12 目覚めさせる方法は

 僕の亜空間には、最近新しく作った部屋がある。

 瘴気に満ちた薄暗い一室。ベッドの上に横たわるのは、精霊神殿の実験施設に捕らわれていた少女――魔族と思わしき女の子である。


「古い資料に残っている魔族と同じ……青い肌、頭には小さな角、ヘソの下には魔臓の代わりに魔石がある。人間のような見た目だけど、身体の作りは魔物とよく似ている、か」


 もっとも、魔臓と魔石はその作りも役割もまったく異なるものである。


 人間の魔臓とは、体内に取り込んだ魔素を魔力に変換するために必要な臓器だ。

 一方で魔族の魔石とは、瘴気を取り込んで栄養を絞った残りカスとして蓄積されるもの。つまり――まぁ魔族にとって排泄物みたいなものってことなるんだよね。あくまで分かりやすく例えるならだけど。


「目を覚まさないけど、生きてはいる。ただ、瘴気濃度が下がると生命活動が弱くなるから……この子は今、僕の亜空間でしか生きられない」


 目を覚まして、自分の手で瘴気水なんかを飲めるようになれば別だろうけどね。おそらく眠っている現状では、瘴気濃度の低い場所では生存が難しいと思う。

 彼女はどこから来たんだろう。人の住まめない魔境に魔族の村落でもあるのか、はたまた魔族がいるとされる魔大陸からやってきたのか。


「そんな子がどうして神殿の研究施設にいたのか……分からないんだよね。押収した研究資料にも彼女に関する記載はなかったし」


 まさか、本当に神殿の魔族化実験が成功したわけじゃないだろう。

 残された資料を見る限りでは、実験内容は精霊経典の記述に引っ張られすぎていて、願望混じりで根拠に欠ける考察しかなされていなかった。もちろん魔法のある世界だから絶対ではないと思うけど、少数民族の者に瘴気薬を注入し続けても魔族化するようには、あの結果からは到底思えない。


「魔族の資料が少なすぎる。今のところ、精霊経典が一番詳しく書いてあるっていうのは皮肉だけど。とりあえず、君が目を覚ませるように手を尽くしてみようとは思うけど……すべてが手探りだからなぁ」


 なにせ血中の瘴気濃度を測っても、それが正常値なのかすら僕には判断できない。目指すべき「健康」が分からなければ、治療薬は毒薬と代わらないのだ。

 ひとまず今すぐにでも死にそうなわけじゃないし、何か新しい情報が得られるまでは様子見しかないか。今わかっているのは、空気中の瘴気濃度を下げたら彼女が死にかけた――という一点だけなのだから。


  ◆   ◆   ◆


 セントポーリア歴史資料館。

 ピラミッド型に作った展示場の地下には、まだ公開していない様々な発掘品であったり、読み解けていない古王国時代の書籍なんかが数多く保存されている。


 ここの館長を任せたライオット・サイネリアは実に有能だった。解読した資料から分かった古代人の生活を展示品に反映し、分かりやすい解説文を添えて来場者の興味を引くことに見事成功。客足は途切れることなくずっと黒字経営が続いていて、アマネに聞いた限りだと黒蝶館の会員からの評判もかなり良いらしい。


 そんなライオットは、地下の一部屋を自分の居室にして暮らしているんだけど、今は石化したミントにつきっきりで何やらずっと話しかけているようだった。


「お疲れ様、ライオット。ミントはどうかな」

「石化から戻る様子は今のところまったくないね。古王国時代の歴史なんて、彼女がもっとも好きな分野だから……目を覚ましたら色々なものを見て回ろうって、ずっと話しかけているんだけれど」


 ミントハルネシア・バンクシア。

 潰されたバンクシア本家で保護した彼女には、右腕が存在していない。刃物か何かですっぱり切られたように、その断面は滑らかだった。


 しかし傷口を魔道具で覆ったことにより、彼女の石化条件である「命の危機」は解決した。これで彼女は石化は解除される――と僕は想定していたんだけどね。残念ながら、彼女は今も石化したままだ。


