07 それはそれとしてですね

 新しいビルが完成したので、亜空間で療養していたみんなにはこっちに移り住んでもらうことになった。

 それぞれに個室も用意したけど、実際に住んでみて不便そうなところがあるか確認してもらわないといけないからね。何かと調整は必要だろう。


 みんなまだ身体も本調子ではないし、事件のショックも大きいだろうから、新しい形の娼館運営が始まるのはもう少し先のことになる予定だ。

 ここには現役の娼婦の他に、引退して事務員になった者だったり、料理人や按摩師として働いている者もいるからね。それと、これから高級娼婦に育て上げられる孤児なんかも生活するんだよ。みんながなるべく快適に過ごせるようにしていきたいところだ。


 設備管理についての引き継ぎを終える頃には夕方になっていた。僕が亜空間に戻ってくると、そこにはブリッタが一人ポツンと待っている。


「筆頭……ご苦労様です」

「うん、お疲れ。どうしたの一人で」

「はい。実は筆頭と少しお話したくて」


 ブリッタは何やら思い詰めたような顔をしているので、僕は彼女に席を勧めて対面に腰掛けると、豚鬼オークソーセージとワインを取り出して、彼女の前に置いた。

 無言の時間がずいぶん続いているけど、まぁ急かす必要もないだろう。誰にだって、言葉が見つからない時というのはあるものだ。


 そうして、彼女がようやく口を開いたのは、ワインを一杯ゴクゴクと飲み干した後だった。大丈夫かな、アルコールだけど。


「筆頭は……なんでもできるんですね」

「なんでも?」

「はい、なんでも」


 別になんでもできるわけじゃないけど。

 彼女からは僕がどんな人に見えるんだろう。


「私……嫉妬しているみたいなんです」

「嫉妬?」

「はい。貴方は……誰もが諦めるほどの重症者を、なんでもない顔をして傷跡一つ残さずに治療してしまう。高価な錬金薬を湯水のように使っておいて、患者には金などいらないと言う……それは、本当は私がやりたいと思っていたことだったのに。そう思って……私は醜くも、貴方に嫉妬してしまったんです」


 そう話す彼女は、自分を恥じているようだった。

 なるほどなぁ。


 それからまた、彼女は黙り込んでワインをぐびぐびと飲み始めた。大丈夫かなぁ。この世界では未成年でもお酒を飲むことは禁じられてないけど、魔力で分解できるとはいっても、さすがに十三歳でやけ酒は早いような気がするんだよね。

 そうして、豚鬼ソーセージをつまみにワインを瓶一本飲み干したブリッタは、盛大なため息をつく。


「……私の実家は、商会を経営してまして」

「うん」

「それで……商売の資金繰りのために、私は望まない相手と婚約させられそうになっていました。家族が気にするのは、いつだってお金のことばかり。私の治癒魔法について話す時だって、気にするのは、それを使えばどんなに素晴らしい金儲けができるかという一点だけで」


 うん、そうか。

 前に獣尾人ファーリィのパモの話を聞いて共感している様子だったのは、そのあたりに理由がありそうだね。貴族や商人なんかは特に、結婚には家の利害関係が強く影響するみたいだから。


「だから、私は家出してやったんです」

「へぇ、そうなんだ」

「そうなんです。あのドブ水の腐ったような吐き気のする空気の家からスタコラサッサと逃げてやったんですよ。だって結婚相手に充てがわれたのは、三十も年上で離婚歴が五回もある貴族崩れで、資産しか褒めるところがないクズ男だったんですよ。絶対嫌ですよ。何か悲しくてあのデブの妻なんてハズレくじを引かなきゃいけないんですか。やってらんないですよ」


 お、おう。だいぶ酒が回ってきたんじゃない?

 大丈夫?


「それで! 治癒魔法の才能を活かそうと思って神殿の門を叩いたらですね! あそこもまたネチネチといやらしい視線を向けてくる脂ぎった高位神官がクソみたいな権力を握ってるクソみたいな職場で! 私の可愛いお尻ちゃんを無遠慮に触ろうとして来やがったからお茶をぶっかけてやったんです! そしたらスタンピード対応に突然派遣されることになって! 私まだ神殿で何も教わっていないド素人なのにですよ! ホント終わってますよあの組織は! 商人もクソだけど神官もクソ!」


 た、大変だったんだねぇ。

 ブランデー飲む?


「飲みます! ブランデー飲みます!」

「分かった、水割りでいい?」

「ストレートでください!」


 え、本当に大丈夫?


