02 当てているのよ

 忍ぶという字は、刃を心に押し当てると書く。

 つまりね、レシーナの短刀ドスが僕の心臓に突きつけられてるってことは、今の僕はニンジャなのかもしれないなぁと思って。だいぶ耐え忍んでるでしょ。ニンニン。


 シルヴァ辺境領からフルーメン市まで無事に帰ってきて、事務局に挨拶をして、レシーナの居室に久々にやってきたところで。

 僕はさっそく命の危機にさらされていた。


「レシーナ、刃先が当たってるんだけど」

「当てているのよ」


 レシーナは真顔のまま、鮮血のような赤い瞳をギラリと輝かせた。うーん、なんでいつもこうなるんだろうね。


「ねぇ、クロウ。仕方ないから、もう一度だけチャンスをあげるわ。よく考えて発言することね」

「うん」

「長旅から帰ったばかりの貴方が、これからどこに行く予定なのかを、ぜひ聞かせてほしいのだけれど」


 そう言って、レシーナは魔力を高ぶらせる。


 いや、あの。仕事を引き受けたんだよ。

 ついさっきのことだけど。事務局に立ち寄った時にセルゲさんと色々相談してたんだけどさ。それで話してたら、解決しなきゃいけない問題がとにかく山盛りらしくて。その中でも、特に急いで手を付けなきゃいけない案件があったもんだから。


「……これから娼館に行く予定なんだけど」


 その瞬間、レシーナの魔力が津波のように一気に押し寄せ、本部の屋敷全体を飲み込んだ。うん……これはまた、屋敷中が酷いことになってそうだなぁ。


 しかし驚いたことに、部屋の隅にいたペンネちゃんはブルッと震えただけでレシーナの威圧を耐えていた。おぉ、だいぶ魔力が増えたんじゃない? 毎日の鍛錬を誰よりも頑張ってるもんね。


「なんで。なんで。どうして娼館なの。私じゃダメなの。どうして今このタイミングなの。どうして私と一緒に大人の階段を上ってくれないの。ねえ、どうして……」


 誤解だよ。盛大な誤解だ。そもそも僕はまだ十一歳だし。だいたいレシーナと関係を持ったが最後、辺境スローライフの夢は完全に崩れちゃうからね。貞操については今後もガッチガチに守っていく所存だよ。


「クロウの青春は、私に所有権がある」

「それは初耳だけど」

「私以外の女にときめくような心臓ならいらないわよね。今のうちに抉り出しておいてあげるわ。貴方の心臓が脈動するのは私と一緒にいる時だけで良いのだもの」


 君っていつもは色々なことに頭が回るのに、僕のことになると思考停止して変なこと言い始めるよね。どうしてなんだろう。そのあたり、僕はすごく疑問に思ってるよ。


 そもそもこんなことになったきっかけは――


  ◆   ◆   ◆


 サイネリア組本部にある事務局では、事務局長であるセルゲさんの指示のもと、組織運営の裏方業務が行われている。人員は三百名ほどで、業務内容は経理や人事、購買など多岐にわたるらしい。


 早朝。長旅から帰ってきた僕は、ずいぶん忙しそうにしているセルゲさんのもとを訪れた。手紙で状況を伝えたりはしてたけど、対面で相談したい内容もあったしね。お土産も渡したかったし。


「砂糖を……砂糖を回収してくれ」

「あ、うん」


 一通りの挨拶を済ませて会議室に来ると、セルゲさんは開口一番そんなことを言ってきた。ヤバい。声から一切の活力を感じない。


「メープルシロップ、メープルシュガー……可能な限り売り捌いたがな。これ以上は無理だ。倉庫がもたん」


 疲弊しきったセルゲさんを見て、僕はなんだか申し訳ない気持ちになる。


 メイプール市近郊の村落で生産を始めたメープル製品は、ガザニア一家が本部まで次々と運搬してくる。

 それで、事務局に頼んで色々な商会に売りつけていたんだけど……どうやら既に、倉庫には砂糖とシロップの箱が山積みになっており、売り先にも困る状況になっているらしかった。ごめんね。


「クロウの資産は一旦事務局で預かっている」

「資産? そんなのあったっけ」

「……メープル製品の在庫や売却益。組の決まりで一割は上納金として抜いてあるが、残りの九割はお前の資産だ。書類と一緒にさっさと引き取れ」


 あー、そういう感じになるのか。

 細かいことはよく分かってなかったんだよね。てっきり本部がバリバリに儲けた分は全部上納するんだと思ってたけど……上納金は一割なのか。意外と良心的なんだなぁ。


「ところでお前、金や物の管理はどうするつもりだ」

「そりゃあ、亜空間を利用するつもりだけど」

「……保管場所はそうなるだろうがな。俺が危惧してんのは管理人員だ。お前がこうしてフルーメン市に帰ってきたからには、事務局で代行していたメープル製品の買い取りもお前の仕事になる。シルヴァ辺境領から届く予定の産物もお前宛だ。そこまで本部が面倒を見る気はねえが……お前、人を雇うあてはあるのか」