「ガーネットのお兄さんとは文通友達なんだけど。似たような“鋼鉄化魔法”というのを使えるから、ちょっと話を聞いてみたんだ」

「ガリオ・ガザニアだね。何か分かったのかい?」

「うん。彼女の“命の危機”というのは、物理的な危機というより精神的なもの――腕が無くなってしまったショックそのものが引き金になっている可能性があるみたいだ」


 だから、傷口を覆って生命活動を維持できるようにしたところで、精神的なショックを解決しない限り石化は解除されない。

 それこそ、伝説の再生魔法を使って腕を生やしてやるくらいしか解除条件を満たす方法がないのではないか――というのが、ガリオの見解だった。


「そうか……じゃあ彼女は、ずっとこのまま」

「そう諦めてしまうのは早いと思ってね。色々な人と相談して、もう少しだけ足掻いてみようと思ったんだよ」


 僕が取り出したのは――魔道具の義腕だ。

 これは彼女の残った左腕を参考に形と重量を整えたもの。神経や筋肉と接続し、できるだけ元の感覚に近い動作をさせられるよう工夫して作ってみた魔道具だ。古代遺跡から発掘した騎士鎧の仕組みも流用してるんだけどね。

 今はまだ、内部構造がむき出しで見た目は整えられていないし、改善点も多いと思うけど。


「まずは腕の切断面にコネクタを設置するよ」

「コネクタ?」

「義腕はこれからも改良を続けていくつもりだからね。いちいち生身の身体を傷つけて取り外すわけにはいかない……だから、義腕を簡単につけ外し可能なように、接続パーツを切断面に取り付けるんだよ」


 こうして詳しく説明をしているのは、ライオットのためでもあり、ミントの石化解除のためでもある。そもそも精神的なものを引き金にして石化が起こるのなら、彼女にはちゃんと「腕が戻る」ということを理解してもらう必要があるから。


 そうして話をしながら、腕の切断面にコネクタを取り付けていく。ちなみに、どういう理屈かは分からないけど、石化していても錬金薬はちゃんと効果を発揮するらしい。

 今の状態で痛みを感じるのかは分からないけど、念のため麻酔もかけて、生身の腕と同化するような形でコネクタの取り付けが完了した。


「さて、あとは腕を取り付ければ……石化を解除しても、元の身体に近い状態で腕を動かせるようになるわけだ。もちろん最初は違和感があるだろうけど、時間をかけて一つずつ問題点を解決していくつもりだ」


 説明をしながら、コネクタに義腕を取り付けて、簡単に外れないよう数カ所にロックをかける。これで彼女が腕を失ったショックから立ち直れればいいんだけど……さて、どうなるかなぁ。


「さぁ、もう石化を解除して大丈夫だよ……ほら、ライオットも彼女に何か話しかけて」

「あぁ……ミント。もう腕はちゃんと動くようになったんだ。だから大丈夫。君の命はもう脅かされないから、石化を解除してもいいんだよ。この歴史資料館を、一緒に見て回ろう」


 ライオットがそう話しかけても、ミントの石化はいつまで経っても解除されなかった。なるほどなぁ、そうなると。


――レシーナの言っていた「アレ」を試すか。


「ライオット。どうやらミントは目覚めないようだね。そうなってくると……残念ながら、僕は君に一つ確認しなければならないことがある」

「……あまりいい予感はしないけど。何かな」

「うん。サイネリア組での立場上、僕は君の兄貴分であり、世話役を任されている。つまり……君が望むのなら、結婚相手を見繕うのも僕の役割になるわけだ。どうする。石化から戻らない元婚約者を眺めながら余生を過ごすのと、どこかから可憐なお嬢さんを連れてきて君にあてがうのと。どっちがいい?」


 その問いかけに――彼はこちらの意図を察したのだろう。なんだか少しジトっとした目を僕に向けながら、ため息交じりに答える。


「悪いけど、君の世話にはならないよ。私はミントハルネシア・バンクシアを、心の底から愛している。彼女以外に妻はいらないし、石化してようと何だろうと、何十年でも寄り添い続ける覚悟だ。だから、変な気は回さないでくれ」

