10 全部夢だったのかもしんねえな
サイネリア組配下の御三家として知られるバンクシア家、クレオーメ家、ベラドンナ家。各家はサイネリア組の幹部を数多く輩出し、組長や若頭の側近を務めることも多い。
例えば直近の出来事で言えば、ヒャダル君がレシーナの世話係を務めていたのも、僕のサポートとしてペンネちゃんが割り当てられたのも、バンクシア家として次代の側近候補を送り込むための布石だったみたいだ。
もっとも、事務局長をしているセルゲさんはかつて冷遇されていたらしいし、ヒャダル君もペンネちゃんもあまり良い幼少期を過ごしては来なかった。
セルゲさんがペンネちゃんを指名できたのだって、あの時の僕はバンクシア家から舐められていたからってことなんだろう。
「――バンクシア家の人間は、エリート志向が強え」
フルーメン市の市街地を歩きながら、僕はペンネちゃんの言葉を静かに聞く。
レシーナには組長たちへの伝言をお願いしたし、キコにはジュディスを連れてきてほしいと頼んでいたから、今は僕たち二人だけだ。
「笑っちまうよな。貴族でもねえ、ド平民のヤクザ者の分際で……バンクシア家の人間は、自分たちは選ばれた者なんだって思い上がってんだ。だからあの家では、あーしみたいに魔力等級が低いやつは、生まれた時から下に見られて育てられる」
ペンネちゃんはまるで
なるほど……最初に出会った時、彼女の魔力等級は中級くらいだった。世間一般では中級は優秀な者として見られるけど、バンクシア家ではそうではないらしい。
「あーしは今でも考えちまうんだ。どこをどう切り取っても出来損ないでしかねえあーしが、クソ生意気に、クロウやお嬢の隣にいていいのかって」
「ペンネちゃん」
「分かってる。クロウは小せえ頃から訓練を積み重ねて強くなった。その教えを受けているあーしだって、前よりも強くなってる。生まれ持った魔力等級が絶対だなんて、今はもう思ってねえ。けど……」
幼い頃から刷り込まれた価値観が、ふとした瞬間に彼女を苛む……か。それは、一朝一夕でどうにかなる話ではないだろうね。
「ペンネちゃんの姉……アスピラなんとかって人は、どういう人なの?」
「あぁ。あの尻軽な」
「尻軽なんだ」
「なんつーか……あーしとは出来が違う。生まれ持った魔力も強えし、頭もいい。自分の主に気に入られる立ち回りがめちゃくちゃ得意でさ。最近まで、他の若頭候補の側に仕えてたんだよ」
聞けば、仕えていた相手はライオット・サイネリアだったのだという。かつて組長とレシーナに毒を盛って下剋上を企てた、メディス・サイネリアの息子なんだけど……僕がメディスを討ち取ったことにより、息子のライオットは候補から脱落したらしいんだよね。
「うーん。アスピラが僕のもとに来たのは、ライオットを失脚させた復讐のためって可能性もあるか」
「いや……あの尻軽はそんなタマじゃねえよ。仕える相手が劣勢になるとコロコロと立場を変えて、より有利な奴の方に寄っていくんだ。昔からずっとそうだった」
そうなんだ。詳しく話を聞いてみると、どうもアスピラが仕えるのはライオットで六人目だったらしい。彼女は、バンクシア家からの命令なんです、という文句を免罪符のように使って、将来有望な主にどんどん乗り換えていくのを生きがいにしてる人なんだとか。
うーん……他人の生き方にケチを付ける気はないけど、ちょっとリスクの高いやり方じゃないかなとは思うよね。そんな生活、いつまでも続けられるわけでもないだろうし。
「だけどあの女が、あーしなんかより優秀なのは間違いねえからな。クロウがバンクシア家を潰すって言ってくれたのは嬉しかったけど……でも、本格的に敵対することになるぞ。いいのかよ」
なんだ、まだそんなことを言ってるのか。
分かってないなぁ。
「いつも言ってるけどさ。僕の目標はサイネリア組を穏便に足抜けして、辺境スローライフを送ることだからね。その時には、甘い干し柿を山のように作る予定でいるんだからさぁ。食べてくれる人が隣にいないと、僕が困っちゃうんだ。頼むよ」
僕の言葉に、ペンネちゃんは小さく鼻をすすって黙り込んだ。大丈夫だよ。ここから先は、どうか僕に……僕たちに任せてほしい。
