19 なんだか変な感じだ
薄暗い影魔法の中。
魔素飴を口に含みながら、私はぼんやりと考える。
「ん。クロウにあーんして貰う時の方が、なぜか飴が美味しいんだけど……なんでだろう」
すると、すぐ横にいたジュディスがピッと手を挙げる。
「キコ姉様。それはおそらく恋ですわ」
「そうかな」
「わたくしもクロウ様に恋をする乙女なので、気持ちはよく分かりますの。好きな人にあーんしてもらったら、とても嬉しくて、いつもより美味しく感じてしまうと思います……といっても、わたくしはしてもらったことは一度もありませんが」
恋かぁ。
まぁ、そうなんだろうなぁ、とは思う。
私には人間らしい感情なんて残っていないと思っていたんだけど。
クロウに拾われて、いっぱい良くしてもらったから……うん。たぶん私は、クロウのことが好きなんだろうと思う。ただ、ハッキリそうだと言い切れるほどには、自分の感情に自信を持てないでいる。
この心の形にどんな名前を付けるべきなのか、決めかねている、というのが正直なところだ。
「むむむ……例えばですよ。他の婚約者のことなどは一旦全て忘れて。クロウ様のことを思う存分、キコ姉様の好きなようにできるとしたら……どのようなことをなさいますか?」
「ん……その条件だったら、クロウを影の中に閉じ込めて、逃げられないように手足を縛って、ずっと一緒にいる。魔素飴をあーんしてもらったり、してあげたりする。美味しいものを一緒に食べたりして。絶対楽しいと思う」
「キコ姉様……それは恋ですわ。わりと重めの」
そうかな。もしかすると、これが恋なのかな、とは少しだけ思ってるけど。
でも、前提条件がまず成り立たない。クロウを縛っても一瞬で抜け出せるだろうし、そもそも独占できる機会なんてない。きっとレシーナが許さないし、ペンネに会えないとクロウの方が悲しみそうだし、ガーネットは引きこもりそうだし、あとジュディスは暴走しそう。
「キコ姉様。その黒い外套は、クロウ様から頂いた物ですよね……気に入っていらっしゃいますか?」
「うん。すごく手触りがいい。お気に入り」
「それはシルクという布で、貴族の下着や寝具に使われるものですよ。しかもクロウ様お手製の魔道具になっていて、キコ姉様の影魔法の負荷を減らせるよう光を遮断してくれる……かなり手の込んだ特別な贈り物ですわ」
そんな風に聞くと、胸の奥が少し温かくなる。
まぁ、レシーナの薙刀とか、ペンネの戦斧とか、ガーネットの錬金工房なんかも同じくらい手が込んでると思うけど。それはそれとして……この外套を撫でていると、なんだか心がざわりと揺れる。いいのかな、こんなに良くしてもらって。
クロウと出会ってから、私はどこか変だ。
「その外套、わたくしも着てみてよろしいですか?」
「ダメ」
「ほら、やっぱり。どこからどう見ても、キコ姉様はクロウ様のことが大好きですわ」
「うん。たぶんそうかなとは思う」
「絶対そうですわ」
そんな風にして、私は自分自身でもよく分からない心の形を探りながら、影の外で戦う人たちを観察し続けている。
都市外壁の上部では、遠距離攻撃の出来る魔術師や魔法使い、弓使いなどが並び、三人ほどで交代して魔力が続くように工夫しながら、ひたすら魔物を吹き飛ばしている。
それと壁の内側からは、土、石、植物などを操作できる魔法使いたちが、魔物によって壊されそうな壁を修理して回っている。他にも、水や泥を操作できる魔法使いは堀に張られた水を動かして魔物の進行を邪魔していたりする。戦い方にそれぞれの工夫が見られて、なかなか興味深い。
「油操作魔法と火矢の組み合わせは強いですわね」
「ん。自分の魔法特性を活かした戦い方を考えてる人は強い。ジュディスの魔法は、魔術との親和性が高いから。そういう人たちのやり方を良く見ているといい」
クロウに出会う前は、私の影魔法は本当に不便だったから……せいぜい自分の体の表面に影を張って、夜闇に紛れて身を隠したり、暗殺をすることにしか使えなかった。それも魔力消費が激しいから短時間しか使えなかったけど。
視線を戦場に向ける。
都市外壁の中ほどには、半円状の足場が等間隔に並んでいる。そこには近接戦闘が得意な者が待機していて、遠距離攻撃を掻い潜ってきた魔物が外壁上部に行かないよう、それぞれの武器を持って魔物を叩き落としていた。怪我人が出ているのも主にこの場所だ。
「
「ん。六番か七番の足場に登って来そう」
あれは
