19 追い詰めなくていいんだよ

 パーティホールには何人かのお客さんがいて、ワインやブランデーを飲みながら和やかに会話を繰り広げている。

 一見するとただの雑談スペースだけれど、ここは金貨一枚を気楽に払えるような立場の人間だけが訪れる特別な場所だ。あの会話だけで、どれほどの金貨が右から左へ流れるのか想像すると、なかなかすごい光景だった。


 僕の隣では、鮮やかなシルクドレスに身を包んだアマネが静かに笑みを浮かべる。


「クロウさんったら。なかなか来てくださらないから、ドレスを着る機会がなくてもったいないです」


 うん。なかなか来れないよね……今日だってこの後、レシーナがどうやって短刀ドスを突きつけてくるのかドキドキしてるもん。生きた心地がしないというか。


「ん? アマネ、もしかして香水変えた?」

「ふふふ、気付きましたか。でもこれは香水ではなくて……私は芳香魔法というものを使えるんです。今はクロウさんがお好みになる香りを探っているところなんですが。今日のものはどうですか?」

「良いと思うよ。爽やかな感じで」


 僕らはソファに腰掛けて、夜景を眺めながら乾杯する。

 組長と若頭はそれぞれ離れたところで酒を飲み始めたから、僕も今だけはアマネと二人の時間を楽しんでおこうかな。なんだかんだ最近、彼女と関わるのは仕事の要件の時が多かったから、こうしてのんびりする機会ってあんまりなかったんだよね。


「そういえば、アマネのことをチラチラ見てるお客さんがいるよね……ああいうのは大丈夫なの?」

「もちろん。近くにいる女性スタッフの口から、あれが黒蝶館のオーナーとその女だっていう説明がそれとなくされています。それとそのスタッフが、お客様に可愛くアピールしている頃かと思いますよ。自分のこともちゃんと見てくださいって」

「あはは、さすがの手管だなぁ」


 話しながら、お酒と料理を軽くつまむ。

 ここで出てくる料理は、アマリリス商会の食堂で出されるものと基本的には同じ素材を使ってるんだけど、また違った味に感じるんだよね。なんとなく上品というか……料理人の違い、食器、盛りつけ、あとシチュエーションの効果みたいなのもあるんだろう。


「そういえば……クロウさんに一つ情報を。実は神官のお客様の応対をしたスタッフから、少し良くない話を耳にしまして。どうやらフルーメン市の大神殿は、黒蝶館の乗っ取りを考えているみたいです」

「乗っ取り?」

「君はすぐに私のモノになるから、楽しみにしていたまえ――などと口説いてきたそうですよ。この黒蝶館の運営であったり、アマリリス商会の事務所であったり、どうやらクロウさんの持っている拠点を武力で奪いにくるつもりみたいですね。神官兵もかなり集めているとか」


 なるほどね。そうして色々と奪った上で、後付けで僕を神敵認定でもするつもりなんだろう。まぁ、想定の範囲内ではあるけどね。

 あぁ、ニグリ婆さんが情報屋として活躍できたのも、こういう感じで様々な情報を入手できたからかもしれないなぁ。


「分かった。神殿には気をつけるね。この調子なら、諜報機関としての黒蝶館も上手くやれそうかな」

「えぇ、そちらの技術も磨いていきます。クロウさんの耳目として、黒蝶館をお役立てください」

「ありがとう、頼りにしてるよ」


 フルーメン市の市民も、今や神殿に対してかなり厳しい目を向けているからね。神官にしてみたら僕はその原因を作った忌々しい存在なんだろう。

 そこに黒蝶館という美味しそうな餌があれば、奪いたくもなるかもしれないね。


「それにしても……精霊経典には、人同士が争うのは悪いことだって書いてあったと思うけど」

「えぇ。ですから、神殿は後から変なことを言い出すんです。少数民族の者は人間ではないだとか、あの人物は神敵だとか、異端都市は滅ぼすべきだとか……何かと屁理屈を捏ねますから」