◆ ◆ ◆
ペンネちゃんの育った屋敷はバンクシア家の分家が管理していて、本家は違う都市にあるのだという。
屋敷はもちろん平民向けの住宅区画にあるんだけど、門構えからしてまるで貴族のように豪華だった。警備に立っているヤクザ者も騎士のように毅然とした態度で、無造作に近づいていく僕に対して荒々しく魔力を高ぶらせている。
僕はただ、静かに魔力を広げた。
「こんにちは、お兄さんたち。何してるの?」
魔力量の差に恐れ慄いたのか、男たちは引きつった顔をしながらも、一応は職務を全うしようと長い槍を構えている。なるほど、中々に気骨のある人たちみたいだね。
「止まれ。お前は誰だ。何をしに来た」
「ちょっと散歩にね。お兄さんたちこそ一体何をしてるのかな。まるで門番か何かに見えるけど」
「そ、その通りだ。この門を通すわけにはいかん」
お兄さんたちは虚勢を張ってるけど。
気づいてないみたいだね。
「この門って何? 門なんかないけど」
僕の言葉に彼らは振り向き、動きを止める。そりゃあびっくりするよね……自分たちが守っていた門が、まるで亜空間かどこかに収納されてしまったかのように消え失せていたらさ。誰の仕業なんだろうね。
ほんの少し魔力を強めて威嚇すると、彼らは尻もちをついて無様に後ずさった。
「じゃあ、ペンネちゃん。散歩の続きといこうか」
「くくく……クロウってマジでめちゃくちゃだな」
「そう? すごく穏便だと思うけど」
そうして話しながら、二人で歩き続ける。
門の中に広がっていた庭園は、僕らが歩くごとに、なぜかどんどん更地になっていった。中央にあった噴水もなくなり、石畳は土に置き換わる。不思議なこともあるもんだね。
警備の私兵らしき人たちは、なぜか十一歳の少年一人にビビって近づいて来られないようなので、僕らはのんびりと周辺の散策をしていた。
「ここは馬小屋なんだよ。あーしはいつも、ここで姉貴たちに殴られてた。両親は知らん顔……つーか、出来損ないのあーしには心底興味がなさそうだった」
「へぇ……馬小屋なんて、見当たらないけど」
「それな。たった今、綺麗さっぱり消えちまったような気がする。全部夢だったのかもしんねえな」
そんな風に、何も無い土地を眺めたり。
「ここの果樹園な。婆ちゃんが生きてた頃は、この木で採れた柿をよく干してくれたんだよ……あーしはそれが、すごく好きでさ」
「なるほど。じゃあ、ちゃんとした場所に植え替えないとね。アマリリス一家の事務所の裏庭でいいかな」
「おう……へへ、なんか至れり尽くせりだな」
そんな風に、何も無い土地で笑い合ったり。
「この池にはいい思い出がないんだよなぁ。バンクシア本家には一人、次期若頭候補の奴がいるんだけどよ。アイツはフルーメン市に来ると、ここで操水魔法の練習をしていた。あーしは……的として狙われる役だった」
「そっか……池なんてどこにもないけどね」
「くくく。こうしてると、なんであーしはバンクシア家なんかをあんなに怖がってたのか……分かんなくなっちまうな」
そんな風に、何も無い土地で彼女の頭を撫でたり。
思えば、ペンネちゃんはいつもレシーナの側についていたから、こうして他の人のいない場でのんびり過ごす機会って少なかったなぁと思う。二人きりになると、いつも修行をしてた気がするし。
「これからは、ペンネちゃんともこうしてのんびり散歩をしたいな。修行だけじゃなくてさ」
「あぁ……なんかさ。これまでは、早く強くならないとって焦ってたんだよなぁ。どうにかして有能さを証明しないと、クロウやお嬢の隣にいる資格がなくなっちまう気がして。もちろん、強くなりたいってのは今でも変わんねえけどさ」
「そっか。干し柿食べる?」
「おう」
そうして塀に沿って敷地をぐるりと一周してくれば、そこには寒々しい土地にポツンと一軒だけ立っている豪邸があるのみになっていた。警備の私兵も、僕らを遠巻きに見ているのみだ。
「干し柿うめえ」
「たくさん作ってあるからね」
さて。それじゃあ、潰しにいこうか。ペンネちゃんの心を苛む全てをね。
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