04 そんな彼女の素敵な夢が
客室のベッドに横たわりながら
ガーネットは現在も、難しい顔をして書籍とにらめっこしていた。頑張るなぁ。
ただ一つ気になるのは、彼女が最近スキル訓練をやめてしまったことだった。別にそれ自体は自由にしていいけど、なんとなく、ガーネットらしくないような気がするんだよね。どうしたんだろう。
「お疲れ様、ガーネット。調子はどう?」
「筆頭。あ、ありがとうございます。書庫の本をたくさん読ませていただいて……知識の不足に気付かされました。もっと勉強しないと」
「そっか。何か欲しい書籍はあるかな。基本的には何でもかんでも複製してるけど、ガーネットが勉強したい分野があれば積極的に仕入れてくるよ。僕が集める情報はほら、基本的に辺境スローライフって方向に偏ってるから」
僕が何気なくそう問いかけると、彼女は胸元の装飾品――グリーンガーネットのペンダントをキュッと握りしめた。
「そ、それでは。医療系錬金術に関する書籍をお願いしてもよろしいでしょうか」
「ん、分かった。医療系か……探してみるね」
僕は机の端に食事の盆を置く。
「――ガーネットの視力が悪いのは、そのペンダントのせいだよね。何か理由でもあるのかな」
あまり根掘り葉掘り聞くことではないけど。
やっぱり少し気になっちゃってね。
魔力探知スキルで見てみると、ガーネットの身体から流れ出た魔力はペンダントで跳ね返って、彼女の身体に戻っていくのがわかる。そしてそれは、彼女の視神経に何かしらの影響を与えているようだった。わざわざ魔法で視力を落として眼鏡をかける……というのには違和感があるんだよ。
すると、ガーネットは少し悩ましげな顔をしながら、ゆっくりと話し始めた。
「筆頭は……目が見えなくなったら、どうしますか」
「ん? 話が見えないけど」
ガーネットが話し始めたのを聞いて、僕は騎士人形を椅子に腰掛けさせる。彼女はなかなか自分のことを話さないからね。ここはじっくり聞くべき場面だろう。
「その……突然音が聞こえなくなったり。匂いや味や感触が……身体感覚が急に消え失せたら、どんな風に感じますか。いつものように冷静に対処するのでしょうか。それとも、いくら筆頭でも戸惑いますか」
ガーネットの口調はいつもとそう変わらない。なのになぜだろう、今にも泣き出しそうな声に聞こえてしまうのは。
「それがガーネットの魔法?」
「はい。感覚喪失魔法――相手の身体感覚を何か一つ奪う魔法です。といっても一時的なものですが」
そう話す彼女は、どうも自分の魔法を良く思ってはいない様子だった。
なるほど。つまり彼女は、その魔法を周囲に振りまかないために、グリーンガーネットの魔法補助具で自分の身に跳ね返していると。そういうことだろうか。
「私が感覚喪失魔法を発現したのは三歳の時でした。細かなことはもう記憶にありませんが……友達と些細な喧嘩をして、彼女の視力を数分ほど奪ってしまったのです」
「そっか。その友達は?」
「私のことを怖がって、離れていって、それっきりです。目が見えなくなってしまったのが相当なトラウマになったんですね。仕方のないことです」
こういった類の事件は、この世界ではよく聞く話だ。
物心がつく前に、感情的に魔法を暴発させて騒動になる。とはいえ、未制御の魔法なんて大した影響を及ぼさないから、大抵そこまでの大事にはならないんだけど。
「私は本当は……神話に出てくる聖女様みたいに、人を癒やす魔法を覚えたかったんです。友達の目を見えなくさせたり、耳を聞こえなくさせる魔法なんて、全然いらなかったのに」
「だから、錬金術?」
「そうです。錬金術ならば、こんな私でも誰かを癒やすことができる。泣いている人を笑顔にできる。そう思ったのですが……色々と力不足で。本当は医療系の勉強をしたかったのに、お父様が先生として呼び寄せたのは農業系の錬金術師でした。家では
ガーネットはそう言って俯く。
「人を癒やす……ふふ。ヤクザの娘が掲げるには、可笑しな夢ですよね」
「いや、すごく素敵な目標だと思うよ。なんかガーネットらしいし。これからいくらでも目指せばいいよ。僕に協力できることがあったら、何でも言ってね」
僕がそう言うと、ガーネットはにこりと笑って小さく頭を下げた。
医療系錬金術の書籍か。今後は積極的に集めるようにしようかな。となると、神殿の書庫に潜り込む必要がありそうだけど。
あ、うん。分かってるよ。目的のためなら違法コピーも厭わないのは良くないことだって。でもこの世界では、書籍の情報って基本的に秘匿されているから、どんなにお金を積んでも入手できない情報が多すぎるんだよね。困ったことに。
「――なるほど。筆頭のあの膨大な蔵書は、様々な場所に忍び込んで複製していたんですか……ふふ。なかなか悪い人だったんですね」
「そうそう。実はヤクザ組織の幹部らしいし」
「そういえばそうでしたね。ふふふ……」
そうして色々と話をして、以前よりは少し、心の壁を感じなくなったと思う。ペンダントについて問いかけようかずっと迷ってたんだけど、思い切って話してみて良かったよ。
