02 密に連絡を取り合いたい

 僕の目の前では、女の子のおっぱいを頭の上に乗せて頬を緩めた壮年の男が、優雅な仕草でブランデーの入った水晶グラスを揺らしている。


「……騎士団長、それ楽しい?」

「クロウ殿か。あぁ、黒蝶館は最高だな」

「あ、うん」


 いいんだよ、ここはそういう場所だ。


 セントポーリア侯爵領は、帝国西部一帯の各貴族領を束ねる中心地である。領城のあるフルーメン市は、人口五十万ほどの西部最大の都市。その他にも、メイプール市をはじめとする人口十万ほどの都市が四つ存在し、周辺村落の数は二百ほどになる。

 そんな広大な土地を治めるセントポーリア侯爵家の騎士団は精鋭であり、文官騎士五百名の下には事務員一万名、武官騎士五百名の下には領兵五千名が所属して、役所での事務や税務、治安維持から消防まで、本当に様々な仕事を行っている。そして。


 騎士団の長、ハリソン・セポス・ジョーンズ。

 周囲から尊敬を集める彼は、エリート中のエリートである。きっと日々のプレッシャーもすごいのだろう。みんなのためにいっぱい頑張っているので、たまの息抜きに女の子のおっぱいを頭に乗せるくらいは多目に見てあげてもいい……と、個人的には思う。


「それにしても、クロウ殿は浪漫の分かる男だ」

「そう言われるのは心外だけど」

「いや、乳乗せの件ではなくてな」


 あ、その行為は乳乗せって名前なんだ。

 楽団が心地よい音楽を奏でる中、美味しい酒や料理を上品に楽しみながら、彼は頭に乳を乗せる。これが、真面目一辺倒の彼が最近見つけた人生最高の時間らしい。良かったね。


「クロウ殿の作った歴史資料館だ……あれはとてもいい。我々騎士団が苦労して発掘した品々が、ああして領民を楽しませ、想像力を掻き立てて、次代の歴史学者を育んでいるのかと思うとな。実に心躍る」


 うん、そっちの話ね。

 春の終わりにオープンした歴史資料館は、短い間にすっかりフルーメン市の人気スポットになっていて、リピーターも多い。とはいえ全ての発掘品を並べてあるわけではないから、今後は折を見て展示を入れ替えようと思ってるけど。


「古代の騎士鎧。あの解説文はクロウ殿が考えたものか? やたら詳しく記載してあったが」

「うん、といっても古い書籍からの引用ばかりだし、鎧の機能についても彫られている術式回路から解析しただけだよ」


 あの鎧は古王国時代のものだ。

 当時の魔術は、術式を想起して魔術を行使するのではなく、戦士は身体に入れ墨を彫っていた。そして身につける鎧は、その機能と協調することで効果を発揮するよう作られていたみたいだ。

 術式自体は全体的に今の方が洗練されてるけど、あの手この手で施された工夫は目を見張る物がある。


 神殿が支配する時代になって、当時の技術は断絶してしまったけれど。


「まさか古文書が読めるとはな……しかもあの鎧の解析まで行えるとは」

「錬金術師なら出来るんじゃない?」

「いや、無理だった。侯爵家の錬金術師団には鍛冶専門の部隊がいるのだがな。そこに所属する誰一人として、鎧の謎を解き明かせなかったのだ。皆、歴史資料館の解説文を読んで初めて、数々の疑問点が急に解決したと言っていた」


 あぁ、そういえば。シルヴァ辺境領の神殿にあった古代ファーベル語の教本がないと、あの鎧については資料を読み解けないかもしれないな。入れ墨との連携なんて想像もつかないだろうしね。


「さすがは未来の賢者と噂されるだけある」

「それは持ち上げすぎだと思うけど。錬金術師の資格すら持ってないのに」

「いや、クロウ殿に足りていないのは年齢くらいだろう。錬金術の腕前は並ぶものがいない。それ以上に強い浪漫を感じる――遺構に仕掛けられた難解なリドルを解く頭脳。探索用の高度な魔道具を作る技術。そうして得た知識を独占することなく、高額な報酬をなげうって歴史資料館を作る豪快さ。これほど浪漫を掻き立てる男を、私は未だかつて見たことがない」


 うん、褒めてくれてありがとう。

 頭に乳が乗っている状態ではあるけど。


「うーん。別にそうたいした話じゃないけど……僕は書籍の収集が趣味だからね。もちろん読み解けないものも山のようにあるけど、今回のものについては解読する手がかりが手元にあったってだけだよ」


