02 ついに来たぞ、辺境
穢れの森を苦労して切り拓いたのだろう。
シルヴァ辺境領へと続く道は馬車がやっとすれ違えるくらいの幅で、蛇行しながら森の奥へと続いている。
「瘴気が濃い。魔物が多い。人が暮らしにくそう……ついに来たぞ、辺境。ワクワク」
僕は密かにテンションを上げながら、冬越えの物資を亜空間に収納し、徒歩で道を進んでいた。いいね、実に空気が濁ってるよ。
この辺境領に村落はなくて、ダシルヴァ市という都市が一つあるのみ。なにせ瘴気が濃くて、魔物の数も強さも他とは段違いだからね。村落なんて作っていられないし、街道だってろくに整備できない。定期的に発生する魔物災害に対処するため、都市外壁は堅牢に築かれていて、人が住むにはかなり厳しい環境なのである。いいぞいいぞ、僕はこういうところに拠点を切り拓いてスローライフを送りたいんだよ。
これだけ瘴気が濃ければ、魔物の襲来だって珍しくはない。そんな中、僕がゆっくり歩いていられるのは浄化ランタン――ランタン型の瘴気除け魔道具を所持しているからだ。普通だったら馬車の速度を上げて駆け抜けるのが正解だろうからね。
なんて考えていると、隣を歩くガーネットが呟く。
「辺境って、もっとひっきりなしに魔物が襲ってくるものだと思っていました」
ガーネットは若草色の髪をお団子にまとめて、瓶底眼鏡を揺らしながら、周囲をキョロキョロと観察していた。うんうん、辺境ってけっこう面白いよね。
大粒のグリーンガーネットをあしらったペンダントが、彼女の首元でキラリと光る。
「じ、実は私も辺境に来るのは初めてでして……その、歩いているだけで、都市部では入手困難な錬金素材をかなり見かけるのですが、後ほど採取しに来てもよろしいでしょうか」
「うーん、それはちょっと許可できないかな」
確かに珍しい動植物、魔草や魔樹なんかもたくさんあるから錬金術師にしたら夢のような環境だ。僕もずっとワクワクしてるし、気持ちはわかるけど。
でもそれ以上に、ここには危険なものの方が多いんだ。特に魔物については、これまでと同じとは考えないほうがいい。
例えばアレなんかは、わかりやすい脅威かな。
「ほら、あそこ。高い木の上から、白い糸玉のようなものがぶら下がっているのは見えるかな」
「はい。果実か何かですか?」
「いや、あれは猫蜘蛛の食料貯蔵庫だよ。一つ一つの糸玉に、
ちなみに僕も一度捕まったことがあるんだよね。
辺境に来るの自体は初めてだけど、都市部を離れれば瘴気溜まりはちらほらあるからね、素材採取や魔道具実験なんかのために何度もこっそり訪れていた。まぁ、僕の亜空間魔法なら糸玉からの脱出は簡単だったけど、そういう特殊な能力がなければ僕も今頃は猫蜘蛛の養分になっていただろう。
「見たところ、森の浅いところにも危険な魔物が多そうだからね。それに、シルヴァ辺境領は
「な、なるほど。魔物に対処する知識や実力が必要になってくると」
「そうなんだ。そういう魔物関連の知識を体系的にまとめた書籍なんかは見たことがないから、僕も知ってる範囲の情報を資料に起こしたりはしてるんだけどさ」
魔物大図鑑、みたいなものもいつか作ってみたいんだよね。スローライフの片手間にそういうのをまとめていくのも楽しいかなと思ってさ。
「魔樹や魔草なんかも、面白いのがいろいろあるんだ。ほらあそこ……犬鬼や豚鬼がツルに絡まって、中の肉だけ吸われてるでしょ。あの吸肉
他にも、地面をカチカチの粘土質に変えてしまう
「――という感じで色々と厄介だから、戦闘能力の心許ないガーネットが一人で出歩くのはあまりオススメしないかな。採取に来る時は僕が護衛につくけど、いずれにしろ辺境領の状況が分かるまではあまり動けないと思うし」
