26 惚れないでよ、こんなんで

 アマリリス商会事務所の最上階。

 ブリッタに新商品のウィスキーをグラスに注いであげると、彼女はそれをグイッと一気に飲み干した。いや、あの……それはもうちょっと、ちびちび飲んで楽しむものだと思うんだよね。


「――惚れてまうやろお!」


 すると、早くも顔を真っ赤に染め上げたブリッタは、なんだかよく分からないことを叫び始めた。


「水割りかソーダ割りにしとく?」

「あ、ストレートでお願いします。今はアルコールをガツンと感じつつ叫びたい時間なんです。次はウォッカをください」

「分かったけど、ほどほどにね。肝臓強化スキルを自然習得してるのはすごいなぁと驚いたけど」


 とりあえずご所望の通り、亜空間からウォッカの瓶を取り出してグラスに注いであげる。


「お酒おいちい」

「ソーセージとチーズもいる?」

「食べりゅ」


 ちなみにブリッタは治癒魔法使いだから、仮に肝臓がヤバいことになっても自分で治療できる。というか、そうやって継続的に治癒していった結果、肝臓強化スキルの習得に繋がったみたいなんだよね。前世と違って魔力があればどうとでもなるんだけど、果たして良いのか悪いのか。


「クロウさん。この度はありがとうございました」

「ん? どうしたの改まって」

「あのクソ親父から親権放棄の書類をもぎ取ってきてくれたことです。役所に提出して、正式に受理されましたので……これで晴れて、私は独り立ちすることになりました。全てクロウさんのおかげです」


 そうか、それは良かったなぁ。

 ブリッタは望まない相手と婚約させられてたもんね。それも正式に破棄されることになったから、彼女を縛り付けていた鎖は無事になくなった。これからはガーネットの助手として、誰に憚ることもなく堂々と生きていけるだろう。ホント、良かったと思うよ。


「実は役所の前で……クソ親父に会いまして」

「え。それは、大丈夫だったの?」

「はい。なんだか憑き物の落ちたような顔をして、私に謝罪をしてきました。そして、クロウさんにお礼を言ってくれるよう頼まれまして」


 お礼? それは「よくも俺の商会を潰してくれやがったな、お礼参りじゃい!」のお礼かな。物騒な方のヤツね。僕がそう問いかけてみると、ブリッタは笑いながら首を横に振り。


「――惚れてまうやろお!」

「ど、どうしたの?」


 ウォッカの入ってた水晶グラスをダンッと置いたブリッタに、ちょっとびっくりしてしまう。大丈夫? またお酒飲みすぎてるんじゃない?


「次はブランデーを下さい!」

「分かったけど、うん……はい、どうぞ」

「ふぅ……じゃあ言わせてもらいますけどね。金貨五百枚って何ですか! 聞いてないですよ! あのクソが金貨五十枚とか請求したのも無茶な盛り方してたのに、それすら端金扱いして、なんで五百枚もくれてやってんですか! 格の違いを見せられすぎて、あのクソがしおらしくなってたじゃないですか!」


 え、うん。そんなに? いや、さすがに十倍くらい渡しておけば、そのクソ親父さんも大人しくブリッタを自由にしてくれるかなぁと思っただけなんだけどさぁ。もちろん大金ではあるけど、アマリリス一家の商売も全体的に好調だし。お金で解決できるなら、お金で解決しちゃえばいいと思って。


「冷静に考えて下さいよぉ! 私なんかに金貨五百枚の価値があると本当に思ってるんですか!」

「五百じゃ安すぎたかもね」

「惚れてまうやろお!」


 ブリッタはブランデーを一気飲みする。

 こらこら、そろそろ水を飲みなさい。よく冷えてて美味しいやつだよ。はい、どうぞ。


「お水おいちい」

「でしょ?」

「次はウィスキーください」


 つい先日ガーネットに錬金水薬ポーションをもらいながら説教されてたのに、ブリッタはまったく凝りた様子がないなぁ。まぁ、飲まなきゃやってられない時もあるだろうなとは思うけど。大丈夫かな。


「私。最初にクロウさんに会った時は、このエロガキいつか締めてやるとか考えてたのに……」

「うん。そんな感じだったよね」

「クロウさんが何でもかんでも私の愚痴を聞いてくれるから、いつも甘えてばっかりで……だけどクロウさんの過去を聞いてからは、私だってクロウさんの愚痴を何でも聞いてあげたいと思い始めて……でもこれはそう、なんか飲み仲間との友情というか、そういう類のものなんじゃないかと思って、この気持ちはあんまり掘り下げないようにしようと自分に言い聞かせてたんですけど」


 そうして、彼女はウィスキーの半分残っているグラスに手酌でウォッカを注いで混ぜる。いやあの、それ全然アルコール割れてないからね。むしろより凶悪な何かになっちゃってるから。


「――惚れてまうやろお!」

「あ、うん」

「客観的に見たら! 私はエロガキが大勢侍らせている女の一人に成り下がってるじゃないですか! 親に金で売り飛ばされた女みたいになって! そんなの絶対認めたくないと思ってたのに! これまでずっと、考えないように目をそらしてきたのに! もう無理! しゅきぃ!」


 そうしてブリッタ、謎のちゃんぽんドリンクを一気に飲み干した。大丈夫?


