16 命があって良かったね

 アマリリス商会の事務所では、ガタンゴが中心となって事務作業が行われている。

 もちろん彼は僕と同い年だから、年配の組員に色々と教えてもらいながらだけどね。将来は立派なインテリヤクザになるんじゃないかなぁと思う。


 それで、最近はそこにハンナも手伝いとして混じっているらしいんだよね。


「あ、兄ちゃん。お疲れ」

「ハンナ。頑張ってるみたいだね。無理してない?」

「ふふん。こう見えてけっこう活躍してるんだよ。なんたって私は小さい頃から並列思考スキルを鍛えてきたからね。誰かさんに教え込まれて」


 あー、うん。そうだよね。

 ハンナは昔から僕のあとをついて回っていたから、遊びながらいくつかスキルを教え込んである。最近はガタンゴと一緒に魔力増強トレーニングまで始めたみたいだから、将来的にはけっこう強くなるんじゃないかなと思う。とはいえ、ハンナが戦う機会なんてないとは思うけど。


 なんというか、僕のせいでハンナの人生を歪めてしまってるんじゃないかって、今さらながら申し訳なくなってくるなぁ。


「兄ちゃん、何か変なこと考えてない?」

「変なこと?」

「私ね、今すごく楽しいよ。良くも悪くも兄ちゃんの妹だからさぁ、みんなが大事にしてくれて快適に生活してるんだ。だからこそ、私もみんなのために働きたくて、頑張ってる……兄ちゃんが気まずそうにする要素なんて、どこにもないからね」


 そうして、ハンナはこめかみに指を当てる。


「役立たずだと思ってた私の計算魔法も、経理では重宝してるんだ。こう見えて、アマリリス一家で一番計算が早いのは私なんだから」

「そうだね。頼りにしてるよ」

「うん、任せてね。兄ちゃんは何も気にせず、ドンと構えてて。私は私で楽しくやってるからさ」


 そうして、ハンナはカラッと笑う。

 ハンナの計算魔法はとても便利なもので、例えば紙に乱雑に書かれた百個の数字を一度に足し算する、といった計算を一瞬で行えるのだ。これをうまく魔道具化すると電卓のようなものが作れるはずなんだけど――それにはまだ足りない要素技術があって、現状では実現できてないんだよね。


 なにはともあれ、ハンナが楽しそうにやってるなら良かったかな。安全のためとはいえ、生活を制限してしまうのは、申し訳なく思っていたからね。


  ◆   ◆   ◆


 そうしてやってきたのは、華やかさとは一切無縁のひたすら無機質な部屋だった。


 静かに白熱する、戦棋の対局。

 目の前にいるリリア・リグナムは顎に手を当てて次の手を真剣に考え込んでいる。バナナ色の髪はふんわりと鎖骨に掛かるくらいの長さで、時おりかき上げては耳にかけている。


 しかも、彼女はただでさえ他者を圧倒するほど戦棋が強いというのに……なんと魔力操作技術スキルをまったく使っていないのだ。

 一方の僕は並列思考、思考加速、学習強化といった頭脳強化系スキルを使用しているから、ちょっとズルをしている気分になるんだよね。なんか悪いなぁ。


「……これでどうです」

「ほう。なら僕は……こう受けよう」


 戦棋は将棋によく似ている――というより、おそらくは前世の記憶がある転生者が持ち込んだのだろう。だから定石をある程度知っている僕は、これまたズルしているような気分で戦棋をやることになるのだ。まぁ、楽しくはあるんだけどね。


「参りました。クロウさん、強すぎですよぉ」

「そんなことないよ。毎回冷や冷やしてるし……さて。今日来たのは戦棋が目的じゃないんだ。リリアにはちょっと聞きたい話があってね」

「分かりましたぁ。お茶を淹れてきますね」


 戦棋をしている時のリリアはピリッとした雰囲気なんだけど、そうでない時の彼女はわりとおっとりした感じだ。なんというか、オンオフがすごくはっきりしてるなぁと思う。


 今日彼女には会いに来たのは、実家のリグナム商会についての情報を聞き出したかったからだ。

 騎士団の調査で分かっているのは、リグナム商会が精霊神殿の実験に加担して、誘拐した人を川舟で港湾都市まで運んでいた――というところまでだ。それ以上の詳しいことは、騎士による尋問でも有力な情報が得られていない。


「クロウさん。お茶を持ってきましたよ」


 ほどなくして、この世界ではちょっと珍しい緑茶を淹れてきたリリアと、戦棋盤を挟んでひと息つく。

 どうも彼女は、僕がこの前作った煎餅を気に入ったらしくてね。少量ながら妖精庭園での生産を始めたから、よくポリポリ食べてるんだよね。全体的にけっこう渋い趣味をしているなぁと思う。


「それでは、もう一局」

「いや、そろそろ話をさせてくれないかなぁ」

「えー。分かりましたけど」


 そうして、リリアは戦棋盤の前に腰を下ろす。

 ごめんね、戦棋には今度ゆっくり付き合うから。


「確認したいことがあるんだ……君のお兄さん、リグナム商会長の長男リュートが行方不明になったと聞いたんだけど、いつ頃のことだったか覚えてる?」

「うーん……商会が潰れる少し前のはずですよ。何人か配下をつれて姿を消したので、家でもだいぶ大きな騒ぎになっていました」


 なるほど、そうか。

 調査の結果、リュート・リグナムは精霊神殿に協力する商会勢力の取りまとめをしていたことが分かっている。どうやら村落から村民を連れ去った事件でも、商会員たちの陣頭指揮をとっていたらしいんだけど。


