02 世の中狂ってるよね

――世話係の朝はけっこう早い。


 脳内でドキュメンタリー風のナレーションを流しながら、僕は亜空間の寝室を出て、ヤクザ屋敷の前庭に向かう。早朝とはいえ、街には夜明け前から仕事をしてる人だっているから、世話係の朝はそこそこレベルの早さかなぁと思う。


 レシーナの世話係を始めて数日。

 サイネリア組の中でも家政部門という組織に所属している者たちは、男も女も簡素なチュニックシャツに着替え、今日も朝からみんなで集まる。


「なぁ、聞いたか。昨日賭場でよぉ――」

「おいおい、トロビ商会の奴らが飛んだぞ――」

「木材の価格がまた上がったってよ――」


 ワイワイガヤガヤ。通いの者も住み込みの者もいるけど、集合してしまえば扱いに違いはなかった。ちなみに僕は拉致された者なんだけどね。


 そんな僕らに仕事を割り振るのは、家政頭かせいがしらという役職のおっちゃんである。

 スキンヘッドにサングラスという威圧的な見た目ながら、使い古した革エプロン姿がけっこう様になっていて、長い職歴を感じさせる。どうやら彼はお掃除のプロなんだって。意味深だよね。


「クロウ。いるか」

「うん」

「お前はいつも通り、レシーナ嬢様の居室の掃除だ。終わったら嬢様を起こし、朝食を運び、毒見役をしろ。以上」

「おーけー」


 返事の仕方はいつもすごくテキトーなんだけど、レシーナからは「家の者に敬語禁止」って言われてるから仕方ないね。家政頭の方も、レシーナの紐付きで世話係になった僕をどう扱うか決めかねてるっぽい。いいんだよ、酷使してくれても。

 あと僕としては、他の人の「へい」「あい」「りょっす」あたりの返答が敬語に含まれるのか、だいぶ怪しいと思ってたりする。


 サイネリア組本部に所属するヤクザ者は総勢五千人ほどになる。もちろんその全員がここに集合するわけじゃなくて、近隣に散って日々お仕事に精を出してるわけだ。具体的に何をしてるのかはまったく知らないけどね。

 あと組員は強面の屈強な男ばかりというわけではなくて、家政部門の男女はけっこう平凡な見た目の者が多かったりするんだ。見た目だけはね。


 さてと。レシーナ個人の居室といえば、部屋は大きく三つに分けられる。すなわち、居間、書斎、寝室。僕は毎朝これらの部屋を一人で掃除しているわけだ。

 とはいえこの世界には魔力操作技術――いわゆる「スキル」と呼ばれるものだけでも便利なものが多いから、魔法、魔術、魔道具なんかと組み合わせると家事はずいぶん楽だと思う。


 まずは居間の掃除から。

 部屋いっぱいに魔力を広げ、僕の亜空間魔法で家具を全て収納する。空っぽの部屋で取り出すのは。


「てってれー、全自動掃除魔道具」


 この掃除魔道具は、辺境での快適な生活に向け、部屋の端から端まで丁寧に床を磨き上げてくれるよう作ったものだ。この国の文化だと寝室以外は土足で過ごすから、毎日掃除しててもけっこう汚れるんだよね。

 さてと。掃除魔道具が頑張ってくれてる間に、僕は魔手と呼ばれるスキルを使い、魔力の腕を四方八方に伸ばした。窓や壁の表面についた汚れや、天井裏のネズミや虫を虱潰しに収納するためだ。こいつらすぐ増えるんだもんなぁ。

 亜空間内の家具に対しても同様だ。魔手を這わせて汚れを分離し、掃除の終わった場所から順に元の場所に戻していく。これで、居間の掃除は終了である。魔力ってすごいね。


 この数日で作業をずいぶん効率化したから、居間の掃除にかかる時間は数分といったところだろうか。毎日やってれば新しい汚れもそんなに増えないしね。他の世話係たちからも文句は出ていないから、とりあえず及第点はもらえてるんだと思う。自己判断だけど。


