10 私の魔法について

「少し……私の魔法について、話を聞いてほしいの」


 レシーナはなぜか目尻に涙を浮かべながら、僕の手を掴んでジッと視線を向けてきた。


「レシーナの魔法?」

「そう。私の魔法――」


 レシーナは、手にギュッと力を込める。


「――読心魔法の話を、聞いてほしいの」


 そうして、ソファに並んで腰を下ろすと。

 彼女は少しずつ、懺悔をするかのように苦しそうな顔で、話し始めた。


  ◆   ◆   ◆


――私には、生まれつき強力な魔力が備わっていた。


 父親はヤクザの若頭で、母親は貴族家出身。そんな二人の間に生まれたのだから当然だけれど……魔力等級は特級。ただでさえ魔力が強い上に、魔力性質はひどく荒々しくて、私はただ普通にそこにいるだけで皆を怖がらせてしまう存在だった。


 そんな私が、皆に向けられる感情に気づいたのは、物心をついてかなり早い段階だった。


「おかあさま。わたしがいると、どうしてみんなミドリになるの?」

「ミドリ……緑色ってこと?」

「うん。こわがっているときのいろ」


 私の魔法はある種の魔眼。

 人の浮かべる感情を、色として認識できる。


 そして、真っ赤になって怒っている人も、楽しそうな黄色の人も、悲しそうな青い人も。私がほんの少し魔力を揺らすだけで、みんな恐怖の緑色になるのだ。みんなみんな緑に。


 読心魔法。それは一見便利そうな魔法だけれど、実際のところ役立つことはあまりなかった。

 そもそも魔法は、自分よりも魔力が強い人間には効きにくい。私の魔法も例外ではないから……貴族の血を引く人間、魔力を鍛えている人間の感情はあまり読み取ることができなかった。その一方で、魔力の貧弱な人間から読み取れる感情は「恐怖」しかない。誰も彼も皆、私を前にすると恐怖の緑色になる。それ以外の色も時折混じるけれど、誤差のようなものでしかなかった。


 五歳の頃にお母様が病でこの世を去ると、私の周囲にはいよいよ人が寄り付かなくなってしまった。お祖父様もお父様も忙しくて、会える機会は少ない。


――誰か、怖がらずに私を見て。


 別に服従なんていらなかった。何でも言うことを聞くだけなら、人形遊びと何も変わらない。不満があれば言って欲しかった。間違ったことをしたら叱ってほしかったのに。


――誰か、私のそばにいて。


 私が呼び出せば、皆怖がりながら私の前に現れる。そして、急いで用事を済ませると、逃げるように去っていく……当たり前よね。猛獣の前にずっといたい者などいるはずないのだから。


――誰か、私の手を握って。


 もうずいぶん長いこと、私は誰かと触れ合うことがなかった。手が触れる距離に近づいて来ることすらない。ふふ……クロウが世話係になるまでは、着替えも食事も一人でしていたのよ。そのくらい、私には誰も近寄ろうとしなかったから。


 その寂しさを埋めるように……そうね。一時期、アズカイ皇家に嫁入りしようと企んだこともあったわ。

 皇族というのは、一般的な貴族よりも強い魔力を持つ傾向がある。だからきっと、私の魔力に怯えることもないだろうし、読心魔法だって通用しない。それが良い、と思ったの。


「お爺様。私、帝国中央学園に通いたいわ」

「そうか。それなら試験に合格する必要があるな。必要な参考書は買ってやろう」


 皇族・貴族の子は十五歳から三年間、帝都にある帝国中央学園に必ず通うことになる。だから、私も平民枠で入学すれば、皇族の誰かと接触する機会があるかもしれない。

 そう思って勉強を頑張るようになった。それに机に向かっている時間だけは、私は孤独を忘れていられたから。


 そんな風に過ごしていた、ある日のこと。

 いつものように食事をとっていると、急に胸が苦しくなった。毒だ、と遅れて気がつく。するとそこに、物騒な武器を持った男たちが押し寄せてきた。何人かは仕留めたけれど、多勢に無勢、追い詰められた私に選択肢は少なかった。


