30 考えることは色々あるけど
孤児院の体制を大きく見直した「訓練院」には、子どもたちの楽しそうな笑い声が響いていた。
かつての児童労働なんて見る影もない。僕はホッと胸をなでおろしながら、目の前の院長――ヒャダル君に視線を戻す。
「どうやら上手くやってるみたいだね」
「まだまだ問題は山積みですが」
「でも、もうヒャダル君は一人じゃないから」
訓練院の事務室には、元孤児から雇い入れた職員が忙しそうに書類仕事をしている。
僕が何を言わなくても、彼らは自分たちで話し合って問題と向き合うことができるようになっていた。ヒャダル君だって、もともと優秀な男だし、そこまで心配はいらないだろう。
「それで、お願いしてた資料はできてるかな」
「それはできていますが……筆頭。本気ですか」
「もちろん。ここで得た知見を活用して、今後サイネリア組傘下で運営している孤児院を訓練院に置き換えていきたいんだよね。もちろん、各地で得られた情報もこの訓練院にフィードバックする。ヒャダル君のせっかくの努力の結晶を、活かさない手はないよ」
今、孤児たちの顔は明るい。
かつては長時間の労働を強いられて、卒業しても望まない仕事に就かされるだけだった彼ら彼女らだったけど、今では将来についてある程度の選択権が与えられていた。
十歳までの孤児たちは、これまでと違って一切の労働を許可されない。その代わり、基礎的な学習をしっかり叩き込まれることになる。読み書き計算。社会の仕組みや常識。忠誠心や仁義。料理、裁縫、育児。義理人情。掃除や片付け。
「ところどころヤクザっぽいのは気のせいかな」
「気のせいです」
「気のせいかぁ」
空いた時間にはめいっぱい遊び、自分の好きなことを見つける。身体を動かすのが好きな子、黙々と何かを作るのが好きな子、おしゃべりをするのが好きな子……それぞれみんな違うからね。
最近の流行りは「抗争ごっこ」である。ルールは簡単。二つの組に分かれた子どもたちがそれぞれ組長を擁立し、自組織の組長を守りつつ、敵組織の組長にタッチしたら勝利だ。なんとも物騒な遊びである。楽しそうだけど、怪我はしないように気をつけてね。
そして十一歳から十五歳までの五年間は、本格的に自分の将来を決める時期だ。
それぞれヒャダル君と面談し、自分の資質や希望を踏まえて進路相談をする。その結果、ヒャダル君は西へ東へと駆け回り、どうか子どもたちに機会をやってくれないかと交渉するのである。とはいえ、ダシルヴァ市には新規産業が急激に増えたから、どこもかしこも人手不足なんだけどね。うん、主に僕のせいなんだけど。
雇用先から提示された条件に従って、訓練院で必要な技術を訓練する者もいるし、安い賃金で仮雇用という立場で仕事場に通う者もいる。それと、下働きや弟子として早々に卒業していく者もいるみたいだ。このあたりは状況にあわせて人それぞれという感じだろうか。
養育費を借金として背負う仕組みはこれまでと変わらない。それに、この訓練院制度をサイネリア組で広く採用しようとすれば、組に対して「売り」として打ち出せるメリットを、もう一捻り考え出す必要がありそうだ。何かと大変そうだし、まだまだ完璧な制度には程遠いけど。
それでも、今のところ街の人のヒャダル君に対する評価は悪くない。大きな方向性としては、今後もこんな感じでやっていければと思う。
「ところで、筆頭。一つ聞いていいですか」
「うん。どうした?」
「なぜ孤児院という名称を、わざわざ訓練院に変えたのか。そのあたり、そういえばお聞きしてなかったと思いまして……まぁ、活動内容が大きく変わったので当たり前なのかもしれませんが」
あー、うん。そうだなぁ。
これは僕も、論理的にハッキリと説明できるわけじゃない。あくまで感覚の話になっちゃうんだけど。
「孤児院って名前にはさ。どこか“可哀想”っていう響きがあると思うんだよね。あくまで言葉のイメージとして」
「はぁ……よく分かりませんが」
「まぁ、僕の個人的な見解だけど。子どもたちが“自分は可哀想な人間なんだ”って思いながら育つのは、やっぱり辛いものがあると思うんだよ」
あまり共感はされないとは思うけど。これは本当に、僕個人の勝手な拘りみたいなもので……自分で自分を憐れむのは、やっぱり辛いと思うから。
「子どもたちにはさぁ……自分は今、自分の望む未来を掴み取るために訓練してるんだぞって。そうやって前向きに考えながら過ごしてほしいと、僕は思ってる。だから訓練院って名前にしたんだ」
「……なるほど」
