05 考え直すなら今だよ

 僕が毒見をしたスープに、けっこうな猛毒が仕込まれていた。

 それを知ったレシーナの魔力は、それはもう、夏の嵐のように荒れ狂った。部屋の中では僕以外の世話係がみんな白目をむいて失禁してるし、確認はしてないけど、おそらくこの屋敷全体に何かしらの影響が及んでいるだろう。うーん……もはや毒そのものよりレシーナの魔力による被害の方が大きいんじゃなかろうか。


「よくも……私の……クロウを……」

「落ち着いて、レシーナ。ほら、僕の身体は全然なんともないだろう。大丈夫だから」

「本当? じゃあ結婚してくれる?」


 あのね、レシーナ。会話には流れというものがあり、交際にはステップというものがあるんだ。そのあたり、君はもう少し学ぶべきなんじゃないかと僕は思うんだよ。

 うん、短刀ドスを抜くのはやめようか。そうやって人を脅すのは良くない。君だって持続可能サステナブルな関係の方がいいだろう。さぁ、ソレは鞘に納めて。


「うー!」

「うーじゃないんだよ。とりあえず、レシーナの魔力が荒ぶってると誰も部屋に入って来れないから。君はいい子だからちゃんと魔力をナイナイできるね?」


 僕が絡む案件だと彼女の知能レベルが極端に下がってしまうのは、一体なんでなんだろう。


 とりあえず鎮魂の儀式のごとく頭を撫でること数分。レシーナは目を少しトロンとさせながら、渋々といった感じで魔力を引っ込めた。

 すると、部屋の外に待機していたらしいセルゲさんが、青ざめた顔で部屋に入ってくる。


「お嬢。何かありやしたか」

「遅い」

「へい。すいやせん」


 セルゲさんは中腰になって頭を下げる。

 組長の孫であるレシーナと弟分であるセルゲさんでは、どうやらレシーナの方が圧倒的に身分が高いらしい。それと魔力の違いも圧倒的だ。魔力等級で言うと、セルゲさんは上級くらいの魔力を持っているけれど、レシーナは特級の中でも更に上澄みって感じだし。この屋敷で暮らす以上、こういう上下関係とかはもっとしっかり把握しておかないといけないんだろうな。誰もちゃんと教えてくれないけどさ。


「セルゲ。朝食のスープに毒が仕込まれていたわ」

「は。毒見役は……クロウか。お前さん身体は」

「僕は問題ないよ。だけど普通の人が食べたら猛毒だから、みんなの朝食を中断して一度調べたほうが良いと思う。ちなみに毒の種類はトリカブト。比較的栽培の容易な毒草だ。このあとの対応や調査は、セルゲさんに任せていいかな」


 僕がそう言うと、セルゲさんはコクリと頷いて机上の盆を回収する。錬金術を学んだ僕も役に立てることはあるとは思うけど、そもそも組員じゃない者がしゃしゃり出る場面でもないからね。ここは諸々含めて対応を丸投げするのが正解だろう。


 セルゲさんが去っていくと、部屋に静寂が訪れる。


「レシーナの口に毒物が入らなくて良かったよ。とりあえず、世話係のみんなを起こさないと」

「そうね。全員、風呂に入れなさい」

「わかった。みんな全身の穴という穴から色々と垂れ流しで大変なことになってるもんねぇ……部屋の掃除もしなきゃいけないから、レシーナは別室で待機しててもらえる? ささっと済ませるよ」


 そうして、僕は白目を剥いている同僚たちを順に起こしていく。

 部屋の掃除については、本来なら亜空間魔法を全力で使えば一瞬で終わるんだけど、人目のある場所であんまり派手な使い方をしたくないからね。ほどほどに手を抜きながらサクサク片付けていこう。


 この件を通して一つだけ良かったことは、これまで僕に冷たい態度を取ってきた者の多くが、手のひらを返したように親切になったことだ。もう舌打ちはしないのかな。まぁ、あのレシーナの威圧に耐えられる人材は意外と貴重らしいからね。