 毒を盛られて魔力が弱まり、左肩を撃ち抜かれたのは不覚だった。屋敷の片隅に隠されている避難ポッドの魔道具に入り、川へと逃げる。そして気がつけば――私は見覚えのない男の子に看病されていた。


「ごめん、なさい。まだ起き上がれなくて、その」

「じゃあ僕が食べさせるね。胃腸も弱ってるだろうから、ゆっくり少しずつだ」


 まるで恐怖する様子もなく、看病や治療をしてくれる男の子。しかも彼は、貧弱な魔力しか感じられないのに、なぜか読心魔法が通用しない。

 はじめのうちは、体調が優れないから上手く魔法を使えていないのでは、と思っていたのだけれど……すっかり元気になってからも、彼の感情は全く読み取ることができなかった。


 だから、言葉で直接聞いてみることにしたの。

 私が怖くないのかしら、と。


「僕の手を握って。いいから。魔力量を探ってみてよ」


 彼はそう言って、躊躇なく私の手を取った。


 魔法というのは、相手に直接触れると強い効果を発揮するものが多い。私の読心魔法もその類だ。だから、少し悪いと思いながら、この機会に彼の感情を探ってみることにした。そして……彼の内にある様々な感情を読み取ったの。

 その膨大な魔力の裏に潜む、泣きたくなるほど大きな優しさ。打算のない献身と、心の温まる親愛。そして、私の孤独などまるで子どもの甘えに思えてしまうほどの……深くて暗い、底なしの虚無感。


 ねぇ、クロウ。貴方の心の奥底には、どうしてそんな虚無の大穴が空いているの。それにも関わらず、どうして……私に向ける感情は、これほど温かく、柔らかく、そして輝いるのかしら。


 貴方の感情に触れただけで私は、これまでの自分の全てが救われたような気がした。

 あれほど固執していた皇族には、もう欠片ほどの魅力も感じなかった。そして、私はこの人と共に生きたいのだと……クロウの隣で、貴方の虚ろな感情をどうにかして満たしてあげたいと。そう強く思ったの。


「……挙式はいつにしようかしら。新婚旅行は海辺のリゾートがいいわ。子どもは最低十人。あぁ、側室を許さないほど狭量ではないけれど、妻の序列については譲らないわよ」


――貴方を満たすために、何がどれだけ必要なのか、今の私には分からないけれど。だけど貴方のためなら、私は何だってやってみせる。どんな困難も乗り越えてみせる。そうしてずっと貴方の隣を陣取って、私の全てをあげるから。愛していると囁やくから。これからずっと。


 それは私にとって、今までの人生を塗り替えられてしまうほどの……胸の内を焦がされる、燃えるような初恋だった。


  ◆   ◆   ◆


「だけど、ごめんなさい……貴方のためと言いながら、気がつけば私の都合ばかり押し付けてしまっていたわ。特に浄化結界の件は、やり方が性急すぎたと思うの……焦ってしまったのよ。どうにかして、みんなに貴方のことを認めさせたくて」


 なるほどな。こうして手を握ってるのは、僕の素直な感情を知りたいということか。たぶん、僕が心の底で本当にレシーナを嫌がっていたら、覚悟して身を引こう――とでも考えているんだろう。でも、これは困ったぞ。


 正直、転生者の僕が十歳のレシーナから向けられる好意を嬉しいと思ってしまうのは、さすがにちょっとロリコンが過ぎると思ってさぁ……まぁ、精神は肉体年齢にかなり引っ張られるし、転生前の二十年を単純に足し合わせるのは違うと思うんだけれど。そのあたりは、これまであえて深く考えないようにしてきた部分なんだ。

