第三章 世間知らずの姫様

11 大変なことになっているみたいだね

 精霊神殿による言語狩り。

 長らくそんなことが行われた結果、この世界で現在使用されている言語は、精霊神殿の最盛期に制定された「共通語」だけになってしまった。だから、それよりも前の古王国時代の書籍を読み解こうとしても、普通のやり方では無理なんだよね。まったく、迷惑な話だと思うよ。


 だけど、この問題を解決する方法もまた、神殿の古い書物の中にあった。


「――古代クラシオ語の参考資料を入手してきたよ。たぶんこれで、神殿にあった古代医療錬金術関係の書籍もある程度は読み解けるようになると思う」


 そう話しながら、ガーネットにいくつかの書籍を手渡す。古代言語の資料というのは、他でもない神殿が作成して大事に保管してくれていたものだ。


 その内容の多くは「共通語の教本」といった類のもので、別の言語を用いて生活している者たちに共通語を叩き込むため使われていた学習教材だった。

 神殿はこういうもので人々に共通語を押し付け、あの手この手で他言語を排除していったわけだけど。


 でもね。その時に使った教材が、保存用の術式回路を仕込んだ装丁で書庫の奥に大切にしまわれているからさぁ。それさえ入手すれば、僕らは逆に古代語を類推して解読することができてしまうというわけだ。


「なるほど……クロウさんはこんな風にして、古代の書籍を読み解いているんですね」

「うん。とはいえ、僕がこれまでの人生で忍び込んだ書庫なんて、この世界全体から見たらほんの一部に過ぎない。都合の良い教本なんてそうそう見つからないから、解読できていない言語もまだまだあるし、眠っている情報量を考えると、未知だらけだと思うよ。たぶん一生かけても読み切れないだろうなぁ」


 解読は自分なりに古代語の辞書や用例集なんかを作りながら進めることになる。けっこう大変なんだけど、スキルを応用すれば作業自体はずいぶん楽かなと思う。やっぱり肝になるのは、並列思考、思考加速、学習強化の三つだろうか。

 そういった細々としたことをガーネットと話しながら、改めて亜空間書庫ライブラリを眺める。僕の亜空間魔法を使えば、忍び込むのはわりと容易だ。


 派生魔法、亜空間移動テレポート

 魔手が届きさえすれば、僕はそこに亜空間の出入り口を作ることができる。だから自分の足元と飛びたい先にゲートを開き、入口を閉じてから亜空間を解除すれば、僕は出口から弾き出される――というわけだ。


 キコの影移動シャドウ・ウォークとは、移動魔法としての使い勝手はまた少し違うんだけど。


「精霊神殿の書庫に、亜空間移動の目印になる魔道具をこっそり置いてきたんだよ。魔手が届くように地下に細い横穴を掘って、神殿近くの空き家からショートカットできるようになった。これからは書籍の収集ペースを上げられると思う」

「ふふ。ワルですね」

「ヤクザだからね」


 そんな風にして、僕とガーネットが笑い合っている時だった。影からニュッと出てきたのは、情報収集に行っていたキコだった。


「クロウ。飴ちょーだい」

「はい。あーん」

「あー……ん。最高」


 キコはいつものように、僕の手から飴をもらって満足そうにする。

 魔素飴については一応、大量に作成したものがキコの影収納シャドウ・ストレージにも入っているんだけど……なぜか僕の手で食べさせてもらった方が美味しく感じるらしい。理屈は分からない。まぁ別に手間でもないからいいけどね。


「それで、キコ。急にどうしたんだ?」

「そうだった。ちょっと困ったことが起きた」


 困ったこと……なんだろう。

 なんだか嫌な予感がするけど。


「辺境伯の末娘。ジュディスが」

「うん」

「精霊神殿になにやら抗議に行って……今、神兵団に拘束されている。たぶん、地下実験のことをどこかで知ったんだと思う。ちょっとばかり公表するには危険な内容を口走っていた」