「つい先日、特務神官がバンクシア本家を焼き払ったんだけどね。でもその直前に……どうやらリュート・リグナムがバンクシア本家に現れて、次男であるルードグランシア・バンクシアと出ていったらしい」

「……なるほど」

「その時に、ルードは妹であるミントの腕を剣で切断したんだけど……どうやら、それはリュート・リグナムの指示だったみたいでね」


 リグナム商会のリュートと、バンクシア家のルードグランシアは、どうやら二人とも村民の拉致に関わっていたみたいなんだよね。僕としても放ってはおけない存在だ。ただ、彼らはいつだってのらりくらりとこちらの追跡をかわすから、この先の方針を決めかねているんだよ。


 何か手がかりがないか尋ねると、リリアは盤上に戦棋の駒を並べながら唸る。そして、戦棋をしている時のように、表情がすぅっと消えていく。


「わたしもちゃんと知っているわけではありませんが……リュート兄さんはおそらく、魔法で未来を察知することができるはずです」

「未来を? それは一体」

「戦棋です。わたしはリュート兄さんから戦棋を教わったのですが、その腕前はわたしと同程度でした。ただ、思い返すと違和感があって……兄さんは現在の盤面から次の打ち手を考えるのではなく、追い込まれる未来を察知して避けるような選択を常にします。そして、どうやっても勝ち筋が見えないと思うと、かなり早い段階で降参する……おそらく兄さんの魔法は、何らかの形で未来を知る類のものだった」


 リリアの声色は、思考が深まるごとに冷たくなっていくようだ。戦棋の駒を手に取り、不思議な並べ方をしながら、彼女はポツポツと言葉を紡ぐ。


「精霊神殿、バンクシア本家、リグナム商会……これらは裏で結託していると見るのが妥当でしょう。そして、彼らが秘密裏に活動する上で、リュート兄さんの未来を知る魔法は重要な役割を果たしていたはず。今も騎士に捕まらずに逃げ隠れできていることから考えると……どこかの貴族家が協力している可能性もありますかね」


 なるほど。騎士団が実験場に押し入ろうとしても寸前で察知されて場所を移転させられるのは、リュート・リグナムの魔法によるものだという可能性が高いのか。常に未来の危機を察知して逃げる……そう仮定すれば、一応の筋は通る。

 しかしそれなら、今回の調査であっさりと実験施設を制圧できたことには疑問が残るけど。うーん。


「リュート兄さんは……絶対に勝ち目がないと悟ると早々に諦めて逃げる人なんですよ。今回は、ナナリア精霊国の特務神官や、サイネリア組の次期若頭まで出てきてしまった。セントポーリア侯爵騎士団も本気。となると――例の実験施設を隠し続けるのはどうやっても無理だと考え、尻尾を巻いて逃げたのではないでしょうか。もちろん、これは推測に過ぎませんが」


 なるほどなぁ。実際、騎士団に引き渡した証人からは色々な情報が得られたけど、人体実験の中核メンバーを捕まえるまでには至らなかったんだよね。

 リュートの魔法を知っているような関係の深い人物は、今回の騒動から一緒に逃げおおせたのかもしれない。


「しかし、リュート兄さんの魔法も完全な未来予知ではないはずです。詳細は分かりませんが、何かしらの制約がある……そうでなければ、戦棋でわたしに負けることなど本来はなかったはずですから」


 そう話をすると、リリアは慣れた手つきで戦棋の駒を改めて並べ直す。

 レシーナが彼女を参謀として手元に置いたのは、たしかに正解だったかもしれないなぁ。


「さぁ、次はクロウさんが先手ですよ」

「いや、今日はもうおしまい。なんだかんだ五回も対局したんだから、そろそろ満足してよ」

「えー、やりましょうよぉ」


 リリアはそう言って口を尖らせる。


「わたし、クロウさんとなら一晩中でもいいです」

「モジモジしながら言わないでよ……それ、めちゃくちゃ誤解を生む発言だからね。レシーナの前では言ったら刺されるよ」

「もう刺されましたよぉ」


 そうかぁ、命があって良かったね。

 さてと、ちょっとこの後は行くところがあるから、リリアと戦棋をずっとやってるわけにもいかないんだよ。正直、彼女と戦棋をするのはけっこう楽しいから、今度機会を作ってオールナイト戦棋をするのも良いかもしれないけど……あぁ、でもその前に。


「リリアは魔力操作技術スキルって知ってる?」

「はい。身体強化とかをするやつですよね」

「うん。あれをいくつか鍛えると、君の今後の戦棋ライフをめちゃくちゃ充実させてくれると思うから、ちょっと教えておこうと思って。簡単に説明するね」


 僕はそうして、亜空間から騎士人形ゴーレムを取り出す。


「これは錬金術師がよく使う魔道具で、これを操るためにはかなり意識を集中する必要があるんだけど」

「はい、騎士人形ですよね」

「並列思考というスキルを鍛えると、これをもう一人の自分として動かすことが可能になる。そうすると、一人二役で物理的に戦棋盤を挟んで対峙することができるようになるわけだけど……覚えてみない?」


 そうして、なんだか大興奮状態になったリリアに並列思考スキルを伝授し、僕はその場を立ち去った。細かい鍛錬方法はレシーナが知っているから、分かんないことがあったら聞くといいよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る