09 レシーナに刺される案件だ
シルヴァ辺境領の統治を任されているダンデライオン辺境伯家の末娘、ジュディス・ダンデライオン。
彼女の性格は、良くも悪くも思い込んだら一直線。周囲の人たちは、暴走しがちな彼女を城に閉じ込めようとするんだけど、それがまた彼女の世間知らずを加速させているという噂だ。うーん、なるほどね。
「クロウ様を婿にして差し上げるわ」
「間に合ってます」
「恥ずかしがらなくてもよろしくてよ」
うーん、なるほどね。
これはレシーナに刺される案件だ。
彼女が突撃してきたのは、僕が新しく作ったコットン一家――サイネリア組から正式に許可をもらって新設したヤクザ組織の事務所である。
この建物を作るのは楽しかった。以前にサポジラ一家の事務所があった場所を一度亜空間魔法で更地にして、クラフトツールで整地をして、建築用のキューブをポンポンと配置して作った建物なんだけど……うん、そう。クラフトゲームみたいに建築をしたかったんだよ。
それはそれとして、どうしてジュディスが僕を婿にしようとしてるのか、僕には経緯がさっぱり分からないんだけど。どうしてこうなったんだろう。
「クロウ様の演説、とても痺れましたわ。わたくしはこれまで、ヤクザというのは違法な行為で荒稼ぎを目論む悪い方々だとばかり思っておりました」
「だいたいそれで合ってるよ?」
「素敵でしたわ。大変気に入りました。だからわたくしは、クロウ様を婿にして差し上げようと決意いたしましたの」
僕は彼女の後ろにいる女騎士に目を向ける。たしかメイアって名前だったかな。なんやかんや、いつもさり気なくジュディスの行動を諌めてくれている人なんだけど。なんで肝心な時に助けてくれないの。ねえ。
「あら、クロウ様ったら……ふふ、メイアのことも気に入ってしまったのね。仕方のない人」
「全然違うよ」
「特別ですわ。わたくしが正室でメイアが側室だったら認めて差し上げてもよろしくてよ。メイアは美人だものね。ですが、わたくしを優先していただかないと拗ねてしまいますわ」
ダメだ、女騎士メイアはものすごい形相でジュディスを睨んでいるけど、ジュディスは知らん顔して話を進めている。どういうことなの。
「この髪も、毎朝メイアが巻いてくれて――」
僕は背後で事務作業をしているガーネットに視線を送る。助けて。
ちなみに、サポジラ一家を潰してからしばらく、ガーネットは実験被害者たちの治療のために移動式錬金工房にこもりきりだったんだけどね。だから新生コットン一家の面々は、木箱から足の生えた子が「ガーネット」だってなぜか認識しちゃってたみたいで。
メガネを外して背筋も伸びて、すらりと高身長な美少女と化したガーネットを見て、みんな「めっちゃ可愛い……え、ガーネットは箱の子でしょ? え?」と大混乱していた。可哀想に。
そんなガーネットは、助けを求める僕からそっと視線を逸らして、何やら遠い目をしていた。なんで助けてくれないの。ねえってば。
「あー……ジュディス。僕と結婚だなんて言ったら、君のご家族が反対するだろう」
「えぇ。お父様には叱られてしまいました」
「ほらぁ」
ダメじゃん。
あのね、それはとても普通の反応だよ。蝶よ花よと育てた可愛い娘が、ノリと勢いでヤクザを婿にしようとしてたらさぁ。そりゃ反対するのも親心ってもんだよ。悪いことは言わないから、カタギのちゃんとした男にしておきなって。というか、そもそも僕らは恋人でもなんでもないからね。
「たしかにお父様には反対されましたわ。絶対に許可できないと、今までに見たこともないような剣幕で怒鳴られてしまいました。それから、複数の女騎士たちに指示をしてわたくしの貞操がまだ無事か念入りに確認されました。恥ずかしかったです」
「大事になってるじゃん」
「しかし、わたくしは学んだのです。何ごとも根気強く対話をすることが大切なのだと。クロウ様からそう教えていただいて、お父様とも以前よりちゃんと会話ができるようになりました。だからきっと今回も大丈夫ですわ。二、三人ほど子を生む頃には、お父様もきっと分かってくださいます」
「強行する気じゃん」
ダメだ、この子。聞く耳を持たないなんてレベルじゃない。押しの強さはレシーナ級だぞ。
「良いではありませんか、クロウ様」
「何も良くないけど」
「ヤクザなどやめてしまって、この辺境でゆったりとした生活をするのも素敵ではありませんこと?」
違うよ。僕がやりたいのは、サイネリア組を穏便に足抜けして、辺境スローライフを送りたくて――あれ。彼女の言ってることもあながち悪くないように思えるぞ。