「そっか……うん、変なことを言って悪かったね」


 魔力探知で捉えていたミントの魔力が、ここに来て初めて揺れ動いた。なるほど、レシーナの言っていた通りか……なんか妙な敗北感があるなぁ。悔しい。


 どうやらミントが石化していた真の理由は、腕を失ったことそのものによるショックではない――というのがレシーナの予想だった。

 それよりも、腕の喪失によって「ライオットと結ばれる未来が潰えた」というのがあまりにも悲しくて、石化から戻れなくなってしまっていたと言うんだけど。この様子だと、その意見は正しかったみたいだね。


「それじゃあ、僕はいったん帰るけど。最後に一つだけ。レシーナの言葉を伝えておくよ」

「あぁ」

「――物語で眠ったままのお姫様を目覚めさせる方法はただ一つ、王子様のキスだってさ」


 そうして、僕は踵を返して部屋の出口へ向かう。

 あんなのレシーナの戯言だと思っていたのに、まさか本当に効果がありそうだとは思わなかったよ。分かんないもんだなぁ。とにかく、僕がいなくなったら存分にイチャイチャしたまえ。


「――ラ、ライオット」

「ミント! 体は大丈夫か」

「えぇ……あ、あの。わたくしも貴方のことを」


 待って待って、早いってば。もうちょっと僕が部屋を出るまで待てなかったのかな。いやまぁ、とにかくお邪魔虫はとっとと去るけどさ。

 なんて思いつつ部屋の扉に手をかけると、背中からライオットの声が聞こえてくる。


「クロウ! いや、兄貴! この度は――」

「ライオット。呼び方は今まで通りでいいから。それと、お願いだから僕を無粋な男にしないでよ。今後のことはまた明日にでも話そう。今はせっかく捕まえた奥さんを精一杯甘やかす時だよ……あぁ、そこに痛み止めの錬金水薬ポーションが置いてあるから、腕が痛むようなら飲んでね、それじゃあ」


 そうして、僕は突如発生した甘々空間からするりと抜け出す。はぁ、危うく巻き込まれるところだった。でも、とりあえず石化は解除されたみたいで良かったな。


 そうして部屋を抜け出すと、そこで待っていたのは一人の男だった。


「兄貴。俺は」

「トレン。良かったね、君の妹の石化は解けたよ……何を思い悩んでいるのかは知らないけど、今が良ければ良しとしない?」

「俺は……決めました」


 そっか、決めたか。

 ずっと考えてる感じだったもんね。


「すみませんが、バンクシア物流商会は配下に任せることにします。俺にはどうしても、この手でやらなければならないことがあるんです」


 そう言って、トレンは深々と頭を下げる。


「そもそも全ての原因は……俺にあります。バンクシア家当主に指名されたにも関わらず、本家に残った人員に対して何もしなかった。縄張りに散っている分家連中の統制を取ろうともしなかった……そんな怠慢が、本家の屋敷を焼き、ミントの腕を奪ったのです」


 顔を上げたトレン。

 その目は、なにやら覚悟の炎が灯っている。


「次期若頭候補……思えば、俺が候補止まりだったのは当たり前でした。自分の責務を何も果たそうとせず、現実から目をそらし、居心地の良い場所に腰を落ち着けて満足する……俺はそんなダメな奴です」

「そんなに卑下する必要はないと思うけど」

「いえ。兄貴の後ろでボーッと突っ立って、自分で考えもせずに無心で川舟を操るのは、とても気持ちが楽でした。だからこそ……行かせてください」


 そうして、トレンは僕に背を向ける。

 彼が自分でそう決めたのなら、僕にかけられる言葉は何もないだろう。まぁでも、サポートくらいはさせてほしいけどね。


「クロウの兄貴。俺に、妹に、救いの手を差し伸べていただき、ありがとうございました。散り散りになったバンクシア家は、必ず俺の手でまとめ上げます。そして、兄貴の後ろに隠れるんじゃなく、兄貴を支えられる男になって帰ってきます……それが、トレンティーニアス・バンクシアとしての仁義の通し方です」


 そうして、トレンは足早に去っていった。

 彼の旅路がどんな結果になるかは分からないけど、帰ってきた時には、彼が自分自身を誇れる男になっていればいいなと願っている。頑張ってね。

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