07 どうしたって必要になるからね
毎年冬になると、サイネリア組の若い衆は「冬季巡業」と称して縄張り各地を練り歩くらしい。
レシーナ、ペンネちゃんとともに黒塗りの馬車に乗った僕は、セントポーリア侯爵領の中心であるフルーメン市を出る。
ここからは街道をひたすら北に進んでいき、メイプール市という小都市を経由して、シルヴァ辺境領という場所まで向かう予定になっている。そう、夢の辺境だ。ワクワク。
ちなみにこの世界で「辺境」と呼ばれている地域は、瘴気が濃くて人間がギリギリ生存可能な厳しい土地を指している。
生きていくのはすごく大変なんだけど、ここを防衛できないと早々に人の住めない「魔境」に飲み込まれてしまうため、辺境領主は武力保持をはじめとする様々な特権を与えられているのである。で、僕はそこでスローライフを送りたいと思ってるってワケだ。めっちゃ楽しそうだよね。
とはいえ、辺境に着くのはまだまだ先。
僕は暇つぶしに、サイネリア組本部のあちこちで複製してきた大量の本を読み漁っていたんだけど……すぐ隣で、ペンネちゃんがポツリと呟いた。
「あーしも亜空間魔法が使えたらなぁ」
まぁ確かに、旅をする上でこれほど便利な魔法はそうそうないと思うけどね。
ふふん、羨ましいかい。干し柿をあげよう。
「干し柿うめえ」
「それは良かった。たんとお上がり」
生まれ持った魔法というのは、個人ごとに全く異なる性質を持っている。
僕の亜空間魔法は、空間に三次元とは別の方向への「奥行き」を作る魔法であり、便利な半面めちゃくちゃ燃費が悪いものだった。なにせ亜空間を維持しているだけでも魔力をガッツリ消耗するから、鍛錬して魔力量を増やすまでは今ほど便利には扱えなかったんだよ。
それに、世間一般には空間拡張の術式回路を仕込んだ魔道具のポーチなんかが普通に流通しているため、この世界の一般的な価値観では亜空間魔法は「ハズレ」の類になる。
まぁ、そういう便利な魔道具は高級品になるし、スローライフを目指す僕にとってはめちゃくちゃ大当たりだったけど。
「はぁ……あーしの魔法は役立たずだかんなぁ」
「そうなんだ。どんなの?」
「んー……言いたくねえ」
ペンネちゃんには珍しく言葉を濁してるけど、無理に聞き出すものでもないからね。魔法というのは基本的に他者には秘匿するものであり、身分の上下を問わず、根掘り葉掘り聞き出そうとするのはマナー違反だとされている。
ただまぁ、僕の亜空間魔法はレシーナを助けるのに必要不可欠だったから、彼女を匿った時点で周囲にバレる覚悟はしてたけど。
そういえば、ペンネちゃんの魔法は知らないけど、レシーナの魔法がどんなものかも聞いたことないんだよね。まぁ、自分の魔法が好きじゃなくて全然使わない人とかも少なくないからなぁ。
なんて思いながら、ペンネちゃんに追加の干し柿を与える。
「干し柿うめえ」
「良かったね。あ、そうだ。ペンネちゃんは身内だから僕の魔法を教えたけど、あんまり外で吹聴しないでね」
「それはもちろんだけど……そっかぁ、クロウにとってあーしは身内かぁ。へへへ」
そんな話をしていると、対面に座っていたレシーナが僕らに鋭い視線を向けてくる。
「私を差し置いてクロウといちゃいちゃするとは……ペンネ。手足をもぎ取られて魔物の群れに放り込まれる覚悟はできているんでしょうね」
「お、お、お嬢……どうかご慈悲を」
「……身内って言ったわよね。クロウがペンネのことを身内って言ったわ。友達と身内ってどっちの方が上なのかしら。というか、私よりペンネへの態度の方が気安いのはどうしてかしら。納得がいかないわ」
レシーナはブツブツと呟きながら、なんだか鬱屈とした魔力を垂れ流し始める。
ペンネちゃんが来てからというもの、こうやって病んだ感じになることが増えた気がするんだけど……僕はそれに関して深く考えるのをやめていた。うん。見えてる地雷を踏み抜く勇気はないからね。
とりあえず、レシーナが
「レシーナ。実のところ、僕にとって友達って呼べる存在は君が初めてなんだよ。なにせ同年代の子たちが野原を駆け回ってる間に、僕は勉強やら鍛錬やらに全力だったからね」
まぁ、前世では友達を作ってる余裕なんてなかったし、生まれ変わってからは……さすがに、精神は肉体年齢にかなり引っ張られるとはいえ、幼児に混じって心の底から鬼ごっこを楽しめるほどの無邪気さは持てなかったからなぁ。
辺境スローライフに向けて知りたいこともたくさんあったし、能力も鍛えたかったから、結果的に友達付き合いについては優先度がどうしても低くなっちゃって。レシーナと仲良くなるまでは、友達なんてできたことなかったんだよね。
「僕の中でレシーナという友達の存在は、実はかなり大きいものだと思っていいよ」
「あら、プロポーズかしら」
「全然違うよ」
うん。とりあえず、そこの一線だけはどうにか死守しないとなぁ。
情に流される形でレシーナと結婚することになれば、辺境スローライフの夢が粉々に打ち砕かれるのは明らかだ。十年の月日を費やして準備したあれこれを、まるまる無駄にしてしまうのは……うん。さすがに僕も嫌だからねぇ。
さて、冬季巡業はアズカイ帝国西部――サイネリア組の
毎年のことらしいんだけど、秋の収穫が終わってフルーメン市に集まった食料品は、組の息がかかった加工品業者によって保存食へと変わり、こうして冬季巡業という形で各地に運ばれていくのだ。どの村落も冬越えの物資はカツカツだからね。