  ◆   ◆   ◆


 屋敷の敷地内に用意された、筆頭錬金術師の工房。そこに隠された細い通路は、なんと組長の居室へと続いている。一応途中に鍵付きの扉があるから、いつでも自由に出入りできるってわけではないけど。


「……こういう機密情報を部外者の僕に知られるのは、問題にならないのかなぁ。いやまぁ、吹聴するつもりも悪用するつもりも全くないけど」


 ただ、この世界には魔法というものが存在する。個人の能力を根掘り葉掘り聞くのはマナーとしてご法度だけど、もしかすると記憶を引き出すような魔法を使う人だっているかもしれないのだ。情報の取り扱いにはもっと慎重になったほうがいいんじゃないか、というのが僕の感覚である。


 いつものように、組長の寝ているベッドに近づく。

 彼の周辺には生体情報をリアルタイムに表示するモニタや、各種検査装置が雑多に並んでいた。まぁこれらはだいたい……というか、全部僕の作ったものだね。


「おう、来たか。クロウ」

「調子はどう?」

「何も問題ねえな。むしろ毒を盛られる前より元気になっちまった。あんまり暇なんで、よそのシマに殴り込みに行っちまいそうなくらいだ、ガッハッハ」


 この人が言うと冗談に聞こえないんだよなぁ。

 なんて思っていると、組長が魔力を荒ぶらせる。


「なあ、そろそろ酒を飲んでもいい頃だろう?」

「ダメだってば……昨日も説明したけど。魔臓の調子がもう少し戻らないと、魔力を肝臓に回す余裕はない。寿命を削るのは個人の勝手だけど、今のサイネリア組は組長が安心して死ねるような状況じゃないよね。子どもじゃないんだからさぁ、あんまりワガママ言って周りを困らせたらダメだよ」

「くくく……お前は俺の母ちゃんかよ」


 いやだって、悪ガキみたいなんだもん。この爺さん。


 治療の流れはいつもと変わらない。魔道具を使って体内の状態を数値化しながら、一つずつ噛み砕いて本人に説明していく。完全回復までの段取りを状況に合わせて微修正し、現在の錬金薬や食事内容について変更点を考える。ほぼ毎日、それの繰り返しである。


 基本的にこの世界の医師や薬師は、患者にあまり詳しい説明をしないらしい。知識を秘匿したいって気持ちは分かるけど……それって、あとで絶対面倒くさいことになるよね。

 僕は錬金術をちょっと齧っただけの素人だからなおさら、患者に相談もしないで治療方針を決める勇気はないなぁと思う。まぁ、前世のお医者さんは色々と説明してくれたから、そのイメージにだいぶ引っ張られているとは思うけど。


 僕がそうしていると、医務頭のメディスさんがうんうんと頷きながら僕の作業を見る。


「クロウ。君の治療には説得力があるね」

「十歳の闇医者に言う言葉じゃないよ」

「ふふふ……君が自分を卑下すると、君以上に何もできなかった私の価値がゴミみたいになってしまうじゃないか。せめて称賛くらいは素直に受け取ってくれないかな」


 その言葉に、僕は少し迷ってからコクリと頷く。僕が闇医者なのはホントのことだけど、ひとまず組長の体調が改善しているのは事実だしね。


「僕もメディスから学ぶことは多かったよ」

「そうかい?」

「うん。治療関係の基礎的な知識については、僕に欠けていたものも多かった。それに、まさか虫を操作する魔法が治療技術って点でこんなに便利だとは思わなかった」


 そうなんだよ。彼の扱う虫操作魔法を見学する機会は多かったけど、すごいなぁと何度も感心したものだ。あれは真似できない。

 薬漬けで育てたナメクジで傷を覆う処置や、胃腸に入って治療薬を運ぶアリ、薬剤を注射するハチを操っての治療……うん。絵面はグロテスクだけど、その効果は絶大だったんだよね。


「メディスにはたくさん学ばせてもらったよ。書籍から得た知識だけじゃなくて、それを自分の魔法と組み合わせ、現場でどう活用するか――すごく考えさせられた。医療について僕は本当に素人なんだと思い知らされたよ。もっと勉強しないと」