いや、ダメだダメだ。少なくとも今このタイミングで組を抜けようだなんて許されないし、間違いなくレシーナに刺される。ガーネットは口をパクパクして「セキニン」って言ってるし、キコは僕の影の中でジュディスを暗殺する機会を伺っている。おかしい。穏便に会話できそうな人がペンネちゃんくらいしか思いつかないぞ。僕はなんでペンネちゃんをここに連れてこなかったんだろう。
「ジュディス様。そろそろ」
「あら、メイア。もうそんな時間なの?」
メイアに促され、彼女はやれやれといった感じで腰を上げる。
「では、挙式の打ち合わせはまた後日」
「やめて。本当に婿にはならないから……はいこれ。領城に帰るついでに、領主に手紙を渡してもらえるかな」
「あら、結婚の申し入れですか?」
全然違うよ。
「コットン一家の事業についての相談だよ」
「もう、照れ屋ですのね」
「ここまで人の話を聞かないことある?」
あぁ、ちゃんと話を聞いてくれるペンネちゃんが恋しい。
そんなことを思いながら。
ジュディスが帰っていくのを見送った僕は、コットン一家の事務所を出た。はぁ。今日は視察の予定が色々と入ってるんだよ。気分を入れ替えよう。
まずやってきたのは、新しく作った「訓練院」という施設だ。
これは孤児院があった場所を一度亜空間魔法で更地にして、クラフトツールで整地をして、建築キューブをポンポンと配置した建物なんだけど……うん。建築をね。したかったんだよ。ゲームみたいにさ。
それで、ここにはヒャダル君を院長に置いたんだ。子どもたちの職業訓練をする場所という意味で施設名称を「訓練院」へと変えているけど、もちろん何か厳しい特訓を行うわけではない。
「お疲れ様、ヒャダル君。訓練院はどうかな?」
「筆頭。ご苦労さんです。実はいくつか相談したい案件がありまして、お知恵を拝借できれば」
かつての孤児たちは、十五歳までにかかった養育費を借金として課せられ、返済のために半強制的に進路を決めさせられていた。
これを何とかしたいとは思っていたものの……いきなり借金ナシで社会に放出するというのも、それはそれで無責任だろう。それに、かつて孤児院で育って今も借金を背負って働いている者たちが納得しない。具体的には、つい先日十六歳になって借金を背負ったばかりの新卒孤児たちが、絶対に怒り狂う。暴動になっちゃう。まーそれはそう。
だから、養育にかかった費用を働きながら返済するという仕組みは残そうと思っている。まぁ返済自体は過去の分も見直して、全体的に緩やかにしようと思ってるけどね。それはそれとして、訓練院では子どもたちが将来的に進路を自由に選択できるくらい、多種多様な職業訓練を行えるようにしようと思っているのだ。
現在は領内の様々な団体に対して、孤児たちが希望する進路を自分の力で掴み取れるよう、雇用条件や訓練内容について一つ一つ交渉を進めている――僕じゃなくてヒャダル君がね。彼にはもう、めいっぱい走り回ってもらってるよ。本当にありがとう。
コットン一家が新しく始めた事業でも、卒院する孤児から人を雇い入れる予定にしている。まぁ、そうやって手を尽くしても、どうしても進路が決まらない場合は、今まで通り冒険者や娼婦として働くことになってしまうかもしれないけど。
そんな感じで新しい試みを色々としているので、ヒャダル君には悩みも多いらしい。
「――そんなわけで、家の事情で神殿に通えなかった子などが、読み書きや計算の基礎すら分からない状態なんです。俺は忙しくて教える暇もないし、かといって神官の派遣依頼をするのは高くつきすぎる。筆頭、何か良い解決方法はありませんか」
「うーん、それはつまり……孤児たちに読み書き計算を教えるという仕事が空席なんだよね。卒院予定の子の中に、教師に興味がある子がいたら雇えばいいんじゃないかな」
「あ……あー、俺はやっぱり頭が固いな。そうか、訓練院の運営に必要な人材として、孤児たちの一部を雇用すれば良いのか。そうすれば他の問題もいくつか……ありがとうございます、筆頭」
いや、うん。問題が解決したなら何よりだけど、大したことは言ってないからね。たぶん今この都市で一番忙しくしてるのが君だから、脳が疲弊しちゃってるんだよ。院長に任命したのは僕だけどさ。とりあえず甘いものでも食べときな。
そんな風にして、訓練院を出て街を歩いていく。
都市の空気環境は今はもうすっかり良くなった。主原因だった地下研究所は潰してしまったし、紡績工場から出る瘴気も地下パイプを通して都市外にちゃんと排気するようにしたからね。コットン一家の者には大通りから裏道まで全体を掃除してもらったから、むしろ以前より都市環境は清潔になっていると言っていい。
