07 手柄を一つ奪われてしまったよ
サイネリア組の下部組織が、少数民族の者で人体実験を行っている。
それは僕の個人的な感情を抜きにしても、絶対にあってはならないことである。
歴史を紐解けば、かつての精霊神殿による絶対的な支配が崩れた原因の一つは、少数民族への不当な弾圧にあった。
魔力を持った市民は、彼ら少数民族勢力と協力することで精霊神殿を打倒し、後に貴族時代と呼ばれる貴族政治が行なわれる時代を作った。
それと同時に少数民族はそれぞれ独立した国を作り、世界中に散っていた同胞を時間をかけて集めると、少数民族国家連合――通称「民族連合」と呼ばれる集合体を作って、互いの独立を支援したのである。
そんな少数民族の者で人体実験を行っていたなどと知られれば、民族連合とアズカイ帝国の間で全面戦争が勃発しかねない。勝とうが負けようが、多くの血が流れてしまうだろう。
それに……こんな大それた悪行を、地方のヤクザ一家ごときが主導しているとは思えないから、背景を探る必要も出てくる。
「――何をおいても、まずは被害者の救出だ」
都市の人々が寝静まった真夜中。
キコの影魔法に一緒に潜む形で、僕らはサポジラ一家の管理する綿製品工場の一つに忍び込んできた。奴らの研究施設は、この地下深くに隠されている。
「キコには施設への侵入で。ガーネットには被害者の治療で。それぞれ手を借りたいんだ。よろしくね」
ふと見れば、ガーネットは緊張しているのか小さく震えている。
「筆頭。ほ、本当にそんな実験が行われているのですか。もちろんキコを疑うわけではありませんが、私にはそんな非人道的な行為が行なわれているなんて想像できなくて」
「うん。想像はできなくても、現実はもうすぐ分かるよ。だいたい、都市の地下空間にこんなに瘴気の濃い場所があるのだって想定外だしね。大気汚染についても、おそらくこっちの人体実験が本当の原因なんだと思う」
そもそも、おかしいとは思ってたんだ。
いくら工場の排気が悪いといっても、綿製品の工場で使われる魔道具程度では、都市全体の空気がここまで悪くはなるとは考えにくい。さらには都市の外に広がる穢れの森の瘴気濃度まで上がっているという話なのだから、もっと大規模な瘴気発生源があるはずだと思っていた。
「ガーネット。念のため、君も武器は持っておいて」
僕はそう言って、彼女にクロスボウを手渡す。これは
侵入においてキコの影魔法は非常に優秀だった。
あたりが薄暗いのもあるけれど、影に潜んでいれば地下研究所の者とすれ違っても全く気づかれない。まぁ、研究資料は後ほどごっそりいただくつもりだし、研究員も残らず拘束するつもりだから、最終的には僕らの存在は露呈することになるんだけどね。
だけど今は、何よりも被害者を救出して亜空間に匿うのが最優先である。
長い階段を下りて、厳重に鍵のかけられた扉の隙間からスルリと影を差し込んで侵入する。そうして入り込んでいった先には……想像していたよりも、ずっと酷い光景が広がっていた。
「二人は影の中に待機していてくれ。そこの錬金術師とは僕が先に話をしてみる。少なくとも、あの被害者たちをそのまま亜空間に回収しても命に別状はないのか、確認しておく必要があるから」
キコとガーネットにそう告げると、僕は部屋の隅で静かに影から出た。まずはあの男から、可能な限り情報を引き出さなければ。冷静に、気持ちを落ち着かせて。
「やあ、こんにちは」
「――誰だ」
「抜き打ちの視察さ。実験結果が中々面白いことになっていると聞いて、見学に来たんだよ。有用な話を聞かせてくれると嬉しいんだが」
穏やかに魔力を放出しながら、僕は顔面に笑みを貼り付け、錬金術師の男に威圧をかける。敵ではないですよ、という風を装って気さくな挨拶をすれば、彼は震えながらも姿勢を正した。
うんうん。魔力差が大きければ、こういうハッタリもけっこう効果が高いらしいんだよね。ようは目の前に猛獣がいるようなものだからさ。下手に逆らったら殺されるという危機感がある中で、その原因たる猛獣がにこやかに「食べないよ」と言っていたら、つい信じたくなってしまうものらしい。
僕は装置に繋がれた六名の姿を眺める。
「
「え、ええ。やはり亜人どもは、我々人間よりも魔物に近い存在なのかもしれませんな。少しずつ身体を慣らしながら瘴気を注入していけば、理性こそ失っていくものの、
この錬金術師の言う「亜人」とは、少数民族に対する蔑称である。
目の前には、瘴気に満たされたガラス筒が六つ。その中に全身を管に繋がれた三種族の男女六名が拘束されていた。みんな苦しそうに顔を歪め、手足をジタバタと動かそうとして、鎖に阻まれている。といっても、幸か不幸か、今の彼らは意識がない状態だろうけど。