「なんか神殿のほうがヤクザっぽくないかな」


 そうして真面目な話から間抜けな話まで、ポロポロと色々な会話をしながら、ゆったりとした時間を過ごす。

 最近はずっと忙しかったけど、こういった時間が取れるとすごく気持ちが落ち着くよね。そういうのも、黒蝶館が富裕層のお客さんに人気の場所になっている理由なのかもしれない。


「そういえば、クロウさんはコットン一家の頭領に元娼婦の女性を指名した、という噂を以前耳にしたのですが。それは本当なのですか?」

「うん、そうだよ。アイシャは優秀な人だからね。機転も利くし、周囲のことがよく見えている。周囲からの信頼も厚くて、幹部の中では頭一つ飛び抜けていた。当然の人選だったと思うけど」

「……当然、ですか」


 ふぅ、とアマネは息を吐く。


「クロウさんに出会う前の私は、生意気な女でした」

「アマネが生意気? 想像できないけど」

「私は……求愛権の金額が釣り上がっていくごとに、自分は価値のある女なんだと増長していました。生まれ持った容姿と、磨き上げた立ちふるまいで、男性たちをその気にさせて手のひらで転がす……そのことに快感すら覚えていた、心根の曲がった女です」


 そうかなぁ。本当に心根の曲がった女は、自分のことをそんな風には言わないと僕は思うけど。こればかりは、過去の彼女を知らないから、何とも言えないけどさ。


「あの男……ヴェントス・クレオーメは、金貨を積み上げながら私に言い寄ってきました。どうせお前も金がほしいだけなんだろう。自分の価値を金で換算していい気になっている程度の女が、俺の誘いを断るなんて生意気だ、と」

「それはまた、妙な言いがかりだなぁ」

「それで私、カッとなってしまって。今思えば、図星を突かれて動揺した部分もあったのでしょう。言い放ってしまったんです……貴方はあのクロウ・ダンデル・アマリリスの足元にも及ばない。娼婦だろうと軽く見ることなく、要職につけるような懐の広さが、貴方にあるのかと」


 あぁ、それでヴェントスは激昂したのか。

 若頭はまだ彼の処分を決めていないけど、今はクレオーメ家の屋敷で謹慎しているらしいからね。僕が次期若頭候補筆頭だなんて認められない、と言って荒れているみたいで……なるほど。アマネに振られたことも荒れてる理由の一つなのか。


「私はヴェントスの風刃魔法で顔を引き裂かれ、壁に叩きつけられて、全身の骨が折れたのを自覚していました。しかもその余波は、娼館パピリオの全体に及んでいて……錬金薬はお客様の治療を優先したため、私たちに与えられたのは最低限でした」

「……辛かったね。あの大怪我で」


 アマネは即死していないのが奇跡みたいな状態だったからね。組長の血筋だからか、生まれつき魔力が強くて助かったけど……今回はずいぶん大変な思いをしただろう。


「激痛に苦しみながら、後悔しました。この件は、思い上がった娼婦が生意気に、自分の価値を不当に高く見積もり、引き起こした惨事です」

「アマネが悪いわけじゃないだろう」

「いえ。ヴェントスが後継者レースで巻き返しを図ろうと躍起になっていることを知りながら、彼が激昂すると分かっていて……私は彼の弱い部分を狙って責め立ててしまったのです。そのせいで、みんなが、あんな、酷いことに……」


 どうもアマネは、自分を責めすぎている気がするんだよなぁ。何をどう言い繕っても、ヴェントスが風刃魔法で惨事を引き起こしたことに変わりはないわけだし。そもそも無粋な言い寄り方をした彼の方が圧倒的に悪いと思うんだけど。うーん、それをアマネにどう伝えたらいいんだろうね。


「結局は、初恋こじらせボーイだからなぁ」

「……初恋?」

「アマネは昔から美人だったんだろう。たぶんヴェントスは、昔から君のことが好きだったんじゃないかなと思うんだよね。後継者レースうんぬんは、たぶん建前みたいな感じでさぁ」


