15 君のほうがずっと詳しいだろう

 黒蝶館のパーティホール。

 僕の目の前にいる男は、フルーメン市の夜景を見下ろしながら、ワインの入った水晶グラスを置いて深々とため息をついた。


「これが美の極致、か……私の完敗だ」


 そう話す男――ジュクスキー・ナルキッソスは、楽しげな様子のフロアに目を向ける。上品な衣装に身に包んだ紳士。それを出迎える美しい女の子。美味しい料理と珍しい酒。心の落ちつく静かな音楽。


 そして、彼は手元に目を落とした。


「この器は独特なものだね。まさか」

「そう、シルヴァ磁器。最近皇帝陛下のお墨付きをもらって、アマリリス商会で会員にのみ販売している高級食器だよ。なかなかお洒落だろう?」

「あぁ……色合いも落ち着いていて手触りも良い。素晴らしいな。磁器だけじゃない。酒の入っているこのグラスだって水晶製とは恐れ入る。酒も料理も器ですら、その全てについて何一つ妥協していない。極限まで品質を磨き上げられている。人はここまでの美を実現できるものなのか」


 魔物の骨灰を練り込んだシルヴァ磁器については、注文を受けてからコットン一家に魔鳥の手紙を出して生産してもらう流れなので、届くまでにかなりタイムラグがあるんだけどね。

 どうやらその時間のかかる状況も、磁器の価値を釣り上げるのに一役買っているらしく、貴族の贈答用としての人気がすごく高いんだよ。


 そんなシルヴァ磁器を普通の皿として使用している黒蝶館の様子を見て、ジュクスキーはひたすら感心したように頷いていた。


 ちなみに現在、このテーブルに女の子はいない。というのも、ジュクスキーが好む熟女はみんな引退して職種を変えているからね。

 いやぁ、彼の好みはニグリ婆さんの世代だっていうのは、ちょっと想定外だったんだけどね。さすがにその要望に応える準備はできてなかったよ。ごめんね。


「ふふ。何を隠そう……私の初恋はニグリさんだ」

「え、組長の女だよ?」

「あぁ、だから諦めたのさ。それからは数々のお姉様たちと素敵な一夜を共にした……だが熟女という存在には、なぜか既婚者が多くてね」

「そりゃあね」

「恋の思い出は宝石のように輝いているが、時にはチンチンを切り取られるんじゃないかという騒動に発展したこともある。正直とても怖かった」

「そう。そのあたりはどうでもいいけど」


 そうして話していると、アマネがその場に現れる。


「お待ちしてました、クロウさん。それと久しぶりね、ジュクスキー。相変わらずご年配の尻ばかり追いかけてるって、もっぱらの噂よ」


 なるほど。二人は組長の孫、つまり従兄妹同士になるから、けっこう見知った仲なのかもしれない。


「……それにしても、クロウさんはさすがですね。あのダルマー・ベラドンナまであっという間に懐柔してしまうなんて」


 アマネの視線の先には、頭の上に女の子の乳を乗せたダルマーが、ちょっと緊張しながら頭を揺らして感触を確かめているようだった。楽しそうだね。

 あの戦いの後、彼の頭部に彫られた入れ墨はサクッと消してしまったし、モジャモジャと生えていた胸毛を剃って頭部に移植した。今では黒髪のパンチパーマで、ちょっとガタイの良い青年くらいの見た目になっている。あれなら女の子にも普通に触れるだろう。


 そんなダルマーを眺めつつ、アマネ、ジュクスキーと三人でのんびり雑談をしながら……ふと会話が途切れたタイミングで、僕は話を切り出した。


「実はジュクスキーに一つお願いがあってね」

「うん? お願い?」

「そうなんだ。ほら、黒蝶館のすぐ横に、同じような大きなビルがもう一つあっただろう……あれは最近建てたものなんだけど、中の設備としてはこの黒蝶館とほぼ同じ感じでね」