「そうか……だが、瘴気の注入をやめて時間を置けば、実験の効果も薄れてしまうのではないか。彼らの身の変化は不可逆のものなのだろうか」
「はい、そこが大きな課題です。残念ながら、現在は継続的に瘴気を与え続けなければ、やがては元の状態に戻ってしまいます」
そうか、つまり被害者を救出して安全に瘴気を抜いていけば、元の状態には戻ると。
あとは、瘴気薬による中毒症状を治さないといけないか。少し前に手に入れた古い書籍に治療方法の情報があったはずだ。急いで詳細を確認しないと。
「実験の目標は達成できそうなのか?」
「いえ、今は兆候が見られませんが……しかしいずれ、この瘴気許容限界値が一定を超えさえすれば、こいつらの体は変質するのではというのが所長の予想です。我々の目標達成も目前かと」
うーん、彼らの実験の目的は何だろう。
明確には分からないけど、瘴気を使って少数民族の体を作り変えようとしているのは確かだ。精霊経典の記述と照らし合わせると、この実験の狙いはおそらく――
「……魔族」
「はい。我々
狂信。少数民族の者を人体実験に利用し、濁った瞳で理屈の通らないことばかり話す彼を、気持ち悪いと思ってしまうのは、前世の記憶を持っているからなのだろうか。
僕は込み上げる吐き気を我慢しながら、彼に問いかける。
「だが、少々過酷すぎるのではないか? このような致死量ギリギリの瘴気薬を投与し続けていたら、実験対象者もそう長くは保たないだろう」
「はは、亜人どもの命など、どうでもいいではありませんか」
感情を抑えろ、冷静に。
「くくく。これは精霊神殿のみならず、偉大なる錬金術の歴史においても大きな意義のある――」
ドサリ。錬金術師の男が急に倒れる。
見てみれば、彼の額には魔術の矢が突き刺さっている。僕が振り返ると、そこには。
「筆頭……私」
顔を青くして、撃ち終えたクロスボウをカタカタと揺らしているガーネットの姿があった。
あぁ。きっと彼女にとってこの惨状は耐え難い苦痛だったのだろう。
彼女は錬金術を人を癒やすために学んでいたが……よりによってその技術を、人を苦しめる目的で悪用している場に遭遇してしまったのだ。これ以上、こんな男の吐く言葉を聞きたくなかった。その気持ちは、よく分かるよ。
思えば、護身のためとはいえ不用意に武器を渡してしまったのが良くなかったんだろう。僕は震えているガーネットに近づいて、その頭をそっと撫でる。
ごめんね、これは僕のせいだ。
「――なんだ、先を越されちゃったなぁ。もう一瞬待ってくれれば、僕がこの手であの男を始末したのに。手柄を一つ奪われてしまったよ」
「……私」
「あの被害者六人の身体から瘴気を抜くには、時間がかかるだろう。彼らの世話には手間もかかるし、普通に暮らせるまでに回復させるのは大変だと思う。だから……その仕事をガーネットにお願いしたいんだ。だって錬金術というのは、人々を癒やして、笑顔にするためにあるんだろう? 証明してよ、ガーネット」
僕は魔手を伸ばすと、ガラス筒を開けて少数民族の男女六人の身体を亜空間に回収する……うん、そうだね。ガーネットだけに手を汚させるわけにはいかないな。
「キコ。出てきてくれるかな」
「――ん」
「ガーネットにちょっとだけ先を越されてしまったけれど、ここから先は僕らの仕事だ。僕はこの研究所の資料や設備を全て回収し、研究員を全て、この手で殺す。キコにはサポジラ一家の幹部や構成員のうち、この件に関わっている者の首を全て刎ねて持ってきてほしいんだ。あぁ、頭領の首は残しておいて。辺境伯家への義理もあるからさ」
だから大丈夫。ガーネットは間違ったことなんて何もしていないからね。
「ガーネットには亜空間に入ってもらって、さっそく治療をお願いするよ。とりあえず六人をベッドに寝かせて、生体情報をモニタリングできるようにしておいてほしい。僕もすぐに行くから」
僕はガーネットを亜空間に招く。そして、この実験施設の部屋を一つずつ念入りに探索して、他に被害者がいないかを確認していった。
すると途中で、少数民族の者とは別の、追加の被害者もかなりの数を見つけたから、ガーネットのもとに送って治療をお願いする。
資料や装置を回収し、研究員の命を奪って、施設を空にしていく。
きっと、今この時が一つの分岐点なんだろうな。僕がパン屋の息子なのか、ヤクザなのか。まぁ、悩んだって僕の選択は変わらないし、何もかも今更だけどね。
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