12 君の髪を切らせてくれないか

 夕暮れ時。

 何十という近衛騎士を引き連れた辺境伯が、剣呑な魔力を纏って精霊神殿に向かう様子を、ダシルヴァ市の人々は何ごとかと眺めていた。


「ありゃあ何の騒ぎだ?」

「なんでも末姫様を神殿に迎えに行くらしい。また姫様がなんか勘違いして暴走されたんだろう」

「領主様も大変だなぁ」


 おそらくは辺境伯が軽く詫びを入れて、ジュディスを引き取って終わりだろう。民衆はそんな風に、呑気に事態を眺めているようだった。まぁ、ジュディスが騒ぎを起こすのはいつものことらしいからね。


 僕はキコの影の中からその様子を確認すると、さっそく行動を開始した。

 精霊神殿の裏手にある空き家の庭から、神殿の書庫に仕込んである目印へと魔手を伸ばす。亜空間移動テレポートは魔手さえ届けばどこにでも入り込めるのだ。


 もちろん対抗手段はあるけどね。貴族屋敷や神殿などの重要な建物には、壁面に魔力防壁の術式回路が刻まれていることが多い。

 この防壁術式は、戦闘用の障壁魔術とはかなり性質の異なるものである。強い魔力攻撃を受けても砕けることがなく、事前に込めた魔力に応じて攻撃を打ち消すような働きをする。もちろん魔手だって打ち消されるし、キコの影であっても突破は困難だ。


 なので僕が神殿に侵入しようと思ったら、基本的には警備の隙をついて正面玄関から行くことになるんだけど……毎回それをやるのはさすがに面倒くさすぎる。だからよく侵入する場所には、今回みたいに事前に横穴を掘ったりするわけだね。

 もとは書庫への侵入用だったんだけど、それがまさか、ジュディスの救出に利用できるとは思ってなかったよ。


 特に何事もなく、僕らは一瞬で精霊神殿の書庫へと侵入した。


「キコ。ジュディスの居場所は分かってる?」

「ん。把握してる」

「じゃあ、ここからは影魔法の出番だね」


 書庫から先はキコの影に入って、ジュディスが囚われている部屋へと向かう。

 神殿内部には照明もあるけど、どうしたって昼間ほどの明るさはないから、キコの濃い影も全く目立つことなく移動させられるんだよね。警備の神官兵の足下を潜り、厳重に施錠された二重扉の隙間に入り込んで、僕らはあっけないほどスムーズにジュディスのもとへと辿り着いた。


 部屋の中にはジュディスの他に、険しい顔をして彼女を囲む神官が三名いた。いずれも女性神官だから、領主の娘である彼女に一応配慮したような形にはなっていた。形だけだけど。


 寄ってたかってガミガミと、ジュディスを責め立てる三人の女性。


「証拠も持たずに恥ずかしくないのかしら」

「神殿にあらぬ罪を着せようとするなんて」

「甘やかされて育ったご令嬢はこれだから」

「生まれは高貴でも心は卑しいものね」


 その真ん中にいる彼女はすっかり顔を青くしていて震えている。うん。これはいつまでも放っておくわけにはいかないな。


「――ペンネちゃん、魔法借りるね」


 僕は一つの魔道具を取り出して、影の外へと放り投げた。


 睡眠爆弾スリープ・ボム。これはペンネちゃんの睡眠魔法を魔宝珠に込めてもらい、非殺傷の爆弾型魔道具に仕立てた便利グッズである。

 ポフン、と小さな空気音を立てて煙が広がると、女性神官たちはパタパタとその場に倒れていく。


 魔法道具を起動するには魔力の相性というものがあって、僕の魔力でペンネちゃんの睡眠魔法を使うと効果がかなり減衰してしまうんだけど……うん。彼女らは魔力等級で言うとせいぜい下級程度の魔力しか持っていなかったから、無事に効いてくれたみたいだ。

 その一方で、特級の魔力を持っているジュディスにこの道具は効かない。彼女は目を丸くして固まっているだけだった。


「助けに来たよ。お姫様」


 影から出た僕は、睡眠爆弾の魔道具を回収すると、ジュディスに手を伸ばす。


「わ、わた、わたくしはとんでもないことを」

「話は後だ。今はとにかく僕に従ってくれ」

「は……はい」


 彼女の手を取って、影の中に戻る。

 するとそこでは、何やらジトっとした目をしたキコが僕のことを待ち受けていた。どうしたんだい。何か言いたいことがあるなら聞くけど。


「……女の子が増えた」

「あー……うん」

「クロウ、飴ちょうだい」


 キコに餌付けをしながら、自分の行動を振り返る。うん。まずいな。あれは完全に囚われのお姫様を助けにきた王子様ムーブだった。客観的に考えてもそう思うし、主観的に考えてもそう思う。これは大変面倒くさいことになるかもしれない。よし、また後で考えよう。