「それと、ガーネットの魔法は、優しい使い方もできると思うんだけど」
その後は、僕がメディスの治療を見学して得た知見だったり、治療技術のさらなる向上のためには何を解決するべきか、様々な議題でガーネットと語り合った。朝まで語り明かしてしまったけれど、かなり有意義な時間だったように思う。
人を癒やして生きていきたい。
そんな彼女の素敵な夢が、叶うといいなと僕は思う。
◆ ◆ ◆
キコに調査を依頼して数日が過ぎた。
彼女の影魔法は、隠密行動を取る上で非常に優れた魔法である。影に物を収納したり、影に入り込んで存在を隠したり、影の形を変えながら移動したりできる。不自然に影ができるから昼間の運用には難があるけど、日が落ちてからの有用性は抜群と言っていい。
とはいえ、この魔法をちゃんと運用できるようになったのは、ごく最近のことだったんだよね。
キコはこれまで影魔法を「ハズレ」だと思っていたらしい。
魔法でできるのは影の形を変えることくらい。その上、基本的に影は自動で一定濃度に保たれる。つまり――彼女の意志とは関係なく、太陽の下では勝手に魔力が消費されてしまうのである。魔素不足に悩まされたのは、それが最も大きな原因だった。
しかし、僕の亜空間魔法の理屈を応用することで、キコの魔法は変わった。
自分が支配する影に、三次元とは別方向の「奥行き」を加える。これによって
それと、僕は彼女に光を遮断する黒い外套魔道具を作ってあげた。というのも、常に身体の周囲に濃い影がある状態であれば、影を維持するための魔力負担が少なく済むと思ったのだ。これが大正解でね。
まぁ、黒い外套に大鎌を持っていると……完全に死神みたいなスタイルになっちゃうんだけれども。
「――クロウ。情報収集の結果を共有する」
調査から帰還したキコが、
僕は
「報告する。サイネリア組シルヴァ支部を取りまとめているサポジラ一家……つまり支部長の一派が、このシルヴァ辺境領全域に悪影響を及ぼす活動をしている」
「やっぱりね。具体的には?」
「シルヴァ辺境領の新しい産業……綿製品の製造工場を裏で牛耳っているらしい」
綿製品の製造工場? それだけだと、特段悪いことをしているようには聞こえないけど。疑問に思った僕は、キコに説明の続きを促す。
「この工場は表向きは上手くいっている。ダシルヴァ市の住民にとっては、伝統的な
「なるほど。それで問題点は?」
「工場から出る瘴気で市内の空気が汚染され、体調を崩す者が増加している。それと、孤児たちが劣悪な環境で強制労働をさせられているらしい……領主側は改善を求めている。でも、サポジラ一家は一切取り合おうとしない」
なるほど、環境汚染と児童労働か。
アズカイ帝国には現状、これらを規制する法律はない。だから騎士たちも、表立ってサポジラ一家を捕縛するわけにもいかないし、税収も上がっているから領主も文句をつけにくい。法の穴を突いて儲ける、というのはいかにもヤクザなやり方ではあった。だけどね。
「分かった。潰そう」
「いいの? 組への上納金も増えてるらしいけど」
「あぁ、まだ詳細な調査が必要な段階だけどね。情報が出揃ってないから、どういう潰し方をするのかはこれから考えるけど」
別に正義を気取るつもりはない。僕はもう一端のヤクザだ。ただ、やっぱりどう考えても、気に食わないものは気に食わないんだよね。
「子どもを酷使しないと成り立たないような商売なら、潰してしまっていいよ。ここはヤクザらしく、身勝手にやらせてもらおう」
もちろん、他に良いやり方があるなら、産業自体は残してもいいと思うけど。これは義憤なんかのまっとうなものではなく、単に僕のわがままだ。文句なら、僕を次期若頭候補にした組長あたりが受け付けてくれるよ。
さて、キコとそんな話をした翌日。
部屋を訪ねてきた領主の娘ジュディスに、僕は一通の手紙を手渡した。
「クロウ様。この手紙は何ですの?」
「うん。この手紙をフルーメン市にあるサイネリア組の本部に届けてほしいと思ってね。もちろん内容は、騎士たちに確認してもらって構わない。むしろ、領主側と示し合わせて動いたほうがやりやすい案件だと思うから、積極的に見てもらいたいくらいだけど」
その内容は、非常に簡潔なものだ。
サポジラ一家は、仁義にもとる活動をしている可能性がある。
次期若頭候補筆頭クロウ・アマリリスの義務および権限において、これの詳細を調査し、適切な処分を執行する。事態は急を要すため、本部の返答を待たずに行動する。追認されたし。
つまり「勝手に行動するけどよろしく」という一方的な通告である。
彼らの会話から推測するに、児童労働以外にも、どうやらかなり黒いことをやってる可能性があるみたいで……今キコには事実関係を調べてもらってるけど、さすがにこれは見過ごせない。かなりまずい事態になっていると思うんだよ。
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