 居間の掃除が終われば、次は書斎だ。

 といっても、掃除自体に関しては居間の時とやることは変わらない。少々違うのは、レシーナからの指示でここにある書籍を全て複製していることである。


「てってれー、騎士人形ゴーレム


 これは魔道具式の操り人形のようなもので、僕に限らず錬金術師が危険な作業や実験をする時なんかに使用する道具だ。手動操作だからけっこう集中力を使うんだけど。

 もっとも僕の場合は並列思考というスキルを使っているから、複数の騎士人形を同時に動かせる。だからこうして、何冊もの本を同時並行で書き写せるのである。魔力って本当に便利だよね。


――あまり大きな声では言えないけど、僕はこの十年で色々な場所に忍び込み、こうやって膨大な書籍を複製してきた。貴族の邸宅、錬金術師の工房、精霊神殿の書庫などなど。みんなにはナイショだよ。


 なにせ高度な内容の本は、だいたい装丁に長期保存用の術式回路が仕込んであるからめちゃくちゃ高価で、僕のような一般庶民にはそもそも触れる機会すらなかったんだよ。けど、辺境スローライフを実現するにはそういった本の情報も積極的に仕入れる必要があったからね。

 なお、僕の亜空間書庫ライブラリに膨大な蔵書があることは、とっくの昔にレシーナにバレている。というか、療養中で暇を持て余した彼女に様々な書籍を提供していたからさ、あれは不可抗力だったと思うんだ。


 さて、書斎での作業が終わったら、頃合いを見て寝室へ。


「おはよう、レシーナ。朝だよ」

「ふぁ……クロウ。目覚めのキスはまだかしら」

「未だかつて一度もしたことないでしょ。寝言はそのくらいにして、寝室の掃除をするから起きてよ。というか、なんで全裸で寝てんの。もし僕以外の男性世話係が起こしに来てたら、とんでもないことになってたよ。その人の命が」


 こんな風にして僕の一日は始まる。ちなみに、僕以外の世話係はみんなレシーナの魔力に怯えてしまうらしいから、彼女を起こすのは今では完全に僕の役割になってるんだよね。別にいいけど。

 大変なこともあるけど、慣れてくればけっこう楽しかったりもする。書籍からは新しい知識も色々と仕入れているし、思ったより充実した日々を過ごしてるんじゃないだろうか。


 さてと。他の世話係といっしょに朝食の配膳をして、サクッと毒見役を済ませれば、朝の仕事は終わりだ。

 今日は組織のお偉いさんに呼び出されていたため、屋敷の中にある執務フロアへやってくる。


「お疲れ様、呼ばれてきたクロウだけど」

「――おい坊主、こっちに来い」


 するとすぐに、フロア隅の会議室へと連行された。どうも、借りてきた猫です。どうでもいいけど、みんな顔がいかついんだよなぁ。


「それで、坊主。どうやってお嬢に取り入った」


 そうやってギンギンの魔力を放っているのは、骨鬼スケルトンのように痩せこけた爺さんだった。彼はサイネリア組で事務局長という肩書きを持っており、なんでも裏方仕事全般の取りまとめをしている人らしい。どのくらい偉いのかはよく分からない。


「えっと、レシーナからは何も聞いてない?」

「お嬢の名前を気安く呼ぶんじゃねえ……経緯は聞いている。危ねえところを救ってもらったのは本当に感謝している。だがな、ここはお前のようなカタギの人間が、気安く足を踏み入れていい場所じゃねえんだ」

「僕もそう思う。世の中狂ってるよね」


 この事務局長は組長に向かって「兄貴」と呼びかけたり、組員からは「叔父貴」と呼ばれているらしい。うーん……役職とか組員同士の関係とか、そのあたりがいまいちよく分からないんだよね。まぁとりあえず、なんとなく偉い立場の人なんだろうなというのは、雰囲気で察するけれども。