 うわ。どうしてそうなったんだろう。


 ちなみに、実験の被害者である少数民族の男女六名は、ガーネットの療養所で今もまだ眠ったままである。小人ホムンクルスたちが世話をしてくれているけど、大量に流し込まれた瘴気が抜けるには、まだ時間がかかるだろう。


 ジュディスの立場では、そういった実験関連のことなど知りようがないはずなんだけど。情報源は……まともに考えるなら、辺境伯に引き渡したサポジラ一家の元頭領かな。

 直接なのか間接なのかまでは分からないが、その証言内容を知った彼女は義憤に駆られ、精霊神殿に直接抗議に乗り込んだ……そういうことだろう。


「どうする。クロウ」

「仕方ないか……まずは辺境伯のところに行こう。キコは影魔法でのサポートをお願いできるかな」

「わかった」


 そうして僕らはキコの影に入り込み、領城へと向かっていった。


 サポジラ一家の元頭領を、辺境伯にそのまま引き渡したのにはいくつか意図がある。もちろん奴の口から地下研究所のことが漏れるのは想定の内だった。というか、むしろ辺境伯には伝えておきたかったんだよね。

 精霊神殿に対する危機感を持ってほしいことだったり。奴を引き渡したことということは、この件にサイネリア組本部は関与していないということだったり。

 何度か辺境伯と目配せをした感じだと、言葉にせずとも意図は伝わっているだろうと思っていたけど。


 領城の執務室。彼の他に人がいないことを確認すると、僕は影を出る。


「大変なことになっているみたいだね」

「クロウ殿……どうしてこんなことに」

「それを確認しにきた」


 ふと見れば、辺境伯はずいぶんと疲れた顔をしていた。次々と発生する問題に、ずいぶん心労が積み重なっているんだろう。


「僕がここに侵入してきた手並みは今まさに見てもらったと思うけど……まず前提として、僕はいつでもジュディスを救出できる」

「それなら」

「ただその前に、どうしても貴方に確認しておきたいことがある」


 僕は魔力を放出して……といっても、執務室の外には漏らさないよう制御しているけど。辺境伯に対して静かに威圧をかけつつ問いかける。


長耳人エルフ獣尾人ファーリィ竜鱗人ドラゴニュート……男女合わせて六名の被害者を僕は救出し、治療を行っている。まだ目を覚まさないけど、いずれ元気になったら故郷に帰してあげるつもりだよ」

「……少数民族の件は、やはり事実か」

「うん。精霊神殿がサポジラ一家をそそのかし、この辺境を瘴気まみれにしながら、彼らを使って非道な実験を行っていたのは事実だ。これは下手したら国際問題になるし、サイネリア組としても看過できない。貴方にも知らせることで警戒してもらおうと思ったからこそ、サポジラ一家の元頭領を何の小細工もなく引き渡したつもりだったけど」


 辺境伯はそれを聞いて、静かに頷く。

 やはり、こちらの意図は正しく伝わっていたのだろう。


「確認したいのは一点。本来ならば、ダンデライオン家の上層部しか知り得ない重要な機密として扱われるべき内容が、どうしてジュディスに伝わってしまっているのか……貴方はその経緯を把握しているだろうか」


 僕の問いかけに、辺境伯は首を横に振った。


「私は情報統制を行っていた。人体実験について奴が証言した内容は、本当に一握りの者しか知らない状態であった。しかも地下研究所は空だったのだから、証言自体が嘘だったという扱いになっている。それが……いったいどのような経緯でジュディスに漏れたのか。私も知りたいくらいだ」


 なるほど。僕はレシーナのように読心魔法は使えないから、彼が本当のことを言っているのかは分からない。でももしそれが事実だとしたら。


「……今後の動き方について、僕に考えがある」


 そうして、僕は辺境伯と一緒に作戦を練り始めた。

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