第二章 石になったお嬢様

08 何からどう手を付けようか

 トレンに川舟を操ってもらいながら、マグ川をさらに遡り、ヘルビス伯爵領へと向かっていく。


 ヘルビス伯爵家は三つの河川流域を広く統治していて、それぞれの川沿いに都市を持っている。マグ川沿いにはサファイア市という都市があって、ここにはバンクシア本家の屋敷が存在していたんだけどね……つい数日前までは。


「トレン。残念だけどバンクシア本家は」

「はい。おそらく壊滅しているんでしょう……それもこれも、仁義を忘れて神殿に加担した報い。遅かれ早かれ、こうなっていたはずです」


 トレンは淡々とそう話すが、操水魔法に僅かながら粗が感じられる。内心穏やかではないのだろう。

 そうして川舟を進めていったのだが……その途中、何やら違和感を覚える光景が目に入ってきた。


「トレン。ちょっとあの中洲に寄れるかな」

「あー……いえ。あの辺りは水深が浅くて岩が突き出してるんで、下手に近寄れないんです」


 川の中洲――というより、なんとなく小島と言った方がしっくりくる土地。

 基本的にマグ川の水は瘴気を多量に含んでいて濁っているんだけど、その小島の周囲だけは水が澄んでいるような気がしたのだ。なんだか変な感じがする。


「少しだけ調べてくるから、ここで待ってて」

「はい、お気をつけて」


 もしや小島の地下に、精霊神殿の実験に関係する設備があるんじゃないか。

 そう疑って、地中探査魔術を行使してみたんだけど……あー、うん。半分正解で半分ハズレ。いや、これはどうするのがいいか。うーん。


「ミミ。ちょっといいかな」

「はーい、どうしたの?」

「セントポーリア侯爵騎士団に連絡をお願いしたいんだ。この中洲の地下に……おそらくは古代の遺跡が眠っている。また前の時みたいに、騎士団主導で探索してもらえたらなと思ってさ」


 うん。時間があれば僕が探索しても良かったんだけど、なんだかんだ忙しいからね。それに騎士団には、前回の興奮を忘れられず、黒蝶館で延々と遺構探索の話をする人もいるみたいだから、きっとノリノリでやってくれるだろうと思って。


 そうして、僕は亜空間移動テレポートで川舟へと戻る。


「お待たせ、トレン。もう大丈夫だよ」

「何かありましたか?」

「あったけど、精霊神殿の実験に関わる設備ではなかったよ。とりあえず今はスルーで」


 今はバンクシア本家の方が気がかりだしね。

 そうしてしばらく進むと、目的地であるサファイア市の船着き場に到着した。


 そこから市内に入り、トレンの案内で市街地を抜ける。遠目に見える精霊神殿は、建物全体が黒焦げになっているのが確認できた。おそらく書庫については防火設備がしっかりしているはずだから、あとで忍び込んで書籍を漁ってみようと思う。

 そんなことを考えながら進んでいった先、平民街の中でも高級住宅地らしい区画では……道中で見た神殿と同じように、黒焦げになっている豪邸が確認できた。


「トレン。あれが」

「はい。バンクシア本家……の跡地です」


 トレンはまるで自分に言い聞かせるように「これは当然の結果ですから」と繰り返す。理性ではそう考えているんだろうけどね……生まれ育った家がなくなるというのは、理屈ではなく感情として、割り切れないものがあるんだろう。あまり無理をしないでほしいけど。


 人目を盗むようにして、焦げ臭い敷地内に入る。

 かつては豪華だったのだろう広い庭では、様々な建物の焼け残りが点在していて、焦げた骨組みが崩れ落ちそうに残っていた。それらを横目に見ながら、本邸の方へと進む。


「……こちらが、正面玄関です」


 そうして、肩を落とすトレンに案内された先で。


「トレン。魔力探知に反応がある。あっちで誰か生き埋めになっているみたいだ。急いで助けないと」

「は……は、はい」


 僕の言葉に、それまで白い顔で呆然としていたトレンの顔が急に血色を取り戻す。

 そうして、瓦礫を亜空間に収納していくと。そこに埋もれるようにして……石像のような女の子が一人、床に倒れ伏していた。これは。


「ミント!」

「それは、トレンの妹の」

「……はい。ミントハルネシア・バンクシア。こいつは石化魔法の使い手で……ちょっとした身の危険を感じると、体が驚いて勝手に石になるんです。それで、危機が去ったと判断するまでは決して石化が解けないんで……」


