21 僕らが対立する理由はないよ

 前世の個人的なトラウマから、宗教というものに疑念を抱きがちな僕だけど、それが人間社会にとって必要な存在であることは理解している。一応ね。ホントだよ。


 この世界では今でこそ王侯貴族が国の舵取りを行っているけど、それ以前はずいぶんと長い間、精霊神殿という宗教団体が人々を導いていた。

 神官はとても強い魔力を持っていて、魔物や魔族の脅威から人々を守ることで畏怖と敬意を集めた。それと同時に、文字の読み書きや計算を教えながら精霊経典の教えを広め、時間をかけて人々の価値観・倫理観を統一していったのだ。今の時代になっても、それらは「常識」としてみんなの無意識に刷り込まれているくらいだ。


 だけど、どれほど教義が素晴らしくても、神官自身は人間でしかない。人間が運営する以上、絶対的な権力を持った組織なんていつかは腐敗するものだ。

 神殿組織が独占していたはずの強い魔力は、神官たちの貞操観念の緩みとともに民間に流れ、やがてそういった者たちを中心にして精霊神殿支配からの独立運動が始まることになった。


「さて……こんな風にして世界は古王国時代、神殿時代を経て現在の貴族時代へと移行したわけだ。君たち精霊神殿の勢力は、本拠地であるナナリア精霊国を除き、基本的に各地の政治組織よりも下に置かれるようになった」


 僕がそう語る目の前で。拘束された五人の組員……いずれも精霊神殿のスパイである男たちは、青い顔をして震えている。

 彼らは停車場から少し離れたところで何やら怪しげな相談事をしていたから、まとめて拘束し、魔力で脅しながら亜空間へとご招待したのである。


 そう。ここは亜空間の中なので、周囲を気にする必要はない。僕はいつも体内に収めている魔力を無駄に放出しながら、ヤクザがよくやるオラついた感じに魔力を荒々しく動かす。ちょっと楽しい。

 そうだな、魔力操作技術スキルとして名前をつけるのなら、魔力威嚇ってところかな。これを普段使いして偉ぶるつもりは一切ないけど、僕はこの巡業で「時には強く出ることも大事だ」ということをレシーナから学んだからね。ようは、時と場合で使い分けようね、という話である。


「――神殿時代が終わっても、君たちが完全に排除されなかったのには、いくつか理由がある」


 さぁ、歴史のお勉強だ。

 権力が貴族に移っても、精霊神殿が組織として生き残った理由は色々とある。当時は教育機関・医療機関として代替がなかったこともそうだし、浄化結界が村落の生命線であったこともそうだ。それと、彼らは政治利権をあっさり放棄する一方で、宗教利権については頑として手放さなかったのだ。

 民衆は生まれてから、成人して、結婚して、死んで墓に入るまで……人生のあらゆるライフステージで親兄弟がみんな神殿の世話になっている。それに、季節ごとの祭祀を取り仕切るノウハウだって神官のものだ。権力を握った貴族たちでさえ、民衆から無理に信仰を取り上げることはできなかったのである。


「――だけどね。君たち精霊神殿が存在を許されている理由は、あくまで民衆の利になることが大前提だってことを、忘れちゃいけないと思うんだよ」


 まぁ、それを語っているのがヤクザ組織の次期若頭候補っていう部分はツッコミどころだけどさ。


 さて、こうして長々と無駄話をしたけど、話の内容自体にさほど大きな意味はない。誰でも知ってることだしね。

 大切なのは、時間をじっくりかけて魔力で威嚇し、彼らをギリギリまで追い込んで、精神を疲弊させることだ。そうすると、この後の交渉を進めやすくなる――というテクニックをレシーナに教えてもらったわけである。さすがだなぁ。いつも僕を脅しているだけはあるよ。


「君たちの中でリーダーは誰かな」

「…………私。オンドロです」

「そうか。なら僕の交渉相手はオンドロになるというわけだね。ちょっと腹を割って話そう。僕らの間には何か誤解がありそうな感じだし、これは民衆にとって利のある話だ。本来なら、僕らが争う理由なんて何もないと思うんだよ」