 辺境スローライフは実現したいけど、レシーナのことは嫌いじゃない。その二つの感情はバチバチに競合するんだけど、どちらも僕の本心として存在してるんだよ。これまで必死に目を逸らしていたのに、それをこんな形で赤裸々に知られてしまうのは……なんだかすごく恥ずかしい。


「感情を丸裸にされると困るんだけどなぁ」

「ふふふ、ごめんなさい。とりあえず今は、貴方が私の攻勢をそれほど嫌がっていなかった、と判明しただけで十分な成果だったわ。それで、私が何歳ぐらいになったらクロウは素直になるのかしら」

「……その魔法、けっこうズルくない?」


 レシーナはニヤニヤと笑いながら、ようやく僕の手を離してくれる。まったく、酷い目にあった。


 それにしても、僕の心にある虚無感か。彼女が読み取ったそれは、たぶん前世のことをどこかで引きずっているからだろうな。あんまり考えないようにはしてたんだけど。

 正直、転生してから新しい両親との仲がちょっとギクシャクしてしまっていた原因も、そういった僕の欠落にあるのだと思う。こんな息子を産ませてしまい、優しいあの人たちには本当に申し訳ないと思うけど……うん。これ以上何かを考えると深みにハマりそうだから、今はちょっとやめておこうかな。


「分かったよ、レシーナ。ここまで来たら僕も腹を括る。浄化結界の件は全力でやって、神殿の食い扶持を一つ潰してやるとしよう。本部に追加の人員を依頼できるかな」

「いいけれど、あまりたくさん人を集めると裏切り者が出た時に破綻するわよ。神殿の息のかかった間者だったり、魔銀を懐にいれるような者も出てくるわ」

「うーん、それもやり方次第じゃないかな。レシーナの読心魔法だって、こういう時のためにあるようなものだし」


 彼女は首を傾げるけど。

 読心魔法って、実はかなりのポテンシャルを秘めてると思うんだよね。魔法をそのまま使うのではなくて、スキルと組み合わせて「派生魔法」を作ったり、魔道具に組み込んで使ったりすれば、本当に便利になると思うんだよ。


「派生魔法次第では、組長やレシーナに毒を盛った裏切り者も探せると思うんだよね。サイネリア組に入り込んでる間者なんかも」

「そう上手くいくかしら。皆からは本当に恐怖しか読み取れないのよ?」

「まぁ、色々と試してみようよ。能力に縛りを入れることで、逆に便利になることもあるんだ。僕の亜空間魔法もそうやって拡張してるし」


 これが実現できれば、レシーナの身はかなり安全になるだろうからね。僕の辺境スローライフもぐっと近づくというわけだ。


「ねぇクロウ。私に修行をつけてくれないかしら」

「修行? 別にいいけど、どうして」

「私はこれまで、人から恐怖心を向けられるのが嫌で……生まれ持った読心魔法を遠ざけてきた。ちゃんと向き合ってこられなかったと思うの。だけどこれからは、そんな私自身を変えていきたい。クロウの妻として胸を張って立ちたいの」


 そっか……分かった。それなら、友達として全力で協力しようじゃないか。うん、友達としてね。しれっと妻とか何とか言ってるけど、とりあえずそういうのは全部保留だから。


 そうして僕ら二人は、朝焼けが見える時間まで夢中になって、これからの修行や派生魔法の可能性について話し合った。

 そして――どうやらいつの間にか、寄り添って眠りこけていたらしい。目覚めた時には既に馬車に揺られていて、ペンネちゃんがちょっと目を潤ませながら僕の肩を叩いてきた。


「クロウ、お嬢のことを頼んだぜ……ぜってえ泣かせんなよな」


 ん? んんん?

 あのさ……もしかして、僕とレシーナの関係について事実とはだいぶ違う認識がかなり広まってるんじゃないだろうか。僕らは友達だよ。将来を約束した仲とか、そういうんじゃないからね。ホントなんだよ。

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