 僕は亜空間から四冊の本を取り出す。地下遺構から入手した書籍、それを読み解くための教本と辞書、そしてそれを使った翻訳書。


「古代ファーベル語の資料だったら、これを参考に読み解けると思う。この本は複製だから、セントポーリア侯爵家に持って帰ってもらっていいよ」

「良いのか? こんな貴重な……」

「もちろん。といっても、当時の技術をそのまま真似するのはオススメしないけどね」


 僕の言葉に、騎士団長は小さく首を傾げる。


「……というと?」

「入れ墨式の術式回路は、身体の成長や怪我なんかで簡単に無効化されてしまう。古代鎧にしても、多くの機能を盛り込みすぎて複雑な回路になり、破損の影響を受けやすくなっている。だからこそ――シンプルだけど壊れにくい、精霊神殿式の魔武具や魔装具に負けてしまった歴史があるわけだ」


 技術としての面白さは、実用面での優位性とは別次元の話だからね。

 僕が仲間向けに作っている魔武具、魔装具なんかも基本的には神殿式をベースにしていて、万能性よりもシンプルで壊れにくいものを心がけている。


 サイネリア組でも入れ墨を彫って魔術を使っている組員をたまに見かけるけど、やっぱり怪我なんかはネックになるみたいなんだよね。


「……うむ。入れ墨の実験は急いでやめさせよう」

「あ、もう手をつけてたんだ。そうだなぁ……今だったら布を作る技術が当時より優れているからね。入れ墨の研究をするより、術式回路入りの肌着とかを研究したほうがまだ将来性はあると思うよ。それなら、回路部分だけ金属を貼り付けることで身体の変化にも影響されにくいと思うし」

「なるほど。鍛冶部門の者にそう伝えよう」


 騎士団長は頭を下げ、三冊の本を大事そうに受け取る。あぁ、黒蝶館では女の子に預けておけば、帰宅する時に受付で他の荷物と一緒に受け取れると思うよ。


「それから――ミミ、出てこれる?」

「はーい。どうしたの、クロウ」


 妖精指輪フェアリーリングに魔力を込めて問いかければ、左肩にミミがシュッと現れる。実は僕の左耳に付けたイヤリングが亜空間の出入り口を作る魔道具になっていて、ミミが自由に姿を現せるようになってるんだよね。

 ちなみに、普段の彼女は僕の亜空間内で自由気ままに畑を作ってスローライフを送ってる。いいなぁ。すごく楽しそう。


「よ、妖精……いや、小人ホムンクルスか」

「その二つは実は同じものなんじゃないかと僕は疑ってるわけだけど……この考察も浪漫かもね。それはともかく、ミミ、この人は騎士団長のハリソンだ。この人にも妖精指輪を渡していいかな」

「いいよー。じゃあ魔法を込めるから、空っぽの指輪を貸してもらえる?」


 うん、良かった。騎士団長に指輪を渡すというのが今日の目的だったんだよね、実は。


 仲間内の主要人物には既に指輪を配布済みだ。なにせこれを使えば、距離に関係なくミミとの遠距離通話が可能になるからね。

 それで、組織外でも信頼できそうな人にはこうして渡しておけば、迅速なコミュニケーションが可能になるんだよ。もちろんミミには負荷がかかる話だから、無尽蔵に配り歩くってわけにはいかないけど。


「ふむ。私をサイネリア組の間者に仕立て上げようというわけかな?」

「騎士団長はそんな軽い男じゃないでしょ。ただ、一つだけ。情報が入ったらすぐに教えてほしいのが……精霊神殿の人体実験関連だ」

「……あぁ」


 今のところサイネリア組でも騎士団でも、人体実験については尻尾を掴めないでいる。というか、騎士団の者が現場に向かうと、その時には既に先回りされて証拠が消され、人員も施設も忽然と消えているみたいなんだよね。

 ゲン爺とも話したんだけど、そのあたりの情報を僕に共有してもらえば奴らに隙を与えず先手を打てるかもしれないと思って。


「微かな手がかりでも構わない。領内で急に瘴気が濃くなった土地や、人の失踪、神官たちの妙な動き。そういった情報があれば密に連絡を取り合いたい。僕には被害者の瘴気中毒を治療する手段もあるからさ」


 あえてこの場で明言はしていないけれど……少数民族の者が被害を受けていることは侯爵家の上層部も知っている。場合によっては、騎士団より先に僕が秘密裏に保護した方が良いケースもあるだろう。


「分かった。それと……ジュディス・ダンデライオンの身に起きた悲劇は侯爵家でも把握している。だが、彼女を救えなかったからといって、あまり気負いすぎるなよ。クロウ殿」

「……うん」


 もちろんジュディスが生きてることは極秘だ。

 だからこうして気遣われるのはすごく胸が痛む上に、騎士団長の頭には女の子のおっぱいが乗っている状況なわけで、僕はどんな顔をしてこの場にいれば良いのか分からなくなってしまう。誰か助けて。


 まぁとにかく、セントポーリア侯爵家で誰か一人指輪を渡す相手を選ぶとしたら、騎士団長かなと思ってたんだよね。人柄が良くて、能力も高くて、立場もある。彼と繋がりを持てれば、今後はいろいろと動きやすくなるはずだ。

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