魔物の中には時おり異常な強さを持った個体が混じっていて、そういうのをまともに相手するのは危険だ。だから、そういう個体が義勇兵団の命を脅かすことがないよう、こっそり支援するのが今日の私の仕事である。
――私の故郷は、異常個体に滅ぼされた。
とはいっても、別に悲しい話ではない。故郷の人々は誰も私を愛さなかったし、だから私も故郷を愛することはなかった。ただそれだけの、つまらない話だ。
両親は平凡な農民だった。たぶん、心優しい善人だったんだと思う。だけれど私に対してだけはずっと辛辣で、弟や妹に向けるような温かな感情を向けられたことなど一度もなかった。
食事はちゃんと与えられていたけれど、私はどれだけ食べても空腹のままだった。ガリガリに痩せこけていたから、よその人からは「ろくに食べさせてもらえていない」と思われていたみたいだ。どうしてもお腹が空いて仕方ないので、私は蔵にあった大鎌を持ち出して、近くの瘴気溜まりの森に行って自力で食料を確保するようになった。
ある日、貴族が私たちの村落に来ると聞いて、母親が動揺しているのを見た。
影を纏って物陰に身を隠し、両親の話を聞いてみると……どうやら母親は昔、旅行中の貴族の世話をさせられ、その結果として私を身籠ったのだという。なるほど、だから私だけ黒髪で、私だけ魔力が多くて、私だけ疎まれて、村中から腫れ物扱いされていたのか、と。その時初めて腑に落ちた。
私は神殿で習ったばかりの文字を使って両親に手紙を残し、大鎌をもって家を出た。手紙の細かい内容は忘れてしまったけれど……私が生まれてしまったことへの謝罪と、育ててくれたことへの感謝と、これ以上迷惑をかけないうちに出ていくという意思表明を、私なりに一生懸命書いたのを覚えている。
食べていくのには苦労した。身体を売ろうにも、私の魔力は強すぎて男に恐怖心しか与えないらしいし、そもそもこんな骨と皮だけの身体など誰も買いたがらない。仕方がないので、影魔法を用いた情報収集や暗殺を生業にして金を稼いだ。大半は食費に消えたけど。
そんな生活をしていても、故郷は……あの平和な風景は、私の知らないところでいつまでも変わらずにそこにあると。無根拠にそう信じていたのに。
――数年後、あの村は異常個体によって滅ぼされたのだと知った。
もしも故郷から愛されていれば。故郷を愛していれば。もしかすると私は、あの村に残って、異常個体の首を刎ねて、何かを守れていたのかもしれない。誰かと分かり合えたのかもしれない。今となっては、もうどうしようもない……ただそれだけの、本当につまらない話だけど。
「――ジュディス、魔術準備」
「はい」
私のつまらない話よりも。ジュディスは今まさに、故郷を守ろうとしているところなのだ。ならば私は、それを手助けしよう。それでいい。それで十分だ。
外壁に沿わせて影を動かし、足場から足場へと移動していく。黒い影が壁をスルスルと移動していたら目立ちそうなものだけど、みんな魔物に集中してるからか一向に気づく様子はない。
「撃て」
「――
ジュディスの杖から出た魔弾には、彼女の氷結魔法が付与されており、着弾と同時に異常個体の身体を凍らせる。こんな便利な合成魔術を使えるのなら、彼女が魔術師を目指すのも分かる。まぁ、今は一発撃つのにかなり集中力がいるみたいだけど。
着弾を確認できれば、あとは義勇兵団の者が魔物を足場から叩き落としてくれる。私は早々に待機位置に戻ると、再び戦場全体を見渡した。
「ジュディス、まだいける?」
「はい。瞑想と魔臓強化にも慣れてきました」
「ん。魔術師としては優秀」
ジュディスには近接戦闘の才能が全くなさそうだけど、魔術師として必要になるスキルはこの土壇場でグンと練度が上がり、ずいぶんと安定してきた。
まぁ、いざとなったら私が魔物の首を刎ねてもいいんだけど。でも彼女はきっと、自分の手で故郷を守りたいだろうから。
「また異常個体ですわ。こんなに高頻度に」
「瘴気が濃いのが原因。頑張って」
「が……頑張ります。瞑想! 魔臓強化!」
ひたむきに魔術を行使し続けるジュディスを見て、なんだか眩しいものを見た気持ちになる。
以前だったら……うん。クロウと出会う前の私だったら、こういう感じの子には近寄ろうとも思わなかっただろう。だけど、今は手助けしたいとすら思っているのだから、なんだか不思議な気分だ。
――クロウと出会ってから、私の心はやっぱりなんだか変な感じだ。
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