11 ちょっと今日は愚痴らせてもらうけど

 フルーメン市、アマリリス商会の最上階。


 部屋にお酒を持ち込んだ僕は、ブリッタと飲みながら珍しく愚痴をこぼしてしまっていた。

 いつもは主に話を聞く側なんだけどね。彼女が「たまにはクロウさんも毒を吐き出してください」って言うもんだから……今日はさすがにちょっと、その言葉に甘えてしまおうと思って。色々と大変だったんだよ。


「ごめんね、ちょっと今日は愚痴らせてもらうけど……あ、このお酒美味しい」


 ブリッタがグラスに注いでくれたのは、よく冷えた純米酒だった。お米の甘さが感じられる良いお酒だ。


「そうですね。妖精庭園フェアリーガーデンで、ピピちゃんがついに納得のいく酒米を育てるのに成功したみたいなので……最近は黒蝶館でも大人気なんですよ。アマリリス商会にも注文が殺到しているので、数量制限をかけているくらいで。ささ、ぐいっとやっちゃってください」

「うん……はぁ、お酒が美味しいなぁ」

「クロウさんは大変だったんですから。今日は遠慮なく飲んじゃってくださいね。あ、私も一杯もらいますね」


 彼女はテーブルの上に燻製チーズやナッツなんかを並べながら、僕以上のペースでお酒を飲み始める。いいよいいよ、飲んじゃいな。あぁ、なんかブリッタが飲んでいるのを見たら、ようやく気持ちが落ち着いてきたなぁ……良い飲みっぷりだ。


「そういえばブリッタは、産婆さんのところで研修をしてるんだっけ。そっちはどう?」

「はい。なんというか……命の誕生を見るのって、すごく感動するなって。それに私の治癒魔法もすごく役立ってるんです。クロウさんの嫁たちの出産は私が全部面倒を見るので、安心してくださいね」

「うん……僕の将来のことはともかく、とりあえず商会所属の奥さんたちの出産サポートはお願いね。何か不足があったらいつでも言ってくれていいから」


 ブリッタは、ニグリ婆さんの紹介で産婆の技術を学び始めたところなんだよね。なんでも、行きつけの酒屋の奥さんの出産にたまたま居合わせて、命の誕生を目の当たりにしたら感動しちゃったみたいでさぁ。

 将来的には、妊娠中から産後まで手広くカバーできるような助産師みたいな感じで活躍したいらしい。彼女の治癒魔法も活用できる仕事だと思うし、良い夢だなぁと思うよ。僕の嫁の出産がうんぬんの話は置いておくとしてもね。


 まぁ、それは良いとして。


「はぁ。僕はさぁ……今回けっこう真面目に頑張ってきたと思うんだよ。神殿の実験施設を潰してきてさぁ」

「あ、お酒美味しい……そうですよね、クロウさんは頑張ってきたと思いますよ。そうそう」

「証拠や証人をセントポーリア侯爵騎士団にきっちり届けてさぁ。施設を潰し――たのは、まぁジュディスの氷結魔法だけど。あとは保護した被害者の治療し――たのは、まぁ主にガーネットが頑張ってくれたわけだけど」


 ちなみに実験被害者の十人は、今は妖精庭園で療養中である。小人たちもすっかり新しい生活に馴染んで、既に自分たちでも新旧どっちだったか分からなくなるくらい同化しているから、楽しそうにやってくれていて良かったよ。それは、とても良かったと思うんだけどね。


「そうやって頑張って来たのに、どうして」

「うんうん」

「どうしてレシーナに短刀ドスを向けられることになるんだろう。僕はそのあたり、本当に分かっていないんだけどさ……なんでなんだろう」

「なんででしょうねぇ……あ、チーズ美味しい」


 そう、帰ってきたらなぜかレシーナが荒れてたんだよね。

 それで話を聞いてみたところ、彼女は「また私の知らないところで嫁を増やしたわね……三人も」とお怒りだったのである。そう、三人も増えたと言っていたんだよ。だけどね。


「ねぇ……なんで僕もレシーナも知らないところで、三人も嫁が増えているんだろう……いや、そもそも結婚が全て保留だって話は、事態がこんがらがるから今は一旦置いておくとしてね。なんで? ブリッタはどう思う?」