「ふふふ。だがまぁ君ならば、いずれ私の虫操作魔法と同じことを魔道具で再現できるかもしれないけどね。私としては、医務頭のお株をすっかり奪われた気分だよ。まいったね」


 メディスの忍び笑いに同調するように、組長もまた楽しそうな顔をする。


「くくく。そうだなぁ……ほんの少し前までは、俺の人生もここまでかと覚悟してたんだが。どうやら死にそびれちまったみたいだ。お前の言う通りにしたらみるみる体調が良くなるんで……今じゃ死ぬ気がすっかり失せちまったよ」


 うん。それは良かった。僕だって、友達の祖父をみすみす死なせるのは寝覚めが悪いからね。


 ちなみに、この世界に医師免許というものは存在しない。その代わり錬金術師の資格は等級分けをされていて、厳しい試験を課されるのだ。

 医学・薬学・理工学など幅広い分野の知識を持った錬金術師は、貴族や金持ちに雇われて医師・薬師として仕事をしていることが多い。鍛冶師、魔道具職人、学者なんかになる人もいるけど、みんななかなか高給取りのエリートなんだよね。

 もちろん、まだ十歳の僕は錬金術師の試験を受ける資格すらない。下級錬金術師の受験可能年齢がたしか十二歳だったかな。まぁ、僕は今のところ資格を取るつもりはないけどね。スローライフができればいいってだけだし。


 そんなことを考えていると、組長がフッと笑う。


「そういや、クロウ。お前はレシーナの婿になるつもりなのか?」

「レシーナはそうするつもりみたい。でも、僕はそもそも裏社会で成り上がりたいとも思ってないし、辺境スローライフを送るのが夢なんだけど……おかしいな。どうしてこうなったんだろう」

「ガッハッハ、人生なんてそんなもんだ」


 組長、楽しそうだなぁ。


「いやぁ、良かった良かった。どうも次期若頭候補の奴らが、いまいちパッとしなくてなぁ。組織の若えので飛び抜けて優秀なのはレシーナなんだが、サイネリア組には女を後継者にした前例がなかったからよ……だが、ここに来てあいつは良い婿を連れてきた。お前になら孫も組も預けられる」

「うーん? すごく嫌な予感がするんだけど」

「俺の魔力にイモ引いて、どうぞ自由に酒を飲んでください、なんてヘラヘラするような男だったら孫を預けようとは思わなかったがな。クロウ、お前さんは俺やレシーナの魔力すら平気で受け流す胆力がある。権力を前にしても物怖じしねえ。能力も優秀だ。若えのになかなか見どころがある奴だと俺は思う。何より、レシーナがずいぶん気に入っているみてえだからな」


 待って待って。今この話の流れで、そんな高評価はいらないんだけど。


「――クロウ。お前を次期若頭候補に推薦する」


 考え直すなら今だよ。

 マジで。


「俺の体調が回復したら、裏切り者を炙り出して消し炭にする予定だ。それから時期を見て……何年後になるかは分からんが、俺は息子に組長の座を明け渡すつもりだ。その時、組織のナンバー2として、つまり息子の次の組長である“若頭”として。お前はレシーナの横に立て。俺が推薦人になろう」

「えぇ……さすがにそれはどうなの」

「くくく。まぁ、まだ“候補”の段階だ。実際に次の若頭になるかどうかは、これからの働き次第だがな。他の候補者もいる。ただ少なくとも、レシーナからお前を取り上げたら何が起きるのかは……この屋敷にいる奴は、骨身に染みるほど理解しただろうからな。あの馬鹿みたいな魔力で暴れられちゃ敵わん。そして、あのじゃじゃ馬の手綱を握れるのは、後にも先にもお前だけだ」


 組長はそう言うと、再びガッハッハと豪快な笑い声を上げた。さーて、こいつは困ったぞ。そろそろ尻尾を巻いて辺境に逃げる頃合いかなぁ。でもまだ黒幕が分かってないんだよなぁ。レシーナの毒殺だけは阻止したいところだし。うーん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る