「責任取って私を妻にしてください!」

「……みんなと同じで、成人まで保留だよ」

「絶対ですよ! みんなと同じって言いましたからね! 私、お酒を飲んでも記憶は無くさない女なんで! それに、クロウさんの保留が文字通りの意味じゃないことくらい、私にも分かってんですから。みんなと同じ……絶対ですよ! 約束です!」

「えぇ……」


 いやまぁ、ブリッタがそう言うのなら、とりあえず成人くらいまでは返事を保留して、じっくり考えさせてもらうけれども。


「とりあえず、ウィスキーとチーズの組み合わせが最強過ぎます……死ぬまで飲めそう」

「死なないでね。とりあえず、肝臓の調子を整える錬金水薬をガーネットと共同開発してるから、被験者になってみてくれないかな。上手くいけば、黒蝶館にも置こうと思ってるんだけど」

「そうなんですか。いくらで売るんです?」

「これについては無料。会費を取り戻そうと、つい飲み過ぎちゃうお客さんがわりといるみたいだからさ。この件でお金を取るつもりはないよ」

「惚れてまうやろぉ……」

「惚れないでよ、こんなんで」


 そんな風にして、ブリッタも正式に僕の妻を名乗る集団に仲間入りすることになったのだった。ほんと、どんどん増えていくなぁ。きっとレシーナのせいだ。


  ◆   ◆   ◆


 ブリッタと飲んだ数日後。

 騎士団の詰め所に呼ばれ、例のフルーメン市地下にある遺構の件についてゲン爺や騎士と話をしていた。それで、難解なリドルを一緒に考えて、魔道具を提供して……なんてやっていると、詰め所を出る頃にはすっかり日も落ちて、夜になっていた。


 遺構探索については騎士団に任せるとして……目下の課題は、風刃魔法使いのヴェントス・クレオーメについてだよね。

 奴が襲ってくるなら、アマリリス一家の管理する三つの施設のどれかだと考えていた。つまり、アマリリス商会の事務所か、黒蝶館か、妖精庭園フェアリーガーデンか。


 過去にアマネに執着していたことを考えると、黒蝶館が本命かなと思っていたんだけど。


「クロウ。キコちゃんから連絡だよ。フルーメン市の西側で、神官が主導して千人くらいの兵を集めてるんだってさ。おそらく狙いは妖精庭園。集まってる兵の中に、ヴェントス・クレオーメの姿もあるみたい」


 僕の肩に飛び乗ったミミが、そんなことを言う。


 ミミたち小人ホムンクルスの扱う妖精魔法は「妖精の粉」という精神に感応する仮想物質を生み出す魔法である。

 背中に羽を生やして自由に動かせるのも、この妖精の粉を押し固めて成形しているらしい。それとテレパシーを使えるのも、この粉の作用だった。まぁ、本人たちは仕組みなんて意識せずに使ってるみたいなんだけど。


 そんなわけで僕は、ミミの妖精魔法を込めた魔宝珠で指輪を作り、アマリリス一家の主要なメンバーに配ったのだ。


妖精指輪フェアリーリング……ミミと会話をするのに、距離は関係ないみたいだね」

「うん、問題ないみたいだよ。まぁクロウから並列思考スキルを習ってなかったら、頭が破裂してたところだけどね。パーンって」


 ミミは今後、基本は僕の側にいて、みんなとの連絡役を担ってもらうことになった。スキルによる念話ではどうしても近距離での会話しかできないからね。今後は活動範囲が広がるごとに、ミミの重要性も上がっていくだろう。


「あたしは有能な第八夫人でしょ?」

「……結婚は保留だけどね」

「ふっふっふ。ちなみにレシーナちゃんも、この前ついにあたしのことを認めてくれたんだよ? もう勝手にしなさいって」

「諦められてんじゃん」


 そんな話をしながら、フルーメン市街を歩く。


「テレパシーでみんなに連絡してほしい。防衛だけど……妖精庭園の襲撃を陽動にして、他の場所が襲撃される可能性もある。それも踏まえて、みんなの配置を指示する」

「分かったよ」


 ミミは僕の肩に座りながら、小さく魔力を揺らす。


「まず、商会事務所の防衛についてはレシーナに任せる。ジャイロたちもレシーナを助けてほしい。怪我人が出た時のことを考えて、ブリッタは後方待機」


 レシーナに任せておけば、基本的に大抵のことはなんとかなるだろうからね。無駄な心配はいらないだろう。


「黒蝶館の防衛には、キコとジュディスが適任だと思う。念のためガーネットが後方に控えていてほしい」

「みんなオッケーだって」


 アマネは狙われている可能性が高いからね。彼女もスキル訓練はしているし、普通に強いけど、ヴェントスと戦えるほどではない。戦力として前に出すのは悪手だろう。


「最後に……ペンネちゃんには、僕と一緒に妖精庭園の防衛に向かってもらう。これから事務所に迎えに行くから、準備しておいてほしいんだ」


 そうして指示を終えた僕は、ミミに亜空間に入ってもらい、走り始めた。僕なりに、事前にできる限りの手は打っておいたけど、あとはみんなに任せるしかないだろう。よろしくね。

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