「ジュディス。最初に確認しておきたいんだけど、君のお付きの騎士メイアはどこにいる?」

「わ、わかりませんの。囚われる時に引き離されて……あの、わたくしが暴れたらメイアに危害を加えると言われました。彼女は無事ですの?」

「それはこれから……実際に見に行ってみようか」


 たぶん僕が説明をするより、実際に見てもらった方が早いだろう。


「ちなみに……精霊神殿が行っている人体実験のことを、君に教えたのはメイアかな」

「えぇ。どうして知っていらっしゃるのですか」

「その答えもこれから分かると思う。たぶんね」


 そうして、僕はキコに影魔法による移動をお願いした。


 人体実験の件をジュディスが知っていた。その話を聞いた時に、僕は二つの可能性を考えた。

 まずは領主側が、何かの策略のために意図的にジュディスに情報を流し、精霊神殿を揺さぶるために彼女を動かしたという可能性。もう一つは精霊神殿側が、あえてジュディスに情報を流すことで彼女の行動を促した可能性。


 それで領主と会話をした感じだと、おそらくは後者。精霊神殿側が仕組んだことなのだろうと僕は予想したわけだ。


 影魔法を使って移動してきた先。目の前には……精霊神殿の神官長とにこやかに談笑しながら食事を取るメイアの姿があった。

 とてもではないが、主を捕らえられている騎士の姿ではない。ジュディスの後ろで控えていた時のような無表情ではなく、花の咲いたような笑みを浮かべている。


「――いやはや、君には苦労をかけたな」

「いえ。これも精霊の導きです」

「ふむ。君のような敬虔な信徒を、薄汚い貴族の元に送り込むのは大変心苦しかったがね……君はそれだけの成果を成し遂げてくれた。特にあの末娘を、じゃじゃ馬に育て上げた手腕は見事だったよ」


 僕はふと、ジュディスが影を飛び出していかないか気になって、彼女の手を握った。すると彼女は、震える手で縋り付くようにして僕の腕を掴む。うん。今は好きなだけそうしているといい。


「時間はかかったが狙い通り、あの抜け目のない辺境伯に大きな隙を作ってくれた。くくく……あの末娘を使えば、我々はさらに動きやすくなるだろう。お手柄だ、信徒メイアランテ」

「はっ。光栄です、神官長」

「そうだな。潜入工作の任を解こう……君は末娘を静止できなかった責任を取るという名目で、辺境伯家を辞し、神殿に戻ってきなさい。これからは私の側仕えとして、その身の全てを捧げるのだ」


 そうして話をする神官長に、僕は魔手を使って一つの魔道具をこっそり伸ばし、彼の魔力紋を記録する。この後の作戦のために必要なんだよね。

 必要なことを終えると、僕はキコに目配せをして、影による移動で書庫に向かってもらう。


 ジュディスの側仕えだった近衛騎士メイアは、神殿が送り込んだスパイであった。話を総合すると、彼女はジュディスを諌めるようでいて、実のところ暴走を促していただけのようである。五年近くも側にいたのだから……十一歳のジュディスにとっては、人生の半分ほどをメイアと共に過ごし、その影響を受け続けていたことになる。


 移動している途中、ジュディスはポツリと呟く。


「わたくしは……お父様に迷惑をかけるためだけに育てられたのですね。ただ、それだけのためだけに」


 彼女の言葉には、これまで持っていた自信、誇り、希望……そういったもの全てが抜け落ちてしまったかのような、空っぽな響きがあった。


 何か慰めの言葉をかけてあげたかったけれど。

 ふと、脳裏に前世の自分の感情が蘇った。


――お前らの基準で、僕を憐れむんじゃない。


 そうだった。長らく忘れていたけれど、落ち込んでいる時に慰めの言葉をかけられたって、逆に惨めになることもあるもんな。

 そもそも僕はそんなに言葉が達者な人間じゃないから。こういう時に、なんて言えばいいのか。気持ちがスッと晴れるような便利な言葉なんて、とてもじゃないけど見つけられそうになかった。


 それなら僕は、せめてジュディスを憐れまないでおこう。そう思って、ただ彼女の手を握った。今はそれくらいしか出来ないけれど……そうだ。


「ジュディス。君の髪を切らせてくれないか」

「髪……ですの?」

「辺境伯と話し合ってね。精霊神殿の奴らに一泡吹かせてやるのに、君の髪がなんとしてでも必要なんだよ。かなりバッサリ切らせてほしいんだけど」


 書庫についた僕たちは、辺境伯と事前に話し合っていた仕込みを始めた。

 なにせ最低限の目標であるジュディスの救出は無事に終わったからね。あとは、この作戦が上手くいくように、全力を尽くすだけだ。

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