僕には作りたいものがあってね」

「作りたいもの?」

「うん。帝国西部にある五つの辺境領。そこで暮らす魔物たちの生態を調査して、最終的には魔物図鑑のようなものを作りたいと思ってるんだよ」


 まぁ、趣味みたいなもんだけどね。魔物の生態に関する情報は、古代の資料を見ても何か体系的にまとまったものがあるわけじゃない。だから古い書籍を探すだけじゃなくて、今を生きる人の目から見た魔物の姿を調べてまとめたいと思ってるんだよ。

 それらは辺境スローライフを考える上でも、めちゃくちゃ役立つ情報だしね。くくく。そう、僕はまだスローライフを諦めていないのである。


「果たしてどんな環境にどんな魔物がいて、どう生活しているんだろうか。その分布や密度は。生まれ育つ過程で、何かを食べたり何かに食べられたりして、時には他の魔物と共生するかもしれない。魔物ごとに繁殖方法も違うよね」

「あぁ、そうだな……」

「どうやって生まれて、生きて、最終的にどんな終わりを迎えるのか……知りたいんだ。魔物というモノを、僕はもっとよく理解したい。そしてみんなにも知ってもらえるように、資料としてちゃんと残したいんだよ。その仕事を、オーキッドに手伝ってもらえないかと思ってるんだけど……どうかな」

「あぁ……なんという、深い愛だ……」


 え、なんで泣いてんの。大丈夫かな。

 あと愛とかなんとか言ってるけど、僕は特に博愛主義者じゃないからね。どちらかというと、魔物の女王個体をクラフトゲームの魔物スポナーとみなし、悪辣な罠で素材を量産する類の……うん、けっこう情け容赦ない悪党だと思うよ。なんたってヤクザの次期若頭だし。


「オーキッド?」

「あぁ……俺の配下の魔物使役師のうち、希望者を募って分担して情報を集めよう。季節ごとに魔物の過ごし方も違うだろうから、全て調べ上げるのには何年かかるか。しかし……そうするだけの価値は確実にある。魔物について何も知らずに嫌悪しているだけの民衆に、俺も伝えたいのだ。小鬼は臭いだけでなく、愛くるしい存在なのだと……」


 うん……小鬼はたしかに眺めてる分にはけっこう面白いもんね。ちょっとアホ可愛いところがあるのは認める。ただ、めっちゃ人間を襲うから、なかなか共生するのは難しいと思うけど。

 あと、オーキッドの早口がぐんぐん加速していくよね。


「オーキッドが今受け持ってる業務は問題ないかな。事務局とも相談してほしいんだけど。ほら、魔鳥や魔馬の調教はサイネリア組にとっても欠かせない重要な仕事だからね」

「なんて……なんてもったいないお言葉を。ま、まるで俺たち魔物使役師が……まともな人間かのような」

「え、待って待って、なんで泣いてんの。えっと……魔物使役師ってそんな酷い扱いされてんの? え、給料とかちゃんと貰ってる? ほら、鼻水出てるよ?」


 涙と鼻水でグチャグチャになっているオーキッドを見て、魔物使役師の扱いがめちゃくちゃ気になってしまった。


 それで話を聞けば、想像していたより彼らの扱いはだいぶ悪いみたいなんだよね。

 なんでも「魔物なんかと心を通わせるのは半分人間じゃないからだ」とか言われて、人間よりも魔族に近いんじゃないかって、村落や都市への入場を制限されることも少なくないらしい。えー、何それ。


「魔物の調教にはよく瘴気薬を用いる。人間にとっては有害だが、魔物にとっては甘露のようなものだからな。瘴気の薄い場所で活動できるよう訓練するのに必須なんだ……だが皆、俺たちを危ないクスリの売人だと誤解していて」

「あー……なるほどね」

「それでもサイネリア組に籍を置く俺たちは恵まれている方だ。魔鳥や魔馬を育成することで、どうにか生きていけるだけの給金を貰ってはいるからな……定職のない奴らの生活はもっと苦しい」


 その上、魔物使役師が一つの場所に長く陣取ると精霊神殿の神官兵が彼らを追い払いに来るんだって。

 それに、基本的に魔物使役魔法を扱う者は、見た目で判別ができる。髪にメッシュのような色が混ざるみたいだからね。だから、彼らの多くが幼少期に家を追い出され、放浪生活を送っているんだとか。うーん、そうかぁ。


「神官の奴らは少数民族を亜人なんて呼ぶが、俺たち魔物使役師のことはそれ以下の半人間として扱う。民衆もそれに釣られてか、どこに行っても良い顔はされない」

「あー、やっぱり神殿かぁ……どうも僕はあいつらと仲良くできそうな気がしないんだよねぇ」


 そういうことなら、魔物図鑑の作成は保留だ。

 それよりも先に、魔物使役師たちの待遇をガッツリ改善したいところだよね。まだ良い案は浮かんでないけど、何か考えないとなぁ。


 なんというか、オーキッドに仕事を頼むつもりが、逆に仕事が増えてるような気がしなくもないけど……とにかく、魔物と心を通わせられるのは貴重な才能だと思うからさぁ。彼らが白い目で見られないような対策を、どうにかして考え出したいものだ。


「魔物図鑑のことは一旦忘れていいよ。どうせ時間のかかる仕事だから……まず先に、この状況をひっくり返そうか。僕は魔物使役師についてあまり詳しくないから、基礎的な知識から教えてもらいたいんだけど。一緒に作戦を考えてもらえるかな」


 だからほら、涙と鼻水を拭いて。

 え、兄貴と呼ばせてほしい? いいよ、舎弟になりな。それで、ご飯は食べれてるの? うん、仲間がフルーメン市の外でキャンプしてんだね。とりあえず妖精庭園フェアリーガーデンの土地を間借りできないか聞いてみるよ。みんなで腹いっぱい食べられるように取り計らうから。さて、どうしていくか一緒に何か考えようか。

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