23 ここはわたくしに任せなさい

 スタンピードが始まって一週間。

 あれほど濃密だった瘴気はすっかり平常時に近づき、魔物たちの強化も当初ほどの厄介さはなくなりつつあった。


 魔物の数はまだまだ多いが、兵たちの慣れもあってか負傷する者はずいぶん減ってきており、また魔物の襲撃のまばらになった東門、西門、南門からも増援の兵が駆けつけてきて……事態が収束に向かっているのは誰の目にも明らかだった。


「ジュディス姫様が……俺を助けてくれたんだ」


 北門で戦っていた肉屋の主人は、酒場で酔っ払いながら皆に語る。


豚鬼オークの異常個体。見ただけで震えが来るほど、恐ろしい魔物が現れて……いつも肉を解体している俺が、ついに解体されちまう時がきたのかと、そう死を覚悟したんだ。その時だった。突然――奴は凍りついた」


 その言葉を、皆はしんみりとした気持ちで聞く。

 ジュディス姫様の葬儀のことは、みんな心の隅に棘のように刺さったままだ。愛していた姫様が、あんな無惨な姿に……どう見ても小鬼ゴブリンの死体にしか見えないような姿にさせられてしまった。普段は酒の場で姫様を笑っていた者も、あの葬儀では皆が泣き崩れたものだ。


「姫様の氷結魔法にはよく困らされたもんだが」

「そうさね。ウチの果物を氷菓子にするんだって言って、商品を全部凍らせて粉砕しよったからね」

「浄化結界の噴水をスケートリンクにすると息巻いてたから、みんなで止めたっけな」

「息子の熱を下げてやると額に手を置かれた時は、ぶっ殺してやろうかと思ったわよ」


 そうして、みんなが思い出話に花を咲かせる。

 基本的に魔法というのは秘匿されるものだが、ジュディスが氷結魔法を使えることは公然の秘密のような扱いであった。というのも、多くの人が様々な騒動に巻き込まれていたため、わざわざ吹聴しなくても誰もが知っていたからだ。


「凍りついた豚鬼をどうにか地面に叩き落として、ホッとひと息ついた時によぉ。姫様の声が聞こえたんだ――ここはわたくしに任せなさい。大丈夫ですわ」

「ははは、姫様が言いそうなこった」

「へ、大丈夫だったことなんか一度もねえのによ」


 みんな泣き笑いのような顔をしながら酒を煽る。


「他の奴らにも聞いたんだが……どの足場でもそうだった。危険な魔物が登って来ると、決まって敵が凍る。しかもその場に、氷結魔法を使えるような奴なんて誰もいないんだぜ」


 ちなみに、ジュディスの声が聞こえたというのは完全に気のせいであった。

 キコの影の中から魔術を放っていたジュディスは、次から次へと現れる異常個体を処理しながら、終わりのないモグラ叩きをしているような気持ちでこの一週間を無心に過ごしていた。誰かに声をかける余裕など全然、一瞬たりともなかったのである。


「……ジュディス様しかいないわね」

「死んでからもめちゃくちゃな姫様だ」

「くくく……案外、自分が死んでることに気がついてねえのかもな。いつもみたいに無茶して、わたくしが領民を守るのよって……ぅぅぅ」


 酒場の者たちは流れる涙を隠そうともせず、それでも明るく笑いながら……大好きだった姫様が安心してあの世に旅立てるようにと、何度も乾杯を繰り返した。


 どこかの次期若頭候補筆頭がその場にいたら、きっと罪悪感で悶絶していただろう。


  ◆   ◆   ◆


 仮設治療所もすっかり落ち着いていた。

 見習いの医療神官である少女ブリッタは、ようやく笑顔を見せるようになったガーネットに勢いよく頭を下げる。首の後ろで三つ編みにまとめた藍色の髪が、ふわりと跳ねた。


「ガーネットさん。この度は本当にありがとうございました。そして、すみませんでした。レシーナさんとガーネットさんが行った治療所の立て直しは、本来なら神官である私がやらなきゃいけなかったのに」


 レシーナとガーネットの運営は、当初は決して完璧とは言えないものだった。しかし、皆で相談しながら一つずつ運営方法を改善していき、今ではずいぶん上手く治療が回るようになっていた。

 運ばれてきた患者を怪我の程度によって振り分ける者、それぞれの技量に合わせて患者を治療する者、治療の終わった者を看護する者……状況に合わせ、技量を踏まえ、役割分担をその都度変えながら全体の流れを繰り返し調整していったのである。


 ブリッタは治癒魔法の才能を神殿に買われて医療神官見習いとなったが、現場での治療経験は今回が初めてだった。それでも、本来自分がやるべき役割をレシーナやガーネットに押し付けてしまったことに、割り切れない思いを抱いていたのだ。

 そんなブリッタを見て、ガーネットは首を横に振る。


「ブリッタさん。私の方こそ、すみませんでした。私だって貴女と同じなのに……足りない知識や技術があって。それでも今、自分が持てるものを総動員して、目の前の人を救いたいって。そうやって足掻いてるのは同じだったのに……ずいぶん偉そうなことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」

「い、いえ、そんな。私は本当に……」


 そう言って頭を下げるガーネットに、ブリッタは恥じ入る。知識も経験も不足していたが、何より覚悟が足りていなかったのだということを、この一週間で彼女自身が強く自覚していたからだ。


「ガーネットさん。私……神殿やめようかと思って」

「そうなんですか。どうして?」

「なんか思ってたのと違くて。私は人を治したいと思って神官になったのに、お茶汲みばっかりさせられるんですよ。それで、上司にお尻を触られそうになったからお茶をぶっかけたら、急にスタンピード対応に派遣されることになっちゃって」


 不満そうにプリプリと頬を膨らませる彼女に、ガーネットは何だか可笑しくなって、つい吹き出してしまう。こんな風に話す子だったのかと、一週間も隣にいたのに全く知らなかったのだ。


「あ、そうだ。ガーネットさんの助手として雇ってくれませんか? 私の魔法、役立ちますよ」

「それは……サイネリア組に入るってこと?」

「そうですよ。神殿ってすごいネチネチしてるんで、下手なトコに再就職しても嫌がらせを受けると思うんですよね。でもサイネリア組なら、神殿も簡単には手出しできませんから」


 ガーネットは驚きながら、少し考える。

 元神官を身内に取り込むのは危険だと思うが、彼女なら大丈夫かもしれない。治癒魔法が便利なのは間違いないし、間者だった場合はレシーナの読心魔法があれば見破れる。


「本気なら、レシーナさんにかけあいますが」

「じゃあお願いします。ぜひ」

「決断が早いですね。では後ほどレシーナさんの面談を受けてもらいますから、正式な判断はそこで。一応私からは推薦しておきますから」


 ガーネットがそう言えば、ブリッタは手を叩いて喜ぶ。錬金術だけでなく魔法も使った治療ができるようになることは、決して悪いことではないだろうと、ガーネットは考えた。


 そうしていると、再び患者が治療所に運ばれてきたため二人は仕事に戻る。


「痛え、痛えよぉぉぉ」

「また来た……軽症です。治療はあっち」

「でもよぉぉぉ」


 懲りずにガーネットの元に来ようとした患者が、軽症者向けの治療エリアに引きずられていく。その様子に、ガーネットとブリッタは顔を見合わせると、揃って小さく苦笑いをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る