第8話 ナゾの恐怖
「「お願いしまーす」」
ペコリ、とお辞儀をして、プール内に足を踏み入れる。
扉の近くに置いてある小さな机に、自分のタオルや水筒を置いておく。
ぐるうっとあたりを見回すけど、誰もいない。
今回は顧問の先生もいない。
ってことは……。
よし、先輩より先に来れた!
そう、思った数秒後、ガチャリ、と後ろのドアが開く。
「おねがいしまーす!!」
わっ。
大きな声にびっくりして後ろを見ると、そこには水菜先輩の姿が。
「私より早く来たのはすごいけど、二人とも、もっと大きな声であいさつ!」
「「は、はいっ!」」
腰に手を当ててわたしたちを見つめる姿は正真正銘オニ、だ。
びしっと背筋を伸ばして敬礼のポーズ。
「って、言ったけど、まあ二人とももうちょっと元気出してってコト」
ふにゃっと笑う水菜先輩、こっちはオニじゃなくて天使かな?
よかったあ、と安堵の息を吐くわたしたちを見て、「今日は特別なことをやるよ」と声をかける。
特別なこと……?
不思議そうな私たちに、水菜先輩が意地悪く微笑んだ。
「早くに来てくれる優秀な君たちには、掃除をやってもらいまーす!」
「ええっ!」
え、掃除っ?
も、も、もしかしてプール掃除……っ⁉
途端に青ざめていく私たち。
だって、あれはやりたくないよ……。
毎年のプール掃除を思い出しながら、じりり、と後ずさりをする。
そんな私の腕をガシッとつかんで、ニコッと笑う。
そして木製デッキブラシを取り出すと、私の手にヨーシャなく持たせてきた。
「はい、さっさと終わらせちゃうよっ」
「「は、はいいぃっ」」
手に持ったデッキブラシと、水菜先輩の顔を見て逃げることができないと悟る。
やっぱりオニだった!?
「ね?」
「「ヤッ、ヤリマス」」
にっこり笑ってるけど、目は全然笑ってない!
返事をする以外の選択は、私には無かったのだった。
そして、先輩に言われるがままに、プールサイドの水を排水溝によける作業を繰り返した。あとは、プールに浮いてるごみをすくったりした。
そして、10分ほどたつと男子二人も入ってきて、一緒に掃除をし始める。
若干つまらなそうにやっているけれど、その手つきは慣れている。
「みんな、すごいね……!」
「うん。こういう水泳とは違うところまできっちりしてるんだもん。さすがって感じ」
「やっぱりかっこいいよねー!」と、興奮したようにデッキブラシの先をトントンと叩くあかりんは、やっぱり変わらない。
「よおーし、今日は終わり~! みんな片付けて、各自体操!」
「……」
「……やっとか」
大きな声で、パンパンと手を叩いて今日の掃除は終わりだ。
しかし……無言で片づけを始める晴琉先輩、そして、すっごい小声ではぁとため息をつく海崎君……。
そんな二人を見て、すかさずメガホンを手に取り……水菜先輩が、叫ぶ!
「二人とも~っ! ぐちぐち言わない! 返事は大きく! 晴琉は先輩なんだからねー!」
「あ、あたしが片付けます!」
「あ、じゃあ頼む。ありがとう」
声がした方を見ると、そこには晴琉先輩と、あかりんの姿。
晴琉先輩が持っているブラシを持って行こうとしているのかな?
やっぱり優しいなあ……。
思わずふふっと笑いがこぼれてしまう。
ほほえましく思いながら、体操を終え、水につかろうとしゃがんだ時だった。
ドッキンッ。
心臓が大きく高なった。
え、と思う暇もなく、ドックンドックンと、心臓が早鐘を打つ。
ドキンドキンドキン。
ハッと、いきおいよく立ち上がる。
遠くで、「準備終わった人から2往復ねー!」という声が聞こえるけど、全く頭に入ってこなかった。
ゆらゆらと静かに揺れる水面を見ていると、また心臓が騒ぎ出した。
「どした? 舞ちゃん大丈夫?」
心配そうな声に、ハッと意識が現実に引き戻される。
いつの間にかこわばっていた顔を隠して、とっさに笑顔を作る。
「あ、大丈夫です。今日も2往復、行ってきますね」
「大丈夫ならいいんだけど……。無理しないでね?」
「はい!」
私の肩をポンッと叩いて去っていく水菜先輩を見送り、また水面に目を向ける。
いつの間にかドキドキと高鳴っていた心臓はおさまり、いつものようにゴーグルをしめた。
大丈夫。
ふうっと息をついて、ザッパン、という音とともに飛び込んだ。
でもなんだろう、いつものような自由さを感じない。
どろりと、周りに何かが張りついているような感覚。
息継ぎの時に息が吸えない。
かわりにたくさんの水を飲んでしまって、ゴホゴホとむせてしまった。
なんで、なんで?
必死に腕を回して、クロールで進む。
何とか25メートルを泳ぎ切り、壁にもたれかかった。
普通だったら片道でこんなにならないはずなのに、はあはあと息が切れている。
今日はおかしい、とゴーグルを取ってもう一度付け直していると、隣のコースからバタバタという音と一緒に「まいまーい!」と私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あ、あかりん……!」
今日はビート板を使っているらしい。青色と黄色のビート板を抱えて私の隣までやってきた。
「あたし、もう2周目なんだ~! まいまいはー?」
「え、私はまだ1週目……。今日は調子が悪いみたいで」
えへへ、と笑ってごまかすと、あかりんも「じゃあ頑張ろうね」と言って先に行ってしまった。
追い付かなくちゃ。
早く、もっと早く泳がないと。
すううっ。
今度は飛び込みじゃないから、静かにスタートした。
すぐに1往復目を終わらせ、2往復目に入った。
1,2,3。1,2,3。
下に、半分の白い線がみえる。
まだ半分なの?
はやく行かないといけないのに。
ほら、どこかで私を呼ぶ声がする。
「頑張れー!」
「あと少しー!」
あかりんと水菜先輩の声だ。
待たせちゃってる。
速く、速く、速く!
あれ、あれ?
身体が動かない。
かわりに心臓がドクドクとなる。
それでも、とにかく前に進むために腕を動かし続けた。
◇◆◇
部活から帰ってきて、ふらふらとしながら自室に入った。
どさり、とイスの近くにバックを置き、そのままベットの上に座る。
「私……」
口からもれた言葉が、静かな自分の部屋に響く。
「どうしたんだろう……」
あの時のことを思い出せば、心臓もなんかおかしかったし、泳いでいる時、何かに縛られるような感覚がした。
泳げたけれど、泳げたけれど……。
次、今回みたいなことがあれば、これからずっと心配させてしまうことになる。
家族に言ったらもっと心配されるだろうし、とてもじゃないけど言うことはできなかった。
私にはわかっていたのだ。
確かに恐怖心は薄れてきてはいる。
でも、まだなんだ。
克服したと思っていた。大丈夫になったんだ、とも思った。
でも、それはあのことを忘れかけていたからだろう。
最近あの夢を見て、またスタートに戻ってしまったんだ。
無理なことをできるようにするって、どんなに難しいことなんだろう。
私にはやっぱり無理だ。無理だ。ダメなんだ。
ばたり、とベットに倒れこむ。
額から、冷や汗が伝った。
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