第四章 魔物たちの楽園
16 たぶん上手くいくと思う
スタンピードというのは、瘴気の濃い地域では定期的に発生する自然災害である。
そもそもシルヴァ辺境領のあたりは周辺地域よりも土地が低く、魔境と隣接していてるため瘴気が集まりやすい環境である。魔物が生命活動のために消費する瘴気よりも、溜まっていく瘴気の方が多いため、時おりこうして瘴気が溢れてしまうのだ。
瘴気濃度が一定水準を超えると、普段であればオスメス揃って繁殖している魔物に女王個体が生まれて単為生殖を行えるようになる。つまり、女王が瘴気を糧に、ポコポコと魔物を生み続けるようになるのだ。
移動中、亜空間の中で騎士人形を動かしながらジュディスに説明すると、彼女はこてんと首を傾げる。
「クロウ様。では、その女王個体とやらをさっさと処分すればよろしいのではありませんか?」
「それがそうもいかないんだよ、ジュディス。そもそも女王というのは、有害なだけの存在ではないしね。見方を変えると、むしろ人間にとっては有益なんだ」
うーん……本当にジュディスは、辺境について教わらずに育ってきたみたいだなぁ。
女王個体は子を生む際に大量の瘴気を吸って消費してくれるありがたい存在である。つまり瘴気を減らしたい人間側としては、そう簡単に女王に死んでもらっては困るわけだ。
スタンピード対応の基本的な段取りはこうだ。
まずは大量の魔物が都市に襲来するのをみんなで阻止する。そして、各魔物の女王個体がポコポコ子を生んで瘴気濃度を下げてくれるのを待つ。最後に、もう十分に瘴気が薄れたというタイミングで女王を討伐するのである。
あまりにも女王討伐が早すぎれば瘴気が濃いままになり、次のスタンピードまでの周期が短くなるというわけだ。
「まぁそもそも、初期の瘴気濃度の高い段階で女王を討伐しても、すぐにまた別の女王が生まれるから、あんまり意味がないしね」
「そうなのですね……」
「普通だったら、最低でも一週間くらいは魔物の襲撃に耐える必要がある。しかも今回は、精霊神殿の実験のせいで急激に瘴気濃度が上がっているから、収束までに普段の何倍も時間がかかると思う」
瘴気が濃ければ、それを吸った魔物の強化率も上がるし、かなり厄介な状況なんだよ。
もしかすると、精霊神殿側は今回の実験にあわせてシルヴァ辺境領を潰すつもりだったのかもしれないな。魔物災害が原因でこの周囲に人がいなくなれば、地下研究所の運営も容易になるだろうし。
「あの……それは大変な事態ではないですか?」
「うん。大変だよ。だから今回は辺境伯と話し合って、僕なりに普通とは違う対処方法を試してみようと思ってるんだ」
「普通とは違う方法……ですか」
僕の見立てでは、たぶんこの作戦は上手くいくと思う。まぁダメだったらセオリー通りの防衛戦をするだけだし、とりあえず試すだけ試してみよう、という感じだ。
◆ ◆ ◆
義勇兵団のうち、北門で警戒をしていた班が魔物による最初の襲撃を食い止めたらしい。
「お疲れ様。よく役割を果たしてくれたね」
北門のすぐ近くに作られた仮設の治療所。魔物に対処した団員はみんな疲れていて、どこかしら怪我をしている様子だった。とりあえず死人や重症者はいないようだけど。
今は他の義勇兵たちが門の周辺で魔物の動きを注視している。襲撃の第一波はこの程度で済んだけど、本格化するのはこれからだろう。
「――ガーネット。出てきてくれ。予定通り、君にはここでみんなの治療をお願いするよ。スタンピードが本格的に始まれば、かなり忙しくなると思うけど……ここが君の戦場になる」
「はい、お任せください」
「そんなに気負わなくていいからね」
うん。ガーネットはしっかりしてきたとはいえ、十三歳の女の子だ。医療系錬金術師としての道を歩み始めたばかりだから、今は学ぶことのほうが多い状況だろう。