「うーん……エロガキだなぁって」

「その評価は甘んじて受けるけど……それはそれとして、身に覚えのない嫁が三人も増えてるのは意味が分からないんだ。ちょっと怖いまである。一体どういうことなんだろう」


 これまで僕の嫁を名乗る女の子として把握していたのは、レシーナ、ペンネちゃん、ガーネット、キコ、ジュディス、アマネ、ブリッタ、ミミ、ピピの九人。それでも多すぎるくらいだと思っているのに……さらに三人、知らないうちに増えるってさぁ。


 どうしてこうなったんだろ……あ、お酒美味しい。


 そう、それでね。その身に覚えのない三人の嫁について、僕はレシーナの振るう刃を掻い潜りながら話を聞いてみたんだよ。あ、ちなみにレシーナは普通に精霊神殿の特務神官よりも強かったんだけど、それはともかくとして……いや、衝撃的だったんだよね。


「レシーナが言うにはさぁ……リリア・リグナム。あのリグナム商会の元ご令嬢で、黒蝶館で戦棋チャンピオンやってた子だよ。あの子が一人目の追加嫁だって」


 リリアは戦棋――将棋に似たボードゲームの名手で、成人したての十八歳。黒蝶館では、自分の貞操をかけて日々お客さんと熱戦を繰り広げていたんだよね。彼女と一局打つためだけに黒蝶館に通うマニアまでいたというのに。結い上げていたバナナ色の髪も、引退と同時にバッサリ切ってしまったらしい。


 それがどうして、僕の嫁という話に?


「まぁ……そうなるでしょうねぇ」

「なんで?」

「だって、リリアちゃんは宣言してたわけでしょ。自分に勝った人に貞操を捧げるって。で、クロウさんは彼女に勝っちゃったわけでしょ。観客が固唾をのんで見守る中で……三連勝したって」


 いや、僕との対戦はノーカンでしょ。

 だってね、彼女はめちゃくちゃ戦棋が上手いから、変に手を抜こうものなら一手でバレちゃうし。そうなるとガチでやりあうことになるわけで……でも僕は黒蝶館の客じゃなくてオーナーなんだから、別に彼女の貞操なんてもらう必要はないわけで。だからあれはノーカンだと思うんだよ。ノーカン。


 ちなみに僕が戦棋が強いのは、前世でクラフトゲームに出会う前に、一人の時間を将棋で潰していたからだよ。勉強の息抜きにね。ほら、玩具とかは何も買ってもらえなかったからさ。父親の古い将棋セットをこっそり持ち出して、図書室で借りた本を見ながら一人でパチパチ詰将棋とかやってたからさぁ。あれが子ども時代の唯一の遊びだったんだよ。

 あとこの世界の戦棋では定石みたいなものもあまり情報が出回ってないから、ほとんど個人の才能頼りみたいな感じだし。だからね、僕がリリアを嫁に取る理由は本当に何一つとしてないんだよ。


「僕はあんなのノーカンだってずっと言ってるのに……なんか帰ってきたらリリアはちゃっかりレシーナ直下の作戦参謀みたいな地位に収まっててさぁ。それで嫁を名乗ってたんだよ」

「そうですね。ささ、もっと飲んで?」

「ありがとう……お酒が美味しいなぁ。っていうか、彼女の実家のリグナム商会を潰したのはそもそも僕なわけでさぁ……潰した商会のご令嬢を嫁にするってめちゃくちゃヤクザっぽいよね」

「まぁ、ヤクザですからね」


 実家を潰しちゃった都合上、リリアを突き放すこともできないしね。

 今はレシーナの参謀として……まぁ、実際は一日中ひたすら一人で戦棋やってるみたいだけど……とりあえず働いてもらいながら、将来のことは保留にしておくことにしたんだ。どうしたもんかなぁ。


「それで、二人目の嫁が――」


 僕がそう話していると、足元の影からニュッと女の子が頭を出してくる。いつも通り、僕に飴を貰いにきたキコと。そしてもう一人、キコの後ろにいるのが。


「ナタリア・カクタス、五歳。フトマルの姪っ子だね……めちゃくちゃ絵が上手で、部屋中に僕の肖像画をペタペタ貼ってるのと、僕のパンツをよく盗むってことは把握してたけど」

「把握してたんですね」

「うん。パンツの消失と同時に脱衣所に彼女の鉛色の髪の毛が落ちているのを証拠として確保してあるし、あと普通にパンツを懐にしまう場面を何度か目撃したから……でもまだ五歳だし、一時的なものだと思って深く考えないようにしてたんだよ。だって、惚れた腫れたはどう考えても早すぎるでしょ。五歳だよ。それがどうして嫁って話になってるんだ」