フルーメン市から持ってきた冬越えの物資も、サイネリア組と関係の深い団体へと配り終え、残った分は一家が定期的に行う炊き出しの食材へと回している。やはり日々の食事にも困る貧民はどうしても発生してしまうもので、そういった者たちを最低限でも食わせてやるのはヤクザにとって大事なことなのだ。
「浄化結界も新型のものに交換したし……あと何かやることあるかな」
ジャイロたち義賊団にお願いした浄化結界の交換作業は、僕がバタバタしているうちに無事に終わったと連絡があった。魔銀のインゴットは三千個ほど積み上がる計算だから、これを本部に上納したらめちゃくちゃな金額になるだろうなぁ。
それと、メイプール市からフルーメン市に運ばれるメープルシロップやメープルシュガーは、事務局が頑張って売り払ってくれている。これも良い金額になってるらしいけど、明らかに需要を超える生産量になってしまっているので、最近は本部の倉庫を圧迫し始めたらしい。なんかごめんね。
そうして色々と考えている内に、ダシルヴァ市の出口まで到着した。うーん、本当はのんびりしたいんだけど、なんだかんだ忙しいんだよね。
修復されて強固になった都市外壁の北門から外に出ると、そこには相変わらず濃い瘴気が広がっているのだが。そこに一本だけ、穢れの森の奥に続く清浄な道が整備されていた。そう。これは瘴気を遠ざける浄化ランタンを街灯のように配置することで、魔物の接近を遠ざけている道なのである。神殿にはナイショだよ。
そうして進んでいった道の奥にあるのが――コットン一家の名前の元となっている、魔綿草の生産場であった。
「お疲れ様。綿の生産は順調かな」
「へい。問題はありやせん」
そう答えるのは、ムスカリという名の筋肉男。かつてペンネちゃんに寝かしつけられて、僕の亜空間でお勤めをしていたネモフィラ組の元組員である。大きな布マスクで口元を覆ってるから悪役みたいな見た目に感じるけど、瘴気を防ぐ仕組みはこの作業場では必須だからね。長時間労働も厳禁だと申し付けてホワイトな職場を心がけている。
彼ら十二人は帝国北部から送り込まれてきた間者なんだけど、その処遇については本部から正式に僕に一任されていた。それで彼らと色々と話し合った結果、正式にコットン一家に所属してもらい、この綿生産場で働いてもらうことにしたのである。
もちろん綿生産とはいっても、かつての孤児たちのように傷だらけになりながら綿を回収しているわけではない。
「筆頭。ご覧くだせえ。ちょうど魔綿草たちの収穫時ですぜ」
そう案内されて見てみれば、そこには。
地面の低い場所に三段に張り巡らされた網から、モコモコした頭だけがはみ出している魔綿草たちがいた。彼らは網目に邪魔されてその場から動くこともできず、モゾモゾと綿を動かすばかり。するとそこに、とある魔道具を手に持った男たちが現れる。
「野郎ども、収穫を始めろ!」
「へい!」
男たちが手に持った魔道具――送風の魔道具を起動すると、風に煽られた綿が次々と空中に飛び散る。そして、風下にいる男たちがそれを荷車にどんどんと詰めていく。うんうん。以前の孤児を使った収穫と比べると、だいぶ効率的になったみたいだね。
綿を失った魔綿草は種を残して枯れて、種は網の下に落ちると再び瘴気を吸って成長する。そうして大きくなると、三段の網目に邪魔されて身動きが取れなくなり、再び風によって収穫される――というのが、この綿生産場の大まかな生産サイクルとなっていた。
こうすると一回の収穫も安全で短く済むし、一日に三回ほどの収穫作業を行える。それをダシルヴァ市にある紡績工場に運んで、正規の給金で雇われた工員に綿糸にしてもらうことで、シルヴァ辺境領の綿産業はどうにか崩壊を免れたのである。
僕なりに紡績用の魔道具自体もちょっとだけ改良を加えているから、綿糸生産の全体的な効率はなかなか改善したと思うよ。
業務が軌道に乗るまでは色々と手間取ったけれど、今は何とか上手く回せるようになっている。
「うん。綿生産はムスカリたちに任せておけば問題なさそうだね。この都市を支える大事な事業だから、よろしく頼むよ」
「へい。お任せくだせえ」
さてと。綿生産は上手くいってるし。神殿の人体実験の件は一旦保留にするとしても、片付けなきゃいけない大問題がまだ一つ残っているんだよね。
シルヴァ辺境領で濃くなってしまった瘴気と、それにより活発化する魔物への対処……これは、都市の存亡にも関わる大きな危機だった。
「――スタンピード。この瘴気の濃さだと、大規模な魔物災害は避けられないか。やっぱり」
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