僕らの乗っている馬車の後ろには十台ほどの黒塗り馬車が連なり、それぞれに三人程度の組員が分乗している。また、馬車の荷台は魔道具によって空間拡張され、見た目よりも大量の物資が運搬されているようだった。一見するとヤクザの車列は物騒ではあるけど……村落にとっては冬を越えるため欠かせない大事な行事なんだよね。
「こういうのは貴族が支援してくれれば良いのになぁって思っちゃうけどね」
「理想としてはそうね。でも現実にはそうなっていないから、平民は自分たちの力でなんとかするしかない。それを手助けするのが私たちの仕事なのよ」
うーん。サイネリア組に身を置いてみて思ったけど……なんかイメージしてたヤクザよりも、人の生活に深く根付いてる気がするんだよね。もちろん前世との違いは色々とあるんだろうけど。
「……ヤクザってもっと悪いことばっかりやってると思ってたよ。けっこう慈善活動みたいなこともやってるよね」
僕がそう呟くと、レシーナは静かに頷く。
「考え方の順番が逆かもしれないわね」
「逆?」
「えぇ。サイネリア組はそもそも、弱者が寄り添って助け合うところから始まったのよ。精霊神殿の経典や帝国貴族の法……それらは尊いものだけれど、そのしわ寄せで生き辛くなってしまう人々は大勢いるもの。だから私たちハグレ者は、互いを親兄弟と呼び、知恵を絞って、法ではなく仁義で結束して強がることにしたの」
なるほど。どうしても暴力的な印象が拭えないけど……根っこにあるのは弱者の助け合いって精神なのかな。
まぁ、前世でもひと昔前のヤクザは仁義を大切にしてたみたいな話を聞いたことあるけど。だとしたら、少なくともこの世界のヤクザは、そこまで忌避すべき集団でもないのかもしれないなぁ。ふむふむ。
「ふふふ。とはいえ、結局は物事を暴力で解決したがる短絡的な人間の集まりだけれど。実家と折り合いが悪くて飛び出してきた者、暴力事件で故郷を追われた者、事業に失敗して借金も返さず夜逃げした者……中にはゴミのような性格をしている者も少なくないわ」
「えー、台無しだよ。ちょっと感動してたのに」
「それはそれで事実だもの。法を守って生きていける器用な人間は、カタギのままでいればいい。私たちはそうできない不器用な者の寄り合いだから」
え、僕は? 僕はカタギでいちゃダメなの?
いやまぁ、僕もあまり遵法精神のある人間ではないかぁ……正直、辺境スローライフを最優先して、それ以外の細かいことには目を瞑って生きてきた自覚はあるんだよね。
ひとまず、これからは少し先入観を捨てて、フラットな気持ちで組員たちと接しようかな。てっきりヤクザってこう……利益のためなら暴力も辞さない殺伐とした悪人、みたいな薄っぺらいイメージを持ってたから。そこは反省ポイントだね。まぁ、殺伐としてるの自体は間違いないんだけどさ。
そうして色々な話をしていると、隣に座るペンネちゃんの視線がいつもと違うことに気がつく。
「ペンネちゃん?」
「あーし、まだクロウのことを舐めてた。お嬢をガチで友達扱いしてんじゃんか……お前正気かよ。お嬢の魔力を受け流せるっつっても限度があんだろ。あーしはおしっこ漏れないように我慢すんので精一杯なのに」
あぁ、うん。ペンネちゃんはよく頑張ってるよ。干し柿食べる?
そんな風にしてのんびり馬車に揺られていると、周辺に展開していた魔力探知スキルが魔物の接近を捉えた。馬車の木窓を開けば、群れからはぐれたらしい
魔物の中でも二足歩行のものは一般に「鬼」と呼ばれている。その中でも小鬼は、どこにでもいる最弱の魔物として知られていた。
人の暮らす都市や村落を離れれば、瘴気が濃くなって魔物が現れる。とはいえ、辺境でもなければ危険な魔物が現れることはそうそうないけど。
「クロウ。片付けて」
「うん――
人差し指を小鬼に向け、魔術を発動する。
感覚的に扱える魔法と違って、魔術は
戦闘用魔術の中で、魔弾は基本的なものの一つだ。遠距離での攻撃ができるのは便利だし、初心者が雑に使っても牽制くらいにはなる。術式に改良を加えて威力や命中精度を上げていけば一発で魔物を葬ることもできるからなぁ……もちろん、ヤクザの抗争でも大活躍の物騒な魔術である。
魔弾を受けた小鬼の頭が弾ける。
小鬼の身長は一メートルほどで、瘴気がさほど濃くなくてもゴキブリみたいに繁殖する。肉は臭いし採れる魔石もめちゃくちゃ小さいから――つまり死体の価値はゴミ同然であった。御者もそのあたりは承知しているので、馬車は速度を緩めることなくその場を通り過ぎる。
「ねぇクロウ。その魔術の腕前で、荒事は苦手だとか言うのは、無理があると思うのだけれど」
「いや。人を撃ったことはないし」
「クロウは必要になれば撃てると思うわ」
えー、それはどうだろう。
でもまぁ、撃てるか撃てないかで言えば、撃てる側だとは思うけど。これは別に僕が無慈悲な人間だというわけではなくて、単純に「人は死んでも転生する」ということを身をもって知っているからだ。だからって、気軽に殺人鬼になるつもりはないけどね。ホントだよ。
「あーし、まだクロウのことを舐めてた。クソ平凡な顔して普通に戦えんじゃん」
そりゃまあ、辺境スローライフをしようと思ったら魔物対策はどうしたって必要になるからね。だから一応、そう簡単に死なない程度には鍛えてるつもりなんだよ。
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