「それで、戦場でガーネットちゃんに萌えて!」

「萌えたの?」

「萌え萌えでした。根が気弱なのに気丈に振る舞ってる感じがすごく萌え萌えで、私はガーネットちゃんの助手としてだったら、治癒魔法を活かしながら楽しく生きていけるかなぁと思ってたんですよ……それなのに、それなのにですよ! それなのに!」


 ダンダン、と地団駄を踏むブリッタ。


「ガーネットちゃんの旦那とかいう奴は、女の子を何人も侍らせてるエロガキじゃないですか!」

「あ、うん。そうなるよね」

「旅をしてる間もずっと戦々恐々としてましたよ。無邪気な顔して私の可愛いお尻ちゃんを揉みしだこうとしてくるんじゃないかとか。私の慎ましいおっぱいちゃんに顔を埋めようとしてくるんじゃないかとか。そうなったらまたお茶をぶっかけてやろう……とか思ってたんですけど」


 ブリッタはブランデーをぐびっと飲み干す。

 いやあの、それはそんな風に飲むお酒じゃないよ。


「レシーナさん! レシーナさんですよ!」

「レシーナ?」

「私が貴方にお茶をぶっかける妄想をするたびに、なんかめちゃくちゃ怖い魔力をぶつけてきて! なんなんですかあの人! 心でも読めるんですか! いいじゃないですか妄想するくらい! 心の中で何を思ってようが個人の自由じゃないですか! もう!」


 レシーナ、そんなことしてたんだ。

 たしかにやりそうだけど。


「でも! これだけ一緒にいたらさすがに私も分かりますよ! 貴方は権力で女の子をどうこうするよな人間じゃないってことくらい! パモさんへの対応も、アマネさんへの対応も、なんか紳士的で! だから今は別に、貴方にお茶をぶっかけようとは思ってないんですけど! ちょっとしか」

「ちょっとしか?」

「でも悔しいんですよ! 私は治癒魔法の才能を持っていて、あのクソ実家を出たら才能を活かしてバリバリ人を治すような聖女様みたいになりたくて! 誰もが諦めるほどの重症者を、なんでもない顔をして傷跡一つ残さずに治療してしまうような! 高価な錬金薬を湯水のように使っておいて、患者には金などいらないと言うような! 貴方がやったようなことは、全部私がやりたかったことなんですよ!」


 なるほどなぁ。色々と鬱憤が溜まっていたわけだね。それはそれとして、適度に水分も摂った方が身体には優しいと思うよ。ほら、美味しい水だよ。


「お水おいちい」

「でしょ?」

「それはそれとしてですね!」


 うん……この際だ、全部吐き出しちゃいな。


「貴方は一体何種類の魔法を使えるんですか!」


 え、なに。亜空間魔法だけだけど。


「戦場でガーネットちゃんの治療を見ている時は、すごいなぁって尊敬しましたよ! 自分の力量不足を実感して反省しました! でも貴方の治療は、ぜんっぜん意味が分からない! 一体なんなんですかアレは!」

「え、そんなに?」

「なんかわけわかんない魔道具とか宙にプカプカ浮いてるし……一瞬で傷口を切り開いたと思ったら骨とかが気持ち悪い感じで元に戻っていって、また一瞬で傷口が閉じるし、なんですかアレ。伝説のエリクサー? でもガーネットちゃんが使ってたのと同じ傷薬ですよね……あまりに意味が分からなすぎて! 自分が同じことをできるようになるイメージが! 全く湧いてこないんです! 無理ですよ無理!」


 あぁ、うん。たぶん魔力操作技術スキルについて知らないからそう思うんだろうなぁ……魔道具については単に、ペンネちゃんとガーネットの魔法が込められてるってだけだしね。

 治癒魔法が使えるブリッタは、練習すれば僕より上手に治療できるようになると思うけど。


「私だってあんな風に誰かを助けたいのに!」

「できるよ」

「無理ですよ!」

「できるよ」

「無理ですよ!」

「教えるよ?」

「教え、え、教えてくれるの? ほんと?」


 別にいいけど。レシーナからは「クロウのスキル習得方法はあまり広めない方がいい」って言われてるけど、ブリッタなら変な使い方はしないと思うしね。


 とりあえずその日は、ブリッタがしっかり酔いつぶれるまで愚痴に付き合わされたけど……彼女は酔っても記憶が飛ぶような人間ではないようで、翌日には恐縮されながらもスキルの指導をお願いされた。

 とりあえず、まずは基礎の基礎、身体強化の感覚を掴むところからになるかな。頑張ろうね。

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