第四部 次代を担う者たち

第一章 次期若頭と特務神官

01 全然知らない話なんだけど

 季節が夏に移り変わると、川沿いの地面からはホタルによく似た虫が現れ、夜闇の中で幻想的な光を放ちながら繁殖行動に精を出す。フルーメン市内を流れる川でも、その光景は毎年見られた。


 去年の春にレシーナを拾った川原。

 そこに、僕は彼女と二人で散歩に来ていた。


「クロウ。手を繋いでもらえるかしら」

「別にいいけど。読心魔法?」

「違うわ。ただ繋ぎたいだけ」


 レシーナの手は少し冷たいな。

 そうと思いながら、彼女の手をとって夜の川原に腰掛ける。周囲には見物に来ている市民がちらほらいて、みんなこの光景に見入っているようだった。楽しそうだね。


 精霊経典によると、死者の魂はホタルに案内されて一時的に現世に帰ってくるのだという。迷信みたいなものだけどね。

 この世界は危険が多くて命を落とす可能性も高いから、集まった市民もそれぞれ何かしら思うところがあるんだろう。


「今年は見られてよかったわ」

「うん。去年の今頃はちょうど、毒の治療で忙しかった頃だったからね。まさかあれから一年で、こんなに人生が変わるとは思ってもみなかったけど」

「ふふふ。私もよ……去年は秋の豊穣祭も逃してしまったけれど、今年は騒がしくなりそうね」


 そうだね。なぜか僕の嫁を名乗る女の子たちがいっぱいいるからね。どうしてこうなったのかさっぱり分からないけど。

 秋の豊穣祭が終われば、たぶん今年も冬季巡業に出ることになって……うーん。そうやって一年ずつ過ごしていく内に、きっと僕はどんどん辺境スローライフから遠ざかっていくんだろうなぁ。悲しい。


「あら。辺境スローライフはまだ諦めてないの?」

「そりゃあね。僕の人生の目標だから」

「やっぱりシルヴァ辺境領?」

「それも良いんだけどさ……あそこだと僕はちょっと名前が売れすぎちゃったから、あんまりのんびりできなさそうだと思って。とりあえず、他の辺境領も見てみたいと思ってるんだ」


 穢れの森に囲まれた、北のシルヴァ辺境領。

 その他にも帝国西部には四つの辺境領が存在するけど、そのうち二つは岩場と山岳地帯だから、暮らすにはちょっと不便かなと思うんだ。ただ、大きな湖があるラカス辺境領や、南の海に浮かぶインスラ辺境島領あたりは、スローライフを送るのにかなり狙い目じゃないかと思ってるんだよね。


「北西にあるラカス辺境領の“濁った湖”は、ちょっと気になってるんだよね。なかなか面白い環境らしいって聞いてさ」

「あら。そんなこと私に教えてしまっていいの? クロウを追いかけて押しかけるかもしれないわよ」

「まぁ……以前はね、一人で辺境スローライフを送ることに憧れていたわけだけど。最近は少し考えが変わってきたというか」


 両親とも和解して、それから、レシーナたちとも長い時間を一緒に過ごす内に、ふと気づいてしまった。

 妄想している辺境スローライフの傍らに、いつの間にかみんなが入り込んで一緒に生活していたんだよ。気がついたら隣にいるというか。前はそんなことなかったんだけど、おかしいなぁ。


「辺境に快適な拠点を作ったら、レシーナにあれこれ説明しながら案内してさ。ペンネちゃんには柿の果樹園の管理を任せて……みたいな妄想をしている自分に、気がついてしまってね」

「ふふ。もしかすると、結果的には今とあまり変わらなくなるかもしれないわね」

「たしかに。まぁ、今だってけっこう好き勝手やってるけどさ。でもなぁ……十年かけて頑張って準備してきたのにって思うと、正直ちょっと悔しくもあるんだよね」


 そんなことをポロリと口にすると、レシーナが楽しそうに口元を歪める。


「そうね。十年もかけて準備したんだもの。辺境に行きたかったら別にかまわないわ。クロウがどこかに拠点を構えれば、そこがサイネリア組の新しい本部になる……ただそれだけの話だもの」

「僕の目標は辺境ヤクザライフじゃないんだけど」


 ホタルの光が幻想的に舞う中で。複雑に編み込まれた銀色の髪は、神話に出てくる月の女神のようで。鮮血のような赤い瞳が、まっすぐに僕を射抜く。

 今は手を握っているから、僕が彼女を綺麗だと思っていることも、読心魔法でしっかり伝わってしまっているんだろう。まいったなぁ。


「ふふふ。クロウが辺境に隠居するなんて話になったら、それこそみんなが大騒ぎすると思うわ。クロウの名はフルーメン市でもずいぶん有名になったから……歴史資料館の効果かしら」