「いや、本当に感覚的な話だから。そんな神妙な面持ちで聞くようなもんじゃないって」
そうして、ヒャダル君に別れを告げると、僕は訓練院を後にする。
「――クロウ!」
去り際に呼び止められて、振り返る。
そこにいたのは、孤児のゴルジだった。
彼とは孤児院に潜入した時に仲良くなったけど、僕が本性を現してからはちょっと微妙な関係になっちゃってたからね。最近は少しずつ、言葉を交わせるようにはなってきてたけど。一体どうしたんだろう。
「俺、訓練院を出たらコットン一家に入るから!」
「えー、ヤクザだよ?」
「そうだ。クロウと同じヤクザだ。俺だって……俺だってさ。孤児になっちまったガキどもの、手を引いて導いてやれる男になりたいんだ。クロウを見てて、そう思ったんだよ。だから――」
そっか。ゴルジが道を決めたなら、僕が言うことは何もないだろう。彼はみんなからの信頼も厚いし、きっと上手くやれると思う。
「――だから将来、クロウが組長になったら、俺のことを子分にしてくれよ!」
「えー……」
「ヒャダルさんに鍛えてもらって、強くなるから」
なんて真っ直ぐな目で僕を見るんだろう。めっちゃ純粋。でも僕は、状況が落ち着いたらさっさと足抜けして、辺境スローライフをしたいんだけど。うーん。
「とりあえず保留で。僕が組長になったら具体的に考えようか……今は時期尚早にもほどがあるし」
「へい、分かりやした親分!」
「何も分かってなさそうなんだよなぁ」
ゴルジに手を上げてから、僕は踵を返す。
背後からは、子どもたちが楽しそうにはしゃぎ回る声がずっと聞こえていた。うんうん。ひとまず、みんな元気そうで良かったよ。
◆ ◆ ◆
事務所に戻ってくると、出発の準備はほとんど整っているようだった。というか、僕を待ってたんだろう。悪いね。
コットン一家はアイシャ・コットンを頭領にして、その夫であるアルジラ・コットンをはじめとする幹部たちが彼女を支えていくことで落ち着いた。いやぁ、後任が見つからなくてどうしようかと思ってたけど、これで一安心だ。
「それじゃあ、アイシャ。あとのことはよろしく」
「へい。筆頭の覇道を支えられるよう、コットン一家の皆で精一杯励みます。これからのご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます」
「うん、みんなも元気でね」
それにしても、僕の覇道って何なんだろうなぁ。
一家の者に軽く挨拶をしながら、馬車に乗り込む。
亜空間にいるジュディスやミミたちを除けば、馬車にいるのはレシーナ、ペンネちゃん、ガーネット、キコ。そして新しく一緒に来ることになった治癒魔法使いのブリッタ。旅のメンバーと呼べるのはこんなところだろう。
「みんな、お待たせ。行こうか」
これからのシルヴァ辺境領では、様々な特産品がものすごいペースで生み出され、フルーメン市のサイネリア組本部まで輸送されてくる。それを買い取るのは僕の仕事になるんだけど……今のところどう売りさばくのかは未定だ。大まかな方向性は考えてるんだけど、早いとこ計画を立てなきゃなぁ。
そうしていると、隣のレシーナが話しかけてくる。
「クロウ。本部から連絡があったのだけれど、フルーメン市に帰ったらそう遠くないうちに幹部会が開かれるそうよ」
「幹部会? それって」
「帝都からお父様――若頭が帰ってくるわ。神殿の人体実験の件を受けて、帝都での覇権争いは一時中断。休戦の取り決めを交わしたそうよ。それで、各組織がそれぞれの本拠地で精霊神殿の動きを調査することになったの」
なるほど。たしかに覇権争いなんてやってる場合じゃないもんね。各地域の辺境で似たような実験が行われている可能性は十分にあると思うし、サポジラ一家のように地方のヤクザ一家が神殿に協力しているケースも少なからず存在するだろう。
長かった辺境への滞在を終え、僕は一路フルーメン市に戻っていく。
思い返せば、神殿絡みでのドタバタもあったりしたけど、結果的には得るものも多くて有意義な滞在だったと思う。考えることは色々あるけど、それは将来の自分に任せるとして。
浄化ランタンを吊り下げた馬車は、平らな道をのんびりと進んで、ダシルヴァ市をどんどん離れていく。僕はその揺れに身を任せつつ、知らず知らずのうちに張り詰めていた気持ちを、ようやく緩めることができたのだった。
〈第二部・完〉
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