 あぁ、それでずっと瓦礫の下で石化してたのか。

 彼女はかつてライオット・サイネリアの婚約者だった子のはずだ。エリート志向の強いバンクシア本家で箱入りのお嬢様として育てられ、自由を夢見ながら、あまり苦労を知らずに育ってきた、という話を聞いていたけれど。


 しかし石化したミントには異変があった。

 彼女には、右腕が存在していなかったのだ。


「……ミントの腕が」

「落ち着いて、トレン。とりあえず彼女は僕の亜空間に保護する。折れた右腕がそのへんに転がっていないか、もう一度探してみよう」


 欠損部位を再生する魔法は、かつて「聖女」と呼ばれた存在が行使していた記録が伝説として残っているが、今となっては使用できる人はいない。ガーネットの錬金薬でも、ブリッタの治癒魔法でも無理だろう。

 そうなるとおそらく、右腕が存在しない彼女の身体は、このままではずっと「危機が去った」と判断できず石化したままになってしまうと思う。どうにか右腕の破片でも見つけて繋ぎ直せれば、石化も解けるかもしれないけど。


 しかしその後、どれほど探しても彼女の右腕が見つかることはなかった。


  ◆   ◆   ◆


 気がつけば、日はすっかり沈んでしまっていた。

 今から川舟を動かすのも危険なので、今日のところは亜空間に泊まることにする。トレンはミントにつきっきりで、何やら深く考え込んでいる様子だった。


 ちょっとした隙間時間に、神殿の書庫に保管されていた書籍を回収すれば、サファイア市に滞在する理由もなくなる。バンクシア本家を再興しようにも……今は場所だけあって人がいない状態だ。建物だけ修復したところで、大した意味はないだろう。


「ミミ。今ちょっと大丈夫かな」

「はーい。どうしたの?」


 亜空間拠点の中。左肩に飛び乗ってきたミミの頭を、指先で軽く撫でる。


「若頭に連絡を取ってほしいんだ。まず、サファイア市のバンクシア本家が壊滅した件について報告を。それから、今後ヘルビス伯爵領においてサイネリア組がどのように活動していくべきか……それについては、若頭に決めてもらわないといけないからね」

「伝えるね――うん。バンクシア家は分家も多いから、この土地は現地の誰かに管理させるっってさ。あと、あまり責任を感じすぎるなって」

「ありがとう……そうだね。あの時ああしていれば良かった、みたいな話は後からいくらでも語れるけど。さすがに全てが思い通りにいくわけないか」


 ナナリア精霊国の特務神官より先にバンクシア本家に踏み込んでいればと、頭のどこかでどうしても考えてしまうけれど。そうなったら、逆に実験施設の対応で先を越されていただろうからね。

 今はひとまず、石化した状態のミントを保護できただけでも良しとしておこうか。彼女の腕の治療については……うーん。思いつく限り手を尽くすしかないかな。上手くいくかは未知数だけど。


「そういえば、騎士団長と連絡は取れた?」

「うん。なんかね、実験施設に送った人員とは別に、遺跡調査チームを組織して送ってくるみたい。ハリソンはかなり張り切ってる感じだったよ」

「うん。なんか想像できるなぁ」


 そんな話をしながら、少しだけ気疲れした僕は、椅子に座って目を閉じる。


 考えることはたくさんあった。

 保護した少数民族や小人の被害者たちのこと、魔族の少女のこと、ミントの腕のこと……何からどう手を付けようか、なかなか悩ましいところだ。

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