「は、はい。分かりました」
「落ち着いたら、一緒に採取に来ようよ。丸一日くらいかけてゆっくりとさ」
ちなみに、ガーネットが僕についてきた理由はただ一つ。彼女の錬金工房の維持のためだ。というのも、あまり遠くに離れると、錬金工房の魔道具に供給している僕の魔力が途切れて亜空間が崩壊するからね。そういえばそうだった。
彼女の移動式錬金工房には最初に作った時から色々と改良が加えられている。キューブ状のシンプルな木箱でしかなかった外装も、魔鋼の術式回路によって薄い魔障壁で保護され、いかにも魔道具っぽい見た目になった。箱の下部に生えている足も、悪路でも歩きやすいようちょっとずつアップデートしている。今はガーネットの空間拡張ポーチの中にしまってあるけどね。
そうしてガーネットと話をしながら進んでいると、穢れの森から一つの黒い影が現れた。その肩には農作業で使うような大鎌がかけられている。
黒曜石のキコ。そう呼ばれる彼女は、黒い外套――僕の作った魔道具を身に纏い、特級の魔力を振りまきながらこちらに帰ってくる。
「クロウ。飴ちょうだい」
「はい、あーん」
「あー……ん。最高」
キコの身体に足りない魔素を補うため、僕は彼女にずっと魔素飴を提供している。彼女が僕についてきた理由はまさにそれで、魔素飴の補給が滞ると困るからというものだった。
なるほどね、それはそう。まぁ、最近は瞑想スキルを鍛えているから、以前ほどの空腹感には襲われてないと思うけど。
「吸肉葡萄の実、拾ってきた」
「あぁ、魔素飴の材料だね。メープルシュガーも大量に確保してあるから、空いた時間に飴を増産しておくよ。今出せる?」
僕が亜空間の入り口を開くと、キコは外套の前を開き、ブンブンと揺する。すると、大量の吸肉葡萄の実が次から次へと僕の亜空間に入ってきた。
うんうん、彼女の影魔法もなかなか便利になったなぁ。どうやら彼女は僕の亜空間魔法を参考に
「……こんなところ。飴を作るのに足りる?」
「十分だよ。いっぱい取ってきたね」
「ん。吸肉葡萄の果実が欲しければ、小鬼なんかの不味い肉を餌として与えれば早い。これも生活の知恵」
ほう、なるほどなぁ。
それは良いやり方かもしれない。
吸肉葡萄の果実は一粒一粒がメロンくらいの大きさだ。その収穫も簡単で、実が詰まって重くなると自然と地面に落下するから、わざわざ魔樹からもぎ取る必要はないのである。とはいえ、不用意に近づくとツルが伸びてきて捕らえられ、肉だけ吸われて自分が果実にされてしまうんだけど。
「キコってもしかして、わりと辺境慣れしてる?」
「うん。生まれ育った村のすぐ近くに、辺境領があった。こことは別の場所だけど。いつもお腹が空いてたから、森や荒野で食料を調達するのが日常だった」
なるほど。慢性的な魔素不足に陥っても彼女がここまで育ってこられたのは、そうやって自力で食料を確保してたからなんだろうな。
「さてと……そろそろ関所が近づいてきたね。二人は予定通り亜空間で待機しておいてもらえるかな」
そうして、ガーネットとキコには
ちなみにペンネちゃんは、レシーナの冬季巡業に同行してくれている。というか、これまでもレシーナの髪結いや着替えなんかはペンネちゃんがサポートしてたからね。今までと特に変わりない。巡業にはレシーナ親衛隊もゾロゾロと引き連れていったから、あっちはあっちで上手くやってくれてると思う。
そうして僕は、浄化ランタンを片手に持ちながら、石造りの要塞のような物々しい関所へと向かっていったのだった。
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