「えっと……叔父貴?」

「盃も交わしてねえ部外者から叔父呼ばわりされる筋合いはねえよ。舐めてんのか」

「えぇ、何その謎システム……じゃあ、僕は貴方を何と呼べば?」


 僕がそう問い返すと、事務局長はそれはもう盛大なため息をついて、荒々しい魔力をすっと引っ込める。


「……俺の名前はセルゲエドラール・バンクシア」

「長いね。セルゲさんでいいかな」

「馬鹿なのかお前は……ったく。どうせその調子でお嬢にも気安い態度を取ってたんだろ。威圧が効かねえのは体質か、単に馬鹿なだけか。仕方ねえ……お嬢の命令だからこき使ってやるが、あんまり馬鹿丸出しにすんじゃねえぞ」


 お、三回も馬鹿って言われたぞ。

 一応こう見えて、前世ではけっこう勉強ができた方なんだよ。そこそこいい大学に通ってたんだ。それもまた、母親に撲殺された原因の一つだったわけだけどさぁ。まいっちゃうよね。


 そんなこんなでセルゲさんと話をしてるうちに、彼の魔力はだんだん落ち着いてくる。うんうん。なんかこの屋敷の人間は、基本的にみんな魔力が荒々しいんだけど……やっぱある程度オラついてないとヤクザって務まんないのかな。どうなんだろ。


「……坊主、名前は」

「クロウ・アマリリス」

「そうか、クロウ。とりあえずお前が物怖じしねえってのは報告通りだと分かった。引き続き、お嬢の世話係として働いてもらう。前の毒物騒ぎで裏切り者がかなり出たからな。どこもかしこも人手不足だから仕方なく使ってやるが……くれぐれもお嬢に不埒な真似をするんじゃねえぞ。魔物の餌になりたくはねえだろう?」


 どちらかというと、レシーナの方が不埒な真似をしてきそうで戦々恐々としてるけどね。僕の子どもを十人くらい生むんだって豪語してるし。

 まぁ現状では、お互い十歳でまだ身体が出来上がってないから、間違いが起きにくいってのだけは安心要素と言えるだろう。少なくとも数年の間はね。うっかり肉体関係なんて持った日には、本格的に組から抜けられなくなるだろうから、そこだけは気をつけないとなぁ。


「それからお前には、組長の治療も担当してもらう。幸いと言うべきか、錬金工房に空きが出たからな。お前用に割り当てておく」

「あー、例の裏切った筆頭錬金術師の?」

「そうだ……ったく。親兄弟を裏切るなんて信じられねえな。最近の若えのは仁義ってもんを知らねえ……クロウよ。お前さんはまだ盃事を行って正式に家族になったわけじゃねえが、それでも重要な仕事を任せるんだ。薄汚え裏切りで兄貴にもしものことがあれば、その身を細切れにして魔物に食わせてやるからな」


 セルゲさんはそう言って再び魔力をオラつかせるけど、そもそも僕には裏切る理由もないしね。

 実際のところ、何もかもを捨て去って逃げようと思えば、能力的にはわりと簡単なのだ。生まれ持った亜空間魔法は便利だし、それを十全に使えるだけの魔力も鍛えてきた。脱出なんて、やろうと思えば今すぐにだってできる。


 それでもなお、僕が逃げることなくこの仕事を引き受けた理由は一つだ。


「セルゲさん。レシーナは僕の友達なんだよ。ヤクザの仁義なんて僕はこれっぽっちも知らないけど……友達が困ってるから助ける。僕がここにいる理由は、それが全てだ」


 友達としては、少なくともレシーナが毒殺される心配くらいは取り除いてあげたいなぁと思うんだよね。

 それでキリがいいとこまで働いたら、給料をもらって穏便に組を抜けさせてもらい、夢の辺境スローライフをついに実現しようというわけである。頑張るぞ。


「あーでも、実家のパン屋の安全確保はお願いしてもいいかな。めちゃくちゃ普通の一般庶民だから、ヤクザの抗争とかに巻き込みたくないんだよね」


 僕がそうお願いすると、セルゲさんは気の抜けたようなため息をつきながら、部下を呼んで指示を出し始めた。いやあの、お客さんを威圧するような感じの対応はやめてね? 吹けば飛ぶような小さなパン屋なんだよ。うん。そっと見守る感じでよろしく。

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