 僕はワイングラスを傾けながら、亜空間の中に置いてある資料を探す。前にレシーナ親衛隊のみんながまとめてくれた資料があって、ヴェントスに関するものも含まれてたと思うんだけど――あぁ、あった。これこれ。


「ほら、この資料を見てごらん」

「えっと」

「ヴェントスは冬季巡業中、各都市にある娼館で豪遊するのが趣味だった。そしてその時に、必ず指定する娼婦の条件が――赤髪で綺麗な感じの娘、だったんだってさ。絶対誰かさんを意識してると思わない?」


 だから、たぶんそんな複雑な話じゃなくてさ。


「娼館で指定しちゃうくらい昔から大好きだった、初恋相手の従妹がさぁ……他の男を褒めたんだ。だからキレた。今回の件はただ、それだけの話だよ」

「あぁ、初恋こじらせボーイなんですね」

「そう、初恋こじらせボーイなんだよ」


 僕がそう言うと、アマネは気が抜けたようにソファに背中を預けた。うん、そんなに自分を追い詰めなくていいんだよ。気楽にいこう。


「初恋をこじらせて暴れまわったヴェントスは今や処分待ちの状態。一方の娼館パピリオは一時的にたくさんの人が苦しんだものの、今では全員無傷で、黒蝶館という新しい施設で働き始めている……差し引きで考えたら、許容範囲内だと思わない?」

「ふふふ……許容どころか、大幅にプラスです。なにせ私は、こうしてクロウ様と巡り合うことができました。それにニグリお婆ちゃんの夢も叶いそうです」

「夢?」


 僕が問い返すと、アマネはにっこりと微笑む。


「娼婦上がりが組長の妻になれる時代……お婆ちゃんの若い頃は、娼婦が女としてまともに扱われることさえなかった。組長がお婆ちゃんを情婦にしたのさえ、当時は各所から非難されていたそうですよ」

「そうだったんだ」

「それが今では、娼婦上がりが地方のヤクザ一家の頭領を任されたり、次期若頭候補筆頭の婚約者になったりしてます。お婆ちゃんの夢見た未来は、確実に近づいてきていますから」


 あはは、そう言われちゃうと「結婚は保留だよ」とは言いづらくなるよね。そういうズルい部分も、アマネらしいんだけどさ。

 チラリと視線を向ければ、組長とニグリ婆さんは仲良く並んで夜景を見下ろしている。そうだね。二人があんな穏やかな顔をしていられるのなら、こうして黒蝶館を建てたかいがあったというものだろう。


  ◆   ◆   ◆


 パーティホールで出す料理についてアマネと話をしていると、一人のお爺さんが僕らの席の方へと近づいてきた。ここではこうして、初対面の人同士が交流するのを奨励しているからね。これも自然なことである。


「失礼する。君がサイネリア組の新星、クロウ・ダンデル・アマリリスか」

「初めまして、クロウです。貴方は……」

「セントポーリア侯爵家にて、数年前まで侯爵を務めていた……まぁ、今はただの隠居爺だ。名はゲンドルグというのだが、気軽にゲン爺と呼んでくれ」


 いや、先代侯爵って帝国貴族の中でもめっちゃ大物じゃん。まぁ、呼べというなら呼ぶけど。


「よろしく、ゲン爺。でもその立場で謙遜しすぎるのは逆に嫌味に思われると思うよ。堂々としてた方がいいんじゃないかな」

「ふむ。ゴライオスにも昔からそう言われておるんだがなぁ。どうにもそういう性分みたいなんだ。許せ」

「なるほど……組長の昔なじみかぁ」


 普通だったら貴族と会談するには面倒くさい申請とかが必要になるみたいなんだけど……なにせここは黒蝶館だからね。貴族と渡りをつけるチャンスだ。この際だから、腹を割って相談してみるのが良いだろう。


 そうして、僕はゲン爺と色々と話を始めた。

 彼はさすが貴族という感じで、あちらの要求もいろいろと飲まされてしまったけど、僕の方もお願いしたいことは話せたから良かったと思う。改めて考えると、黒蝶館の有用性は計り知れないなぁ。

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