 裏切り者にも色々いるけど、できれば彼らのグループには穏便にお帰り頂きたいんだよね。


 オンドロは三十代くらいの白髪交じりの男である。普段はサイネリア組の組員としてヤクザ稼業に精を出しているけれど、実際のところは幼少期から神殿の教えを叩き込まれた生粋の潜入調査員である。もう長いこと組の情報を神殿に流してたんだってさ。ふーん。

 僕は亜空間収納ストレージから椅子を二脚取り出すと、彼と向かい合わせに座る。


「それじゃあ、ここに至るまでの流れを確認していいかな。まず君たち五人は神殿から秘密裏に派遣され、サイネリア組に入り込んで内情を探る役割を担っていた。そして今回、レシーナ率いる巡業部隊が何やら浄化結界に妙なことをしているらしいと耳にして、確認しに来た」

「はい……どうも結界を偽物に交換していると」

「どこの陣営から情報を聞いたのかは知らないけど……まったくもう。縄張りシマの村落を滅ぼしても何の利益もないのに、僕らが浄化結界に悪さをするわけがないじゃないか」


 むしろ良いことをしているまである。

 性能も耐久性も大幅にアップさせてるしね。


「これまで見てきた村落に、滅んでいる場所はなかったよね。考えてもみてよ。専門の神官が丸一日かけて行う浄化結界の更新儀式を、神官でもないヤクザが、巡業の片手間でパパッとやることが本当に可能だと思う?」

「……いえ。無理だと思います」

「普通に考えたらそうなるよね。それから、知っての通りサイネリア組の内部は現在跡目争いが激化している最中だ。僕とレシーナは若頭から重要な仕事を任されているけれど……それを快く思わない人たちもいるんだろうね。困ったことに、常に足の引っ張り合いをしてるんだよ」


 僕は言葉に気をつけて、決して嘘をつかないように気をつけながら、真実とは違う方向へと印象を操作していく。

 というのも、精霊神殿は「神聖術」などと称して一部の魔術や魔道具を厳重に秘匿しているらしいからね。噂ではその中に、レシーナの魔法のように嘘を判別するような魔道具があるとも聞く。見たところ彼らがそのような希少な道具を持っているようには思えないけど、念のため、この場では事実だけを上手く切り貼りして語っていくのが安全だろう。気にし過ぎだろうとは思うけど。


 そうやって語りながら、僕は一つの魔道具を取り出す。先端がトイレ用のスッポンのような形をしていて、見た目としてはジャイロ義賊団に渡した結界交換杖とよく似ている。けれど、機能は全くの別物である。


「結界杖。これは浄化結界コアの摩耗や腐食状況をチェックして、寿命予測を行う魔道具なんだ」

「寿命予測……ですか」

「こういう話は聞いたことがないかな。浄化結界の更新には多額の費用がかかる。だからどの村落もなるべくギリギリまで交換作業をしたくない。結果的に更新前に結界が壊れて、村落自体が瘴気に沈み、人が住めない土地になってしまうケースがあると」


 これは実際に行く先々でよく聞いた話である。

 まだ平気、まだ大丈夫……そう思いながら決断を先延ばしにした結果、村が瘴気に侵されて、村民が逃げざるをえない事態になることがあると。貧しい村落だと特にそういう事態になりやすいらしいからね。目の前の彼らだって、そのことは知っているだろう。


「浄化結界の寿命予測をして、更新時期を明確にする。これは民衆にとって利のある活動だ。まぁ神殿の利益を考えれば、短いサイクルで交換してしまった方が得なんだろうけど……それで村落が滅びるのは、神殿も不本意だろう」

