18 礼を言うのはまだ早いわ
「ガーネットさん、次お願いします!」
私は必死になって治療を行っていた。
次々と運ばれてくる怪我人。それを一人ずつ診察し、適切な処置を行う。その繰り返しが……これほど心を削るものだとは、思っていなかった。
「痛え、痛えよぉぉぉ」
「大げさ。
「でもよぉぉぉ」
もっと重い怪我をして死にそうな者がいるのに、軽症の者が怪我人ぶって時間を食いつぶす。
もちろん私の他にも錬金術師や治癒魔法使いはいるけれど、みんなどこか知識が足りなくて頼りないのだ。こんな風に苛立つのは健全ではないと思うものの……今は自分を諌めている余裕すらない。
うるさい軽症者を追い返したところで、隣のベッドが急に騒がしくなる。
「ああああああああああああ!」
「な、なんでなんで」
――これで何度目だろう。
ため息をグッと堪え、席を立つ。隣で治療している少女ブリッタは、私と同い年で医療神官の見習いをしており、治癒魔法を使用できる。長い藍色の髪を首の後ろで三つ編みにしていたが、いそがしくしている内にグシャグシャに崩れてしまったようだった。
彼女はもう……本当に、ありとあらゆる失敗をやらかしてしまうので、その都度私はフォローに回らざるをえない。だけど苛立っても仕方ない。気持ちを落ち着けなきゃ。
私が身につけている眼鏡型の魔道具は、込めた魔力の量に応じて患者の体内を透視できるものである。効率的に診察するため、自分なりに考えながら作成したものだ。
それを使って叫んでいる患者を見てみれば、腕の皮膚下にモゾモゾと魔虫が入り込んでいるのが分かった。それも何匹も。
クロウさんと比較すれば乏しすぎるほどの魔力を振り絞って、どうにか魔法を行使する。私もみんなみたいに、もっと魔力を鍛えておけばよかった。
「ブリッタ、ナイフを取って」
「あ、あの」
「それすら出来ないなら下がってて」
そうして、治癒魔法使いのブリッタを下がらせる。この場で彼女に憤りをぶつけるべきではないと頭では分かっているのに、今はどうしても心に余裕がない。
私の麻酔魔法は、行使している間ずっと魔力を消費する。長々と時間をかけてはいられない。私はナイフを手に取ってと、患者の腕を切り開き、ピンセットで魔虫を取り出す。そうして全ての魔虫を取り出して、消毒して、
「す、すみませんでした。ガーネットさん」
「傷を塞ぐ前に、異物がないか確認して」
「はい」
しゅんとするブリッタの姿に、胸がちくりと痛む。
本来の私は、決して気の強い人間ではない。むしろ気質としては、目の前でオドオドしている少女とそう変わらないと思う。それでも……次々と運ばれてくる患者を助けるためには、今は甘いことを言ってはいられない。
クロウさんからは「ここが君の戦場だ」と言われたけれど、まさか本当にここまで戦場のようだとは想像できていなかった。
――クロウさん、大丈夫ですか。
分不相応にも彼の心配をしながら、私は次の患者の治療に移る。
クロウさんのことを初めて知ったのは、私が実家にいた頃のことだった。普通だったら絶対に治せないような複雑に組み合わされた複合魔法毒を、二人立て続けに治療してみせた少年がいるという、とんでもない話を聞いたのだ。
どんなすごい人なんだろうとドキドキしながら、父親に連れられて挨拶をした。第一印象は、すごく優しそうな人。次期若頭候補だと言われても信じられないくらい穏やかで、あぁ、この人とだったら錬金術について有意義な議論ができそうだなと考えていた。
しかしその後は怒涛の展開だった。兄が起こした決闘騒ぎから、なぜか彼の婚約者になって巡業に同行することになり、これまで学んできた知識がいかに浅いものだったのかを思い知らされて。それから辺境に来て、これまで悩んできたことを打ち明けたりもして。そしてあの夜、気がついたのだ。
――あぁ、私は恋をしていたのか。
結局は、時間の問題だったのだと思う。この胸にあるモノの正体を理解する瞬間は、きっと遠からず訪れていた。それがたまたま、あの夜だっただけだ。
自覚してしまえば、もう止められない。オドオドしていた自分は捨てて、私なりのやり方で彼の側にいようと誓った。存在価値を示し、クロウさんの隣にいてもいいのだと、胸を張りたかった。
だから強がって、今まで以上に勉強もして、こうしてここにいるけれど。
「痛えよぉぉぉ」
「貴方さっきも来たでしょ。帰って」
「そう言わずに、もうちょっとよぉ」
とっくに怪我の治ったはずの患者が、口元をニヤニヤと歪めながら、私の身体に手を伸ばしてきて――
次の瞬間、あたりを濃密な魔力が包みこんだ。
暴力的な魔力。冷たい刃を突きつけられるような、息の仕方も忘れてしまいそうな、そんな荒々しい魔力が。仮設治療所の空気を一瞬にして飲み込み、あらゆる音を奪った。
今、私の目の前にいたのは。
「レシーナさん。どうして」
「ふふ。可愛い妹分を手助けするのは姉として当然だもの。それと……ようやく自分の気持ちに気づいたようね、ガーネット。とても良い覚悟の色をしているわ」
まるで月の女神のような銀色の髪をキラキラと輝かせ、鮮血のような赤い瞳でギラリと周囲を睨む女の子、レシーナさん。
さらには、彼女だけではない。
先ほどの男の胸ぐらを掴み上げ、睨みつけているのは……桃色ツインテールを勇ましく揺らす少女。ペンネさんだ。
「お前さぁ。ガーネットがクロウの嫁だって、分かって手ぇ出そうとしてんのか? ああん?」
「そ、そん……え……」
「本当は頭蓋骨かち割ってやりてえけどさぁ。今は前線に人手が足りねえんだろ。ガーネットに触れたきゃ、それ相応の怪我するくらい大活躍してから出直してこいや、オラ!」
ケツを思いきり蹴られた男は、皆からの冷たい視線を浴びながらその場を立ち去っていく。なるほど、あの類の男はああすれば良いのか。私は一つ学んだ。
「レシーナさん、ペンネさん、ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早いわ。大変なのはこれからだもの。一緒にこの治療所を立て直さないとね」
レシーナさんの言葉に、私は驚きのあまり固まってしまう。えっと……それは手伝ってくれるってことだろうか。
「まったく。精霊神殿の医療神官は本来、こういう場でスムーズに治療が進むよう全体を管理するノウハウを持っているはずなのよ。それなのに、単純な治療しかできない見習いしか送ってこないみたいだし……これは先日の件の当てつけね」
「そ、そうなんですね。私、治療技術ばっかり勉強してて、そういうのはあまり学んでこなかったので」
あぁ、もっと色々なことを勉強しておくんだった。そう後悔している私の頭に、レシーナさんの手が優しく乗る。大丈夫、私を頼りなさい。言葉にしなくたって、彼女の意志は私にしっかり伝わってくる。
「さてと……この仮設治療所の運営は、サイネリア組組長ゴライオス・ドン・サイネリアが孫娘、レシーナ・サイネリアが預かったわ。役割分担、人員配置を考え直す。治療中の者はそのまま続けなさい」
そう言って、レシーナさんは荒ぶっていた魔力をゆっくりと鎮めると、口元をニヤリと歪めて書類を手に取った。
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