 そう言われてもなぁ。うーん。

 人員と言われてパッと思いつくのは、浄化結界コアの交換に走り回ってくれたジャイロ義賊団の五十名。それとレシーナとペンネちゃんの冬季巡業についていったレシーナ親衛隊の二十名。でも別に、彼らは僕の部下ってわけではないから、組と関係ない仕事を頼むのはさすがに悪いもんな。


「舎弟の一人もいねえのは苦労しそうだな。まして今のお前は、次期若頭候補筆頭……組の幹部って立場だ。舎弟を見繕って、金の管理を任せたらどうだ」

「あ、うん。舎弟ってそういう感じなんだ」

「あぁ、そうだ。俺だってそうだった。若え頃に組長に拾ってもらって舎弟にしてもらったんだよ。身の回りの雑事なんかを任されて、やがては金勘定なんかも任されるようになって……その流れで今も事務局を一任されている。ありがてえことにな」


 なるほどなぁ。たしかに、辺境から届く各種素材、メイプール市から届くメープル製品……そういうのを今後もずっと僕が取引していたら、いつまで経っても辺境スローライフを始められないからね。むしろ僕がいなくても仕事が回るようにしておかないと、身動きが取れなくなる。


 それから、僕の亜空間には、スタンピードの瘴気を元に作られた膨大な品物が山積みになっている。猫蜘蛛シルク、綿、犬鬼毛皮、豚鬼革、ワインやソーセージ。こういうのも早々に売り捌きたいんだよね。いずれにしろ舎弟というか、働いてくれる人は必要になるか。


「……やっぱり商会を作るのがいいかなぁ」

「ふむ……良いんじゃねえか。取引の規模がデカくなるなら、商会って形をとって運営する方が何かと便利だろう。組長の許可は俺が取っておく。本部の人員で引き抜きたい奴がいれば、声をかけておけ」

「あ、それはアリなんだ」


 商会を回すための人員か。うーん、組から人を回していいなら……とりあえず他に心当たりもないし、ジャイロたちに声をかけてみようかな。もしかしたら、その家族や知り合いなんかも雇えるかもしれないし。


「じゃあ、組長との調整はよろしくね。だけど忙しくないの? ずいぶんお疲れの様子だけど」

「あぁ、実は……他の次期若頭候補の奴らが、色々と問題を起こしやがってな。ったく。その対処のために、事務局はこのところ出ずっぱりなんだよ」


 そっかぁ。あ、エナドリいる? これは辺境から帰って来る途中で作ったエナジードリンクなんだよ。身体が元気になるやつ。

 そうして活力錬金水薬ポーションを渡しながら話を聞くと、本部に現在大きく二つの事件について対応を迫られているらしかった。


「まず、フルーメン市西側の村落が一つ消えた」

「消えた? どういうこと?」

「わからん。セントポーリア侯爵家の騎士団が出張って、調査しているみてえだがな。次期若頭候補の一人がその村落を訪れていて、村落の住民約千人と一緒に行方知れずになった」


 まず一件は、村落が一夜にして消えた件。

 どうも村落があったはずの場所には、人はおろか建物も何も残っていなかったらしい。サイネリア組本部からも調査員を送ったらしいけど、詳しいことは何も分からなかったようだ。


「うーん……キコに調査してもらおうかな」

「黒曜石のキコ・ブラックベリーか? お前、あの狂人を本当に手懐けたのか。一体どうやった」

「特別なことは何も。キコは普通の子だよ」


 まずはキコに相談してみよう。旅から帰って早々で悪いけど……サポートとして誰かつけたほうがいいかな。そのあたりもキコ次第だね。


「村落消失の件はそんなもんだ。そしてもう一件がまた大問題でな……つい昨晩のことだ。歓楽街にある高級娼館で次期若頭候補の一人が大暴れした。たくさんの娼婦に大怪我をさせちまったらしくてな」

「うわ……歓楽街でそんなことをやらかしたら、バックにいるヤクザが黙ってないんじゃない?」

「もちろんだ。娼館を管理してんのはサイネリア組だからな、黙って見過ごすつもりはねえよ」


 そうだよね。バックにいるのはそりゃあサイネリア組だ。

 思いっきり身内だから甘い処分になるのかと思ったけど、セルゲさん曰く「むしろ身内だからこそ厳しくしないと示しがつかねえ」ということらしい。ふーん、そんなもんか。


「事件から一夜が明けて……客の治療は済んだが、娼婦たちに回す錬金薬は底をついちまった。応急処置は済んでいるが、治療の見通しは立ってねえ」

「なるほど。かなり切羽詰まった状況だね」

「あぁ。ひとまず状況は落ち着いたが。ったく……暴れたガキについては、若頭が帰ってきたら正式な沙汰を下すだろうが。最低でも命は差し出させるだろう。おそらくはそれ以上の苛烈なものになる。血縁を考えると組織内がまた荒れそうだが、仕方ねえ」