 隣の建物の名は、舞葉館。

 ここでの舞葉という言葉はこの世界で、男女のダンスを風に舞う木の葉に例える古い表現だ。つまり舞葉館とは、社交ダンスを行う施設のこと。


「夫ばかり黒蝶館で楽しんでずるい――そういう意見が、黒蝶館の会員の奥様たちからたくさん届くようになってね。それを受けて作った施設なんだよ」

「それは……もしや」

「そう。舞葉館は女性客向けの社交ダンスクラブなんだ。そこでは各種浴場、シルクの衣装、美味しい料理と酒、そして麗しい男たちとの社交ダンスを楽しめる。価格は黒蝶館と同じように月金貨一枚のみだ」


 まぁ、さすがに男娼の店ってするわけにはいかないけどね。というのも、精霊神殿の流布している倫理観では、女性の貞操はガチガチに守るべしとされてるからさ。そのあたりの男女差は、けっこう根が深くて。

 もちろん、この世界での「親が結婚相手を決める」という文化の上では、恋愛模様は不倫や駆け落ちなんかが入り乱れてけっこうドロドロしちゃうのが現実なんだけど……それでも、さすがに客商売としては「社交ダンスクラブ」あたりの落とし所にしておかないと、お客さんが堂々と通えないからね。というのが、現実を鑑みて僕とアマネで出した結論である。


「奥様ネットワークというのは強固なものだけど、さすがに業種を跨いだりすると横の繋がりというのはなかなか築き辛いからね。顔を合わせる機会がそもそもない。それを橋渡しするのが、舞葉館だ。そしてその取りまとめを、ジュクスキーにお願いしたいと思っているんだよ」

「私が……その、いいのか?」

「もちろんだよ。黒蝶館に来れるような財力を持つ者の奥様たちは、おそらく少し年齢が高めの女性が多くなると思う。彼女たちを楽しませる方法は、僕よりも君のほうがずっと詳しいだろう」


 設備自体は出来上がってるんたけど、肝心の男性スタッフを集めるのに悩んでたんだよね。だからこそ、ジュクスキーに白羽の矢を立てたわけだ。


「君の下で働く美男子たちは、君の手で自由にかき集めて教育してやってほしい。そして、君が最高の美を表現した場所で、麗しい女性たちに、夢のような素敵な時間を提供してあげてほしいんだ」


 つまり全部ジュクスキーに丸投げである。

 といっても、ニグリ婆さんも手伝ってくれるとは言ってたから、そこまで変なことにはならないと思うけど。


「……分かった、引き受けよう。私の美を淑女たちのために役立てるチャンスがついに来た、ということなのだろうね。あー……実は私のせいで旅芝居の一座が潰れてしまって、職にあぶれた役者仲間がいるんだ。そういうのを引き入れても良いんだろう?」

「もちろん。ただ、間者なんかが入らないように選別するための魔道具を渡すよ。裏方の人員はサイネリア組から引っ張って来られるけど、表に立つ者については君に任せるから……まぁ細かいことは、ニグリ婆さんと調整してくれるかな」


 そうしてしばらく話していると、ニグリ婆さんがやってきたのであとを引き継いでもらい、僕とアマネは他の席に移動して、ホッと一息つく。

 よしよし、ダルマーについてもジュクスキーについても、これでなんとかなっただろう。


「いかがですか、クロウさん。元若頭候補……彼らの掌握はできそうでしょうか」

「どうかなぁ。とりあえずダルマーとジュクスキーはどうにかいい関係を築けそうだけど。ヴェントスの弟、ルーカス・クレオーメは僕の亜空間でひたすら寝てるし。魔物使役師のオーキッド・ドクトールはまた後日ってところかな」


 うーん。ルーカスは快適寝具でスヤァってしてるだけだし、オーキッドはひたすらバチバチに睨みつけてくる。どうしたもんかなぁってずっと悩んでるんだよね。まいったなぁ。


「そういえば、別件ですけれど……リリアさんがプリプリ怒ってましたよ。クロウさんと戦棋をやりたくて嫁になったのに、全然対局してくれないって」

「そっちの話もあったなぁ……っていうか、どうして知らないうちに嫁が増えていくんだろうね。僕は不思議で仕方ないよ」


 そんな風に取り留めもない話をしながら、僕はアマネとのんびりお酒を楽しみ、少し気を抜いてフルーメン市の夜景を眺めていた。さて、問題は色々あるけど一つずつ片付けていかないとね。

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