「こういった仮設治療所では、熟練の医療神官なんかが陣頭指揮を取ることになるらしい。経験豊富なプロだからね。そういった人たちから、この機会に色々と学ばせてもらうつもりで励んでほしいんだ。大変だと思うけど、身の安全には十分に気をつけてね」
「はい。クロウさんもご武運を」
彼女の移動式錬金工房には魔石タンクを内蔵して、少なくとも一ヶ月くらいなら僕が離れても大丈夫なように改造した。
この事態が解決するまでどのくらいかかるか分からないけど、辺境では魔石が比較的安価に手に入るからね、なんとか補充しながらうまくやっていけるんじゃないかと思う。
さて。ガーネットが治療準備をしているのを横目で見ながら、僕は地面にへたり込んでいる兵士へと近づいて、膝をついて声をかけた。
「お疲れ様。第一波の魔物はどうだった」
「へい。とにかく数が多かったのは
「なるほど。強さは?」
「予想より強化されてやした。ちょいと厄介ですぜ」
なるほど、あまり良い状況とは言えないかもな。
「ありがとう。参考になったよ」
彼に礼を言って立ち上がると、僕はその場を離れる。
ダシルヴァ市を守っている外壁は、数年に一度のスタンピードに向けて城塞のようにしっかりとしたものが築かれている。北門の跳ね橋は既に上げられていて、防御態勢はバッチリだ。
僕はそんな外壁の上に上がって、コットン一家の幹部ハスターのもとへと向かう。全体の指揮をとっているのは辺境伯家の騎士だけど、義勇兵団の中核部隊については熟練のハスターが指示をするようだ。
「お疲れ様、ハスター。魔物の様子は」
「筆頭、ご苦労さんです。魔物どもはまだ、一定の距離を保って時を待っておりやして……第一波はやはり、先走った小集団と見て間違いないかと。しかし、この瘴気の濃さ。魔物の強化率は予想を超えとりやした。あれっぽっちの第一波を遠距離攻撃だけで片付けられないとなると、本格的な襲撃が始まればどうなるか」
「激戦になるか……それなら、僕も早々に動き出した方が良さそうだね」
普段であれば、浄化結界さえあれば人間の居住区画に魔物は近づきたがらない。なにせ彼らの生命活動に必要な瘴気がない空間だからね。
しかしスタンピードでは、女王個体によって魔物がどんどん生み出されるので、どうやら過密による環境ストレスの方が大きくなってしまうらしいのだ。その結果、耐えられなくなった魔物が新天地を求めて暴走を始めるのである。
「僕が軽くひと当てして魔物たちを刺激すれば、奴らは本格的に暴走を始めると思う。ハスターには予定通り、みんなの指揮をお願いするよ」
「へい。本当に行かれるのですか、筆頭」
「もちろん。この瘴気の中、魔物を放っておけば瘴気を使った自己強化で手がつけられなくなるだろう。個体数だって今以上に増えていく。苦戦するのが見えているなら……こちらから先手を打たないとね」
ハスターは難しい顔をしながらも、最終的にはコクリと頷いた。うん、僕なんかよりずっと経験豊富な君が許可するのであれば、たぶん大丈夫だ。
キコの影が僕のもとを離れる。それを確認した僕は、北門の外側の地面と自分の足下を結ぶように亜空間の出入り口を作る。派生魔法、
そうして北門の外に出れば、とんでもない濃さの瘴気に出迎えられる。なるほど、これは確かに、魔物たちにしたらご褒美みたいなものだろうね。さて、やろうか。
「――
僕の目の前に、魔力の弾丸がポツンと浮かぶ。
「――
魔弾を倍々に複製していけば、目の前の空間は大量の魔弾で埋め尽くされる。数で攻めてくる敵には、やっぱり数で対応しないとね。
目の前で動きを止めている魔物の群れが、動揺したようにざわりと揺れた。
「――
そうして僕が
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