 それは大事件だね。


「娼婦たちの怪我はそんなに酷いの?」

「あぁ、どうもな……一番人気の娼婦が顔をズタズタにさせられて、引退するしかねえんだ。他の娼婦たちも怪我の療養のため、店は休業。暴力事件の噂が広まって客足も離れちまったから、いっそ商売を畳むかって話も出てたんだが……店主の婆さんがな。何としてでも店を立て直せとカンカンで」

「え、婆さんの発言力、そんな強いんだ」


 僕が疑問を口にすると。


「婆さんは組長の情婦なんだ。それと年寄り衆の中には恩がある奴も多い。情報屋としてもやり手でな、弱みを握られている奴も一人二人じゃねえ。組としても軽視できねえ存在だ」

「えー、そんな人の店で暴れた馬鹿がいたの?」

「あぁ、そんな人の店で暴れた馬鹿がいたんだ」


 そりゃあ、セルゲさんも疲れ果てるはずだよ。


「少なくねえ娼婦たちの身体に、傷が残っちまうだろう。それを綺麗に治せるような錬金薬も存在はするが、そういうのを作れる錬金術師はだいたい貴族のお抱えだからな。伝手がないこともないが……」

「となると、僕の出番ってことかな」

「……いいのか」

「そりゃあね。そもそも僕に頼むつもりで話をしたんだろうし、断る理由はないよ。セルゲさんにはこれまで色々と世話になってるし、ペンネちゃんを派遣してもらった恩もある。ここで何もせず放っておくのは僕の仁義に反する」


 それに、職を失った娼婦たちがどうしても食い詰めるようなら、僕の商会で働いてもらってもいいからね。人材をゲットするチャンスである。しめしめ。


 とにかくガーネットとブリッタを連れて行って、まずは怪我の治療をしないとね。


「すまんな。では、娼館パピリオについてはクロウの作る商会に全権を譲り渡す。事務局で対応にあたっている奴らから引き継いでくれ。ったく、近頃は神殿も帝国もあちこちきな臭えってのに――」


 そうして話しながら、セルゲさんは僕が渡したエナドリをぐびりと飲むと……その様子を一変させる。


「クロウ……この錬金水薬はいくつ納入できる」

「とりあえず手持ちに百個はあるけど」

「全て買おう。金貨十枚でいいか」


 いや、それはボッタクリ過ぎるから。

 そうは思ったものの、結局は押し切られて金貨を受け取ってしまった。これは多くもらった分、娼館の対応に気合を入れて取り組まないといけないな。


  ◆   ◆   ◆


 というわけで、怪我人もいるからさっそく娼館パピリオに行こうとしていたところ、レシーナに刃を突きつけられてしまったのである。解せぬ。


「――僕は別に大人の階段を上ろうとか考えて、娼館に行こうとしていたわけじゃないんだよ。ガーネットとブリッタも連れて行くし。理解してくれたかな」

「理解はしたわ。つまりセルゲが元凶なのね」

「よし、そこまで理解できたなら、もう一歩だ。頑張ろう。そもそもの元凶は娼館で暴れた馬鹿なんだから、刺すならそっちにしなよ」


 セルゲさんはお疲れだから優しくしてあげようね。

 なお、現在の僕らは恋人繋ぎみたいに手を絡めている。いつだったか同じことをした気がするけど、こうしないと彼女の読心魔法の効果が発揮されなくて、説得が難しくなるんだよね。


「あーし、まだクロウのこと舐めてた。イチャイチャしながら女を言いくるめて、朝っぱらから娼館に行くとか……すげえワルじゃんか」

「ペンネちゃん、ほじくり返さないで」

「あらあら。クロウもすっかり悪い男になってしまったのね。流石ヤクザ組織の幹部だわ」

「レシーナもさぁ……納得したならもう良いよね」


 まったくもう、二人とも戯れが過ぎるよ。


「それでは、クロウの商会設立に向けた雑事は私がやっておきましょう。資産の方も、私の方で管理をしておくわね。ペンネにも手伝ってもらうから……事務局からもらった書類は出しておいてくれるかしら」

「ありがとう。いいの?」

「当然。夫を支えるのは妻の役割だもの」


 なるほど、これも外堀を埋める策略かぁ。まぁでも、資産の管理とか僕はよくわからないし、他に適任者もいないことだし、今だけはお願いするしかないかな。よろしくね。

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