「あぁ。なんか思ってたより大盛況だよね」


 歴史資料館を作るのは楽しかったなぁ。古王国時代の生活が想像できるように出土品を配置したり、解説文を書いたプレートを並べたりして。

 たぶん、建物のインパクトもあると思うんだけどね。歴史資料館は白いピラミッド型の建物にしたんだけど、実際に建ててみたら想像していた以上に目立ってしまってね。みんな「アレは何なんだ」と興味津々だったみたいで。


 で、入場料も大人一人で大銅貨二枚と安めに設定した結果、連日大賑わいになったんだよ。アマリリス商会やバンクシア物流商会から人を募って、それでも予想を超える客入りに慌ててサイネリア組本部からも臨時で人を雇ったりして。


「歴史資料館の運営も誰かに丸投げしたいところだけど……まぁ、先のことはのんびり考えようか。僕らはまだ十一歳。時間はたっぷりあるし。体も心も、成長するのはこれからだ」

「そうね。クロウは去年よりずいぶん背が伸びたし、ちょっと喉仏が出てきたんじゃない? これから声が低くなると思うわ」

「え、ほんと? あ……ほんとだ」


 喉を触ると、ちょっとした出っ張りが感じ取れてつい感動してしまう。

 前世ではほら、栄養不足でまともな成長期を送れなかったから、正直に言えば発育不良だったんだよね。ずっと小柄で声も細かった。喉仏とかさぁ、男らしくてちょっと憧れてたんだよ。


「僕にも低くて渋い声が出せるかもね……くくく」

「ふふふ。一緒に大人になりましょうね」

「それはとても意味深な発言だけど……とりあえず、今は何もかも保留だからね」


 そんな風にして、僕らは二人でのんびりとした時間を過ごした。


  ◆   ◆   ◆


 レシーナが短刀ドスを抜いて僕に突きつけてきたのは、その翌日のことだった。


「クロウ。手を繋いでもらえるかしら」

「別にいいけど。読心魔法?」

「そうよ。ちょっと問い詰めたいだけ」


 レシーナの手は氷みたいに冷たいな、と思いながら、手を握って椅子に腰掛ける。

 ここはアマリリス一家の事務所の最上階で、レシーナはみんなの業務に影響が出ないよう範囲を限定して魔力を荒げているようだった。うん、魔力の操作がだいぶ上達したね。それは何よりだと思うけど。


「それで、なんでそんな荒ぶってるの?」

「クロウは、かつて次期若頭候補だった者を本部に呼び寄せた――と聞いたけれど。それはどうして?」

「そりゃあ、彼らはサイネリア組の次代を担う人材だからだよ。一度ちゃんと話をしておこうと思って」


 なにせ、まだ顔と名前の一致していない者も多いからね。これでも次期若頭としては、次代を担う優秀な人材とは顔見知りになっておいた方が何かと良いと思ったんだ。


 サイネリア組の次期若頭候補は全部で八名いた。

 このうち僕が顔を合わせたことがあるのは三名。目の前にいるレシーナ・サイネリア。最近物流商会の会長に就任したトレンティーニアス・バンクシア。組抜けして反逆者となったヴェントス・クレオーメである。

 残り五名。まだ資料で名前を知っているだけの者たちがいるわけで……そろそろ、彼らともちゃんと会っておきたいなと思ったんだけど。


「それがどうして、レシーナが荒ぶる話に?」

「クロウが……次期若頭を降りようとしているんじゃないかっていう話を聞いて」


 レシーナの言葉に、僕は首を傾げる。


「どういうこと?」

「元候補の面々が、それぞれ手勢を集めているそうよ。なんでも、クロウを打ち倒すことができれば、次期若頭の座を手に入れられる――そんな噂が流れているらしいの」

「なにそれ」


 え、全然知らない話なんだけど。

 一体何がどうなって、そんな話が持ち上がっているんだろう。そりゃあ僕だって、ヤクザから足を洗って辺境スローライフを始められれば理想的だとは思うけど。それは少なくとも、精霊神殿の件を片付けてからって考えてるし、そもそも自分を餌にして血気盛んな若者をおびき寄せようとか、するわけないじゃん。


 僕が弁明していると、レシーナは短刀ドスを鞘に戻してため息をつく。うん、そうだよ。落ち着きは大事だよ。


「クロウが知らないとなると……誰かの陰謀」

「嫌なこと言うなぁ。まぁ念の為、各施設の警備体制はもう一度しっかり確認しておいたほうが良いかもしれないね。僕の身はともかく、みんなが変に狙われでもしたら嫌だし」

「……そうね。ペンネと相談しておくわ」


 うん。春の騒動がとりあえず落ち着いたから夏は多少のんびりしていられるかと思ったけど、そうも言っていられないみたいだね。

 組長や若頭からは、帝国北部や帝国南部もけっこうきな臭いって話も聞いているし。サイネリア組の内部もまだまだ騒がしい。うーん、どうしようかなぁ。

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