第7話 夢とあかりんの本音

『今日、海行くんでしょ?』

『うん、ずっと舞、行きたいって言ってたからね。今日まで頑張ってきたし、そのご褒美よ』

『わっ! やったっ……楽しみ!』


 幼い私が、今よりちょっと若いお母さんにキャッキャと話しかける。


『あ、ねえ、今日ってナギ君来るって……!』

『あ、そうなのよ。一緒に行きましょうって誘われてね。早く準備するのよ~』


 ナギ君。


 その単語が聞こえた途端、この後の出来事を思い出す。


 見たくない、見たくない。

 この続きを見たくない。

 あれ、夢を終わらせるときってどうすればいいんだっけ。


 そうだ。


 確か、目を開ければいいって……。


 ◇◆◇


 はっと目を開けると、まだ真っ暗な空が目に入った。


「はあっ、はあ、よ、かった……」


 なんで、なんで、いまさら……。

 あれは、昔の話じゃん……。

 最近あのことを夢に見ることはなかったのに、なんで……?


 もう一回寝たかったけど、そんなことしたらまたあの続きを見ちゃいそうで怖かった。

 さっきの嫌な夢を忘れようと、手元の本に手をのばす。


 ……でも、本を読もうと思っても、全然内容が頭に入って来ない。


 ただひたすら、忘れたいと願っていた、あの出来事。

 でも、忘れることができず、いまだに心にこびりついて離れない。


 あの出来事は、私が泳ぐことに恐怖を覚えるようになった、たった一つのきっかけである。


 ◇◆◇


 登校した直後の朝読あさどくタイムにて。


「なんで今日あの夢見たんだろ……最近見なかったのに」

「ん、なんか言った?」


 独り言のように、ぼそりと呟いたはずの言葉。

 それが隣に聞こえていたらしく、あかりんがピクリとまゆを上げる。


「あ、な、何でもないよっ。ほら、今日雨降ってるじゃん? 私、傘持ってこなくって」

「もーなにしてるの~? ちゃんと天気予報見ないと!」


 バシバシと私の肩を叩きながら言うあかりん。

 そう言えば……。


「あかりん、昨日大丈夫だった?」

「あ、うん……! あはは、ホント情けないや。ごめんね、まいまい」

「そんなこと……」


 もちろん心配したけれど……別に謝らなくたっていいのに。

 うつ向くあかりんを見て、私はなんて声をかけたらいいのか迷って、口をつぐむ。


 すると、あかりんがポツリポツリと話し出した。


「あのね、あたし、ホントは全然泳げないんだ……。って、まいまいも知ってるでしょ、あたしの水泳の実技結果」


 そう言われ、去年までの水泳の様子を思い出す。

 確か、去年の夏は……。


 ――『まいまいは、本当にすごいね。あたしなんて、C評価だよ……」

 ――『私は習ってるから。でも、あかりんもこれからやっていけば、きっと記録伸びるよ!』


 いつも水泳の時は落ち込んでて、実技テストでは最低評価のC。

 それでも、やりたくない~って言いながら、頑張ってたっけ。

 中学に入って、水泳部の王子様と呼ばれる人がいることを知り、どんどん興味がわいたんだと思う。


「あかりん……」

「だからね、本当は水菜センパイにビート板いる? って聞かれたとき、ホントはないとダメだなってわかってた。でもさ、まいまいは使わないし、あたしだけっていうのは嫌だったの。それか、もしかしたら、今ならできるかもって思ったのかな」


 ちらり、と私のことを見て、続きを話す。

 私も、知らなかった真実に耳を傾ける。

 すると、あかりんが急に泣きそうな声になって続けた。


「……ごめん、今そう言ったけどさ。本当は、できない自分を知られたくなかったんだと思う。……晴琉センパイに」


「笑っちゃうよね」と、おかしそうに言うあかりんの目を見る。

 いつもの元気な光はない。

 その奥に光る、切ない、悲しい光。そして、自嘲する光。


「あかりん、来て」

「え?」


 私は有無を言わせずに廊下に出て、隣の学年室に誰もいないことを確認して、そおっと入り込んだ。

 カタン、と音を立てて、いすを引く。

 そこにあかりんを座らせると、私も向き合うようにして座った。


「え、朝の学活、あと10分で始まっちゃうよ?」

「いいの」


 私はがっちりと、あかりんの手をつかむ。


「あかりん」

「な、何っ?」


 私は静かに、話す。


「私、あかりんのこと何も考えられてなかった。ごめん。私、ずっと一人で泳いで。私のせいで、ごめん、あかりんっ……」


 ごめん。

 顔を上げられなくて、ぎゅっと唇をかんで下を向く。


 すると、突然強く抱きしめられた。


「え」

「もーまいまいは考えすぎだよねえ……。謝ってなんて言ってないし、まいまいのせいじゃないんだから、そんなに気に病むことないのに、も~そういうところ、昔から変わらないね」

「え、あかりん?」


 ハッと顔を上げれば、そこにはあかりんの顔がすぐそばにあって。

 きれいな、きれいな目を見る。


「あたしね。決めたんだ」


 何を、と聞き返す暇もなく、あかりんが一言、言う。


「あたし、まいまいを超えてみせるから!」

「え、」

「そーしたら、県大会みたいなのにも出て、まいまいの上に立つ!」

「ええっ」

「今日から、まいまいを超えるために頑張るから!」

「えええっ」


 驚きすぎて、え、の言葉しか出てこない。

 友達がやる気を出してくれたのもうれしいし、何よりお互いの気持ちがわかってスッキリしたけど。

 まさかのライバル宣言、聞いてないよ!


 こうなったあかりんは本気だ。

 これは私も頑張らないと……!


 またこれで、水泳をやる目標が一つできた。


 あかりんと、県大会出場!


 ◇◆◇

 

 「おっ、舞ちゃん」

 

 部活が始まる時間になり、あかりんはまだ着替えているというので先に来た。

 するとばったり水菜先輩と出くわして、二人であかりんを待つことになった。


 「あの、思ったんですけど。先輩ってどうして水泳をやろうと思ったんですか?」

 「えー? まー、晴琉がやってたし、そん時は夢中になれることを探してたからかなぁ。水泳のクラブ入ったらさ、『よし、これだ!』って」

 「そうなんですか。夢中になれることを、探して……」


 やり始めた理由が素敵すぎるよ……。


「あっ、うみくんもわたしと同じ感じの理由だった気がする。なんか、守れるようになりたいとか何とか言ってたよーな?」


 海くんって、海崎君のあだ名かな? っていうことよりも。


「守りたい人がいるってことですよね。素敵ですね」

「うん、いーよね……」


 私にもっと力があれば、守りたい人は守れていたのかな。



 

 時間になって、いつものようにドアを開けて中に入った。

 手には、入部届の紙を持って。

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