 どうして嫁になっているのか。そして、どうしてキコの影に入っているのか。どうして今もずっと僕のことを見ながら絵を描いているのか。何一つ分からない。何がどうなってるんだ一体。


「クロウ、飴ちょうだい」

「はい。あーん」

「あー……ん。最高」

「それでキコ。どうしてナタリアが君の影に入っているのか教えてくれるかな。それと、いつの間に僕の嫁という話になったのかも」


 僕がそう問いかけると、キコは深々と頷く。


「……長い話になる」

「手短に頼むよ」

「分かった。それなら掻い摘んで話をする。クロウが仕事のためにいなくなって……私は想像していた以上に自分が寂しいということに気がついた。自分の手から飴を舐めてもいまいち美味しくない。そして……ナタリアを弟子にした。以上」


 うん。その間だよ、僕が知りたいのは。君がナタリアを弟子にするまでに何があったのかを知りたいんだよ。なんで満足げな顔で「説明終了」みたいな雰囲気を醸し出しているのか分からないけど。ずっとその間の出来事が気になっているのに、いまいち説明のピントが合っていないんだ。もちろん君に悪気がないのは知ってるけど。


「キコは……ナタリアの何が気に入ったの?」

「絵が上手い」

「……そうだね」


 やっぱり分からないなぁ。

 僕が唸っていると、ブリッタは僕のグラスにお酒を注いでくれるので、ありがたく頂こう。はぁ……お酒が美味しいなぁ。とりあえず、キコとナタリアについてあまり深く考えるのはやめておこう。


 ちなみにナタリアは無口で、ほとんど喋らない。いつも絵を描いてばかりだから、たまに僕が話しかけると笑顔を浮かべる、くらいの交流をしかしてないんだけど……いつから僕に執着し始めたのか、本当に分からないんだよねぇ。

 まぁ、最初のきっかけはなんとなく分かるよ。メディスはフトマルを自分の手駒として動かすため、姪のナタリアに毒虫をつけて閉じ込めていた時期があるから。僕がメディスを討ったことでその問題が解決されたから、たぶんその時に感謝してくれてたんだと思う。だけど、どうしてパンツを盗むまでに至ったのか、さっぱり分からなくて。


「……私はクロウの絵をいっぱい入手できる。ナタリアは影からいつでもクロウを観察できる。みんな幸せ」


 うん、深く考えるのはやめておこう。


「ささ、クロウさん。飲んで飲んで」

「ありがとう、ブリッタ。お酒美味しい」

「あはは、ピピちゃんはお米作るの本当に上手ですよねえ。なんか“おにぎり”でしたっけ、クロウさんの前世のソウルフード的なやつ。それをご馳走するんだってずいぶん張り切ってましたよ」

「あぁ、言ってたねえ……ピピの優しさが沁みる」


 なんだかんだ、ピピとゆっくりする時間ってこれまであんまり取れてなかったからね。色々と頑張ってくれてるし、感謝を込めて彼女のために何かできるといいんだけど。


 話しているうちに、キコとナタリアはいつの間にか影の中に戻っていった。たぶん二人でずっと僕のことを見ているんだろうけど……まぁ、いいか。


「クロウさん。それで、三人目の嫁は?」

「あぁ、うん。なんというか……サイネリア組配下の御三家ってあるじゃん。で、バンクシア家はペンネちゃんやトレンなんかと関わってるし。クレオーメ家はヴェントスと敵対したばかりから印象深いけど」

「そうですね」


 だから、その二つの家に関係する誰かだったらまだ話は分かるんだ。良くも悪くも僕に対して色々な感情を抱いているだろうしね。だけど。


「三人目の嫁は……これまで全く関わりのなかったもう一つの御三家、ベラドンナ家の子なんだよ。ベッキー・ベラドンナ。年齢は僕の一つ上だね」

「へぇ、どうして嫁になったんですか?」

「僕が知りたいよ。ちなみに面識は一切ない」


 ベラドンナ家は武闘派ヤクザとして有名な一家みたいだけど。いや、本当に何を考えているんだろう。こればかりは本当に一切意図が読めなくて僕は大混乱だよ。


 とにかくそんなわけで、旅から帰ってきた僕は知らないうちに嫁が三人増えて、レシーナに短刀ドスを向けられてしまった――というわけだ。


「ささ、とりあえず飲みましょう」

「うん……お酒美味しい」


 そうして、ブリッタに愚痴をポロポロと溢しながら、フルーメン市のなんだか騒がしい夜は更けていったのだった。

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