「はっ……それはそうです」

「民衆のためを思って活動する。その意思が共有できているのなら、僕らが対立する理由は何もないと思っているよ」


 まぁ味方同士とも言えないけれど、とりあえず何かしらの着地点は見つけられるだろうと思う。


「どうやら私は、貴方を誤解をしていたようで」

「分かってくれて嬉しいよ。それで、ここからが君と交渉したい内容になるんだけど」


 僕は彼に、結界検査杖を手渡す。


「本来なら神殿への寄付は美徳だけど、さすがにこの魔道具を無償で提供するのは気が進まなくて……だから、神殿にはこの結界検査杖を購入してほしいと思ってるんだ」

「購入、ですか」

「縄張り内の浄化結界についてはサイネリア組の方で急ぎ対処を進めている。だけど、よその縄張りについては神殿が主導で寿命予測をした方が良いだろう。その手助けをさせてくれないだろうか、という……民衆のためになる提案だ」


 オンドロは真剣な表情で僕の話を聞く。

 精霊神殿にとっても、浄化結界の更新時期を正確に把握する利点は多いだろう。交換品の生産個数を調整するのも、神官派遣の段取りをするのもやりやすくなる。


「この結界検査杖を、僕は五千個ほど用意した。精霊神殿にはこれを購入してもらいたい。帝国西部にそこまでの経済的余裕はないだろうから――ナナリア精霊国。君たちの本国にこれを売ってきてほしいんだよね。希望価格は一本あたり金貨一枚」

「や、安すぎる!」

「そう思うなら、差額はオンドロの懐に納めてくれていいよ。君たちにはこの魔道具五千個と、金貨五千枚分の借金をあげよう。君名義のね」

「しゃ、借金ですか……」


 うん、そうだよね。

 ヤクザに借金するのは普通にビビるよね。


「借金といっても利子は取らないよ。君はこの結界検査杖をナナリア精霊国で好きな値段で売り払い、そのうち金貨五千枚だけをサイネリア組に返せばいいんだ……差額は全部君のものになる。くくく、人生をかけた大博打だね。さぁ、どうする」


 僕がそう言うと、オンドロの瞳の奥にやる気が灯った気がした。実は彼は結構俗っぽいというか、普通にヤクザに染まって博打とか大好きになってる人だからね。それはそれで、行動が予測しやすいから良いけどさ。

 ちなみに魔道具の材料は全て僕が集めたものなので、元手はゼロである。仮に持ち逃げされたところで痛くも痒くもないわけだ。


「これはオンドロたち五人へ与える最後のチャンスだと思ってほしい。神殿のスパイだと判明すれば普通は首を刎ねるところを、組の利益になりそうだから生かしてやるという話だからね。この話を断って死ぬのも自由だけど」

「いえ、やります。やらせてください」

「そう? 分かった。じゃあこの借用書にサインをしてね……さて、オンドロを筆頭とする五人にはここで巡業から外れてもらおう。ナナリア精霊国までは遠いだろうから、馬車も一台あげるよ。馬も含めて、これは君たちのものにしていい」


 彼らが成功すればサイネリア組も潤うし、失敗してもそれはそれ。

 なにせ今回の目的は、ジャイロ義賊団の浄化結界コアの交換作業を有耶無耶にすることだからね。これだけ大きな釣り針を用意すれば、この冬の間くらいは誤魔化し通せると思う。しめしめ。


「馬車には既に結界検査杖を積んである。旅の必需品なんかもね……ここから先は君に任せるよ」

「はっ。お任せください」


 この企みが上手くいけば、やがては世界各地で、トイレ掃除用のスッポンを持った神官が各地を巡る姿が見られるようになる。楽しみだなぁ。


 こんな風にして、神殿勢力への対応は穏やかに終わることとなった。彼も大富豪になるチャンスを得たわけで、なかなか良い取引ができたんじゃないかなと思う。

 亜空間の中で馬車の準備を整えて、その中に彼らを押し込み、拘束から解放して出発させる。さてと。


――穏便に済むのは、ここまでだろうな。


 他の裏切り者集団はいったんレシーナとペンネちゃんに任せてあるけど、さて。彼女たちは上手くやっているだろうか。

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