29 たまにはこんな日も悪くないかもね
僕は今、暗く静かな空間に捕らえられ、手足を拘束されて転がされている。
下手人の名は、キコ。
彼女はその黒曜石のような瞳で、僕をじっくりと観察しているようだった。何やら楽しそうな感じだけど。うーん。どうしてこうなったんだろう。
「僕のことを一日好きにしていいとは言ったけど……この過ごし方で本当にいいの?」
「うん、最高。今日はずっと影で過ごす」
「そうかぁ」
もちろん亜空間魔法を使えば、拘束なんてあってないようなものだけど。それをするのはキコの希望に沿わないだろうからなぁ。仕方ないね。
こんなことになった経緯は……なんでもガーネットだけ採取デートをするのはズルいという話が持ち上がり、昨晩女子だけで色々と議論をしていたのだという。
しかし、僕はなかなか忙しい身の上だ。
例えば先日も、領主に頼まれてダシルヴァ市から領外に繋がる道を整備したんだよ。ほら、もとは馬車がギリギリすれ違えるくらいの道幅しかなくて、舗装もされていないガタガタの道だったんだけどね。すごく蛇行してたし。
それが今では片側三車線くらいの広さで、メイプール市の方向にまっすぐ伸びる見晴らしの良いコンクリート道になっている。路面には微妙に傾斜をつけて、側溝からは雨水を排水できるから、この地方の雨量なら余裕をもって耐えられる計算だ。
そんなこんなで忙しくしているうちに、滞在中に時間がとれるのはあと一日くらいになった。それで、その枠を誰がゲットするかという話になって、ガーネット以外の女の子たちの間でわりと熾烈な争いが繰り広げられたらしいんだよね。具体的には、そう――じゃんけんである。
魔力が強いと肉体性能が上がり、つまり動体視力も良くなる。なので、みんなと比べて一段魔力の弱いペンネちゃんは早々に脱落した。そしてジュディスは普通に負けたので、じゃんけんはレシーナとキコの一騎打ちになったのだ。
レシーナの読心魔法は人の感情を色として読み取ることができる一方、細かい思考まで特定できるわけではない。逆にキコの影魔法は、手元を影で覆うことで手の内を隠すことができる。バレなければ後出しも可。うん。僕の知っているじゃんけんじゃないぞ。
結果はこの通り。
見事に勝利したキコの手によって、僕は影魔法の中に連れ込まれ、何やら厳重に手足を拘束されてしまったのである。別にいいけどね。
「それで、僕を縛ってどうするの?」
「眺める」
「それで一日を費やすのかぁ」
その後、キコは宣言通り、ただひたすらジーッと僕を眺めて長い時間を過ごしていた。
時おり思いついたように僕の頭を撫でてきたり、たまに添い寝をしてみたり、なんか変なことは色々してたけど。それ以外の大半の時間は、本当にただ僕を眺めているだけだった。
「クロウ。飴ちょーだい」
「はい。あーん」
「あー……ん。最高」
手足を拘束されたまま魔手で飴をあげれば、キコは満足そうにうんうんと頷いた。これで良いのかな。良いんだろうなぁ。なんかすごくご機嫌だし。
「そういえば、キコの身体も肉付きが良くなったね。まだ痩せてるけど、ずいぶん健康そうに見える」
「ん。ほとんど骨と皮しかなかった昔とは全然違う。生まれて初めて満腹までご飯を食べた。幸せ。お肉もついて、体に力が入るようになった。影魔法も便利になった。全部、クロウのおかげ」
「全部っていうのは大げさだけどね」
瞑想スキルがどんどん上達してるのも、影魔法の便利な使い方を色々と編み出してるのも、キコ自身の努力の賜物だ。僕はその手助けをしたくらいで。
「そうだ。キコの大鎌も魔武具にしようと思ってるんだよね。今はまだ構想を練ってるところだけど」
「どんなの?」
「ガーネットが感覚喪失魔法の魔宝珠を提供してくれたからね。これを使えばさぁ――」
そうしてキコと物騒な悪巧みをしながら、色々と意見を聞いていく。なるほど、それはなかなか凶悪だね。うんうん。
彼女はもう、普通に暮らすだけなら魔素飴がなくても大丈夫だと思う。とはいえ、今は色々なことに影魔法を活用し始めたから、まだまだ必要になると思うけど。
「私には人間らしい感情なんてもう残っていない。そんな風に思って生きてきたけど」
「うん」
「こうやって私の中にクロウを招き入れて、クロウの顔を見て、話してると……楽しい。すごく」
まぁ、うん。君が納得してるなら別にいいけど。
「あ、そうだ。キコに一つ相談があったんだよ。ほら、瞑想スキルが上達して、前ほどの頻度で魔素飴を舐めなくても、魔素の補給には余裕が出てきたと思うんだけど」
「……やだ。ずっと飴ほしい」
「うん、分かってる。キコは飴を舐めるのが好きだろうと思ったから、こんなものを用意してみたんだ。とりあえず、ちょっと試してみてもらえるかな」
僕はそう言って、魔手を操って飴玉を一つ取り出す。
吸肉葡萄の果汁がたっぷり入った、普通の飴玉。魔素を濃縮する工程を入れていないから、本当にただの嗜好品としての飴である。
「はい。あーん」
「……ん」
「どうだろう。魔素を補給されている感覚はないと思うけど、味はけっこう試行錯誤したんだよ。キコが頻繁に食べるものになるなら、できるだけ美味しいほうがいいと思って」
原料に使ってるメープルシュガーは、これまでとは少し違うもの。穢れの森に生えていた楓に似た魔樹、手裏剣楓の樹液である。
普通の楓との違いは、人が近づくと葉っぱを手裏剣のように飛ばしてくるところ。あと樹液も毒抜きが必要だし、風味がまた少し違うんだけど、そういった手間を考えても瘴気で育てられるメリットは大きいと思うんだよね。
そうだなぁ。果汁飴を作っていくなら、これからは他のフルーツも色々と育てたいな。魔素飴は何よりも魔素補給を重視って感じだけど、果汁飴の方はしっかり味を楽しむものだから、色々と種類が色々あったほうがいいと思うんだよね。
そんなことを考えながら、飴を舐めているキコの反応を伺う。彼女の表情は少ししか動かないから、まだ完全には読みきれないんだけど。
「……私、クロウの妻になろうと思う」
「飴で?」
「飴で。うん……薄々そうかなとはずっと思ってたけど、ようやく確信が持てた。私はクロウに飴を舐めさせてもらうために生まれてきた女」
え、そんな限定的な人生の目的ある?
いやうん。たぶん比喩表現みたいなもんだろう。それくらい果汁飴の味を気に入ってくれたってことなんだろうから、生産者としては嬉しい限りだ。これからもいっぱい作っておくからね。
「飴以外の美味しいものも色々食べようね、キコ」
「ん。クロウに全部あーんしてもらう」
「うーん……まぁ、それは別にいいけど」
とにかくそんな風にして、僕はキコの影の中で手足を縛られ、芋虫のように転がりながら、のんびりとした一日を過ごしていったのだった。まぁ、たまにはこんな日も悪くないかもね。
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