17 いつでもどこでも
――どうやら若候補はガーネット嬢様に夢中らしい。
そんな根も葉もない噂が使用人の間で囁かれているのを、一生懸命聞かないフリしながら、僕は邸宅内に用意された彼女の錬金工房へと向かっていった。
研究内容にもよるけど、騒音や悪臭で周囲に迷惑をかけてしまう錬金工房は決して少なくない。彼女の工房が中庭の別棟に隔離されているのも、きっとそのあたりに理由があるんだろう。
「ガーネット様。若候補をお連れしました」
工房に入った瞬間、むせ返るほどの甘い匂いに圧倒された。なるほど、これは隔離されるのも仕方ないかもしれない。頑張ってるなぁ。
ガーネットはたしか砂糖関係の研究をしてるって言ってたよね。
案内してくれた使用人はそそくさと去っていってしまったので、僕は一人で工房に足を踏み入れる。
そうして部屋の奥に行けば、そこにはなぜか、ネグリジェ姿で瓶底メガネをカタカタと揺らすガーネットの姿があった。
「で、できる限り換気はしたんですが、だいぶ臭いが厳しいと思うんです。だ、だだだ、大丈夫でしょうか。その、あの」
ガタンゴは一体何をどんな風に伝えたんだ。
僕は思わず盛大に脱力しながら、彼女に服を着るように告げる。そもそも僕は十歳で彼女は十二歳。不埒な真似をする気はそもそもないし、ここに来た目的はそういうのじゃないから、どうか安心してほしい。
僕は
「さて。ガーネットにはこれから、自分の錬金工房を離れて僕の配下になってもらうことになる。でも、さすがにバックパック一つ分の錬金道具では、色々と不足するだろう」
「は、はい。それはまぁ、可能な限りこの工房から器材や書籍なんかを持っていけたほうが嬉しいとは思っていますが……さすがに冬季巡業にお供するのに大荷物は無理ですよね。そのあたりは一応、私なりに厳選したつもりなんですが」
「うん。それを解決する手段があるんだよ」
僕はそう言って、魔道具の説明を始める。
「このキューブ状の魔道具は……より正確に言うと、魔術道具じゃなくて魔法道具の方なんだけど。僕の亜空間魔法の一部機能を組み込んでいるんだよ」
そう、魔道具にもいくつか種類があって、特に魔術道具と魔法道具は作り方が色々と違うんだよね。
魔術道具の方は、術式回路で機能が決まり、誰でも同じ現象を発現させられる。一方の魔法道具というのは、個人個人で異なる魔法を道具に仕立てたものだ。当然ながら、魔法道具の方が作成する難易度は高いんだけど。
錬金術師にとって装置や道具は手足のようなものだし、書籍は頭脳だ。バックパック一つ分の持ち物だけで、他の全てを手放せというのは酷だろうからね。配下になってもらう以上は、僕もできるだけ協力させてもらうよ。
「あの、若候補。魔法を道具に込めるのは
「そりゃあ天然魔宝珠は高価だけど、人工魔宝珠ならわりと気軽に作れるよね。魔石と魔法金属を溶かしながら錬成するだけだし。古代遺跡から発掘される魔法道具なんてほとんど人工魔宝珠だと思うけど」
「え……そ、そうなんですか?」
まぁ、こういった知識なんかは貴族家や錬金術師の書庫の奥の方に眠っている古い書籍から得ているから、一般には秘匿されているのかもしれないけどね。
しかも一つ一つはかなり断片的な情報だから、他の場所の書籍と組み合わせないと読み解けないものだってかなりある。古代語で書かれているものも多いから、僕も読み解くのにちょっと苦労したし……となると、十二歳の下級錬金術師であるガーネットが知らないのも当たり前か。
「たぶんだけど、上級錬金術師くらいになれば知ってるんじゃない? ほら、知識ってよく秘匿されてるからさぁ。一般には失伝してると思われてても、案外こっそり知ってる人がいたりするもんだと思うよ」
「そ、そんなレベルの話ではないように思うのですが……えっ、魔宝珠って作れるんですね」
「もちろんだよ。それで、基本的には魔術道具の術式回路を部分を、魔宝珠に置き換えたものが魔法道具だ。もちろん回路の組み方にも色々と違いはあるし、魔法の持ち主以外の魔力だと消費魔力が大きくなる傾向があるから、魔術道具ほど汎用性は高くないんだけど……でも、魔法の効果を道具に込めること自体は、今の技術でも決して不可能じゃないんだよ」
僕がそんな風に説明をしていると、ガーネットは机をひっくり返してメモ用紙を取り出し、ものすごい勢いで僕の説明内容を細かく記録していく。いやあの、そんなに大した話をしてるわけじゃなくてさ。勉強熱心なのは素晴らしいと思うけど。
「ちなみにガーネットは、魔宝珠ってどういうものだと思ってたの?」
「えっと、王侯貴族が所持する護身用のお守りのようなもので……魔宝珠に強力な魔法を込めておくと、魔法の所持者でなくても一回だけそれを取り出して使うことができる。数も限られているので、本当に希少な品だと思っておりました」
「なるほど……そういう使い方も確かに可能ではあるけど、ちょっともったいないよね」
ガーネットは驚いているみたいだけど、古代遺跡に現物があって、文献にも記録が残ってるくらいだから、過去には魔法道具が常識として扱われていた時代があったのは確かなんだ。
たぶん状況が変わったのは、精霊神殿の権力が大きくなって全世界を支配していた時代――いわゆる神殿時代が原因だと思う。
あの時代は、錬金術の知識の一部が「精霊経典の教えにそぐわない」って異端扱いされたみたいなんだよね。それで、様々な技術が厳重に秘匿されるようになったから……魔宝珠の作り方が大っぴらになっていないのも、たぶんそのあたりに理由があるんだと思う。
「まぁ、歴史について考えるのは後回しにしようか。とにかく今は、この箱型魔道具だけど」
「は、はい。若候補の魔法、亜空間魔法と言うんですか……その機能を使用できると。お話から察するに、この箱は収納道具ですかね。空間拡張収納よりもたくさんの物品が収納できて、容易に持ち運びが可能……そういうことでしょうか」
あぁ、
「残念。この箱は少し違うんだよ」
この魔道具に込めた魔法は
人間が入り込んで生活できるような亜空間を構築するものだ。
箱に魔力を込めると、そのすぐ横に亜空間に繋がるゲートが開く。内部の広さについてはこの工房をまるまる収めても全然余裕があるから、ガーネットが必要だと思ったものは、遠慮なく全て持っていけるだろう。
ふと見れば、ガーネットはポカーンと口を開いてフリーズしている。おーい、大丈夫かい。
「ガーネット。これからはこの箱型魔道具が、君の移動式錬金工房になるんだよ。必要なものは全ての持っていけるし、いつでもどこでも研究が可能になる。空間ごと隔離されるから、周囲からの影響も受けないし、周囲への影響も気にしなくていい。必要なら引っ越し作業を手伝うけど」
僕がそう申し出ると、彼女は壊れたブリキのおもちゃみたいにぎこちなく、コクリコクリと頷いた。大丈夫かな。
あとで
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